2008年2月 8日 (金)

【遊ばない国、日本】④東京ドームの地下に潜むもの

200801310952000先週、川崎記念をよそに私が拉致されていた建物には、このような看板が掲げられていた。下から見上げるように撮ったので読みにくいが、「後楽園競輪再開 断固反対」とある。

皆さんは。東京ドームの地下に1周400mの競輪バンクが収納されていることをご存じだろうか?

ドーム建設の際に、プレー可能なスポーツの選択肢を拡げるという趣旨から作ったとされるが、つまりは「競輪」の開催に備えて導入された設備ということにほかならない。もちろん、公営競技としての「競輪」が開催されたことはなく、自転車競技としての「ケイリン」に何度か使われたのみ。最大傾斜角30度のバンクは、20年間東京ドームの地下でじいっと出番を待ち続けている。

東京ドームの「競輪問題」は古くて新しい問題でもある。

「後楽園競輪」が廃止されたのは美濃部都政時代の1973年。美濃部知事の都営ギャンブル全廃の方針に沿った形によるものだが、その後、自主財源の貧窮に苦しむ23区や多摩地区の自治体が「再開」を模索するようになったのが、東京ドーム建設中だった1987年頃。今から20年以上も昔の話である。

ところが、競輪人気の凋落と歩調を合わせるように、競輪再開機運もすっかり萎えてしまったのである。財源として期待できないなら、何も大金を注ぎ込んで新しい競輪施設を作る必要もないというわけだ。

その後、日本初の屋根付球場として生まれた東京ドームでは、年に1回のペースで、「サイクルフェスティバル」というイベントが行われてきた。ところが、このイベント、実は年に一回行わなくてはならないバンクのメンテナンスのために実施されている。23区や多摩地区の自治体が興味を失ったとはいえ、大規模な負債を抱える東京ドームにしてみれば競輪開催は悲願でもあった。

20世紀も残り僅かとなった1999年。かつての「後楽園競輪」の記憶さえもが消え行く頃になって、突如として追い風が吹き始める。東京都の財政再建の切り札として「お台場カジノ構想」と並び「都営競輪の復活」を選挙公約に掲げた石原慎太郎氏が、都知事に就任したのだ。

『東京ドーム競輪』は競輪各団体のみならず、石原慎太郎東京都知事の悲願でもあった。石原知事は財政再建策のひとつとして「東京ドームでの競輪再開」を明確な選挙公約とした上で当選を果たしたのである。

実は、後楽園競輪の扱いは「廃止」ではなく「休止」となっている。従って再開に向けての事務手続きは、さほど煩雑ではない。極端な話、車券売場さえどうにかなれば、あとはいつでも再開できる。最大の懸案事項であった「プロ野球との併用問題」についても、2004年に日本ハムファイターズが札幌に移転したことで、ほぼ問題は解消された。もう一方のフランチャイズである読売巨人軍も、近年では東京ドームの主催試合を減らして地方都市に振り分ける方針をとっている。

冒頭に触れた競輪反対の看板は、こうした状況の中で掲げられたものだ。

反対の理由は、風紀の乱れ、あるいは同区が文教都市として町づくりを進めていることなど多数あげられているが、やはり突き詰めれば「ギャンブルをやるような人間がウチの近所に集まるのは嫌だ」という一点に集中するのだろう。

「遊興は悪」という観念の抜けない日本において、遊興の最たるギャンブルは極悪であり、そのギャンブルに興ずる人間は極悪人にほかならないのである。都が2016年の東京五輪招致を目指していることに関連し、文京区長が「五輪開催時に競輪を東京ドームで行うことには反対しない」と発言したことが何よりの証左だ。ギャンブルとしての競輪はダメだが、ギャンブルでないケイリンならOKというわけだ。

Machurida多少の差こそあれ「賭博は国民を害するもの」という潜在認識が蔓延るこの日本という国が、世界ナンバーワンの馬券売上げを誇るこの事実がむしろ不思議に思えてきやしないか。JRAは「競馬はギャンブルではなく”健全なレジャー”である」という主張を貫き通し、今日(こんにち)の繁栄を勝ち取った。だが、声高にギャンブルであることを叫べないようなギャンブルは、いつかその矛盾性ゆえに行き詰まる気がしてならないのである。

(この項終わり)

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2008年2月 7日 (木)

【遊ばない国、日本】③お台場カジノの夢

■刑法第185条■
賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

この条文により、国内での賭博行為は固く禁じられるところと定められている。もし日本にカジノを作るなら、この条文を改定するか、もしくは「カジノ特別法(仮称)」の制定が必要になる。

Rulet競馬、競輪などの公営ギャンブルも特別法で認められていることから、カジノも特別法により合法化するべきとの声は根強い。東京都の石原慎太郎知事は、今なお台場カジノ構想を諦めていないというし、過去には神戸でも震災復興にカジノを利用する計画を検討したり、経営破綻した当時の宮崎シーガイアでもカジノ誘致に動いたことがある。

とにかく、先進諸国でカジノが非合法なのは日本だけであり、パチンコが認められ、カジノが駄目なのは矛盾している」というカジノ推進派の指摘は、なるほど的を得ているように思う。

お台場のカジノ構想は石原知事が初当選した1999年以来の公約である。ルーレットの基盤が傾いたりしないよう、最も強固な場所としてお台場フジテレビ社屋の南側の区域が選ばれるとともに、地域限定通貨を使用した大規模な「カジノ実験」の準備も始まった。一方、自民党内でも2002年に衆参の79名の議員が「カジノ議連」を結成。会長には野田聖子衆院議員が就任し、財源寄与のため”ゲーミング税”を課すという法案の基本構想を発表するなど、カジノ実現への機運は高まったかに見えた。

だが、その後、郵政民営化を巡る自民党内の混乱の中で、議連の動きは行き詰まりを見せる。郵政民営化法案に反対した野田議員は自民党を離党。石原都知事が提唱した「カジノ実験」も国の反対で中止に追い込まれた。昨年3月には、都が「カジノ用地」として保有していたフジテレビ南側の土地についても売却の方針が決まり、お台場カジノ構想は事実上潰えた。

ひょっとしたら、カジノ実現の機運が高まっていたというのは、当事者間に限ったハナシだったのかもしれない。

サッカーくじ『toto』の導入に際してさえ、「風紀を乱し、青少年の健全な発育を妨げる」というおよそ非現実的な理由を掲げて、強固に反対した人たちが少なくなかった。そういう人たちにしてみれば、カジノなど何をかいわんやであるはずで、一連のカジノ構想に対しても真っ向から反対攻勢をかけた。逆に「日本にもっと遊興施設を!」という声が市民レベルから沸き上がったことはない。「地域経済活性の起爆剤」とか「雇用対策の切り札」というような、いかがわしいお題目を伴って一部の地方自治体から出てきた例はあるが、いずれも「それがカジノでなければならない」という必然性が欠けていた。

現代に生きる日本人の多くは、人間らしい幸福や豊かさを感じぬまま一生を終えてしまう。

客観的に見れば不幸なはずの勤労に己が生涯を捧げ、ならばその勤労こそが幸福なのだと、どこぞの社会主義国家的な思想を自らに植え付けて生きている。たまの休みに遊ぶといっても、接待目的のゴルフであったり、家族サービス目的のディズニーランドであったりと何らかの目的を伴っていることが多い。元来遊びとは無目的な行為であるはずで、それが何かの目的を伴った瞬間に遊びとしての本質は失われる。すなわち己が教養を高めるための読書は「研鑽」にほかならず、生活費を稼ぐための競馬はまごうことなき「労働」である。

Kickback同様に「経済」とか「雇用」のためのカジノを純粋な遊興施設と呼ぶことはできない。「地方自治体への財政寄与」という目的をもって存続してきた地方公営競馬が、その目的を果たせなくなった途端、バタバタと潰れて消えてしまったのも、詰まるところは同じ理屈であろう。真の”カジノ的思想”を携えたカジノをこの日本に作るなど、土台無理な話だったのかもしれない。

(明日付に続く)

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2008年2月 6日 (水)

【遊ばない国、日本】②横浜にカジノが無い不思議

昨日の続きですが、たいそう大きなテーマになりつつあるので、昨日付を含めてタイトルをそれなりに変えました。

~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~

「私は酒もギャンブルもやらない」

……と言い切る人にたまに遭遇する。

その肯定的な口振りから、つまりは酒もギャンブルも害のあるものという認識が、言葉の背後に見え隠れする。酒に限って言えば、体質の問題で飲みたくとも飲めないというケースもあろうが、それでもギャンブルは害悪なのである。

Abumiそんな風土なのだから、法律によりギャンブルが一様に厳しく禁ぜられ、それを破れば刑事罰に処せられる我が国のルールは当然の成り行きで誕生した。競馬をはじめ、競輪、競艇、オートレースの各公営競技や宝くじは、それぞれ特別法を立てて、刑法の適用例外というお墨付きを得ている。ちなみにパチンコが「合法」とされる所以は、同条の但書にある「一時の娯楽に供する物を賭したる場合、違法性が阻却される」に該当すると解釈されているためだ。また、日本の国土を離れた船上であればギャンブルは合法、と言われることが間々あるが、公海上の船舶においては、船籍国の法令がそのまま適用されるので、少なくとも日本の客船でカジノを楽しむことはできない。

日本国民ならば勤労こそを是とし、ゆめゆめ遊興にうつつを抜かすことなどあってはならん、ということである。

ちなみに、船上カジノの構想は古くからあって、今も関係団体が規制緩和を求めている。

無論、それに対する“お上”の答えはネガティブである。その理由も決まって「賭博は国民一般の経済観念・勤労観念を害するものであり、これに関する行為を処罰する必要がある」というものだから恐れいる。いや、怖い気もする。この国家あっての国民性なのか、あるいはその逆か…。

かつて世界の覇権を握っていた当時のイギリス人は、居留する先々の土地にイギリス流の遊びを持ち込んだ。彼らの「遊び」とはすなわち競馬とカジノである。

Happyvalley横浜であれ香港であれカイロであれヨハネスブルグであれ、彼らが先ず真っ先に行うことと言えば、競馬を行える広い場所の確保であった。ハッピーバレーは地元民でも手の付けられぬ沼地であったというが、今では壮麗なスタンドを誇る香港の一大遊興施設である。日本で最初の常設競馬場が横浜根岸に生まれたことについては、説明の必要はあるまい。

ところがカジノについては日本だけ事情が異なる。イギリス人は世界各地にバラまくようにカジノを持ち込んだが、横浜にはなぜかカジノを作らなかった。これを「世界史上の大きな謎」とする歴史家もいるが、「遊興は悪」と固く信ずる日本人の気質と無関係ではないだろうと私などは考える。

そんな”お国柄”のコントラストがより鮮明に浮かび上がったのが、先の大戦における「競馬」を巡る国策であった。

我が国の競馬は軍馬供給という苦しい存続理由のもと、国策の一環として細々と続けられていた。しかし、戦局の悪化につれ高まる「無為な遊興たる競馬は即刻廃止せよ」という声に押される形で、最終的には中止に追い込まれている。

一方の英国では「戦時中であればこそ、国民には”遊び”が必要」というおよそ日本人には理解し難い理由から、第2次世界大戦中も競馬そのものが中止になることはなかった。「遊びは人間生活に欠かせないものである」という認識が、国家レベルで備わっているいるお国柄なのである。

昨日付のブログで私は、日本人はあまねく遊び下手であると書いたが、「酒もギャンブルもやらない」と胸を張って豪語する人の多くは、その典型のようなタイプが多い。

多くの日本人は幸福や豊かさを追い求めて猛烈に働くが、確固とした幸福や豊かさを感じることのできる人などほとんどいないのではあるまいか。もし人生の最期の時まで「勤労は善。遊興は悪」と考えてるのが日本人であるならば、それも致し方ないことだろう。

(明日付に続く)

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2008年2月 5日 (火)

【遊ばない国、日本】①いわし家太平で考えること

昨日の続き。

幣舞橋そばの『いわし家太平』のカウンターに座り、今日一日の反省を試みた。

独りで酒を飲むことが多いタチだが、そんなシーンでこそ私は様々なことを思索する。

ここのところ私の足枷になっている諸事雑務どもの考察程度なら移動の電車内や歩きながらでも事足りるが、独りで酒を飲んでいる”間”はそういった足枷から解放された貴重な時間・空間である。従って、そういう機会に恵まれれば、ここぞとばかりに結構たいそうなテーマについて考えを巡らせるものである。

Dosan_2昼間、鶴居の『どさんこ牧場』を訪問した際、私は馬の写真を撮っただけで、馬に乗ることはせずに引き揚げてしまった。その後もスケジュールが詰まっていたこともあるが、「遊びに来たわけではない」という気持ちが私の「乗りたい」という気持ちを寄り切ってしまった部分が大きい。これは一般論としてさほど間違ってはいないチョイスだと、そのときは思った。

だが、来道の理由はどうあれ、東京から1000キロ以上も離れた釧路湿原までやってきて、そこに馬がいるというのに、何かに遠慮して乗らなかった私の行為は  その行為だけを抽出してみれば  何か致命的に間違っているような気がしてならない。なにより快晴無風の絶好の乗馬日和である。一面を雪に覆われ、丹頂鶴が舞う釧路湿原を馬上から眺めれば、さぞかし爽快であったに違いない。

Tsuru2日本には「勤労」を美徳とし「遊興」を罪悪とする歴史的風土がある。遊興の最たるものはギャンブルであろう。だから平日の昼間に競馬場に集う人間は、「けしからん人間」として世間の容赦ない白眼の視線にさらされることとなる。「勤労感謝の日」はあっても「遊興奨励の日」などは存在しない。そんな祝日を法制化しようと思うならば、賛成票を投じた議員は次の選挙でまず確実に議席を失うことを覚悟しなければならない。

むろん働かずして遊び呆ける者を擁護するつもりなどない。ただ、十分働いているにもかかわらず、遊ぶことの許されぬこの国の国民性には「違和感」などという言葉では言い表せぬ物悲しさを感じる。

ハイセイコーによってもたらせた空前の競馬ブームのさなかにあっても、電車の車内で競馬専門紙を広げる人は少なかったという。今日(こんにち)のように、会社帰りのサラリーマンが周囲の目を気にすることなく電車内で競馬新聞を広げることができるようになったのは、オグリキャップによってもたらされた第2次競馬ブームのあとではあるまいか。それでも、競馬そのものと、競馬をやる人間の両者に対する世間の眼が厳しいことには違いない。

日本人は遊びを罪悪と思うあまり、世界にも類を見ないほどの”遊び下手”の民族になってしまっているようにも思う。私はどちらかと言えば「好きに遊んでいる方」の人間だと自負してきたのだが、自らの仕事に遠慮して馬に乗ることを躊躇っているようでは、多くの日本人と同じように”遊び下手”人間なのかも知れない。

(明日付に続く)

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2006年12月20日 (水)

CTスキャンと南関東日程

クリスマスはもちろん、間近に迫った有馬記念やら、内田博幸騎手の年間最多勝記録やらで、世間はたいそうな盛り上がりを見せているらしいが、そんな浮世の喧騒をよそに、私といえば病院通いの日々である。

いや、巷を騒がすノロではありませんよ。思い返せば、あのJCウィークの騒動はまさしくノロだったんでしょうな。流行先取りはいいとしても、いかんせんタイミングが悪過ぎた。

とにかく今日は、赤坂見附の前田病院でCTを撮るのである。普通バージョンだけでなく『造影剤バージョン』も撮ると聞かされているので、朝からちょっと気が重い。造影剤の注入って嫌なものですよね。腕の血管からドローッとした液体をじゅわじゅわと注入するんだけど、体中に行き渡るまで時間がかかるし、血管が造影剤に反応して熱を持つから、体中が熱くなって「うぅぉ~っ!」って感じに(どんな感じだ?)なるのもキツい。あればっかりはどうにも好きになれない。さらに、CT撮影のために朝飯を抜いていることもテンション低下に追討ちをかける。

とはいえ、今日私のお腹の中を撮影してくれた技師さんはすごく手際が良くて気持ち良かった。何事にも言えることだが、良い仕事をする人は例外なく手際が良い。これは天ぷら職人でも、美容師でも、放射線技師でも、競馬カメラマンでもみな同じ。もちろん手際が良けりゃ、それでイイってもんでもない。逆は必ずしも真ではない。

しかしせっかく撮影がスムースに終わったというのに、撮ったばかりのその画像を別の病院に持ち込んで専門医の所見をもらうのに途方も無く待たされることになった。なにせ年末。病院自体が大混雑である。

Uma01しかし、暇な時間を潰すことは実は私の特技のひとつ。ここは来年の手帳にいろいろと書き込みながら、私の名が呼ばれるのを待つことにする。

毎年JRAから手帳(いわゆる『優駿手帳』ではない)を戴いてて、それがものすごく重宝していたのだが、なんと今年に限ってこれがもらえそうもない。こういう時の悩みは深いもので、”慣れ”の問題とかいう以前に、重賞日程をイチから書き込む作業は、やってみないとそのたいへんさは理解してもらえないだろう。さらに私の場合は南関東の重賞日程も記入するのでその苦労は倍にもなる。

Uma022007年12月31日の東京2歳優駿牝馬まで書き終えたが、いっこうに私の診察の順番がやってくる気配はない。仕方ないので、南関東4場の開催日程も書き込んでしまおう。私の場合、カレンダーの日にちの部分を、開催場ごとに色分けした蛍光ペンで塗り潰して日程を区別している。たとえば1月1日~5日は川崎を表す黄色で塗り、9日~12日は船橋だから緑色で……、と言った具合ですね。地味な作業だけど、実際にやってみると色々と(駄洒落か?)発見もある。

冬場は川崎→船橋→浦和→大井→川崎→船橋……、としばらくは几帳面なローテーションが続くのだが、暖かくなってナイター開催の季節を迎えると、ローテーションの法則は破られて、大井と川崎の割合が突出するようにになる。たまに浦和開催が顔を覗かせても、わずか2日間の開催だったりするんだけど、果たして初日の翌日が最終日という開催にどんな意味があるのだろうか? まあ意味があるから、敢えてこんなスケジュールにしてるんだろうけど、こんな隙間家具のような扱いをされても、南関東全体を考えればベストな選択なんでしょうね。もちろん夏場だけでなく、暮れの大井と正月の川崎の薄暮開催もすっかり定着した感がある。日没が早まるこの季節は、やはりナイター設備が大きくモノを言う。

Kashiwa_1かしわ記念を擁する船橋も、例年通りGWの開催が確保できたことでまずは御の字か。ただ来年はカレンダーの”あや”で、目玉のかしわ記念を5月2日の平日に実施することを余儀なくされた。主催者にとってこれは痛いだろうけど、GWにはこのように暦に左右される要素があり、当たればデカい利があるが、逆にハズれればリスクも大きい。

そうこうしているうちに、ようやく自分の名が呼ばれる。実に2時間も待たされたことになるのだが、開口一番、医師の所見に私は自分の耳を疑った。

「このCTの画像だけでは判断できない」。

なんじゃそりゃ?

とにかく、検査は続けられることになったわけだが、こんなことで今日の重賞・テレビ埼玉杯を潰してしまったのかと思うと、ドッと疲れが押し寄せて急に腹が減ってきた。そういえば、昨夜から何も食べてないのだ。時計を見ると、もう3時過ぎである。むかっ腹を立てて、丸の内の『竹山』で腹一杯鮨を食べ、それでも怒りが収まらずに神田のカレー屋で2人前のテイクアウトをして帰宅。さすがにカレーは妻と二人で分けたけど、また太るなこりゃ。

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2006年4月13日 (木)

おそるべし、常滑

何気なくスポーツ新聞を見ていたら、昨夜の大井競馬場の入場者数は10,570人だったのだそうだ。

昨日は重賞のマイルグランプリが行われることもあって、先着1万人にスクラッチカードを配布することになっていた。「当たり」が出たらプレゼントがもらえるというイベントなのだが、結果的にほとんどの入場者はスクラッチカードを手にしたことになる。

ちょっと前までなら「先着1万人」に入るためには、空が明るいうちに入場しなければならなかったから、それを思えば昨夜の場内はべらぼうに空いていたと言えるのだろう。実際、8~10Rの間に内馬場の投票所で馬券を購入したのは、私以外には3人しかいなかった。

調べてみると、ナイキアディライトが勝った昨年のマイルグランプリの入場者数は、11,359人。今年は800人弱の減少ではあるが、これは誤差の範囲内か。こと売上げに関しては、ここ数年で微増傾向にあるから、やはり電話(ネット)投票派が増えているということだろう。アジュディミツオーが走る!などと盛り上がっても、そんなことに興味を示すのはナイターも昼間開催も関係ないというベタな南関東ファンだけであって、会社帰りに馬券で遊ぼうというライトファン相手にやれアジュディだ、やれレコードだと騒ぎ立ててもあまり意味がないのかもしれない。

しかし、番組の充実や馬の資質UPが、真の競馬発展に繋がることは間違いないのだから、にわかにライトファンに迎合するようなマネはしないで下さい。(>主催者様)

大井だけでなく日本各地で開催されているの公営ギャンブルの入場者数も気になったので、ギャンブル掲載欄を隅々まで眺めてみると、なんと昨日の常滑競艇2日目の入場者数がなんと45,770人である。えーっ、こんな入んの?

気になったので今日の入場者数も調べてみたら、なんと6万人を超えているという。ちなみに多摩川競艇も開催中なのだが、だいたい1万人(それでも多いですね)なので、やはり常滑が特別なのだろうと思う。

常滑競艇には、いったい何があるというのだ?

オフィシャルホームページ「とこなめ競艇」を見てみると、いちおう今開催はGⅠシリーズなんだそうである。それでも決勝は日曜だから、昨日今日は番組的には通常営業だろう。公営ギャンブルに限らず、平日の昼間に6万集まるイベントなどそうそうあるもんじゃありませんよ。常滑界隈のお年寄りは、よほど競艇が好きなのだろうか? わからん。謎。

ちなみに、明日4/15には夢の競演「ビッグスターものまねライブ」というイベントが開催されるらしい。出演は、まねだ聖子、エンジェルひばり、西島三郎の御三方であるが、この出演者の顔ぶれ凄いですね。一件の価値ありかも。競艇にはまったく興味のない私であるが、ぜひとも行ってみたくなった(笑)

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2006年2月28日 (火)

テンリットル ダイオライト記念参戦

先ほど、交流GⅡダイオライト記念(3/15・船橋・2400m)の出走予定馬が発表されたのだが、なんとその中にテンリットル(牡8/高知)が含まれていたので、いたく喜んでいるところである。

テンリットルについては、2/4付の当ブログ「テンリットル移籍」もご一読されたい。

高知に移籍してしまって、もう二度と彼の姿を見ることもあるまいと覚悟を決めていたのだが、向こうの方から来てくれるというのはありがたい限り。2/4付では「黒船賞か?」などと書いてしまったが、黒船賞が今年から14000mになるのならともかく、よくよく考えたら1400mのレースにテンリットルが出るはずもなかった。

ところで、鞍上はどうなるのだろうか? 高知では未だレースを走ってないから、高知のジョッキーが乗るとテン乗りになってしまう。

1128_25_ 「移籍緒戦」、「高知~船橋という長距離輸送」、「3ヶ月ものブランク」という3つの不安要素に、さらに「テン乗り」が加わるのは文字通り不安だ。なので、ここは地元南関東の水野貴騎手が手綱を取ってはどうだろう。水野貴騎手とテンリットルと言えば、両者が高崎時代のベストパートナーであり、なんと驚く無かれ42戦も共に戦っているのである。

2004年の大晦日。高崎競馬場最後のレースになるはずだった高崎大賞典が大雪で中止になるハプニングがあったが、そのレースでも水野貴騎手はテンリットルに騎乗予定だった。

その後、水野貴騎手は南関東地区の浦和へ、テンリットルは金沢へとそれぞれ別の道を歩むことになるが、こうしてテンリットルが南関東にやってくることになったのも何かの縁ではないか。ぜひとも関係各位においては、特別の配慮を期待したい。

舞台こそ違えど、今回のダイオライト記念で水野騎手がテンリットルに乗ることができれば、あの日の悔しさをほんの僅かでも晴らすことが出来ると思うのである。

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2006年2月27日 (月)

’06桃花賞

改善の兆しすら見えない腰痛を抱えて病院に行くが、当然ながら痛み解消には至らず。

昼に入った鮨屋では、カウンターに座るなり「なんか姿勢がヘンですね」と言われた。自分では気付いていないが、身体を後ろに傾けていると楽なので、自然とふんぞり返る姿勢になっているようんだ。どうかみなさん、私が偉そうにふんぞり返っていても、怒ったり責めないでください。私はただ腰が痛いだけなんです。

さて、今日は南関東牝馬クラシックに意外に結びつかない準重賞・桃花賞である。

真島大騎手&スターオブジェンヌが1番人気で出走するので、ぜひとも見に行かねばと思っていたが、この腰痛ではさすがに自重せざるを得ない。

きっとこういう時は(スターオブジェンヌが)勝っちゃうんだろうな、と思ってTVでレースを見ていたのだが、これがまったくイイトコなし。パフィオペディラムにハナを奪われて仕方なく2番手に付けたが、3角で真島騎手の手が動き出し、直線に入ってもパフィオペディラムには離される一方だわ、外から抜かされるわで、結果5着。

とはいえ、大目標(私が勝手に設定しているだけだが)の桜花賞まではあと1ヶ月半もある。今、状態がピークになってしまう方がちょっと心配なので、これから徐々に上げていってもらいたい。5着と言っても、勝ち馬とはコンマ6秒差なんだし。

病院で貰った飲み薬を律儀に飲んでみたが、特に痛みが和らぐような気配もない。やはりフェブラリーSの日に久々にカメラバッグを担いだのがいけなかったか。そう言えば、競馬場に集まるカメラマンは、リュックサックのように背中に背負うか、あるいはキャスターにくくりつけてゴロゴロ転がしながら機材を運んでいる人が多いように思う。

実は私もちょっと前までキャスターを愛用していたのだが、機材の重さに耐えきれずキャスターの支柱がボッキリ折れてしまった。それ以来、10kg以上の負担重量を肩に担いで、駅の階段を昇り降りし、競馬場までの長い道のりを歩く羽目になった。

ついでに言えば、身体に重い負荷をかけることで「少しは痩せるかも」という淡い期待もなくはなかった。しかし結果を見れば何も良いことは無かったようですね。

ホント、腰痛い!(><;

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2006年2月26日 (日)

競馬を楽しくする人 (O.ペリエ)

今日でオリヴィエ・ペリエ騎手の短期免許が切れる。

ここ数年のペリエ騎手の来日パターンからすれば、おそらく次回の来日は10月の最終週。天皇賞から有馬記念の2ヶ月間の滞在になるのだろう。つまり少なくとも今後8ヶ月間は、ペリエ不在の競馬を見なければならない。これは少なくとも私にとっては、かなり辛いことである。今日は負けてしまったが、ハットトリックなどは安田記念で誰が乗るのだろうか? 角居調教師も頭が痛いと思う。

1188_13_ ペリエ騎手本人も日本を離れる時は「いつも辛い」と言う。ペリエ騎手の親日家ぶりはつとに有名で、「一年中いつでも好きな時に日本に来て乗りたい」という希望を以前から漏らしているが、彼が日本での常時騎乗を望む理由は、日本の競馬の賞金水準が高いからなどという打算的な理由ではない。

以前、ペリエ騎手自身が、どれだけ日本の競馬を愛しているかについて語るのを、直接聞く機会があった。凱旋門賞3連覇を筆頭に英ダービーやブリーダーズカップなど、世界中のありとあらゆるビッグレースを制した彼をして、「僕のキャリアで一番嬉しかったレースは、ウイングアローで勝ったフェブラリーS」と真顔で言うのである。これをジョークと捉えてはいけない。2000年2月。寒空の府中競馬場で、ファンの大声援に迎えられてウイニングランをした時に、初めて彼は「騎手人生で最高の興奮を感じた」のだ。

美浦に滞在する時などは、JR土浦駅から電車で都心に出掛けることも多い彼だが、そうした電車の中ではしばしば乗客から握手を求められることもある。そうした経験を「フランスではあり得ないこと」と言い、日本の競馬ファンの裾野の広さや、騎手に対する接し方など、ペリエ騎手が日本を愛するという理由には列挙に暇がない。

「許されるならば、騎手人生の最後は日本で迎えたい。日本のファンの前で引退を宣言したい」とまで彼は言い切る。

1093_26_ 昨日付けでも書いたが、母国でのダービーを捨てて日本ダービーを選んだデムーロ騎手や、ここまで日本の競馬を愛してくれるペリエ騎手を、果たしてJRAは今後どのように扱うのだろうか? あらためて言うまでも無いことだが、彼らはヨーロッパのトップジョッキーでありながら、祖国以上に日本での騎乗を強く望んでおり、もちろんファンも調教師も馬主もそれを望んでいる。

しかし、短期免許期間の延長は事実上不可能だ。

地方競馬出身のジョッキーに門戸を開いたことにより、JRA所属騎手の中には、年間を通して未勝利だったり、たとえ勝てても1勝という騎手が大量発生する事態となっている。ペリエ騎手には気の毒な話だが、JRAが自前で育てた騎手との軋轢を生むような制度改正に着手するとは、到底思えない。

現状でも「3ヶ月間」の短期免許について、1ヶ月単位での分割申請が認められているが、これを週単位にできないだろうか。そうすれば、弥生賞、皐月賞、日本ダービー、と馬のローテーションに合わせた免許取得が可能となる。

あるいは、何らかの制限が必要なのだとすれば、「3ヶ月」などという期間ではなく、騎乗レース数による制限を検討しても良いと思う。

JRA所属騎手の騎乗機会確保と、一流外国人騎手の参入は両立できる問題だと思う。その上で、日本競馬への貢献度(勝ち鞍や、GⅠ勝利数など)を判断しながら、個別の騎手ごとに制限を撤廃する方向に持っていけないものだろうか。

武豊騎手は好きな時にフランスに渡って、乗りたいと思うレースに乗っている。なぜその逆が出来ないのか。ペリエ騎手の日本競馬への熱い思いは、いつの日にか日本競馬への失望に変わってしまうかもしれない。そうなる前の対応をJRAにはお願いしたい。

 ~ * ~ * ~ * ~ 

今日は、ハットトリックを見るために中山まで出掛けようと思っていたが、腰痛が悪化して朝布団から起き上がることさえ出来ない有様。

昨日までのもやもやした痛みが、今朝は完全な激痛に変わっている。松坂大輔風に言えば「自信が確信に変わった」という感じ。

これをギックリ腰と呼ぶのかどうかは分からないが、とにかく一日横になったまま大人しく過ごした。トイレに行くのも辛い状況で本当に情けない。

中山記念はテレビで見たが、阪急杯の松永騎手のパフォーマンスに圧倒されてしまって、印象が薄れてしまった。しかし勝春は上手く乗りましたね。

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2006年2月25日 (土)

競馬を楽しくする人 (M.デムーロ)

今日からミルコ・デムーロが短期免許で騎乗する。

身長160cmで童顔、時折見せる人懐っこい笑顔でファンから親しまれる騎手だが、地元イタリアでは「荒馬」の異名を取るファイタータイプの騎手であると聞けば、日本の競馬ファンは意外に思うかもしれない。

1047_25_デムーロが初めて短期免許で来日したのは99年秋。当時の短期免許(期間3ヶ月)での最多賞記録はペリエが97年にマークした28勝だったが、それを上回る29勝を挙げ、厩舎関係者のみならずファンに対しても「乗れる」という印象を強くアピールした。

私が初めてデムーロの手綱捌きに驚いたのは、初来日から1ヶ月余りが過ぎた2000年正月の新春S。人気薄のシンコウエドワードを勝利に導いたレースだが、彼のステッキアクションの速さ、馬を追う動作の無駄の無さに舌を巻いた記憶がある。レース後すぐに、「いま関西で乗ってるデムーロという騎手は凄い。いつか大レースで大きな穴を開けるぞ」というメールを友人に送った思い出があるが、まさかそれから僅か3年後に日本ダービーを勝ってしまうとは夢にも思わなかった。

デムーロ本人は意識してはいないだろうが、優秀な騎乗成績をマークしていること以外にも彼は大きな功績を残している。

2003年6月26日、JRAは同じ年に同一馬でGⅠを2勝以上した外国人ジョッキーに限り、短期免許期間が終了していても、その年に同じ馬でGⅠに騎乗可能とすると発表した。

もちろん、これは3冠のかかった菊花賞でデムーロがネオユニヴァースに騎乗可能となるよう配慮した特例措置で、普段なにかにつけ役所的な対応の遅さを指摘されるJRAにしては、画期的かつ迅速な対応だった。

1052_01_ 実は、日本ダービーが行われた6/1は、イタリアでもダービーが行われる日であった。デムーロは母国のダービーと日本のダービーを天秤にかけ、異国である日本のダービーを選んでくれたのである。JRAの素早い対応は、デムーロの心意気に感じるものがあったから、…かどうかまでは分からないが、結果的に秋のクラシック戦線に水を差すような事態は回避された。「JRAもやればできる」という事実を、少なくとも私は強く感じたものである。

しかし、そこまでできるなら、もう一歩踏み出せないものだろうか。

デムーロがネオユニヴァースと共に日本のクラシックを争った2003年は、外国人騎手の短期免許制度が出来てから、ちょうど10年目の節目だった。そろそろ、このシステムの見直し、特に画一的に「3ヶ月」と定められている期間についての議論が必要だと感じるのである。

(明日付に続く)

 ~ * ~ * ~ * ~ 

夜、知人と駒沢の四川料理店「陸羽壺(りくうふ)」に出掛けた。

黒酢のたっぷり入った酢豚を目当てに出掛けたのだが、これが噂通りの旨さで大満足。

ただし、今日は朝から腰が痛くて歩くのもしんどい状況なのに、店から帰る時になって娘が寝てしまうというハプニング。腰の激痛をおして自宅までおぶって帰るハメに(^_^;

しかし、この腰の痛みは一体なんだろうか?

フェブラリーSに行くのに、2ヶ月ぶりにカメラバッグを担いだのがマズかったか。やはり休み明けは万事慎重にすべきなのかもしれない。

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2006年2月24日 (金)

トリノからシンガポールへ

早朝。TVでトリノオリンピックのフィギュアスケートを見ながら広富牧場HPを更新していると、知人から笠松競馬絡みのメールが届いた。このメールについては、長くなるので後日紹介したい。

牧場は出産シーズンに突入している。

広富牧場でも、ナリタマローラがコマンダーインチーフの牝馬を、ソレアードがボストンハーバーの牝馬をそれぞれ無事出産したそうで、これからさらに本格的な出産ラッシュに突入する。昼間は馬たちを相手に重労働をこなして、夜は出産が始まるまで寝ずの番を強いられるのだから、この時期の生産現場の苦労は並大抵ではない。もちろん、子を産む本人(馬)の繁殖牝馬自身が、一番たいへんな思いをすることも忘れてはならない。

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私の方は、昨夜から腰から背中あたりが痛くて、一日中「痛い痛い」と言いながら雑務をこなす。

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夜遅く。シンガポールからビッグニュースが届いた。

シンガポールで唯一人の日本人調教師として活躍している高岡調教師の所属馬ダイヤモンドダスト(セ5/父ライブリーワン)が、重賞のコミュニティプライズ(GⅢ)に見事優勝したという。

道営競馬のトップトレーナーの地位を捨て、18頭の日本産馬と共にシンガポールに渡ってから実に4年。ついに重賞タイトルを手にすることができた。荒川静香さんの金メダルにも匹敵する歴史的快挙と言っていい。

2000年にホッカイドウ競馬のリーディングトレーナーを獲得した高岡調教師が、シンガポールに新天地を求めて移籍すると発表したのは2002年の9月。

トップトレーナーの突然の移籍発表は、存続が危ぶまれていたホッカイドウ競馬に見切りをつけたのだとする向きが多かった。しかし、高岡師の本当の狙いは「日本の生産馬の実力を海外で試す」ことにあったという。すなわち、日本馬がシンガポールで圧倒的な力を見せつけることができれば、シンガポールや香港の馬主が日本馬に興味を抱くことは間違いない。苦境に陥っている日本の生産界に、新たなビジネスチャンスが生まれるかもしれないと、高岡師は考えたのだ。

4年目の重賞制覇が速かったのか遅かったのか、高岡師がどう捉えているか分からないが、これをひとつのステップにして、シンガポールカップや香港カップなどの国際レースに地元代表として馬を出走させ、日本からの遠征馬との対決が実現するような日が速く来て欲しいと切に願う。

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2006年2月23日 (木)

新規調教師大量合格に思う

1268_24_ ちょうど一週間前のハナシだけど、2/16(木)に今年度の騎手&調教師試験の合格者が発表された。兵庫の岩田康成騎手がJRA免許を取得したり、松永幹夫騎手が調教師になるということで話題になったので、皆さんもよくご存じだと思う。

それにしても調教師の合格者11人というのは多い。2005年が8人、2004年に至っては112人の受験者に対して合格者はわずか2人という狭き門だったのに、である。

これを「今年の受験者のレベルが高かった」と捉えてはいけない。そもそも調教師試験というのは、合格ラインがあってそれをクリアすれば良いというものではなく、まず補充予定1293_10_人員ありきで、その人数だけを合格させるからだ。

調教師となって厩舎を開業するには、JRAから馬房を借り受ける必要があるが、馬房の数には限りがある。なので、基本的には定年や死亡などの理由で調教師の人数が減る分だけ新規に合格することになる。2004年は馬房が極端に足りず、逆に今年は空き馬房が増えたのだろう。11人というのは1998年以来の大量合格ということになった。

馬房数はそのまま厩舎の収入額に直結する。20馬房を持っていれば、毎月の預託料約60万×20馬房=1200万の月収が保証されるわけだ。厩舎ごとの馬房数は新規開業時に10~12馬房を割りあてられ、その後成績に応じて24馬房まで増える可能性がある。

ひと昔前の厩舎経営では、たとえ管理頭数が馬房数に満たなくても、馬房の数だけの預託料収入は保証されていた。にわかに信じ難いシステムだが、馬房の空きによる損失分預託料は、その厩舎に馬を預けている馬主がワリカンで負担していたのだ。だから「管理頭数」ではなく、「馬房数」が何にもまして大事だった。

さすがに、2年ほど前にこうした無意味なルールは廃止された。そして(当然予想されたことだが)その後、空き馬房を抱えた調教師がJRAに対して「管理馬房を減らしたい」と申し出るケースが相次ぐことになる。

厩舎のメシのタネだった馬房を減らすとは、数年前なら信じられない話だが、厩舎は馬房数に応じた人数のスタッフを雇う決まりになっているので、空き馬房は人件費の無駄遣いにしかならない。次から次へと入厩馬が集まってくる厩舎ならまだしも、東西トレセンの開業調教師221人の中には、自厩舎の馬房を埋めるのに精一杯の調教師もいる。「馬房余り」の流れはもう少し続くだろう。のそれを見て、早めに現役に見切りを付ける騎手も出てくるかもしれない。今年の調教師試験に合格した天間昭一と水野貴広の両騎手は、いいタイミングを掴んだと言えそうだ。

ところで、岩田騎手については関東所属という噂があったんだけど、結局は関西なんですね。最近はペリエさんも関西所属だし、関東のレースを盛り上げて欲しかったので、ちょっと残念な反面、二本柳騎手の食いブチが僅かでも残って良かった、という後ろ向きの安堵感でいっぱいです(笑)

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夜、「寿し長」に立ち寄ったが、お店のスタッフは以前と変わらぬまま。

私などは今のままの体制で十分良いと思うが、お店の人たちはそれではたいへんだろうか。どうなることやら。月が変わると、人事の話も出てくるという。

たまたまお店にいた客の妹さんが社台ファームの従業員であると聞いて、競馬ネタ全開で盛り上がる。以前から、店内に飾ってある私の馬の写真をたいそう気に入ってくれていたそうで、こういうお客様はたいへんありがたい。

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2006年2月22日 (水)

エンプレス杯

春の陽気。

フィルムを切らしたので川崎駅前の「さくらや」に立ち寄る。暖かいし、そこからバス停に戻るのも面倒くさいし、何よりあのバスがイヤなのでそのまま競馬場まで歩くことに。

競馬場に着くと既にエンプレス杯出走メンバーがパドックを周回中で、慌てて人垣に加わって馬を見る。人気はもちろんグラップユアハートで、単勝オッズ1.4倍と圧倒的支持を集めている。ところが、そのグラップユアハートが明らかにおかしい。激しくイレ込んで厩務員を引き回したかと思うと、とたんに覇気がなくなり逆に厩務員に引っ張られて歩く様を繰り返している。この陽気でフケが来ちゃったのかもしれないが、これはレイナワルツにもチャンスが出てきた! 心の中でガッツポーズ。

JBCクラシックで牡馬のトップクラス相手に3着したレイナワルツの実績は、ここでは突出している(と思う)。タイムパラドックスやユートピアと僅差の勝負をした実力からすれば、ここは圧勝してもおかしくない。私は単なる勝ち負けや時計ではなく、戦う相手や条件を重視するタチである。牝馬ダート戦線でいつも同じ相手に勝った負けたを繰り返すような生ぬるい連中に、一泡吹かせてもらいたいと切に願って、まずは単勝(28.5倍)をドンと買って、保険に馬単2着ヅケ総流し。

ライラプスが引っ張る展開でレースが始まったが、これがいかにも遅い。「15-15やってんのか!?」って突っ込んでみたりもしたけど、実際あとでラップを聞いたら1100~1500mに14秒台のラップが二度続いていた。こんなレースをしていたらGⅡの看板が泣くぞ、と思うや中段馬群から一頭の真っ白な馬が先頭を奪って、場内がドッと沸いた。レイナワルツである。14秒台のラップが続いたところからいきなり11秒台で抜け出したので、後続との差はみるみる広がった。

レイナワルツが先頭のまま直線に向いて残り200m。「残れ!」と心の中で連呼する。あるいは、実際に口に出してしまったかもしれない。しかしゴールの手前も手前10mで、外からドドッと来られて3着に。あるいは私の馬単2着流しが余計だったか。悪いことをしたかもしれない。

1334_25_ 勝った人気薄ローレルアンジュの的場騎手は「ペースが遅かったんで、(この馬でも)ついて行けた」と言ったが、まさにその通りで、レース途中まではまさに「軽めの集団調教」という風体だった。2着レマーズガール、4着グラップユアハートともに、特に理由の見あたらない敗戦で、自ら動いてレースを作ったレイナワルツと兒島騎手の心意気のようなものが無ければ、何も見るべきところのない淡白なレースになってしまうところだった。

ところで、今年ここまで続いてきた馬券黒字が、ついに底を着いてしまった。フェブラリーSのアホな予想が大きな原因だが、なぜか私の周りには「フェブラリーSの3連単を取った」という人が多い。しかも皆、5点とか6点という少ない目数で仕留めているんだけど、長年競馬をやって来て、「みんなが取った万馬券」というのは当方記憶にない。

私の周囲はそれだけプロが多いということなので、このブログにはうかつなことは書けないですね。ちょっと困ってる(^_^;

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2006年2月21日 (火)

ラリマー再び

川崎1Rに広富牧場産のラリマー(牝4/母カリビアンナイト・父チーフベアハート)が出走するので、朝から川崎競馬場に出向く。

1/24付にも書いたが、前走は単勝1.2倍という圧倒的1番人気に推されたものの、終始つつかれる厳しい展開で、勝ち馬に半馬身だけ及ばず負けてしまった。しかし3着馬は2秒以上離しており、能力上位であることは誰の目にも明らかだった。

それで、今日は単勝1.1倍である(爆)

これで「やった。勝ったも同然!」などと素直に喜ぶでもない。相変わらずパドックではうるさいし、今朝まで降り続いた雨の影響で馬場状態は不良。キャリアの乏しい馬だけに、些細なことが敗因になりかねない。私が普通に馬券を買う立場だったら、絶対に買わない。

で、案の定、大出遅れ……(-_-;

平日の昼前から川崎競馬場に集った昭和テイスト全開のオヤジどもの罵声と、先行馬が蹴り上げる泥水を浴びながら、ラリマーは後方から競馬を進める。向こう正面で中段まで押し上げたが、さらに外から被されたりして、もうヤラれ放題。直線に向いたところで、内を突くか、外を突くか、一瞬逡巡した揚げ句、えいやと外に出して猛烈に追い込んだが4着に終わった。

しかも勝ち馬からは、ハナ+ハナ+ハナの4着なんですよ! どこか一つでも不利を減らすことができていれば(個人的には最後の進路の迷いが致命的だったと思う)、間違いなく勝っていたと思われるだけに悔しさ倍増。

単勝1.1倍の馬が、複勝の対象にすらならないという珍しいモノを見たと自分に言い聞かせながら、どんより落ち込んで帰宅。

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2006年2月20日 (月)

フェブラリーS回顧 in さ和鳥

雨が降る中、六本木某所へ。

例の企画案件について先方と会って意見交換するが、特に進展は無し。しかし、話が進まないのは私の方に100%問題があるので、次回の日程を決められただけで良しとせねばなるまい。夕べの飲み会である程度のアクションプランが練れたので、とりあえず今週はそれに邁進することにする。しかし、飲み会で話したアクションプランというのも恐い話ですね(笑)

麻布十番を一の橋方面に歩いて、「さ和鳥」の暖簾をくぐった。

親子丼を注文して、座敷に腰を下ろし、鶏のスープをちびちび飲みながら、昨日のフェブラリーSについていろいろ考えてみる。

昨日の東京競馬場は混んでいた。2月の開催としては上々の入りだと思う。実際、入場者数は前年比102.9%の6万4515人だったという。にもかかわらず、売上げは前年比96.8%の前年比割れだった。交流GⅠを含めて7頭のGⅠホースが顔を揃えて、さらにシーキングザダイヤやヴァーミリアンなどが脇を固めるという、現状で考え得る限りのベストメンバーが揃ったにも関わらず馬券は売れなかった。

やはり、馬券を買わずにレースを見て帰るだけの「観戦型」のファンは確実に増加している。その一方で、従来からの馬券購買を中心とした「参加型」のファンは、「最近のGⅠは混むようになったから、自宅で買ってTVを見る」という流れを見せ始めているようだ。少なくとも、私の周囲にはそうしたファンが何人かいた。

「GⅠが混雑する」と言っても、90年当時のキチガイじみた混雑を知っている私にとっては、昨今のGⅠの混雑など、昼前の井の頭線程度にしか感じられない。しかし、混む混まないとは別に、昨今急増した「観戦型」ファンの増加には、多少の違和感を感じている。

これが、昨年のディープインパクトキャンペーンによる産物なのかどうかまでを検証しようとは思わないが、主催者はファンに対してもっと馬券の楽しさをアピールした方が良いと思う。馬券を知れば、「穴馬券」という存在を介して、圧倒的人気馬が負ける可能性についてもっと真剣に考えるはずだ。

ようやく、親子丼が運ばれてくる。

20060220_1236_000_3隣のテーブルの女性が携帯で丼の写真を撮っていたので、私もやってみたが、なにやらカニ雑炊みたいな写り具合になってしまった。

やはりここの親子丼は、ここに来て食べていただくほかはないと思う。長々と待たされた末に、ようやく朱色の丼が運ばれてきた時の期待感、そのフタを取る時の高揚感、沸き立つ湯気の隙間から黄金色に輝く卵が見えた瞬間の歓びは、言葉や写真で伝えることは不可能だと思う。

なんにせよ、企画の一件が片付いたら、ここで「ひとり水炊き」をしなければ。

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2006年2月19日 (日)

赤っ恥の結末

なんと今年初めてのJRA競馬場。

もちろんメインターゲットはアジュディミツオーだが、わざわざ釧路からクルマを飛ばして見に行ったフラムドパシオンがヒヤシンスSに登場するとあっては、自宅でテレビというわけにもいくまい。前走の中山戦のレコードは圧巻のひと言だったが、10/1付のこのブログで「東京では能力全開のはず」と書いた手前、ここではさらなるパフォーマンスを見せてくれないと困る(笑)。

ヒヤシンスSのパドックで社台スタリオンの方とばったり出会う。やはりどちらかと言えば「カネヒキリよりこっちを見に来た」というクチで、「体のつくりやフットワークがお父さん(クロフネ)そっくりだよね」とか「クロフネはやっぱダートだわ」、などとおしゃべりしながらレースを見る。内ラチ沿いに閉じ込められる厳しい展開だったが、終わってみれば文句の付けようのない圧勝。来年のフェブラリーSでは、カネヒキリの強力なライバルになるだろう。

しかし、である。フェブラリーSのカネヒキリはさらに強かった。脱帽です。2/13付の予想は恥ずかしい限りだが、「勝ち馬の予想」と「馬券の予想」というのは、まったくの別物ということでお許し頂きたい。とにかく、もう二度とこのブログで予想行為は致しません(笑)

1332_13_ 勝ち時計1分34秒9は、メイショウボーラーのレコードタイムにコンマ2秒及ばなかったが、去年のレースは雨で速い時計が出る馬場状態だった。実質的な馬場差は2秒以上あると思われ、実質的な大レコードと言い切ってイイと思います。ホント、脱帽&土下座。ごめんなさい。

それにしてもアジュディミツオーは……。この日のためにいくつもの難しいプロセスを通り抜けて来たというのに、ゲートが開いて1秒で負けちゃった。これも競馬ということか。それでも、仕方ないのひと言で片づけられない虚しさが残った。

レース後は若手カメラマン同士(「若手」というのは「下っ端」という意味)で、若手らしく府中の居酒屋「笑笑」へ。今後の活動方針などについて意見交換。下っ端なりに自由度を生かしたチャレンジをしなければダメだとか、誰も見向きもしないような題材に目を向けなきゃいかん、というような話題で盛り上がる。

題材は人一倍抱えているはずなんだけど、それをどう組み立てたらよいものか…。いつまでも漠然としたまま放置しておくわけにもいかず、そろそろキチンと向き合わねばなるまい。

と、さほど大きくもない決意を抱きつつ帰宅。

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2006年2月18日 (土)

うどんこねてる場合か

朝から自宅でうどんを打つ。

え~、…別に夕べの「でぶや」で石ちゃんがうどんを食べていたワケではない(笑)

特に大きな理由もなく、小麦粉をこねて、麺棒で伸ばして、包丁でトントントンと切り揃えて、大きな鍋で茹でる。もう一つの大きな鍋に出汁を張って、豚肉、蒲鉾、シメジ、百合根と一緒にうどんをごとごと煮込む。下の娘が卵アレルギーなので、玉子を落とせないのが残念だが、大鍋焼きうどんの完成。食べ終わってNTV系「通りの達人」を見ると、石ちゃんが天現寺界隈でお好み焼きを食べ歩いていた。こうなれば、今夜のメニューはお好み焼き以外に選択肢はあるまい。

午後も家にこもりっぱなし。妻が美容室に行くというので、子供2人と一緒に競馬中継を見ながら、積み木をしたり、人生ゲームをしたりして過ごす。

クイーンCはコイウタの完勝。(写真は京王杯3着時のもの)

1297_20_ オーナーの前川清氏も来場していたが、これは嬉しいでしょう。おめでとうございます。今年に入ってオープンの1600mを2つ続けて勝ったのだから、気持ちは4月の阪神に飛んでいるかもしれない。

しかし、既に桜花賞の権利を得ている馬が、この時期に調子のピークが来てしまっていると、本番まで調子の維持はできない。クイーンCが桜花賞と今ひとつ結びつかないのは、こういうことだろう。コイウタが桜花賞までこの調子を維持できればいいけれど…、と思いつつ、子供の遊び相手を続ける。

それにしても、地元の重賞をテレビで見るというのは、いいかげん辛いね。

例の企画の件もメドが立ってないし、こんなことしてていいのか?と自問しながら無為に一日が終わってゆく。

夕食は予定通りお好み焼き大会。あろうことか「おたふくソース」を切らしてしまい、画竜点睛を欠く味わいに…(^_^;

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2006年2月17日 (金)

ディープインパクトが背負わされるもの

ディープインパクトの次走が阪神大賞典に決まったそうだ。理由は、産経大阪杯だと59キロを背負わされるが、阪神大賞典だと58キロで済むからだと言う。休み明け緒戦に59キロは避けたいのだろう。その気持ちは分かる。

そんで、次に天皇賞に向かうのは規定路線なんだけど、その後の海外遠征については「キングジョージが有力候補ではあるが正式には行く行かないも含めて未定」という、若干後退気味のステータスに変更されてしまった。

ふ~ん。

こういう微妙な言葉尻なんかが妙に気になる今日この頃である。些細な言動の変化の裏に、実はたいへんな事実が隠されていることもあるので、スポーツ新聞を眺めるにしても細心の注意が必要である。

またまた有馬記念の話になって恐縮だが、実はあの有馬のレースが終わって検量前に戻ってきたルメール騎手は、一部のファンからひどい罵声を浴びせられていた。その内容は、とてもここに書けるような言葉ではないし、当然ながら本人も相当ショックを受けていたようだ。負けた騎手を罵倒するなら分かるが(それも最近は減ったね。小島太が引退してめっきり減った)、勝利者を罵るのはいただけない。競馬観戦にも最低限のマナーというものがある。

しかし私がもっと驚いたのは、JRA職員の中にもルメールに対して本気で怒りを漲らせているヒトがいたこと。気持ちは分からないでもないけど、競馬なんだしそんなことで怒るなんておかしいじゃん。

この人はひょっとしたら、「無敗の4冠達成グッズ」の発売担当さんで、既に業者に大量発注してしまっていたのかもしれない。しかし、いずれにせよ責めるならルメールではなくて武豊だろ! だれか突っ込んであげて下さい(笑) それに、あからさまにこんな態度を取られたら、ひょっとしたらルメールに「負けろ」指令でも出ていたのかと、八百長を疑われかねないので気を付けた方が良いですよ。今回の有馬では、「少なくともJRA主導のデキレースはない」という事実が明らかになったんだし、そういう意味では良かったじゃないですか。

あともうひとつ明らかになった事実がある。それは「ディープインパクトは馬券売上げに貢献しない」ということ。こちらの事実は深刻だ。

有馬記念当日の入場者数は前年を3万8千人も上回る16万2千人だったのに、有馬記念1レースの馬券売上げは前年比3%ダウンの499億円。この数字をどう見るか。ごく素直に捉えれば、徹夜で行列を作って並んだファンたちは、それほど馬券に興味を持っていないということだ。12/25付でも書いたが、場内の馬券発売窓口はGⅠとは思えないほど閑散としていた。

ディープインパクトの神話崩壊ともに、JRAはディープ一色の路線からの脱却を迫られている。もちろん、ディープインパクトに関する一連のキャンペーンでは、新たなファン層を発掘したという一定の成果はあった。これは評価されていい。しかし、果たしてその新たなファン層は競馬に根付いたのだろうか。

今年に入って、重賞レースの売上げは前年比80~90%台と著しく低迷している。このペースで売上げが落ち続ければ、あと5年も持たずにJRAは単年度赤字決算という重大な局面を迎えることとなる。

JRAの体力低下は、JRAからの莫大な補助金で生き長らえている地方競馬に致命的な影響を及ぼす。「2011年には、地方競馬場は大井を残して全滅してた」、なんて言っても現実味がないと思われるかもしれないが、北関東3場(高崎、足利、宇都宮)や新潟、三条、上山が、全部消えて無くなるなんて、少なくとも5年前には想像すらできなかった。現存する地方競馬場が5年後も残っている保証などどこにもない。

だからJRAにはとにかく頑張ってもらいたいのだが、そもそもディープインパクトはJRAの企業努力の産物ではない。天から偶然授かったスターホースによって2005年はどうにか凌いだ格好だが、今年はJRA自身の力で競馬を盛り上げてみせなければならない。もしそれができず、今年もディープインパクトに頼りきった運営に走ってしまったその時に、赤字転落へのカウントダウンが始まるのだろう。

1234_36_背負う重量を1キロでも減らしたいという厩舎関係者の苦労をよそに、JRAはディープインパクトに日本の競馬そのものを背負わせていやしないか。ディープインパクト陣営の微妙な発言の端に、「海外遠征をやめて国内専念もありうる」ようなニュアンスを感じたので、ことさら心配になったのである。

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2006年2月16日 (木)

企画求む!

ディープネタが長引いてしまったので、昨日の話を。

船橋で報知グランプリカップがあるが、シーチャリもメイプルエイトも出ない。行くかどうしようかと悩んでいるところに、急用が入ってしまい、それどころではなくなってしまった。

その急用のため市川まで出掛けて、帰りに六本木に立ち寄る。

六本木に立ち寄ったのは、ちょっとした企画を提示しなければならなかったため。しかし、私の出した企画にはダメ出しの嵐で、エラくヘコむ。こちらとしてもまだぼんやりとしか考えてなく、レジメも準備しておらず、口で喋っても何を説明してんだか分からないような状態で、とにかくアップアップ。来週再提出しなければならず、いまから憂鬱度100%。

これまでは、単純で、規模がでかくて、大勢でやることばかりを企画していたのだが、今回から自分ひとりでやるつもりの小規模でマニアな企画に方針変更した。問題があるとすれば、そのあたりか。自分ひとりで何がやれるか分かっていないから、口ごもって説明出来ていないような感触を受ける。

来週までに目に見えるものを作れるかどうか分からないが、いつまでも「仕事が無い」と言いつつ土日に家でゴロゴロしている訳にもいかないので、何か突破口を作らなくてはならない。1229_33__1

その後、麻布十番をぶらぶらする。企画が上手く行っていれば、「さ和鳥」にでも入って”ひとり水炊き”でお祝いするというテもなくはなかったが(ないか?)、企画の件で頭がいっぱいなので、温泉の向かいにある「ウインザー」でコーヒーを飲んでそそくさと帰宅。

報知グランプリカップは、ナイキアディライトが格の違いを見せて勝ったようですね。もう忘れそうになっていたが、クラシック2冠馬だし、交流GⅡ2勝というのは、地方所属馬としては出色の成績。なのにそれほどの印象を受けないのは、アジュディミツオーという横綱の存在のためだろうか。

やっぱ船橋に行けばよかった。

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2006年2月15日 (水)

競馬ジャーナリズムは死んだか 2

(昨日の続き)

そもそも「無敗」という言葉は、競馬ではそれほど重要な意味を持たないと思う。

対戦相手を選ぶことが出来る競馬では、相手関係を見ながらレースを選択することで連想記録を伸ばすことが可能だ。もちろんディープインパクトはクラシック三冠ロードという「王道」を歩んだのだから、相手は強かったという意見もあろうが、それは少なくとも日本ダービーまでの話で、秋の三歳路線はむしろ相手関係が楽になることが多い。

日本ダービーの圧勝で、3歳馬の中では抜きん出た能力の持ち主だということは誰の目にも明らかになった。が、そこまで強い馬が続く2戦を3歳馬同士で戦う意味はあったのだろうか? もしあるとすれば、それは「三冠」という称号を得るという目的だけだ。結果として、ディープインパクトは他の強い相手と対戦する貴重なチャンスを失ってしまったことになる。

それでもディープインパクトには、まだチャンスはあった。それはジャパンカップへの参戦である。シンボリルドルフが菊花賞を勝ってジャパンカップに向かった時代は、両レースの間隔は中1週だった。それが、現在では中5週となり、天皇賞経由の古馬よりも有利なローテーションとなっている。もちろん、菊花賞を勝った3歳馬の参戦を促すための措置だが、それでもなおディープインパクトはジャパンカップに向かおうとはしなかった。「大事を取った」のがその理由だが、それはつまり連勝記録を重視して「安全策を取った」ということだ。

この辺の事情については、推測だけでしか語れないので、多くは書かない。しかし結果として、歴史に残るジャパンカップに名を残すことができず、それどころか、安全策を取って臨んだ有馬記念で、レコード決着から中4週という厳しいローテーションを克服したハーツクライに負けたという事実は、ディープインパクトという馬のある種の限界を見せつけられたような気がする。

Yayoi_1_1 もし「無敗」とか「三冠」にこだわらなくて済めば…、と私などは多いに悔やまれてならない。

例えば、神戸新聞杯を使わず、「菊花賞→ジャパンカップ→有馬」というローテも選択可能だっただろうし、実力からすれば宝塚記念や天皇賞(秋)、あるいはキングジョージや凱旋門賞という選択肢も十分考えられた。

「無敗」や「三冠」というキーワードを陣営に大きく意識させたのは、ディープインパクトをファン獲得キャンペーンの切り札にしたJRAと、ジャーナリズムを放棄して大衆迎合に走ったマスコミだ。ダービー前から陣営は海外を強く意識していたというが、「無敗の三冠馬誕生か?」という世論の大きな波を前にして、とてもじゃないが「海外に行きたい」などと言い出せる状況ではなくなった。もちろん、本来ならマスコミこそが、競馬ジャーナリズムの視点から、しかるべき世論を形成するための論陣を張るべきだった。

名馬と呼ばれた馬の関係者と話をすると、「あのとき思い切ってチャレンジしていれば良かった」、あるいは「あのとき思い切ってチャレンジして良かった」という会話が必ず出てくる。今回の「三冠」がチャレンジの結果ではないとは言わないが、馬にとってもっと大事なチャレンジをしなかったツケが、今後回ってきやしないかと、私なりに不安に思っているのである。

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2006年2月14日 (火)

競馬ジャーナリズムは死んだか 1

船橋に行くことも考えたが、今日が夜勤だと思うと気持ちが前に進まない。

ちょっと前(去年くらい)までは、夜勤であることを感謝しつつ、昼間から意気揚々と競馬場に出掛けたものだが、やはり40歳間近になるとそうもいかない。ひとしきりヘコむ。いずれにせよ見たかったドラゴンウインは勝ったようだ。早く重賞戦線に顔を出して欲しい。

テンションが上がらないところにもってきて、このブログを読んだという方から長いメールが届き、それを読んでさらにテンションが下がる。要約すれば「ディープインパクトを応援しない人は競馬ファンとは言えない。私は有馬記念のショックから未だに立ち直っていない」というもので、おそらくこのブログの内容を「反ディープインパクト」と受け止めて、それを批判しているのだと思う。

菊花賞から有馬記念にかけてのディープフィーバーの過熱ぶりを見て、こういうファンが出てくるぞと危惧はしていたが、競馬に向き合えなくなる程の”ディープインパクト”を受けてしまった人はきっとたくさんいるのだろう。

Satsuki_1 あらかじめ断っておくけど、私はディープインパクトをもの凄く応援している。できれば日本史上最強馬になって欲しいと思うし、世界の競馬史に名前を残して欲しいと思っている。もし誤解があったとしたら、私の文面が未熟だったということになるので、ここでお詫びしたい。シンボリルドルフのファンだったからと言って、ルドルフを超える馬が出て欲しくないなどということはない。もし直接対決したら、そりゃルドルフを応援するだろうけど、20年も経ってんだから、そんなこと気にしないですよ。

ただし、私はあからさまにディープバブルを狙ったJRAと、意味の無い「無敗三冠馬至上論」を喧伝したマスコミに対しては、非常に不快な思いを抱いている。特に後者の無知無能ぶりには呆れ果てた。

かつて「日本では競馬ジャーナリズムがまったく育たない」と嘆いたのは、大橋巨泉氏だったか。当時それを聞いた時は「何言ってやがんだ」と思ったが、今回の騒ぎでは氏の慧眼ぶりに感服した。

そもそも、ディープインパクトが有馬記念で勝つ保証などどこにも無かったではないか。

またこんなこと書くと怒られそうだな(笑)

ディープインパクトが傑出した3歳チャンピオンではあることは疑いようがないが、それが日本チャンピオン足り得るかどうかは、やってみなければ分からないという側面もあったはずだ。しかし、単に「負けたことが無い」という事実だけで、多くのマスコミは冷静な視点を欠いたまま「ディープ神話説」に突っ走った。そして、「負けるはずがない」「負けてはいけない」という論調で、異常とも言える世論を形成していく。

Satuski2_1 負けたことが無いのは強い相手と対戦してないだけの話で、三冠レースやその前哨戦の2着馬がほとんど同じような相手だったことを考えれば、完全に勝負付けの済んだ相手に対して「無敗」記録を積み重ねてたことになる。また、日本ダービーの勝ち時計はレースレコードタイではあったが、競馬が時計で語ることができないのは誰もが知るところだ。

(長くなりそうなので、続きは明日付けで)

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2006年2月13日 (月)

フェブラリーSの予想

2/11付で書いたように、穴子を目当てに銀座「からく」へ。江戸前鮨の世界では穴子の旬は夏だけど、もともと穴子は冬に食べて美味しい魚だと思う。春が産卵期なんだしね。

理屈はさておき、穴子だけを食べ続けてひとしきり満足。今週のTX系「でぶや」で石ちゃんは何を食べるだろうか。

さて、今週はフェブラリーSである。

行くかどうかは現時点では決めかねているが、恥を承知でたまにはここで馬券予想をしてみようと思う。何より今年はここまでの馬券収支がプラスなのである。その原因の99%は、「ほとんど馬券買ってないから」に尽きるが(爆)、収支黒字でフェブラリーSを迎えることなど、おそらくこの先20年は無かろうから、記念に予想でも残しておこ