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2012年1月21日 (土)

お祓いに行くべきか

知人の関係馬が勝ちまくって「おめでとうを言う機会が増えた」と書いたのは、昨年9月26日のことだった。

あれから4ヶ月しか経っていないのに、一転して今度は知人の関係馬に事故が相次いでいる。今日も小倉の3Rで知り合いが出資するアグネスタキオン産駒が故障、予後不良となってしまった。1番人気。「初勝利には立ち合いたい」と遠路小倉に飛んだ彼の無念はいかほどか。私の周囲ではこの1ヶ月で4頭目である。もはや私自身がお祓いに行くべきなのかもしれない。

「それで、馬の方はどうなりましたか?」

聞かれる方にとってはもちろんだが、聞く方にとってもこれほど嫌な質問はあるまい。レースを見ていればある程度予想はつくものなのだけど、質問を切り出す時にはいつも逡巡する。「なら、聞かなきゃイイ」というわけにもいかない。聞かなければ失礼になる場合もあるし、私だって目をかけていた馬なのだから、やはりハッキリ聞いておきたいという思いが勝る。

たいていの馬主は自らの所有馬が死ねばひどく悲しむ。当然のことだ。競馬を愛した作家・吉川英治は、1956年の日本ダービーで愛馬エンメイが故障、予後不良となったことに心を痛め、以来競馬から離れてしまった。

もちろん、競馬ファンならば、あらゆる競走馬の死に対して心を痛めるはず。特に不慮の事故により、競馬場で迎える死ほど悲しいものはない。死を迎える競走馬は、競走馬としてというより、人間と同じ一個体の動物として死を迎えるからであろう。そのギャップは、競馬ファンでなければ感じ取ることはできまい。ライスシャワーやサイレンススズカの死に際し、競馬そのものの存在に異議を唱えたその声は、競馬に関わらぬ一般の市民ではなく、競馬ファンによるものの方が実は圧倒的に多かった。

一方で、「予後不良も競馬のうち」というスタンスを取り続ける馬主も少なくない。

誤解しないでいただきたいが、本人が薄情なわけでは決してない。いちいち悲嘆に暮れていたら馬主などやってられないし、そもそも悲しむこと自体が死んだ馬に失礼という考え方もある。吉川英治と同じ作家で、しかも動物愛護でも高名な某馬主は、「愛馬が死んだらすぐに次の馬を考えられる人でないと馬主として失格。競馬における馬主の役割というのはそういうものです」と語った。迷惑がかかるといけないので、敢えて名は出さないけど。

ともあれ、競馬に携わっている人々の中でも、馬の死に対する受け止め方は様々だ。であるから、馬の死について話すときには、その温度差をなるべく埋める努力をしているつもりなのだけど、それが逆効果になることもしばしば。この問題の難しさを痛感する。

日本の馬外科学はここ数年で急速な進歩を遂げており、中でも螺子固定手術などは世界トップクラスとの評価もある。とはいえ、JRAや社台の施設以外となると話は別。競馬で事故が避けられない以上、先端治療技術の浸透にも期待したいところである。

 

 

 

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コメント

いつも楽しく読ませていただいてます。その競馬への思い、博識、感心させられます。ただ(笑)、記事の本論ではないとはいうものの、今回の最後の一節は納得するわけにはいきません。私もJRAや社台の施設以外でその仕事をしていますから。
 「ここ数年で急速な進歩」「世界トップクラス」もちがうかな。何か根拠があったら教えてください。

投稿: hig | 2012年1月24日 (火) 05時39分

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