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2012年1月31日 (火)

スウィフトカレントも気になる

昨日はアグネスデジタルが気になったわけだけど、実はスウィフトカレントも気になっているのである。

Swift  

父サンデーサイレンス。母ホワイトウォーターアフェア。母の父マキアヴェリアン。

兄アサクサデンエンと弟ヴィクトワールピサに挟まれ、「パッとしない次男坊」的なイメージは拭えぬが、なんといってもサマー2000シリーズの初代王者。天皇賞でダイワメジャーに激しく迫ったあの脚は今も忘れがたい。しかも、あのディープインパクトの引退レースとなった有馬記念で、「日刊競馬」の柏木集保氏が本命◎を打った一頭である。いや、それはどうでもイイか(笑)

小倉記念でレコード勝ちのスピードに加え、新潟大賞典では、敗れたとはいえ上がり32秒5の瞬発力も披露した。GⅠは勝てなかったが、そのおかげで種付け料はリーズナブル。つまりはそこがポイントなわけですけど。

懸念といえば「晩成タイプ」という評価でくくられることが多いことか。初重賞制覇は5歳の夏。兄アサクサデンエンの安田記念が6歳時だったことが、さらに遅デキのイメージを増長させているような気もする。

でも、あのステイゴールドの産駒で母の父がメジロマックイーンというドリームジャーニーが2歳チャンピオンになり、同じくオルフェーヴルが3冠を取っているのだから、実際には産駒が出てみないと分からないことは多いですよね。まあ、これは自分に言い聞かせていることですが(笑)

スウィフトカレントの血統の特徴のひとつが、ヘイローの2×4という強いクロス。良くも悪くもこの強調されたヘイローの血こそが、スウィフトカレントという馬の競走成績に繋がっている。「ヴィクトワールピサの場合は、これが3×4になるから成功したんだ」という人もいる。

だが、種牡馬としては2×4くらいの方がむしろ面白い。種付けを考えている繁殖牝馬のボトムラインにはドローンの名前が出てくるので、ヘイローとのニアリークロスにも期待ができる。意識しての配合かどうかは知らないが、サンライズマックス、トライアンフマーチ、そしてリディルがそう。成功例を見れば、やはり瞬発力を武器に活躍している馬が目に付く。

そうはいっても、ヴィクトワールピサをタダで付けさせてくれると言われれば、喜んでそっちに飛びつきますけどね。結局決め手は種付け料なんだよなぁ……。

 

 

 

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2012年1月30日 (月)

アグネスデジタルが気になる

一昨日の東京2レース。ダート2100mの未勝利戦は、アグネスデジタル産駒のタイセイモンスターが一頭だけ別次元の末脚を繰り出して圧勝した。

2r  

直後に行われた京都3レースでは、同じくアグネスデジタル産駒のヴィーガトウショウが6番人気で勝利。さらに昨日の小倉6レースで単勝18990円の大穴を開けたトレノソルーテも、アグネスデジタルの産駒である。

ふと気になって調べてみたら、その前の週にもアグネスデジタル産駒は3勝をマークしていた。5番人気、6番人気、9番人気。この2週でアグネスデジタル産駒は6勝の固め打ち。しかも、穴馬券を演出しまくっているのである。

最近では、週末のJRAの競馬が終わったら、ただちにその勝ち馬の血統を調べることにしている。すべてのレースを見られるわけではないが、レースを見た印象と血統の印象を組み合わせて、配合の勘を磨こうと思っているのだ。昨日も書いたが、そういう季節である。

アグネスデジタルは、マイルCS、安田記念のマイルGⅠともにレコード勝ちするスピード能力を誇った一方で、南部杯、フェブラリーSのダートGⅠでも圧勝。そうかと思えば、不良馬場の天皇賞・秋でテイエムオペラオーを破る勝負強さや、香港カップで世界の強敵を相手に優勝して適応能力の高さを見せつけるなど、とにかく競馬史にその名を残す異能のオールラウンダーだった。

Desital1  

これまで目立った種牡馬成績は残していないが、そうはいっても、着実に順位を上げてきているのも事実。岡田繁幸氏が「必ず種牡馬として大成功する」と見込んで導入した馬である。ひょっとしたら、ついに産駒大爆発の時を迎えたのかもしれない。

そんなことを、昨夜一緒に飲んだ競馬記者に話してみたところ、「冬馬の特徴が遺伝しただけだろ」と一蹴された。

むむぅ…。

Desital2  

確かにアグネスデジタルといえば、フェブラリーSや全日本3歳優駿を勝つなど冬場を得意としていたイメージはある。だけど、真夏の陽気だった安田記念や、12月とはいえクソ暑い香港カップも勝っているんだし、彼は季節的にもオールラウンダーだったんじゃなかろうか。

私がそう言っても、相手は「たとえば(アグネスデジタル産駒の)ダイシンオレンジは全7勝が10月から3月の勝ち星だぞ」と譲らない。

「ふんじゃあ、ヤマニンキングリー(札幌記念)とかグランプリエンゼル(函館スプリントS)は、どう説明すんじゃ!」

私だって食い下がる。この手の議論は、一度火がつくと、どちらかが酔い潰れるまで終わらんですね。あー、それにしても、どっかにダイワメジャーの種付け権でも落っこちてないだろうか。

 

 

 

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2012年1月29日 (日)

復帰後初勝利

枕元の電話が鳴って目が覚めた。

相手は浦河の牧場主である。よもやボンキュッボンの2010に、何かあったのではあるまいか!?

「どうしました!?」と慌てて電話を受ける。だが、相手の声に切迫感は微塵もない。んで、時計を見たらもう10時じゃん(笑) あー恥ずかし。でも、あのままだったら、寝過ごしてウチパクの復帰後初勝利を見逃すところだった。結果的に起こしてもらえて助かりましたよ(笑)

昨日は東京10レースが終わるや茨城までクルマを飛ばして馬を見て、慌ただしく麻布にとって返しての新年会だったのである。昨日も書いたように、東京開催が始まって、ようやく新年が始まった気になるという人も中にはいる。疲れ果てて帰宅した時には、もう完全に日付は変わっていた。

ともあれ、ボンキュッボンの2010は順調に調教が進んでいるとのこと。デビューに向けて順調という連絡を直接牧場から受けるのは、この上なく嬉しく、楽しみが膨らむものですね。こうなれば6月の函館からいきなり勝負全開といきたい。新馬を勝った暁には『鮨金』で豪華祝勝会だ!

なんて夢を膨らませつつ到着した東京競馬場は8レースのパドック。1番人気フラアンジェリコは、オレハマッテルゼやエガオヲミセテの下という良血で、鞍上は内田博幸騎手。復帰後初勝利の期待が高まる。

Uchida  

外枠から敢えて馬群に馬を入れてピタリと折り合い、直線では前が開くのをじっくり待ってからドンピシャのタイミングで追い出した。2馬身差の完勝。スタンドからは自然と拍手がわき起こった。

8r  

本人はもちろん、ファンにとってもこれでホッと一安心といったところか。ウイナーズサークルの周囲にはGⅠレース並みの人垣ができていた。

さて、私の眼目は今日も10レース。節分Sを勝ったのは関西馬ドリームカトラス。

10r 

この馬、ノーザンテーストの3×3なんですよねぇ。ほんで、メインを勝ったシルクフォーチュンはヌレイエフの3×3。うーむ…。勝ち馬の5代血統表がやたらと気になる季節です。

 

 

 

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2012年1月28日 (土)

待ちわびた復帰

2012年東京競馬開催の初日でございます。皆様、あけましておめでとうございます。

多摩川っぺりに住まう私にとっては、やはり「東京=ホーム。中山=アウェー」なのである。ホーム開幕戦と思えば、おちおち朝寝などしていられまい。月曜の雪がまだ残る寒さをものともせず、きちんと1レース前からスタンドに腰を下ろした。

Yuki  

これだけ寒いと、競馬場にいながらスタンド内のモニターでレースを見届ける客も少なくない。だが、7レースを迎えたところで、北風にめげることなく客たちがゾロゾロと外に出てきた。本場場入場の実況アナウンサーが、この7レースが特別なレースであることを教えてくれる。

「さあ、ついに! このレースで内田博幸騎手が復帰です!」

Tokyo 

「頸椎歯突起骨折で、2ヶ月程度の入院加療が必要」

昨年5月11日、大井競馬場で落馬負傷した内田博幸騎手の症状を最初に聞いた時、それほどたいへんな怪我だとは正直思わなかった。頸椎歯突起というのはよく知らないが、2ヶ月なら夏くらいには復帰すんじゃないか?   そう考えてしまったのである。

ところが、夏が過ぎ、秋を迎え、暮れにかけての競馬シーズン佳境を迎えても、復帰どころか、そのリハビリの経過さえもほとんど報じられない日々が続く。頸椎歯突起が、頭のすべての動作に関連し、呼吸や食事でも動く非常にデリケートな部分であることを知ったのは、夏の終わり頃であったか。首を前後左右に回転させるのはレース騎乗に限らず生活上の基本動作だが、それができなくなるかもしれない。しかも悪化させれば、手足を動かすことも、呼吸さえもできなくなる可能性もある。そう聞いて、「夏あたりに復帰」を想像した私は、己の不明をただ恥じるばかりであった。

治療は絶対安静にして治癒を待つしかない。そのためには頸椎を器具で固定する必要がある。首を固定され、身動きも許されない期間が長く続いた。加えて辛いリハビリ。まさしく「生還」という言葉が相応しい。

ついに迎えた7レース。後方からレースを進めた内田博幸騎手のヴィンテージイヤーは、直線で馬群を縫うように脚を伸ばして先頭に立つ。するとスタンドからはこの日いちばんの歓声が沸き上がった。 

Uchida1  

だが、それも一瞬のこと。外を伸びた武士沢友治騎手のメイスンキャプテンに差されると、場内は一転して大きなため息に包まれた。スタンドからは「空気読め!」のヤジも。でも、やはり内田博幸の存在感は凄まじい。レースに乗っている他の騎手たちが、彼を意識して乗っていることが見ている側にも伝わってくる。上の写真、交わされた横山典弘騎手は、すぐ隣を抜き去っていく内田騎手を見て、微笑んでいるようにも見えなくもない。誰もが彼の復帰を待ちわびていた。

Uchida2 

7レース後の地下馬道、たまたま私の隣で8レースの馬を待っていた彼に「復帰おめでとうございます」と声を掛けると、「嬉しいです」とひと言。だが、なんとも実感のこもったひと言ではないか。今日は2着が2回で勝ち星には恵まれなかったが、その2頭とも人気よりは上の着順だった。復帰後初勝利は時間の問題であろう。久々に競馬が楽しくなりそうだ。

 

 

 

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2012年1月27日 (金)

カレーうどん『味味香』

またまたカレーうどんの話。

京都祇園からカレーうどんが届いた。関東にもその名を轟かす人気店『味味香』のカレーうどん。

Udon1  

実はこちらのお店、あのペリエ騎手お気に入りの一軒としても有名。ペリエ騎手の好物がカレーうどんであることは広く知られている。トレセンの食堂でもカレーうどんを器用に啜りながら、会見に応じたりするほどだ。日本人でも食べるのが難しいとされるカレーうどんを器用に食べるその技にこそ、どんな癖馬でも手の内に入れてしまう秘密が隠されているのかもしれない。んなワケないか。

ともあれ、いち押しだというホワイトカレーうどんを食べてみた。

Udon2  

辛さはさほどではない。むしろ甘味を強く感じ、それがダシの風味を際立たせる。カレーはコク深く、鶏肉はじゅわっとジューシーで、野菜はとことん甘い。ただ、それらを身に纏ったうどんは美味いはずなのに、茹で直しではもったいない。次はツユだけを使って、うどんはちゃんしたやつをちゃんと茹でよう。

ペリエ騎手は、一度ルメール騎手を伴って来店したこともあるのだそうだ。2009年11月末頃のことだという。JRAのGⅠだけでも合わせて15勝(当時)もしている2人が、一緒にカレーうどんを啜っている。なんというか凄い光景ですよね。もし、そんな場に居合わせてたりしたら、その週末のメインレースは、絶対にその2人の一点勝負に出ちゃいそうだ。

Zenno_2  

実はこの二人、浅からぬ縁がある。共にフランス人騎手というだけではない。14歳のペリエに騎手の才能を見出し、競馬学校への入学を薦めた人物は、当時障害騎手として活躍していたパトリス・ルメール。そう、クリストフ・ルメールの父親なのである。

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ちなみに、このカレーうどんの週末に行われたレースはジャパンカップ。勝ったのは女傑ウオッカ。その手綱を取っていたのは、クリストフ・ルメール騎手である。あの僅かなハナの差は、カレーうどんパワーによってもたらされたのかもしれない……、と考えるのはカレーうどん好きの勝手であろう。

 

 

 

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2012年1月26日 (木)

多摩川オープン

昨日は満員御礼だった連絡バスも、さすがに今日はガラガラ。スマートファルコン圧勝の余韻はほぼ醒めた川崎競馬場では、古馬による地方交流競走の多摩川オープンが行われる。

Bus  

3枠3番のコロナグラフは、これがJRAからの転入緒戦。オープンクラスで5戦連続の2桁着順に敗れた昨秋、出走レースを選ぶことさえ難しくなってきたところで、関係者は川崎移籍の道を選んだ。

Corona  

JRAのオープン馬が南関東に移籍することは珍しいことではないが、クラブ馬主のままの移籍を見かけるようになったのは最近のことである。社台サラブレッドクラブでは、2008年度募集馬から会員規約を改定。出資ファンドはそのままに、地方競馬に移籍させることも可能とした。「走れるものならば少しでも長く現役生活を」、というクラブ会員の意向を反映したものだという。

Star  

先日の報知オールスターカップを勝ったスターシップも、社台サラブレッドクラブ所有のまま南関東に移籍した一頭だ。この馬の場合は、JRAオープンでの成績が頭打ちになったという理由よりも、輸送が苦手でトレセンから競馬場に輸送するだけでも大幅に馬体を減らしてしまうという事情が地方移籍を後押ししたとされる。

「中央のオープン馬が地方に来て勝つのは当たり前」という意見を耳にすることも多いのだが、移籍の成功例となると案外少ない。実際は南関東オープン馬の大半はJRAからの移籍組なのだから、結果が出ない移籍馬も当然出てくる。むろん看板だけで勝てるほど甘くはない。それを思えば、今日のコロナグラフの3着は決して悪くはない。次走、大井の金盃が楽しみになった。

多摩川オープンを勝ったのは、南関東で重賞3勝の実績を誇るディアーウィッシュ。だがこの馬とて、元をただせばJRAから移籍してきた一頭だ。

Dear  

JRA時代の成績は(3,5,2,21)。1000万クラスも勝ちきれなかった馬が、南関東に来てから3つの重賞勝ちを含めて(7,3,3,5)である。特にマイル戦に限れば(6,1,1,1)。この距離を滅法得意としているわけだ。

JRAには事実上ダート1600mというコース設定は存在しない。中京では廃止されてしまったし、東京のあれは厳密にはダート1500m+芝100m。単なる能力不足や輸送云々以外にも、移籍を考える要素はいくらでもある。ディアーウィッシュの活躍は、それを教えてくれているように思えてならない。

 

 

 

 

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2012年1月25日 (水)

川崎から見据える先は?

「負けたと思った。完全に負けたと思った。2着の馬……強い」

優勝インタビューとは思えぬコメントを聞いた東京大賞典からほぼ1ヶ月。重賞8連勝中のスマートファルコンが、ついに我が地元の大一番・川崎記念に出走してきた。

単勝元返しの人気を集めた前走が思わぬ辛勝。さらに意外にも自身初めてとなる川崎競馬場でのレースとあって、単勝オッズを気にしつつ競馬場入りしてみたら、発走3分前で1.2倍とある。

Odds  

ふーむ。これは「買い」のような気がしますな。なんだけど、もう撮影位置に収まってしまっているので買いに走ることはできない。SPATの残高も20円くらいしかない。いや、そもそも財布には千円札が1枚あるだけだった。25日でATMがどこも行列だったんですよ。うーむ、残念。50万円買おうと思ったのに(笑)

レースは、いちばんの好スタートを決めたスマートファルコンが、そのまま涼しい顔で逃げ切ってしまった。

Smart1  

これで金沢、浦和、園田、佐賀、名古屋、門別、船橋、大井に加え、川崎競馬場でも重賞勝利をマーク。このまま天下統一を目指すなら、あとは東北・平泉を攻め落とさねばなるまい。となれば、今年はマーキュリーカップあたりが最大目標だろうか。今にして思えば、マコトスパルビエロの2着に敗れた2009年のレースが、なんとももったいない。

Smart2  

冗談はさておき、今日の勝利は重賞9連勝で19勝目。すなわち次走は、重賞10連勝と重賞20勝という大きな節目の勝利が掛かる。特に交流重賞10連勝は、あのホクトベガにも並ぶ記録。例によって騎手と調教師は「ドバイ行き」を強烈にアピールしたが、もちろん決めるのは馬主さんにほかならない。どういう判断が下るか注目だ。

 

 

 

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2012年1月24日 (火)

サラダボウルダイエット

1月7日付にも書いたように、正月太り解消のためサラダボウルダイエットに励んでおります。

Sarada_3  

コメントにもあったけど、厳密には「サラダだけ」ではなくて、「ボウル一杯のサラダを完食したあとは好きに食べてよい」というもの。生の野菜をゆっくりとよく噛んで食べることで、満腹感を得られることに加え、食物繊維を先に摂取することで、体内でのカロリー吸収を抑えることができるんだとか。

実際そう聞いたときは「楽勝じゃん」と思った。すなわち、普通の食事に普段より多めのサラダが追加されるだけで、むしろいっぱい食べられると思ったのである。

なにせ、普段の昼飯で『つるとんたん』のうどん3玉でもモノ足りず、そのまま向かいの『インディアンカレー』で”大タマ”を流し込む私である。ドンブリ一杯の野菜ごときで満腹感が得られるわけはない。さっさとこの野菜を平らげて、それからパスタを大量に茹でて食べてやろう   と思ったのだが、これが意外にも堪えるのである。

「満腹感」というのではない。ただ、食べる気が失せてしまう。コトここに及んで、ようやく岡村隆史さんの気持ちが理解できた。目の前に並べられた肉も魚も食べたいとは思わない。山盛りのパスタなど論外だ。とにかく、それ以上食事を摂ろうという気分になれないのである。

個人的に推察するに、冷たいモノを大量に食べたことで胃腸のテンションが下がったのではあるまいか。もちろん確証はないが、ともあれ摂取カロリーの総量は減っている。食欲減退の効果は、夕食時のみならず翌日の朝食を通り越して昼食時にまで及ぶから、ダイエットとしては素晴らしいのだろうけど、栄養学的、いや精神衛生学的に大丈夫なんだろうか?という気がしないでもない。ま、おそらく大丈夫だろう。

とにかく、このトシになると運動で体重を落とすのは難しいからあとは食事の量を減らす以外ない。ただ、食事の楽しみが減る……と言うより、食事そのものが苦痛に感じられるやり方というのは精神的に良いものではない。葉っぱを食べ続けるというのが、こんなにも辛いものだとは思わなかった。ウマという動物は、つくづく偉いと痛感する夜が続く。

 

 

 

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2012年1月23日 (月)

競馬記念日

日本テレビ系朝の情報番組「Zip」では、毎週月曜日に「今日検定」というミニコーナーを放映している。それによると、今日1月23日は「アーモンドの日」なんだそうだ。

Udon1  

記念日ばやりの昨今である。CMで知ったのだが、昨日1月22日は「カレーの日」だったのそうだ。今から30年前の1982年、全国学校栄養士協議会が1月22日の学校給食のメニューをカレーにしようと提案し、実際に全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたことにちなむという。

Udon2  

ふーん、知らなかった。当時私は給食から既に足を洗っていたから知らないだけで、世間的にはメジャーな記念日なんでしょうかね?

Udon3  

そんなわけで、昨日はうどん打ち大会だった我が家では、茹で上がったうどんをカレーうどんにしていただきました。ふーふー、アチチ! 記念日の精神が尊重できるし、カレーうどんの方が体も温まる。一石二鳥だ。

Udon4  

なんて満足していたら、「カレーうどんの日」というのが別にあることを知った。それも8月2日だという。暑い時期にこそのカレーの記念日が真冬にあって、逆に寒い時期に似合いそうなカレーうどんの記念日が真夏にあるというのは、なかなか興味深い。結局は、テコ入れ的な要素もあるんでしょうかね。

ちなみに、香川県では生麺業界を中心に7月2日を「うどんの日」に制定しているのだそうだ。さらに調べを進めるうち、横濱カレーミュージアムが6月2日を「カレーの日」と制定していた。こちらの根拠は、1859年の横浜開港と同時にカレーも日本に入ってきたとの説に基づいて制定されたという。給食よりも、こっちの方が威厳がありそうな気がしなくもない。

それにしても、6月、7月、8月と3か月にわたって、毎月2日が「カレーの日」「うどんの日」「カレーうどんの日」と続くのは偶然であろうか。なんか出来過ぎのような気がしなくもない。

ところで、競馬には「記念」がつきものだが、「記念日」というのはまだ制定されていない。

一応、9月16日が「競馬の日」ということになっているらしいが、これは日本中央競馬会の創立記念日にほかならず、一般の競馬ファンはおろか、業界的にも認知度は低い。

それならむしろ9月23日の「愛馬の日」の方がメジャーであろう。この日、世田谷の馬事公苑では、馬が主役の伝統行事や芸能が一堂に介する祭典が催される。これは一見に値する大イベントだと思うし、子供にも見せてやりたいと思うのだが、交流重賞・日本テレビ盃と日程が重なるため、いつも悔しい思いをしている。

敢えて「競馬記念日」を定めるならば、やはり先人の労苦を讃える日とすべきであろう。ならば4月24日はどうだろうか。80年前に第1回の日本ダービーが開催された、その日である。

  

 

 

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2012年1月22日 (日)

正月最後のイベント

年賀はがきのお年玉くじ当選番号が発表になりましたね。

HPを見たりはせず、夜のNHKニュースで読み上げられた当選番号をメモって、傍らに積み上げられた年賀はがきと一枚一枚突き合わせるのが正月の慣わしである。今年私に届いた年賀状は百枚にちょっと届かず。10年前に比べたら半減ですよ。「これも時代の流れかなぁ…」とか思いながら1枚1枚めくっていく。差出人を見て、書いてある内容を読み返して、しかるのちに番号を確認する。結構時間は掛かるけど、最後の正月イベントだから手を抜いたりはしない。配達された直後に読んだ時とはまた違った感慨があるものである。

Hagaki  

とある調教助手からの年賀状に目が留まった。昨年騎手を引退し、調教助手として初めて迎える新年である。「これまでと勝手の違う仕事に戸惑ってますが、少しでも厩舎の力になりたい」とあった。実は、こちらの厩舎には、私自身の関係馬も数頭在厩しているのである。また違った形での付き合いが始まることになろう。楽しみだ。

それにしても「当たり」が出ませんね。1等とは言わないけど、百枚あれば、確率的に言っても4等の切手シートが2枚は当たるはずなんだけど……。

1等といっても現金3億円とかではなく、TVとかパソコンといった程度。それでも当選確率は宝くじに匹敵するから、地方では地域住人から1等当選者が出ると新聞に載るほどの大騒ぎになるという。

実は年賀はがきの賞品については、法律でその価格上限が定められている。

【お年玉付郵便葉書等に関する法律】
第一条
2  前項の金品の単価は、同項の郵便葉書の料額印面又は同項の郵便切手に表された金額の五千倍に相当する額を超えてはならず、その総価額は、お年玉付郵便葉書等の発行総額の百分の五に相当する額を超えてはならない。

宝くじならまだしも、こんなの単なる「おまけ」じゃないですか。「おまけ」まで法律で縛らなければならないというのが、日本という国の実情なんですよね。カジノ認可への道は遠く険しい。

Atari  

そんなことを考えつつはがきをめくるうち、ようやく「当たり」を発見。「週刊競馬ブック」編集部から届いた1枚であった。もちろん4等の切手シート。とはいえ、新年早々お年玉を貰ったような気がして、やはり嬉しい。この恩に報いるため、今年も「週刊競馬ブック」を毎週購読させていただきます(笑)

 

 

 

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2012年1月21日 (土)

お祓いに行くべきか

知人の関係馬が勝ちまくって「おめでとうを言う機会が増えた」と書いたのは、昨年9月26日のことだった。

あれから4ヶ月しか経っていないのに、一転して今度は知人の関係馬に事故が相次いでいる。今日も小倉の3Rで知り合いが出資するアグネスタキオン産駒が故障、予後不良となってしまった。1番人気。「初勝利には立ち合いたい」と遠路小倉に飛んだ彼の無念はいかほどか。私の周囲ではこの1ヶ月で4頭目である。もはや私自身がお祓いに行くべきなのかもしれない。

「それで、馬の方はどうなりましたか?」

聞かれる方にとってはもちろんだが、聞く方にとってもこれほど嫌な質問はあるまい。レースを見ていればある程度予想はつくものなのだけど、質問を切り出す時にはいつも逡巡する。「なら、聞かなきゃイイ」というわけにもいかない。聞かなければ失礼になる場合もあるし、私だって目をかけていた馬なのだから、やはりハッキリ聞いておきたいという思いが勝る。

たいていの馬主は自らの所有馬が死ねばひどく悲しむ。当然のことだ。競馬を愛した作家・吉川英治は、1956年の日本ダービーで愛馬エンメイが故障、予後不良となったことに心を痛め、以来競馬から離れてしまった。

もちろん、競馬ファンならば、あらゆる競走馬の死に対して心を痛めるはず。特に不慮の事故により、競馬場で迎える死ほど悲しいものはない。死を迎える競走馬は、競走馬としてというより、人間と同じ一個体の動物として死を迎えるからであろう。そのギャップは、競馬ファンでなければ感じ取ることはできまい。ライスシャワーやサイレンススズカの死に際し、競馬そのものの存在に異議を唱えたその声は、競馬に関わらぬ一般の市民ではなく、競馬ファンによるものの方が実は圧倒的に多かった。

一方で、「予後不良も競馬のうち」というスタンスを取り続ける馬主も少なくない。

誤解しないでいただきたいが、本人が薄情なわけでは決してない。いちいち悲嘆に暮れていたら馬主などやってられないし、そもそも悲しむこと自体が死んだ馬に失礼という考え方もある。吉川英治と同じ作家で、しかも動物愛護でも高名な某馬主は、「愛馬が死んだらすぐに次の馬を考えられる人でないと馬主として失格。競馬における馬主の役割というのはそういうものです」と語った。迷惑がかかるといけないので、敢えて名は出さないけど。

ともあれ、競馬に携わっている人々の中でも、馬の死に対する受け止め方は様々だ。であるから、馬の死について話すときには、その温度差をなるべく埋める努力をしているつもりなのだけど、それが逆効果になることもしばしば。この問題の難しさを痛感する。

日本の馬外科学はここ数年で急速な進歩を遂げており、中でも螺子固定手術などは世界トップクラスとの評価もある。とはいえ、JRAや社台の施設以外となると話は別。競馬で事故が避けられない以上、先端治療技術の浸透にも期待したいところである。

 

 

 

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2012年1月20日 (金)

襲いくる睡魔

意外な告白をするが、実は夜ふかしが苦手である。

若い時分から徹夜で勉強をしたり、TVゲームに没頭したという覚えがない。麻雀にハマった学生当時も徹マンは極力避けた。飲んでいるうち終電を逃し、仕方なく始発が動くまで飲み続けたというような素敵な経験もない。

これはひとえに私がせっかちだからであろう。すなわち、あらゆることは早めに片付けたいのである。食事も風呂も早め早め。飲み会は1軒目でスパッと帰る。睡眠も同じことだ。早く寝て、早く起きる。深夜1時に”早起き”して「オールナイトニッポン」を聴いていたこともあった。

だけど、こんな仕事をしていれば徹夜など日常茶飯事。つくづく自分に向いていないと今更ながら後悔する。実は昨夜もいろいろあって、一晩中仕事に追われた。ようやく終わったのは、空も白み始めた明け方5時過ぎ。「こうなったら昼過ぎまで寝倒してやる!」と心に誓って布団を被ったのだが……、このトシになると朝寝ができないんですよねぇ。悲しいかな、きっちり8時に目が覚めてしまうのである。おかげで、一日ぼんやりした頭で過ごすこととなった。

馬産地ではそろそろ出産シーズンを迎える。馬の出産は夜間であることが多いから、予定日が近づいた繁殖牝馬を牧場スタッフは徹夜で監視しなければならない。予定日はハッキリ決まっているわけではないし、複数の繁殖牝馬がいれば数か月に渡って断続的に徹夜が続くこともある。最近では1日程度の誤差で出産日を見極める方法なども発表されているが、生き物相手のことなので簡単なことではない。私も馬の出産に立ち会ったことがあるが、馬房を映し出すモニター画面をじいっと見つめていると、ものすごく眠くなるものである。

なので、牧場スタッフと「眠気覚まし論」で盛り上がることは少なくない。立ったまま居眠りしてしまうほどの睡魔に勝つにはどうしたらよいか? むろんコーヒーやガム程度で太刀打ちできるものではない。

オーソドックスなところでは、やはりドリンク剤。「メガシャキ」や「眠眠打破」などコンビニで手に入るものもよいが、私は「オールPキング」という強力アンプルのお世話になることが多い。ただし、これとて使い続ければ、たちまち効果はなくなる。

Allp  

ドリンク剤以外では、メンソレータムやサロンパスを目の下に塗ったり張ったりすることもある。目がシバシバして、とても眠れる状態ではなくなるのだが、仕事どころでもなくなるので、実効性という点では疑問符が付くかもしれない。

仲間と一緒の徹夜というシチュエーションで、「先に眠ったヤツを引っ叩いてよい」というルールで一夜を凌いだことがある。緊張感が高まる上、全員同時に”落ち”ない限り、間違いなく徹夜を完遂できる優れた手法だと喝采を叫んだのだが、いざやってみると、徒に外傷を負う者が続出するうえ、仲間内の人間関係の悪化も甚だしく、一回限りでオジャンとなった。皆眠くてイライラしているから、加減というものができなくなるのである。

やはり、人間寝ないとダメですね。短時間で上質の眠りを得る方法を追求すべきなのであろう。

 

 

 

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2012年1月19日 (木)

真冬の桃の花

3歳牝馬による準重賞「'12桃花賞」が行われる大井競馬場は、尋常ではない冷え込みっぷり。レース発走が近づいているというのに、パラソルヒーターの下から一歩も離れらることができませんよ。こうなったら、この場所から撮ってやろうかと真剣に考えてしまうほど。

Heater  

準重賞とはいっても、昨年の勝ち馬がマニエリスムで一昨年がショウリダバンザイだから、「準」を取り払っても良いのではないかという声も聞く。だけど、「準重賞」って私は好きです。格付けを超えた“重み”というものがそこにはちゃんとあって、「分かる奴だけでじっくり楽しもう」という空気が張りつめている。

今から21年前。1991年の桃花賞は、この年の東京ダービーを勝つことになるアポロピンク。同じく東京大賞典を勝つことになるドラールオウカン。さらに、その翌年の東京大賞典を勝つことになるホワイトシルバーといった女傑たちが勢揃いしていたのだが、そんな彼女たちをまとめて負かしたのは、のちにJRAのオープン特別を4勝もしたダイカツジョンヌであった。

「重賞」ではなくとも、こんな凄いメンバーのレースが繰り広げられる……こともある。それが準重賞という格付けの面白さだと思うのである。

そんな格付け問題はさておき、寒の内に“桃花”という季節感ゼロのレース名はいかがなものか。2007年に浦和桜花賞の実施時期が4月から3月に前倒しされた時には、「そりゃあ、桜が散り切った4月末にやるより、やっぱ桜花賞は桜の時季にやるべきだよ。うん」などといたく賛同したものだが、それに合わせて桃花賞も1月にスライドしてしてしまっていたのである。そんなわけで、今年も寒さに震えながらの桃花見物と相成った。

Momo1  

勝ったのは1番人気のゴールドキャヴィア。新冠・飛渡牧場の生産によるゴールドアリュールの産駒。

Momo  

聞けば、2010年サマーセールで250万で落札されたんだそうだ。このセールでは11頭のゴールドアリュール産駒が取引されているのだが、250万円はその中での最安値である。馬主としては「これはお買い得だ!」と思うが、所有している繁殖の交配相手に頭を悩ませている身としては、種付け料(当時300万円)に満たない額で落札された馬が、既に1千万円近くを稼ぎ出していることに対し、複雑な思いを抱かざるを得ない。300万円突っ込んで何十万も足を出すなら、25万の種を付けて自分で走らせた方が良いのかなぁ……。うーむ、悩む。

ともあれ、ドラゴンシップ、エミーズパラダイスに続き、またも川島正行厩舎に牝馬クラシック候補が誕生した。こうなると今年も有利馬のローテーションが気になるところだが、ゴールドキャヴィアは桜花賞の優先出走権を獲得したわけだし、エミーズパラダイスはJRAクイーンCから芝路線を進むから、使い分けに苦労することはなさそうだ。なんか上手くできてますね。

 

 

 

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2012年1月18日 (水)

新たなヒロインの誕生

寒中の大井競馬場は、イベントの出店がないばかりかプロパー店舗にも休業が目立つ。“半オフシーズン”とも言える昼間開催がスタートした。

Shop1  

メインは牝馬の交流重賞TCK女王盃。

JRAのラヴェリータと南関東のザッハーマイン。この路線の主役2頭が引退し、そのあとを継いだ形のミラクルレジェンド(放牧中)とクラーベセクレタ(58キロを嫌ってエンプレス杯へ)が不在となれば、さらなる新星の登場を期待したい。個人的な思いを挙げれば、クイーン賞でクラーベセクレタの2着だったプレシャスジェムズと、ロジータ記念でやはりクラーベセクレタの2着だったハルサンサン。このあたりに頑張ってもらいたいところだ。

ところがそのプレシャスジェムズがまさかの出遅れ。すぐさま二の脚を繰り出してハナに立ってレースを進めたが、残念ながら3着に敗れた。出遅れのロスもさることながら、3コーナー過ぎから大胆な捲りに出たウエディングフジコにやられた感もある。でも、直線はよく粘っていたから、力負けの感はない。

Tck1  

勝負は直線で内から抜けだしたカラフルデイズと、

Tck2_2  

ゴール寸前、大外一気の末脚を爆発させたハルサンサンの争い。

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「どっちだ?!」というカメラマン声より早く、今野騎手の左手が挙がった。

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前走のシンデレラマイルで、テイエムヨカドーの大外強襲に屈した今野騎手にしてみれば、まさに溜飲を下げる会心の勝利であろう。クラーベセクレタと同じ明け4歳馬がJRA所属馬相手に重賞初勝利。これはエンプレス杯が楽しだ。五代母はあのワカクモ。母の父もワカオライデンという重厚な血統。

それにしても、東京大賞典といい、シンデレラマイルといい、そして今日のTCK女王盃といい、このところの大井はゴール前でやたらともつれる。見ているぶんには楽しくて良いが、撮る立場としては疲れる一方だ(笑)

 

 

 

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2012年1月17日 (火)

正月太りもほどほどに

14日の京都メイン・大和Sで最下位に敗れたクリーン(父ホワイトマズル)は、前走から24キロ増の628キロでの出走だった。これは2004年3月13日の中山4Rでシルクオーディンが記録した622キロを抜き、JRA最高体重出走記録。ちなみにJRA最高体重勝利は、クリーン自身が2010年8月29日の阿蘇Sで記録した612キロである。

Clean  

24キロも増えたと聞けば、「ええっ!?」という驚きの声も上がろうが、対馬体重比でいえば4%の増加に過ぎない。馬体重400キロの馬なら16キロだし、60キロの人間であれば2キロ半。年末年始の宴会三昧に加え、ちょいとばかりお雑煮を食べ過ぎれば、それくらいすぐ太ってしまう……、というのは正月太り全開のデブの言い訳です。すみません(笑)

「日刊競馬」の柏木集保氏は、誰もが手にすることができる客観的な素材から「レコードタイムの生まれる条件」や「”基準馬”という考え方」など、独創的かつ興味深い仮説を数多く提唱する稀有の競馬評論家だが、そのひとつに「長い間タフに活躍する馬は体重が変化しない」というものがある。

たとえば、時代を代表するステイヤーとして活躍したメジロマックイーンは、新馬戦を492キロでデビューしたが、6歳時の宝塚記念を勝った時も494キロであった。

当時は「大型馬」と言わたホクトベガは500キロでデビューしたが、ドバイ遠征前の川崎記念を勝った時は501キロ。

小柄な馬でも同じ。432キロでデビューしたステイゴールドは、彼の国内最終戦となる通算49戦目のジャパンカップでも428キロでしかなかった。

さらに、「タフ」といえばこの馬をおいては語れまい。2歳から14歳まで、足かけ13年も走り続けたミスタートウジンは、ずっと520キロ前後を保っていた。本格化して馬体重が増えるとともに強くなる馬もいるが、実はこのタイプは、あまり長続きしないというのである。

冒頭のクリーンは、デビュー4戦目の2006年10月に556キロで出走したことがあるから、この5年あまりで都合72キロも体重を増やしたことになる。

息も切れ切れに大和Sでしんがりゴールを果たした彼は、己がもっとスリムだった5年前を懐かしんだであろうか? もしそうだとしたら、この20年で20キロ太った私としても、彼に同情せざるを得ない。ああ…、20年前の自分が懐かしい。

 

 

 

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2012年1月16日 (月)

キャベツでダイエット

銀座3丁目といっても、築地に近い銀座のはずれ。『立呑みうどん酒場・銀三』はマガジンハウス社の裏手の路地に佇む。昼休み時には長い行列ができるセルフのうどん店。

Hiru  

ちなみに、昼の人気メニューはご覧の串天うどん。480円。

Kushiudon  

そして夜はその串天をアテに飲む居酒屋となるのです。

Yoru 

今夜はとあるグループの新年会に誘われてやって来ました。

Nidotsuke  

そして、串天に合わせるものといえば、やはりこれ。

Cabe  

キャベツですね。新年からダイエットを心掛けている私は、串はそっちのけで、さっきからキャベツばかり食べてます。ポリポリ。

ところで、広く世間でイメージされている馬が好きな野菜といえばニンジンだろうけど、馬だって生き物だから多少なりとも好き嫌いというものがあるわけで、中にはニンジンが嫌いな馬もいます。んで、そういう馬にはニンジンの代わりにキャベツを与えたりします。

キャベツは胃腸に効能があるとされるビタミンUが豊富ということで、環境の変化に敏感な馬には、ニンジンの好き嫌いとは関係なく飼い葉にキャベツを混ぜて食欲増進を図ります。昨年の新潟2歳Sを勝ったマイネイサベルなんかも、そんな”キャベツ馬”の一頭ですね。

あれ? そうなると、こうしてポリポリとキャベツをばかりを齧っている私は「食欲増進が図られて」しまうのだろうか? うーむ、それはそれで困ってしまいますね。困ってしまうけど、こればかりは仕方ないですな。シメの釜上げうどん、おかわりです。

Kamaage  

 

 

 

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2012年1月15日 (日)

寒中競馬

東京は寒い日が続いてます。まあ、寒中だから当然といえば当然なんですが、例によって「今年の冬は特別に寒い」という錯覚に陥ってしまいますよね。

寒くなると馬は元気になるが、そうはいっても馬だってあまりに寒いと身体を壊すので、自然と冬毛が伸びてくる。普段の馬は「被毛」と呼ばれる細かい体毛に覆われているが、気温が低下すると、寒さから身を守るために被毛が抜けにくくなり、長く伸びて光沢を失う。これが「冬毛」。春になって気温が上がると「冬毛」は自然と抜け落ちる。

この時季のパドックは冬毛が目立ち、毛ヅヤの悪い馬も多く見かける。時期的に冬毛が生えるのは仕方がなく、一概に状態が悪いと決めつけるわけにはいかない。だが、被毛の生え替わりのサイクルは、健康状態と密接な関係にあるのも事実。一様に抜け替わるわけではなく、栄養が良く健康な馬は抜け替わりも早い。だから寒い季節に冬毛がなく毛ヅヤがピカピカな馬は好調と判断するわけだが、中には見た目を気にして冬毛を生やさぬよう四六時中馬服を着せている厩舎もあるので注意が必要だ。

そうはいっても、これほど寒いと、冬毛ぼーぼーの馬に親近感を感じたりすることもありますよね。

「うー、さぶさぶ。おぉ、お前(馬)も寒い中よく頑張って偉いよな。オレなんか、こんなに着込んでいるのに“寒い寒い”と文句ばっか言っててダメだよなぁ。よし、こうなったら、君の単勝を買ってあげじゃないか」

なんてコトになって馬券も散々な結果に終わるわけだ。寒い季節の馬券はイイことありませんな。まあ、馬券でイイことないのは、どの季節も同じですけど。

騎手にしても、暑い時期以上に寒い時期は辛いものらしい。そりゃそうですよね。寒いからといって、厚着するわけにもいかないし、体も硬くなるから怪我をする確率も高くなる。ダート戦で飛んできた砂粒が顔に当たると、冬場は特に痛いんだそうです。そりゃ大変だ。

Dirt  

そんな彼らのささやかな冬場対策は、プロテクターの下に使い捨てカイロをペタペタと貼ることなんだとか。でも、それならプロテクターそのものが温かくなればイイのにな、と思いますよね。汗を熱に換える「発熱ジャケット」なんて商品があるくらいだから、プロテクターでもできないだろうか。

 

 

 

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2012年1月14日 (土)

完走の理由

武豊騎手がようやく今年の初勝利を挙げたことが話題になった一日だったが、私個人は別の騎手の今年初勝利が大いに印象に残った。小倉8レースを5番人気レッドシェリフで勝った上村洋行騎手のことである。

新年の中山競馬場。大観衆を集めた中山金杯でそれは起きてしまった。単勝2.0倍、圧倒的な支持を集めたアドマイヤコスモスだったが、3コーナー手前で突然失速してズルズルと後退。そのまま完走はしたものの、フットワークは明らかに乱れており、勝ち馬から8秒7も離れた最下位に敗れた。

レース後の診断で右第3中手骨複骨折が判明。ただちに患部を3本のボルトで固定する手術が行われる。とりあえず生命の危機は回避されたが、それほど重篤な故障を発症していながら、3コーナーからゴールまでの600m余りを走らせた上村騎手に対し、ネット上で非難が集中していたのである。

件の上村騎手は、自身のブログ「うえちんのひとりごと」の1月7日付「アドマイヤコスモスが完走することになった理由。」の中に、その経緯を明らかにした。そこには、異常を感じてスピードを落とすことにしたが、鞍上の指示に過敏な反応を示す馬の癖を考慮し、後続に迷惑をかけないためにゆっくりとスピードを落としたと書かれている。その上で、

「徐々に徐々にスピードを落として止まるのがいいと判断したけど、一気にスピードを落として少しでも短い距離で止まるのが良かったのかもしれない。どっちが正しかったのかは、正直言ってわからない。」

とも書かれていた。これが正直な気持ちであろう。

こうした件については、スポーツ紙などでもあまり報じられない。昨年5月に落馬して以来、内田博幸騎手に関する報道がほとんど無かったのに似ている。ディープインパクトやクラーベセクレタの薬物問題のような「タブー」というわけではないのに、なんとなくみんな自粛してしまう。症状が重くなればなるほど、関係者たちの口も重くなってしまうものなのだ。

そういう事情もあるから、上村騎手が自ら経緯を明らかにし、正直な気持ちまで綴ったことについては素直に賞賛したい。書くことで、さらに非難を浴びる恐れだってあった。それを承知で書いた、その勇気こそが素晴らしいのである。

Ue  

上村騎手は昨日付のブログでも、「なかなか気持ちを切り替えられない」と、その悩みを綴っていた。ちょいと心配していたのだが、今日の一勝をきっかけに気持ちが切り替わることを期待したい。

 

 

 

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2012年1月13日 (金)

馬主政治家の運、不運

今日発表された野田改造内閣で、小川敏夫・民主党参院幹事長が法務大臣に任命された。

判事、検事、弁護士の法曹三者のすべてを経験し、ついには「法を作る立場にならねば志は遂げられぬ」との一念で1998年に参院東京選挙区で初当選した法律のスペシャリスト。だが、競馬ファンにとっては、日経賞で2着したイタリアンカラーの馬主としての方が馴染みがあるのではないか。ちょっと前までは東京馬主協会の役員も務めていていた。今年の明け3歳馬では、フクノツール(父サクラプレジデント)とユーセンツーア(父トワイニング)の2頭を所有。ちなみにTPP交渉参加には反対の姿勢を示しており、JA全中が集めた署名にもその名前があった。

私の個展に来ていただいたこともあるのだが、野平邸で何度かお会いした時のことが思い出深い。その頃、小川氏はミスドーナッツという牝馬を走らせていた。飛渡牧場生産のワッスルタッチ産駒で野平祐二厩舎所属。成績は芳しいものではなかったが、それでも氏は毎回のレースをかなり楽しんでいたように思う。その上で、サンデーサイレンス産駒を巡ってマネーゲーム化しつつあった当時の競馬界に、強い危機感も示していたと記憶する。

Misudo  

政治家に馬主は珍しくはない。なにより日本の馬主第1号は西郷従道(隆盛の弟)だし、初代総理大臣の伊藤博文も馬主であった。最近の大物では田中角栄の名があがる。田中角栄は短期間だが東京馬主協会会長も務めた。夫人の名義ではあったが、オークスに勝つ運にも恵まれている。

同じ大物政治家でも、河野一郎は逆に運を得なかった。急逝直後にデビューしたナスノコトブキが、翌年の菊花賞を勝ったのは皮肉と言うほかはない。

田中角栄と河野一郎の例だけを見れば、馬主としての運、不運が、そのまま政治家としての運、不運に反映しているようにも思える。小川敏夫氏の法務大臣としての手腕もさることながら、馬たちの活躍ぶりが気になるところ。馬も馬主も頑張って欲しい。

 

 

 

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2012年1月12日 (木)

最後の中山特別

今週は京都で日経新春杯が行われる。GⅡのハンデ重賞。背負い頭のトゥザグローリーの58.5キロから、最軽量ブルースターキングの50キロまで8.5キロの斤量差をどう扱うか。馬券を買うのにも頭を悩ますところであろう。

言うまでもなく、ハンデ戦は負担重量を調整することで、能力差の均等化をはかるレース。かつては「強い馬を弱くさせる」というスタンスでハンデが決められた時期もあり、60キロを超える負担重量も珍しくはなかった。ただ、この日経新春杯で66.5キロを背負わされたテンポイントが故障して以来、60キロを超えるハンデ設定はあまり見かけなくなっている。

だからといって、逆に「弱い馬を強くさせる」のは無理な話。だから、弱い馬は極端に軽い斤量設定をするのだが、それとて人が乗るのだから限界はある。明確な規定があるわけではないが、JRAではオープン級の下限が48キロ。条件クラスでは50キロを運用上の下限としているようだ。

斤量を軽くすることが馬の能力をUPさせるわけではないから、実際には下限の馬が勝ち切るというのは至難。現在も残る重賞で48キロの馬が勝った例は、この5頭しかない。

 フジミツル(日経新春杯)
 ダイニテンラン(目黒記念)
 ホッカイノーブル(ステイヤーズS)
 タフネススター(カブトヤマ記念)
 トーホウシャイン(マーメイドS)

生前の野平氏から「最後の中山特別」の話を聞いたことを思い出した。有馬記念の前身的な年末の重賞で、中山芝2400mに6頭のハンデ戦。人気は菊花賞を勝ったばかりの3歳馬・メイヂヒカリである。

ところが、ホマレオーに騎乗していた野平氏は「メイヂヒカリに勝つチャンスはある」と確信していた。菊花賞をレコード勝ちした反動。そのまま阪神大賞典を目指して関西に滞在していたのに、急遽このレースに回ってきたローテーションの狂い。そして何より61キロのハンデが、3歳馬にとって酷量と言えるものだったからである。

「当時はちょっと強い馬になると65キロとか66キロとか当たり前に背負わされていましたね。そうなると、どんなに強くても最後はフォームが乱れて歩いちゃうんです。荒れた馬場や雨で濡れた馬場ならなおさらです。暮れの中山の馬場は、そりゃもうひどかったですから」

実際、このレースでメイヂヒカリは最下位に敗れる。だが、勝ったのは野平氏のホマレオーではなく、最軽量   と言っても55キロのヒデホマレ。この馬、スタートから逃げて3コーナーで早くもつかまって後方に下がったのだが、直線に入ってから再び内からするすると伸びて、差し返してしまったのだという。ただ、それも野平氏の言葉を借りれば「ほかの馬が歩いた」からに過ぎない。ヒデホマレは、背負い慣れた55キロで普通に2400mを走っただけだった。

     【第9回中山特別】
 1着 ヒデホマレ  55 阿部
 2着 クリチカラ  57 森安 1馬身1/4
 3着 カネエイカン 57 高橋英
 4着 ホマレオー  57 野平祐
 5着 フアストロ  58 渡辺正
 6着 メイヂヒカリ 61 蛯名

ご覧の通り、軽量馬から斤量順に着順決定した珍しいケースである。もはやこうなると「名ハンデ」というよりは「迷ハンデ」と言わざるを得ない。

ちなみに翌年、中山特別に変わって新たに創設された馬齢重量の重賞「中山グランプリ」を勝ったのは、前年61キロのハンデに泣いたメイヂヒカリであった。

 

 

 

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2012年1月11日 (水)

吉田ぜんざい

今日は鏡開きですね。

私が子供の頃は、カッチカチに固まった鏡餅をトンカチで必死に叩き割って、カビが生えてないわずかな部分をチリチリと焼いて汁粉に入れたものだが、最近の鏡餅は外見は鏡餅型のプラスチックで、その中にパックされた切り餅が入っていたりするので驚く。まあ、その方が食べるぶんにはラクですけど。

餅の方がラクになったのだから、汁粉の方は自らの手で作りたい。たっぷりの水で小豆を茹でて、砂糖で甘味をつけるだけ。手間というほどのこともない。

ただし、シンプルなだけに材料が味を大きく左右する。丹波産の大納言なら申し分ないが、さすがにそこまで金はかけられない。でも、正月だからちょっと奮発して北海道産の新豆を使うことに。

これを鍋に入れ、水をたっぷりと張り、強火にかける。沸騰したら、茹で汁を捨て、新しく水を張り、再び火にかける。こうして二度茹でこぼしたあと、三たび水を張り、中火にかけて小豆がやわらかくなるまでさらに茹でる。

次に砂糖。これもできれば和三盆糖が使えればそれに超したことはないのだが、いま作っているのは決して高級割烹のデザートではない。とはいえ、普通の白砂糖というのも芸がないので、ザラメを使ってみる。さらに若干の塩。これが微妙な甘さの決め手になる。

Shiruko  

私は関東の人間なので、汁粉と言えば粒のないいわゆる「御膳汁粉」だが、豆から自分で煮るとなると小豆が粒のまま入った「ぜんざい」になりがち。関東の人間は「ぜんざい」を「田舎汁粉」などという失礼な呼び方をすることもあるが、「ぜんざい」って漢字で書くと「善哉」なんですよね。

「ぜんざい/善哉」の語源については諸説乱立しているらしいが、我々競馬関係者にすれば「善哉」といったら「故・吉田善哉氏」に他ならない。「そういや、善哉さんも甘いモノが好きだったよなぁ」。などと、善哉さんを想いつつ「善哉」をいただくのも、正月ならではといったところだろうか。それにしても、いつまでたっても正月気分が抜けない。困ったもんだcoldsweats01

 

 

 

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2012年1月10日 (火)

ブラビオーの血

我が家に届けられた年賀状をあらためて読み返すと、今年デビュー予定の2歳馬に対する期待のコメントが書かれているものがいくつかあった。所有であれ出資であれ、毎年数頭の馬を持てるような方なら話は別だが、私を含めたそうではない人間にしてみれば、期待の2歳馬を持つ正月というのは特別なもの。大晦日までは1歳幼駒だったのが、一夜明ければ今年デビュー予定の明け2歳馬である。

実は私も   ほんのわずかな比率だけど   明け2歳馬に出資しているのである。地方での共同所有ではないし、社台でもサンデーでもG1でもない。でも、そんなこととは無関係に、今も北海道のどこかで自分の出資した2歳馬がデビューに向けて鍛錬していて、(たぶん)今年デビューするのだと思えば、心が躍るものだ。幸いにも今のところ順調に乗り込めている。

その昔、米国から日本に輸入された種牡馬カウアイキングの牡馬産駒で、JRA重賞を勝ったのは関屋記念のブラビオーただ一頭。そのままカウアイキングの後継種牡馬になったものの、関屋記念を勝った程度では種付け申し込みが集まるはずもなく、生涯の産駒はわずか6頭に留まる。むろん産駒のJRA勝利も実現していない。

しかし公営船橋で走った牝馬スーパーセブンが7勝を挙げる活躍をした。その勝ち星の中には、90年のクイーン賞も含まれており、他にもエンプレス杯、東京プリンセス賞、関東オークスでそれぞれ2着している。この活躍のおかげで、スーパーセブンは繁殖牝馬となり、やがてJRA重賞3勝馬ウインブレイズを送り出した。

ブラビオーの産駒で繁殖牝馬になったのはスーパーセブンしかいない。したがってブラビオーの血は、スーパーセブンを通して残っているのがすべてである。

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スーパーセブンはウインブレイズを含めて13頭の産駒を送り出したが、特に末っ子のボンキュッボンは、その珍しいネーミングで話題となった。

……と言うより、このブログを通読されている方ならご存知であろう。今から4年前の夏、川崎でデビューを果たしたこのグラマラスな牝馬に、私は完全密着する日々を過ごしていたのである。ありがたいことに、口取りの栄誉にも与らせてもらった。

Bon1  

彼女の初仔がヒダカブリーダーズユニオンから募集されると聞けば黙ってはおれまい。父親が何かを確認するよりも先に、入会希望用紙に捺印をしてポストに投函した。

Bon3  

詳しくはヒダカブリーダーズユニオンの公式サイトをご覧いただければと思うが、2歳時に2勝を挙げて、東京2歳優駿牝馬でも3番人気に推された快速馬の子なら、おそらく仕上がりも早かろう。なにより、細い糸でかろうじて繋がれた血のロマンに関わること自体が楽しい。「これぞ競馬!」という気さえする。

念のため、私はユニオンオーナーズクラブの回し者ではないことをあらためて断っておくが、募集口数にはまだ空きがあるようだ。興味がある方は問い合わせてみてほしい。

ユニオンオーナーズクラブ 公式サイト
http://www.union-oc.co.jp/

ボンキュッボンの2010 紹介ページ
http://www.union-oc.co.jp/pegasus_2011/2524.htm

 

 

 

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2012年1月 9日 (月)

「大人」について

祝日法には「成人の日」の日にちは定められていても「成人」の定義は明記されていない。だが、1896年に制定された現行民法では「20歳をもって成年とする」と規定。一般的には20歳以上を「大人」とみなす意識が定着している。

20歳未満の飲酒は未成年者飲酒禁止法で、また喫煙は未成年者喫煙禁止法でそれぞれ禁止されているし、選挙権も公職選挙法により20歳から与えられる。20歳になれば、国民年金の加入義務も生じる。そして、競馬法により20歳未満は馬券を購入することも禁じられている。

一方、民法は婚姻年齢を男18歳以上、女16歳以上とも定めている。児童福祉法などは18歳未満を保護の対象としているし、道交法は自動車普通免許の取得年齢を18歳以上と定めている。そして、パチンコ店の入店は風営法により18歳から認められている。

パチンコは18歳でOKなのに競馬はダメ   そんな不可解な現状は、法によってバラバラな「大人」の定義によってもたらされたものだ。

一昨年に施行された国民投票法は、その付則で民法の成人年齢や公選法の選挙権を18歳に下げるよう求めている。だが、政権交代後の混乱で関連法改正案は提出されぬまま。「18歳成人」実現の目処は立っていない。

法改正が実現すれば、「成人」となる年齢は現在の20歳から18歳に引き下げられる。だが、未成年者飲酒禁止法と未成年者喫煙禁止法はともに禁止の対象を「20歳未満」と条文に明記しているので、成人年齢が変わったからといって、自動的に酒やタバコが許される年齢が下がるわけではない。

これに対し、競馬法第28条は「未成年者は、勝馬投票券を購入し、又は譲り受けてはならない」としているだけだから、成人年齢が18歳に下がれば、それに合わせて18歳でも馬券を買えるようになる。

90年代初めの競馬ブーム当時、ウインズに馬券を買う中高生が溢れた時期がある。絶望的に長い発売窓口の行列に並んでいると、「20歳」だと言い張る中高校生と、それを取り締まる警官とのやりとりが、嫌でも耳に入ってきたものだ。

勤め先を訊き、年齢を訊き、生年月日を訊き、干支を訊きというというのが一般的な尋問コースだっただろうか。だいたいの連中は干支の関門をクリアできずアウトになった。この頃から競馬法が改正され、馬券を買った未成年のみならず、未成年に売った側にも罰則が設けられたため、JRAもその取り締まりに本腰を入れていたのである。

もし制限年齢が18歳に引き下げられると、取り締まる側にしてみれば、声を掛ける対象の判断に困るかもしれない。

杓子定規な取り締まりは「競馬は悪」というイメージを助長させるだけだと思うのだが、かといって子供が溢れる馬券売り場など興醒めも甚だしい。馬券を買わずに競馬に参加する有効な方法ってないのだろうか? 成人の日になると、決まってそんなことを考える。

 

 

 

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2012年1月 8日 (日)

減量の苦労

昨日の大和の新年会に参加していた高校2年生の女子が、豪華な料理を前にしながら箸を伸ばすのを躊躇っていた。聞けば、明日(すなわち今日)出場する駅伝レースに備えて体重制限しているのだという。

ふーむ、それはたいへんですね。食べ盛りの女子が食べたいモノを我慢するというのは、端から見ていても切ないものがあるけど、レース前に絞るというのは競馬も同じ。ただ、そんな彼女を横目に、バクバクと食べ続けた私の大人げないことといったら……。今年こそは私も減量しなければなりませんなぁ。

Sushi  

このトシになると、嗜好は自然と和食に流れるものなのだが、世間一般に流布されている「和食は太らない」という説は、こと糖分という観点で言えば真逆であろう。寿司と日本酒だけで、ここまで成長した自らの腹が何よりの証左だ。

今から20年前の1992年。その当時に実施されていたヤングワールドジョッキーシリーズに招待されたとある若手外国人ジョッキーが、重量超過のために初戦のオープニングカップに騎乗できないという大失態を犯したことがあった。聞けば「ホテルの食事が美味くてつい食べ過ぎた。日本食は太らないものと思っていた」という。「日本食はヘルシー」という神話は海外にまで広まっていた。ちなみにこのジョッキーは、英ダービーや凱旋門賞を勝ち、昨年のワールドスーパージョッキーシリーズでも総合優勝を果たしたジョニー・ムルタ騎手である。

「1個のおにぎりは1日2回に分けて食べる」

「1日の食事はトマト一個」

「水は口をすすぐだけで絶対に飲まない」

ジョッキーと聞けばすぐに減量を想像する人もいるかと思うが、今も昔もその苦労は変わらない。運動しても体重が落ちなくなったベテラン騎手が最後に頼ったサウナルームも、最近では新人ジョッキーが占拠している有様だという。日本人の平均身長が上がるのに合わせて、若いジョッキーには背の高い人も増えてきているが、それでも体重は維持しなければならない。となれば、アスリートに必要な筋肉も付けられず、無理な減量で身体を痛める必要がある。

Dettori  

ランフランコ・デットーリ騎手が、健康に重大な影響を及ぼす恐れがあるとされる利尿剤を使用していた時期があると告白したのは、10年ほど前だったか。「私は利尿剤や便通促進剤など、あらゆるものを試した。好きでやっているのではなく、体重を減らすためだ」という彼の言葉は、この減量問題の根深さを訴えるのに十分過ぎるインパクトを世界に与えた。

   世界一の選手が、プレーを続けるために健康を犠牲にせざるを得ないスポーツなど他にあるだろうか?

そんなことを考えながら帰宅したら、家族から「明日から夕食はサラダだけね」と通告された。なんでも、昨夜放映された「めちゃイケ」で、岡村隆史さんが成功したダイエット法なのだという。「めちゃイケ」の真似なんかをして、私の健康は大丈夫なのだろうか?

 

 

 

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2012年1月 7日 (土)

小国駒

正月恒例、大和『最上川』での新年会でござる。中山から駆けつけるのが例年の流れだが、今年は土曜だというのにJRAの開催がなく、だからといって無理に川崎に行っても凍えるだけなので、自宅からのんびりと出掛けました。まあ、正月ですからね。のんびりするのもアリでしょう。

Kanban  

「最上川」と言えば、山形県北部に「最上町」という町がある。

かつて小国村と呼ばれたこの地に最上川の本流は流れていない。だが、その支流である最上小国川によって潤された広い高原台地には、良質の牧草が生える。そのため、戦国時代から馬の生産が始まり、江戸中期には東北有数の馬産地となった。

かつてこの地で大雨に行く手を遮られ、二晩を過ごした松尾芭蕉は、人と馬が一つ屋根の下に寝起きするこの土地の暮らしぶりを、こう詠んでいる。

 蚤虱(のみしらみ)馬の尿(しと)する枕もと

「小国駒」は、明治期になると軍用馬としてさらに評価を高めた。軍馬購買地に指定された最盛期には、2千頭もの馬が飼育されていたとの記録も残る。

だが戦後になると馬の需要は急減。農家は次々に馬を手放し、ついに町から馬が一頭もいなくなったのは1980年のこと。こうして「小国駒」の歴史は終わった。

ところが、近年になって町内の前森高原に乗馬クラブが発足。松尾芭蕉ゆかりの地を馬で巡る企画などが好評を得ているようだ。「小国駒」はいなくなったが、先哲が培った馬文化を残したいという精神は、今も最上町に受け継がれている。

Nabe  

   なーんてことを考えながら、ゆっくりと鍋をつついていると、「あー、正月だなぁ」と実感しますね。こちらの鍋は野菜も魚介もすべて細かく切って、それを一気に投入するごった煮風。様々な具材から染み出た味が見事なハーモニーを奏でます。

JRA開催がない土曜というのも、たまにはイイもんですね。

 

 

 

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2012年1月 6日 (金)

麻布ライス

突然だが「麻布ライス」と聞いてどんな料理を想像されるだろうか?

「麻布」というのは、六本木の隣のあの「麻布」のことである。となれば、高級セレブリティが集まるイタリアンのお店がカジュアルに食べられるように創作したランチプレートとか、あるいは某有名焼き肉店が提案する韓国王宮料理をアレンジした丼とか   。さしずめそんなところをイメージされるのではないか。

年末のこと。ちょっとした用事があって久しぶりに六本木に出かけ、そのまま麻布十番商店街をぶらぶら歩いていたら、突然その「麻布ライス」が食べたくなって店に飛び込んだ。「店」とは、焼き鳥で有名な『あべちゃん』である。

で、こちらその「麻布ライス」。

Azabu  

そう! モツ煮丼なのです。いや~ぁ、セレブ感ゼロ!(笑)

とはいえ、その味は決してバカにできるものではない。濃い目で甘味の強いタレが丼飯にほどよく浸み込んで、思わず掻き込んでしまう絶妙な味。80年にもわたって守り続けられた伝統には、やはりそれなりの重みがある。

Shirai  

今も昔もモツ煮が牛丼にも匹敵する競馬ファンのソウルフードであることに変わりはない。大井では『ふか河』が人気だが、ここ川崎には『志ら井』がある。1950年の川崎競馬場開設と同時にオープンした老舗だ。

そんなわけで、今日は川崎でモツ煮丼。

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こちでは牛モツとコンニャクのみで、野菜は加えないのが特徴。シンプルといえばシンプル。だが脂身豊富なモツの、そのトロけるような旨さを味わえば、「これでいいじゃん!」と大きく頷いてしまう。もちろん臭みなどあるはずもない。

創業以来継ぎ足してきた煮汁に3種の味噌をブレンドしたその味わいは、まさしく川崎競馬の歴史そのものだ。一口食べるごとに、キヨフジやロジータといった川崎の名馬たちが、頭の中を駆け巡る……かどうかは食べる人次第だろうが、私は昔ここでモツ煮丼を食べてる最中に、「ホレ、祝儀だ!」といって店員に札束を渡したオジサンがいたことを思い出した。おそらく2~30万はあったのではないか。むろん最近はそんな人を見かけることはない。昭和のまま時計が止まったような競馬場ではあるが、やはりそれなりに時代は移り変わっているんですね。

 

 

 

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2012年1月 5日 (木)

正月の場外

諸事情これありで朝から府中に行かねばならず、馬も走っていない東京競馬場にやって来ました。

Kanban_2  

2012年の初JRAが場外というのはいかがなもんでしょうかねぇ…。不謹慎かなぁ、と思わないでもないのですが、中山に行く時間はないのだし、かといって頼まれ馬券もあるし、もう仕方ないです。入場時にハンドタオルも貰えたので、ヨシとしましょう。くどいようですが、今年は近代競馬が始まって150周年です。

150  

こんなところに凍結防止剤が山積みになっているのも、真冬の場外ならでは。

Cacl2  

月末の開催を待つ馬場は芝生の養生真っ盛り。寒さと相まって雪のようにも見えます。

Turf  

外に出ても馬がいるわけではないので、大半のお客さんは寒さを避けてスタンド内にいるのですが、9時過ぎの時点でウエストホールはご覧の賑わい。まるでGⅠ当日のような壮観な光景です。

Stand1  

よくよく見たら、ホールに椅子が設置されているではありませんか? あれ? これ、前からそうでしたっけ? JCんときはみんな床に座っていたような気がするんだけど、こと場外時には、これは助かりますね。

Stand2  

場外と言えば、埼玉県の上田知事が、年頭の記者会見で「ウインズ浦和」の設置見通しに言及しました。先月運用を開始した「ウインズ川崎」同様、浦和競馬場の施設でJRAの馬券を売るスタイルで、2月中旬にも農水省の認可が降りる見込みとのこと。まずは日曜のみでJRA馬券発売を行うようですが、土曜に売らないというのは、若干混乱を招きそうな気もしますね。どうなんでしょう。

たかが「場外」とはいえ、埼玉県内にJRA場外発売施設ができるのは実は初めてのこと。限定的とはいえターニングポイントとも言えます。「ファンにとってありがたく、経営管理上もうれしい話」という知事の言葉通り、皆がハッピーになれるよう話が進んでほしいですね。

 

 

 

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2012年1月 4日 (水)

【近代競馬150周年③】根岸競馬場

1864年、幕府と居留民は「外国人のために競馬場を設置すべき」という旨が盛り込まれた「横浜居留地覚書」を締結。幕府自らが根岸の高台に競馬場の建設を進めることを約束した。そして2年後の1866年9月、薩長同盟が結ばれたこの年に、ついに居留民が待ち望んだ「恒久的なレースコース」が完成する。同時にこれは、日本初の本格的な洋式競馬場でもあった。

1周約1マイルの右回りコース。スタート直後のコーナーを曲がると、そこに待ち受けるのは急な下り坂。しかるのち、向こう正面までは上りが続く。まるで中山障害コースのような自然の地形を生かしたコースで、それゆえ馬の能力よりも乗り役の技術がモノを言ったとされる。

1923年には横浜市内の輸入商・アイザックスが理事長に就任。その年の9月に発生した関東大震災ではスタンドが倒壊するなど大きな被害を受けたが、アイザックは東京の丸ビルなどを手掛けた友人のJ・H・モーガンに新スタンドの設計を依頼。今もその面影を残す大観覧スタンドは、震災復興のシンボルとなり、昭和に入ると競馬場の賑わいはピークに達した。

作家の吉川英治は根岸競馬場に通い詰めた一人。その著書「かんかん虫は唄う」の中で、競馬場に続く沿道の賑わいをこう書いている。

その道筋には、殆ど蟻の行列のような夥しい人間の流れが動いてゆくのが見える。馬車、パラソル、二人曳の腕車、その中に高く見える騎馬巡査の帽子、その路傍に押しつぶされかかっている風船売りの風船玉、すべての喧噪と色彩とが一つになって流れている。

言うまでもなく菊池寛も根岸を愛したひとりだ。彼は根岸競馬場の馬主会への入会を強く望んだとされるが、その夢はかなわず、結局新潟馬主会で馬を持つこととなった。大作家で、しかも文芸春秋社や大映の社長である人物の希望でさえも届かない。それが根岸の格式だったのである。

だが、そんな格式も戦争には勝てなかった。1943年、「スタンドから横須賀の軍港がまる見え」という理由から、機密保持のために海軍に接収されてしまう。眺望で人気を誇った根岸競馬場は、その眺めの良さ故に閉鎖の憂き目を見た。

今では、その跡地の大半は広大な公園となっている。ジョギングをしたり、花を眺めながら散歩したり、子供たちがボール遊びをしているその場所は、かつての競馬場の内馬場だ。だが、そこからコースの面影を見い出すことはできない。

この根岸を競馬場として復活させようと動きも、実は何度かあったのである。たしかつい十年前ほど前にもあった。皐月賞の歴史が始まり、帝室御賞典も行われたこの競馬場は、やはり特別な存在なのだろう。だが、さすがに実現には至っていない。かつて威容を誇った根岸のメインスタンドも、今では建物の前に案内板が立つだけで、立ち入りを禁じられている。

(この項終わり)

 

 

 

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2012年1月 3日 (火)

【近代競馬150周年②】居留地競馬

1860年といえば桜田門外の変が起きた年である。その半年後には、現在の横浜元町界隈で日本初の近代競馬が行われていた。

さらに1862年といえば寺田屋騒動が起きた年である。京都で我が国の歴史が激しく動こうとしていた時、横浜では「レースクラブ」が設立され、本格的な競馬が行われるようになっていたのである。

これを「本格的」と呼ぶにはそれなりの理由がある。まず、当日の競馬番組表が残されていること。それによれば、初日5レース、2日目7レースの2日間開催。速歩、障害、平地競走の三種類が、600~2500mの幅広い距離で争われたとある。負担重量は馬の体高にあわせて定められ、ハンディキャップレースも行われたというから、現在の競馬と比べても遜色はない。「本格的」と呼ぶに十分だ。

当時、横浜の外国人居留地で発行されていた英字新聞「ジャパン・ヘラルド」には、競馬に関するニュースが盛んに掲載されている。それによれば、横浜レースクラブが主催する競馬は、居留地に編入されていながら、まだ空地だった旧横浜新田にコースを造って行われることとなった。だいたい今の中華街界隈である。

だが、そこには造船所や食肉業者など3軒の家が立っていた。ジャパン・ヘラルドの記事は、「コースが狭くなるのを避けるため、コースは3軒の家の外側に設けよ」と主張している。そうなればその3軒は走路の内側に閉じ込められ、コースを横切らなければ出入りできなくなってしまう。笠松競馬場の畑よりも凄いことになりそうだ。

英国人の競馬好きも、さすがにここまでくると度が過ぎたのであろう。神奈川奉行が許可したコースは、もちろん3軒の家を避けてその内側に設けられた。だが、このコースでの競馬は、結局一回限りで終わってしまう。旧横浜新田の造成工事が完了し、本来の目的である宅地とされてしまったのである。

コースを失った居留民たちの競馬は、英国軍キャンプ地や射撃練習場などを転々としながら行われることになる。こうした背景から、「横浜に恒久的なレースコースを」という思いが、居留民たちの悲願となりつつあった。

(明日付に続く)

 

 

 

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2012年1月 2日 (月)

【近代競馬150周年①】競馬の起点

今年は横浜で近代競馬が行われるようになってから150周年の記念すべき年ということで、JRAでは年間を通じて各種の記念事業を展開することになっている。

横浜が開港したのが1859年7月1日のこと。その4日後には、現在の神奈川区役所近くの浄滝寺に英国領事館が開設されている。外国人による日本初の競馬が開催されたのは、その3年後の「1862年」というのが定説だった。だから今年2012年が「150周年」ということになるのである。

ただし、「海外でドイツ人が最初につくるのは道路。フランス人はカフェで、イギリス人は競馬場」と言われるほど競馬好きの英国人にしては「3年」というのは遅すぎやしないか。 そんな疑問が、以前から研究者の間で話題になっていた。

果たしてもっと早い記録が発見されたのである。それによれば、日本における競馬の起点は1860年にあった。その詳細は13年ほど前に「週刊競馬ブック」誌で詳しく紹介されている。

この発見は、競馬の埒内に収まるものでは当然なく、幕末から明治にかけての、いわゆる文明開化や舶来事物の研究、横浜市史など、多方面に影響がある一大快挙である。ただ、発表の場が競馬専門誌だっただけに   週刊競馬ブックがきわめて優れた出版物であることとは別の問題として   広く世間の目に留まる機会は限られてしまっているかもしれない。だとしたら、もったいない話である。

小ブログごときに競馬ブックの補完が務まるとは到底思えぬが、それを承知で敢えてここでも訴えたい。横浜開港から1年あまりの1860年9月1日に、現在の元町付近に半マイルの馬蹄形コースが造られ、競馬が行われていたことは間違いない。尻込みする馬がいたり、あらぬ方角に走り出す馬もいたり、騎乗者を振り落としたりする馬もいたりしたとされるが、それでも「愉快な催しだった」という記録が残されている。

だから、実際には今年は近代競馬発祥から152年目ということになってしまうわけだが、本格的な主催組織「横浜レースクラブ」が発足し、現在の中華街一帯に新たなコースが造成され、さらに開催プログラムが公に発表されるような競馬運営が始まったのが1862年であることには変わりはない。JRAのスタンスとしては、「愉快な催し」はさておき、組織化された競馬こそが正しい競馬の起点であるということだろう。そういう意味での「150周年」なのである。

(明日付に続く)

 

 

 

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2012年1月 1日 (日)

2012年最初のレース

新年あけましておめでとうございます。初日の出は見られましたでしょうか? 私は、目が覚めたらもう10時過ぎてました(笑)

さてさて、ケイアイゲンブの勝利で2011年を締めくくった昨夜のおおとりオープンから18時間。今、私はどこにいるのかというと……、

01  

どこでしょう?

02  

あそこかな?

03  

いや、まさか?

06 

でもやっぱり?

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川崎競馬場でした(笑) いや、でも遊びに来たわけではないんですよ。撮影を頼まれた馬が、よりによって元日の1レースに出走するという、不幸な番組決定のあおりを喰っただけのことです。

「“一年の計は元旦にあり”というが、競馬ファンにとっては“一年の計は金杯にあり”だ」なんていうフレーズを目にしたり耳にしたりすることが多い時期ですけど、川崎はこうして元日から競馬やってんだから、“計”はやっぱ元旦でしょう。まもなく2012年最初のレースが始まります。

かつては、大井、船橋、浦和の3場が持ち回りで開催してきた正月開催ですが、川崎だけは川崎大師と箱根駅伝による交通の混乱を理由に見送られてきた経緯があります。しかし、競馬の入場者数が減少の一途をたどる昨今では、競馬開催が交通に影響を及ぼすこともなく、むしろ初詣や駅伝観戦とセットで競馬も楽しんでもらおうという趣旨で正月の川崎開催が固定化されました。迎えて今年が6年目。ぼちぼち正月の風物詩と呼べるようになりましたかね。バスに乗っていた灰色オヤジたちの評判は、おおむね良かったようですが。

「お正月」だ「元旦」とかいう言葉を耳にしながらも、私個人は大井から川崎への開催変わり程度の感覚しか持ちません。両日とも競馬場に行ってりゃ、大晦日も正月もないわけです。ただ、今年に限って言えば、昨日を最後に閉店するお店があったり、新年から人の入れ替えがあるお店があったり、まあ飲み食い絡みばかりなんですけど、私の生活に大きく影響する事態が起きたので、「ああ、正月って結構節目なんだな」としみじみ実感しております。

さて2012年最初のレースは、4歳馬の最下級条件戦。つい12時間前までは「3歳」だった馬たちのレースです。こんなところでも正月の節目を感じますね。それにしても、まあ、なんと言うか、正月早々凄い番組ですよね。ひと昔前の呼び方なら「5歳未勝利戦」ですよ。

07  

そんなこんなで迎えた2012年最初のレースは、池田孝厩舎の1、2、3着独占という衝撃の結末に。これが一年の計だとしたら、今年の池田厩舎はとんでもない活躍が期待できそうですね。

それでは皆様、今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

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