夏の入院
埼玉県の春日部に来ている。
重賞ゴールドカップの行われている浦和競馬場まではクルマで30分もかからぬ近さ。とはいえ、見舞いやら何やらで来ている以上「ちょっと競馬に…」と席を外すこともできない。ただ、これ以上ストレスを溜めると私が入院してしまうことになりかねないので、「たかだか浦和のSⅢ」と無理矢理自分に言い聞かせることにした。だが、決して無視できるタイトルではない。勝ったノースダンデーには、是が非でもサンタアニタトロフィーに出走してきていただきたい。
5Fにある病室の窓からは夏の曇り空が見える。雨は落ちていないが、蒸し暑さは尋常ではない。浦和競馬場はどうであろうか、とまた競馬に心が揺らいだ。
「入院」とか「見舞い」とか言うと、そこに夏の記憶が重なるのは、いったいなぜであろうか。
生前の野平祐二氏が入院生活を送られたのは、たしか今ぐらいの季節。新装なった新潟競馬場の開催を間近に控えた頃だった。ある夜、不意に自宅の電話が鳴り、出ると受話器の向こうからいきなり「死ぬかと思いましたよ」と聞き覚えのある声が聞こえて、こっちがひっくり返った覚えがある。聞けば、体調を崩して入院しているのだとおっしゃる。
後日面会させていただいた時には、サンケイスポーツ紙が主催する「祐ちゃんと行く新潟記念ツアー」をことのほか楽しみにされていて、そのためのYシャツを新調されたことなどを楽しく話されていた。
が、残念ながら、祐ちゃん先生はそのYシャツを着ることなく、この世を去ってしまった。新潟記念まであと3週間。無念である。後日、祐ちゃん先生の娘さんがそのYシャツを着て新潟競馬場に現れると、周囲の人たちはまた涙した。
私自身、真夏の2週間を病院のベッドの上で過ごした経験がある。1992年の夏のこと。入院したのがバルセロナ五輪の開幕日で、退院したのが閉会式の翌日だったものだから、私が13泊15日間の「バルセロナ五輪観戦ツアー」に出掛けていたと信じて疑わぬ人もいた。
しかし、国内にいたとはいえ、夜中は遠くバルセロナで行われている競技の生中継に没頭し、昼間は眠っているか競馬中継を見ていたことに違いはない。ために私の記憶の中では、フェザーマイハットと聞けば岩崎恭子さんを連想するし、有森裕子と聞けばなぜかスプライトパッサーの勝った関屋記念を思い出す。
「入院」「バルセロナ」「スプライトパッサー」。これら一見なんの関連性もなさそうなキーワードが、私のアタマの中では同じ引き出しに入っている。記憶って不思議だ。
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コメント
5Fにある病室の…
「5階」ではなく「5ハロン」と読み進めた僕は
こちらの訪問者として正しいに違いない。
昨日まで短期入院していた僕に残された記憶は
「入院」「浦和」「ノースダンデー」
投稿: BB☆ | 2009年7月 2日 (木) 12時34分