WINS渋谷への大冒険
今日も見舞い。なので入院の話を続ける。
昨日付で書いたように、1992年の夏に、私は半月ほど入院生活を送ったことがある。夜になれば五輪中継があるが、点滴と検査の時間を除けば、昼間はまったくと言って良いほどやることがない。せいぜい、夜ふかしに備えて寝る程度。それも入院患者の行状としては、あまり褒められたものではない。
だから、土日の競馬は何よりの楽しみだった。
金曜の夜に来てくれる見舞客には、「花も果物もいらぬから、競馬専門紙を買ってきてくれ!」とあらかじめお願いしておき、翌朝までに全レースの予想を済ませて、知人に馬券購入を依頼する。昼過ぎになるとその知人が頼んだ馬券と翌日の新聞を買ってきてくれた。
そのなんと楽しかったことか。
念のために書いておくけど、今のようにネットで出馬表をチェックして、携帯でピッピッと馬券が買える時代ではないですよ。ネットも携帯もなかった当時、馬券を買うという行為は、少なくとも今ほど簡単ではなかった。
私が入院時に新潟で勝った馬の名は今も忘れない。関屋記念のスプライトパッサー、BSNオープンのフェザーマイハット(2着は大井のジョージモナークだった)、後にクラフトマンシップやクワフトワークの母となるワーキングガールも勝ったし、夏ということでミュゲルージュ、カンセイヒカリ、ワンモアラブウエイといった牝馬の活躍も目立った。
ただ、入院生活も2週目になると「オッズを見て買いたい」という衝動にかられ始めた。件の知人も今週末は忙しくて来てくれそうにない。
そこで私は意を決して、自らWINSに向かうことにしたのである。これはある意味冒険だった。
外出は許可されていない。が、そうと決めたら行かないわけにもいかない。私のいる病院は白金にある。バスに乗ってしまえば、並木橋のWINSまで10分ほどの距離。「どうにかなるだろう」とタカをくくって出かけ、思う存分馬券を買い、ちゃんと翌日の新聞も買いそろえて帰宅(帰院?)したら……、みんな大騒ぎで私を捜していた。
いやあ、怒られましたね。気のせいかもしれないが、その夜の点滴では、もの凄く痛いトコロに針を刺されたような気がする。
今は、そんな冒険をせずとも、携帯ひとつあれば簡単に馬券を買える時代である。むろん便利になったことは間違いない。だが、あの夏の日、病院を抜け出してバスに乗り込んだ時の、あのなんとも言えぬ高揚感は、そんな利便性ごときで購えるものではないと思うのである。
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