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2009年2月28日 (土)

春の雨は大敵

ようやく晴れましたね。

今週はずっと雨。昨日は本格的に雪も舞ったので、さすがに今日の中山の芝コースは重馬場でのスタートを余儀なくされた。

それにしても、この時期の中山ほど芝の状態に神経を使う開催はないのではないか。 

その最たるは2連続開催の最終日に組まれる皐月賞である。馬場状態を理由に有力馬が回避することが年中行事にもなったクラシックレースは、もはやダービーのいちステップレースと言っても過言ではない状況に追いやられている。

Satuki  

「菜種梅雨」の言葉通りこの時期は雨が多く、開催の冒頭から道悪を余儀なくされれば、開催後半に芝のダメージを回復させるのは容易ではない。東京のようにコース幅が広い競馬場では最大13メートルもラチを移動できるため馬場の負担を分散できるが、狭い中山でははそうもいかない。

90年代初頭からJRAの芝コースは野芝と洋芝を併用しているが、洋芝は成長力が強く、併用すると野芝は弱っていく。だが、寒さには強い洋芝も野芝のように水平方向に根を広げてがっちり地面を掴むようには生えてくれない。ために雨で緩んだ馬場を蹄鉄を着けた馬が走れば、芝は根こそぎ掘れてしまう運命にある。洋”芝”という呼ばれ方をしているから隙間なく生え揃ったフカフカの芝生をイメージされる方もいるが、実際には牧草地とか”原っぱ”をイメージされた方が近い。

Shiba  

「せめてGⅠレースだけは良い馬場でやらせてあげたい」

よく耳にする言葉だが、今のレーシングカレンダーではなかなか難しいのではないか。

もっとも端的な実現方法を挙げるなら芝のGⅠレースを開幕週に集中させればよい。が、その実現の前には「営業戦略」という大きな壁が立ち塞がる。実際、開幕週に行われている芝のGⅠレースなど皆無。かくして、本来なら馬の真の能力こそが問われるべきチャンピオンシップにおいて、毎度のごとく「コース取りによる有利不利」がことさら重要視されるレースが繰り返されることになるのである。

 

 

 

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2009年2月27日 (金)

川崎昼間開催最終日

川崎は開催最終日。今開催は雨に祟られっぱなしでしたな。主催者ならびにユキチャンとユキチャンファンにはお見舞い申し上げる。

Furyo  

そのユキチャンはエンプレス杯の反動がことのほか大きかったようで、登録のあるダイオライト記念はパス。4月のマリーンCまで厩舎で調整とのこと。聞けば普段の調教では物凄くテンションが上がるタイプらしく、ユキチャンが角馬場に現われると他の馬たちが避難するほどだという。放牧ではなく自厩舎の調整をチョイスするのには、あまり環境を変えない方が良いという判断だろうか。まあ、ユキチャン回避のおかげでダイオライト記念は平穏に行われることになりそう。

エンプレス杯を勝ったニシノナースコールはこれでめでたく繁殖入り。引退予定のレースを期せずして勝ってしまったことで、急遽現役を続行することにした牝馬の例を最近聞いたばかりだが、今回のニシノナースコールはそのような話には至らなかったわけだ。まあ、あの調教師のことだから、たとえ馬主が「やっぱもうあと1年」と言い出したところで丁重にお断りしたものと思われる。

現役を引退したばかりの牝馬の場合、すぐに種付けできないとか、種付けしても受胎しないといった話も聞くが、私がこれまで見聞きしてきた限りでは「その馬次第」ではないか。以前のようにガンガン注射しながら競走生活を送る馬も減ってきているし、1~2年身体を遊ばせてからいざ繁殖に入ろうとしても、今度は余計な肉がついてしまってそれが出産に悪影響を及ぼすこともある。そう思えば、ニシノナースコールのようなケースは理想的だ。要は個々の馬ごとにちゃんとした計画を立てて、あとはそれを実行できるかということに尽きる。

 

Hina  

ところで今やすっかりお馴染みとなった川崎のコスプレ誘導馬であるが、今開催のテーマはご覧の「ひな祭り」でした。次開催は何で来るのだろう?

Hina2  

なんて思ったら、次の川崎は早くもナイター開催ですよ。奥さん!

季節の移ろいの早さには驚かされるわけけど、それとて例年のこと。次開催、ナイターの光線の下で、首尾よく口取りといけるだろうか。

 

 

 

 

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2009年2月26日 (木)

ナマラスゴイ8戦目

Kawasaki冷たい風に時折小雨が交じる空模様に観客もまばら。昨日とはうってかわって寂寥感溢れる川崎競馬場でござる。う~、寒い。

9レースのフェブラリーフラワー賞にナマラスゴイが出走するのである。「私が見に行くと勝てない」という不名誉なジンクスが生まれる前にぜひとも口取りを!と心に期して、ジャケットにネクタイ着用でやってきた。

馬場状態は引き続き不良のまま。そうだろうとは思っていたけど、あらためてガッカリ。おそらく(どうせ)ナマラスゴイは後方からの競馬になる。後ろから行って届くような馬場ではあるまい。そう思えば1400mへの距離短縮も恨めしい。

その割には新聞各紙のナマラスゴイの評価は総じて高めに映る。いや、実は競馬場に来て新聞買ってみるまでは、せいぜい5~6番人気だと思ってたので3番人気という現実に多少狼狽えてしまった。「こりゃ、ジャケットじゃなくてスーツだったか?」などと余計な後悔をしたりする。

そんなわけでパドック。

Sugoi1  

馬体重463キロはマイナスの4キロ。今回は浦和を挟んだので中1週のローテならこんなもんか。グッと首を下げて気合いが乗っているように見えるのだけど、本当のところは分からない。とにかくレースでは気を抜く、というか力を抜くところがあるので、彼の場合は体調云々、相手云々を言うよりもまず真剣に走るかどうかの戦いになる。

 

スタートは若干の出負け。

Sugoi2  

その一瞬の隙を突いて外から締められてしまった。この馬場状態であればこそ、スタート直後の位置取りが生死を分ける。ダテに3000勝してないですな。

Sugoi3 

ともあれ後方からの競馬を余儀なくされたナマラスゴイは、砂まみれで1コーナーへ。

Sugoi4  

向正面で一気に仕掛けて先頭集団に取りつき、4コーナーでは外から一旦は先頭に立って盛り上げてくれたが、「それで勝てるようならここにはいねぇよな」と瞬時に醒める。案の定ズブズブズブっと3頭に差されて4着でゴール。

Sugoi5  

今日に限って言えば、馬の反応はこれまでよりも良かったように思う。「私が来て勝てない記録」は継続されるものの、1600mなら次あたりは上手いこと行くんじゃないかと楽観的に思えた一戦だった。

 

 

 

 

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2009年2月25日 (水)

【良品薄命②】その”良さ”故に

「良いほど無くなりやすい」という宿命は、何も店に限った話ではない。「良い雑誌」というのもまたその良さに応じて消えやすい運命にあるような気がしてならない。

昨年末には『週刊読売』の流れを汲む老舗『ヨミウリウィークリー』が廃刊に追い込まれた。

Yomiuri正式発表は「休刊」とされてはいるものの、事実上の「廃刊」に他ならない。若き日の原良馬氏がルポライターとして健筆を揮い、寺山修司氏の筆による『墓場まで何マイル?』は氏の絶筆ともなった。代々の編集長が「競馬好き」という共通項を抱えていたおかげか、一般雑誌の割には競馬ネタが多かったように思う。

さらに「良い雑誌」ということであれば天下の名誌『優駿』にも触れておかねばなるまい。私もかつて何度かお世話になった。間違いなく今のJRAの繁栄を後方から支えた一冊である。

だが、かつての超優良媒体も今では凋落著しい。書店で手に取ってみればレープロの如き薄さに驚き、パラパラとページを繰って見れば内容の薄さに声を失う。やや言葉が過ぎるかもしれないが、かつての良さを知っていれば、ごく当然の感想だと思うが…。

書いていて今から20年近く前、とある雑誌が廃刊になってしまった直後のことを思い出した。その雑誌の編集に携わっていた方と食事をする機会があったのである。

その席で私は「めったにない良い雑誌だったのに(廃刊)は残念ですね」と言った。特に他意はない。本当に良い雑誌だったし、本当に残念に思っていたのだ。

しかるのち相手は箸を置き、真顔になって「そういうことは言うもんじゃない」とかなり神経な口調で諭すように話したのである。

しかるのち私はかなり戸惑った(当たり前だ)。良い雑誌がなくなったことを悔やんだところで、いったい何がいけないのだ?

が、直後に自分の失策に気づく。一言で言ってしまえば「何を今さら」であろう。何かが消えてしまわぬよう、懸命の努力を重ねてきた人に対して、何の助力もしなかった人間が「消えて残念」などと軽々に口にしてはいけないのだ。

話はぐっと飛躍するが、数年前の地方競馬廃止ドミノ現象に際し、「上山競馬場はとても良い競馬場だったのに…」とか「高崎が無くなって残念」という言葉があちこちから聞こえる度、私は件の編集者に言われた言葉を思い返すことになった。

おそらく競馬場が無くなって本当に悲しいのだろうし、本当に良い競馬場だったと思っていらっしゃるのだろう。それは分かる。分かるが、私の思考のポイントはまったく別のところにあった。

Kaminoyama  

鮨店であれ雑誌であれ競馬場であれ。なんであれ良いものは、その良さゆえに早く無くなっものである。それをそのまま飲み込まなくては、上手く生きていくことなどしょせん不可能なのだ。

そういうこと。

 

 

 

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2009年2月24日 (火)

【良品薄命①】良い店の定め

カレーの老舗、神田の『ガヴィアル』が店をたたんでしまうのだそうだ。一応「移転」ということにはなっているけど、移転先は未定とのこと。果たしてどうなるか。

 

長いこと生活をしていると、「合理的な理由を抜きに『そういうもの』と諦めなければならない物事が、この世の中には満ち溢れていること」に気付くようになる。むかし流行った『マーフィーの法則』などもその一端。理不尽なことは人の印象にも残るから、どうしても多いと感じてしまうのだろう。

そんな私の中の法則に「良い店ほど無くなってしまう」というのがある。

ここで言う「良い店」とは単に「旨い」とか「安い」などという単純なパラメーターで計られるものではない。味や品質はもちろんのこと、店構え、店主の気概、客層、そして何よりスタッフ全員の志。こうした要素が複雑に絡みあういわばその店自体が持つポテンシャルの問題に帰着する。要は、その店が自分に何を与えてくれるかってコトです。

だからいくら安くて旨くても、行くに値しない店はゴマンとある。また、数少ない「良い店」にしても、複雑なパラメーターのバランスが一つ崩れただけで、一瞬にしてダメになってしまう例を私は幾度となく見てきた。

スタッフ一人が欠けただけでも店の雰囲気がガラリと変わってしまうことはよくあるし、店舗改装を境に足が遠のく例もあった。「良い店」が軒を構える通りには、大勢の悪魔が潜んでいるような気がしてならない。それは、平安の都大路を闊歩した鵺のような妖怪かもしれないし、味も風情も何も分からぬ社用族かもしれないし、あるいは正装に身を包んだタイヤ会社の調査員かもしれない。

以前、蒲田に「良い」と思える鮨店があった。

Sushi大井競馬場から程よい距離にあることから、開催のたびに足を運ぶほど馴染ませてもらっていたのだが、スタッフが一人が増えたのを境に店の雰囲気が致命的なほどに変わってしまったことがある。味は以前と変わりはない。新しくいらした方も   若干歳を召してはいたが   気さくな好人物だった。なのに、その店に入るたびに「落ち着くことができない」ことが気になって仕方ないのである。

結局かつてのような親密な空気を取り戻すことができないままついにその店に行くことはなくなり、店自体も数年前に閉じたと聞く。私も今では大井からの帰りには、自由が丘や八雲に顔を出すようになった。

ただ、そこが店であり、すなわち人が働く場所でもある以上、こうしたことは日常茶飯事。その店が未来永劫その店のままであることなどあり得ない。

先日、とある寿司職人の方と酒を飲む機会に恵まれた。世にも貴重な「良い店」の一員である彼と酔って話すうち、そこには彼ら料理人の都合があり、哲学があり、人生があることに気付かされたのである。それを思えば、店の移転、コンセプトの変更、そして何より重大な人の移り変わりといった問題は、避けて通れない。その結果として貴重な「良い店」がまたひとつ失われるようなことになったとしても、大袈裟に嘆いたりせず「良い店ほど早く無くなってしまう。世の中とはそういうもの」と受け入れる他なさそうだ。

 

 

 

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2009年2月23日 (月)

勝ち目の無い勝負

今年に入ってからまだ馬券というものを買っていなかったのだが、昨日は家を出る前から「今日は馬券を買うぞ」と決めていた。今井寿恵カメラマンの通夜の日に写真も撮らない馬券も買わないでは、なんつうか「失礼」にあたるような気がしたのである。

ところが、困ったことが。

カネヒキリとヴァーミリアンの7歳2頭はハナっから”切り”と決めていたので、買い目を決めるのは簡単だろうと思ったのだが、いざ買うとなるとそうはいかなかった。3~5番人気のカジノドライブ、フェラーリピサ、エスポワールシチーを見るのが、実は初めてだったのである。

Image3  

レースのVTRもちょっと前の場内のモニタで見たばかりなので、どうにもイメージが沸かない。どれを軸に据えようかと思い悩むうち、発走時刻が迫ってしまい、結局分からないまま3~7番人気の5頭の3連単BOX(60通り)という極めて雑な買い方になってしまった。

Casino私はBOX馬券は敗北主義だと思っているので「とにかく1頭を選ばなければ」と、悩んだ末にカジノドライブをチョイス。今井カメラマンがその生涯の最後に追いかけた馬である。こうして、余計な単勝馬券も1枚加わることになった。

結果は周知の通り。

カネヒキリが3着に食い込んでいなければ3連単が当たっていたことになるが、それで「当たった」という実感が湧いたかというと疑問が残る。もし、カネヒキリとヴァーミリアンを買って、しかもその2頭で決まってりゃハナシは別だけどね。要するに昨日のフェブラリーSで私が金銭的な意味においても、形而上的な意味においても、「勝利」を得られる余地は無かったわけだ。

本日は今井カメラマンの告別式であった。

カジノドライブの単勝馬券を香典の封に忍ばせてみようかと思ったけど、どうせやるなら当たり馬券だよな、と思い直して自重。向こうで祐ちゃん先生と再会を果たして「ホラ見て。相変わらずこんな下手な馬券買ってんのよ」なんて報告されたらたまったものではない。

馬券、当たんないなぁ。しかも当たっても、ただ当たりゃ良いってモンでもない。難しいですね。

 

 

 

 

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2009年2月22日 (日)

シンボリクリスエスの血

諸般の事情これありで、朝9時過ぎには東京競馬場に到着した。客の出足は思っていたよりも早いようで、ラチ沿いやパドック周りは既にビニールシートの花が八分咲きといったところ。

暖かい陽気は有り難いが、そのぶん花粉も舞っているわけで素直には喜べませんな。

Image1 

早く来た目的は1レースにあったわけだが、そのレースが終わってしまったら何もやることがなくなってしまった。

暇……。

メインのフェブラリーSの発走までは、途方もなく時間がある。一旦帰宅することも真剣に考えたが、電車賃も惜しいので、とりあえず競馬場の敷地内をひたすらウォーキングすることに。競馬博物館に行き、内馬場をぐるりと巡り、西門に達する頃には結構な距離を歩いた。これで少しは運動不足解消になるだろか?

いい加減歩くのにも飽きたので7レースのパドックに顔を出すと、知人の顔が見えたので立ち話。今井カメラマンのこととか、シンボリクリスエスの子が思うように走ってくれないとがそういう話ね。ようやく競馬場らしくなってきましたな。

その勢いのまま記者や馬主と立て続けに挨拶を交わすのだが、みな口を揃えて「今日は世代交代だよ」と言う。それで「じゃあ何が勝つの?」と聞くと全員がそれぞれ違う馬の名を挙げるから面白い。世代交代を期待しているだけでなく、7歳2強に関する様々な不安情報が飛び交っている模様。まあ、7歳馬ともなればか「一点の曇りもない」なんて状態でレースを迎えることがそもそもあり得ない話で、こうした噂や憶測の類は出てきて当然ともいえる。

ようやく迎えたフェブラリーSのパドック。

終わったあとだから書けることであるとしても、ヴァーミリアンは正直ガッカリのデキ。捲土重来を期して来たと行ってコレ?と言葉を失う。噂は噂の域に留まらない。

しかしあとの15頭は似たり寄ったりで、しかもこのあと勝つことになるサクセスブロッケンは、私が好きではないパシュファイヤーを着用してきたので印象ゼロ。まあ、顔なんて気にせず馬体だけに集中すりゃ良いんだろけどさ。写真撮ってるとそうもいかないのである。

で、レースはそのサクセスブロッケンが印象たっぷりの勝ちっぷり。いやぁ、シンボリクリスエス産駒、ついにJRAのGⅠ獲ったじゃないですか! 先週のモンテクリスエスに続いて、いよいよシンボリクリスエスの血が爆発だろうか。

Feb2009  

それにしても、ウチパク、アンカツ、ルメールの名手三つ巴の追い比べはかなりの見応えがあった。ウチパクさんは、ああいう形に持ち込んだら必ずモノにしますね。来週にはもう新人騎手がデビューするわけだが、その直前のGⅠレースでJRA競馬学校卒業生が揃って討ち死にとは情けない。掲示板に載ったのが佐藤哲三騎手だけというのは、ちょいと悲しい結末だと思うのである。

 

 

 

 

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2009年2月21日 (土)

匿名

このブログは元々『競馬雑記帳』というタイトルにしようと思っていた。

以前私は毎日の競馬が終わるたびに日誌のようなものをノートに記していた。レースを見ながら感じた印象や、負けた瞬間に込み上げる後悔の念などは、時間が経てばことごとく忘れてしまう。それでは馬券の的中など覚束ないから、馬券の収支、パドックの印象、あるいは出遅れ出負けの馬などを丹念にメモしていたのである。

そのうちに備忘の意味も込めて、何時の電車に乗って何時に着いたとか、どこで何を食べたとか、誰々に会ってどんな話をしたとか、一見馬券とは何の関係もなさそうなことまで子細に書き連ねるようになった。まさに「雑記帳」である。

そのうち、メモの羅列ではあまりに芸がないことに加え、脈絡のない断片的な文字列であるが故に書いた自分ですら読み返そうとしていない事実に気付き、どうせなら人様に読まれることを意識してちゃんとした文章を書いてやろう   。そう思って始めたのがいま皆さんが読んでくださっているブログにほかならない。

私に“雑記のススメ”を説いた人物が某新聞紙上に持っていたコラムに「競馬雑記帳」という題名を使ってしまっていたことから、2番目に考えていた「競馬サロン」というタイトルを掲げて2005年9月の日本テレビ盃当日に当ブログはスタート。以来3年、長短含めて1200余件の記事が書き蓄められ、多いのか少ないのか分からんが通算アクセス数は100万を数えた。

   あ、断っておきますが、「今日のこの記事でこのブログは最終回」とかいう話ではないですよ。本題はこの先。

Gold  

匿名での開設は、好きなことを書けなくなることへの危惧というよりは、もとより自分のための“雑記”でしかないという気持ちが強いからであり、さらに記事の大半は移動中の電車で携帯から打ち込むため、不正確な記載が含まれる可能性を孕むことも匿名の理由のひとつに加わる。

ためにこのブログを私がやっていると人に紹介したことはほとんどない。内輪のPOG仲間9人の他には10人といないはずで、酔った勢いで誰かに喋っていたとしても30人には届かぬはずである。開設して1年ほど経った頃に「●●さん(私の名前)のブログ見つけました」というお話をいただくようになったが、それはつまり普段の私を知っているいわば“身内”で、匿名性は保たれていると思い込んでいた。

しかしそれも限界に達した感がある。いや、明確にそう思える事態があった。もちろん良い話ではない。迷惑がかかる人がいるので詳しくは書けないけど。

言うまでもなく、てめえの身元が割れるようなことを書いた私に全責任はあるのだが、「その日あったことを漏れなく書き連ねる」というスタイルと貫けば身元に繋がるのは仕方ない。それにしても、この業界の狭さは驚くばかり。犬も歩けば競馬関係者にあたる。

「狭い」だけではなく、この業界の人間関係は極めて複雑でもあることか問題に拍車をかけた。

つい昨日まで競馬場で肩を並べていた仲でも、明日になれば絶縁状態ということも珍しくはない。そんな世界にあっては匿名であれ実名であれ、何をやっても誤解や迷惑を振りまいてしまうことも覚悟しなければならない。であればいっそ名前を曝して書いてやろうかという思いも湧くが、おそらくそれは事態をより一層深刻にするだけであろう。

面倒臭い思いをするのが嫌だから金輪際JRAに近寄らないと決めたのに、再び面倒なことになっていることを冷静に受けとめれば、「すべてはてめえに原因がある」という結論に行き着くのだろうか…?。

ともあれこのブログは決して他者をおとしめるために匿名にしているわけではないし、世間の関心を引こうと秘密をバラするような真似をしたこともない。「東京競馬場でサンマ食った」とか「船橋競馬場にカマキリがいた」とか、たわいもない話を書き連ねているだけ。深い意図を以て世間に訴えるようなことなら、ただで読ませるようなことはせず、ちゃんとしたメディアに実名入りで載せますよ。

 

 

 

 

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2009年2月20日 (金)

巨星堕つ

今井寿恵さんは、我々のような立場の人間にしてみれば「神様」とは言わないまでも、ちょっと恐れ多い人物であった。いや、この際「神様」とお呼びしてもかまわないと思うんだけど、以前ご本人にそう申し上げたら「いやだ、“神様”は大川(慶次郎)先生でしょ」とたしなめられたこともあり、どうも上手い形容の言葉が見つからないで困っている。

ともあれ、「馬を撮る」という行為を芸術の域まで高め、今日の日本の競馬の繁栄をグラフィカルに支えた第一の功労者。その今井さんがお亡くなりになった。享年77歳。シンボリルドルフをはじめ、トウカイテイオー、ディープインパクト、ニジンスキー、ヌレイエフなど国内外数多の名馬を撮り続けた間違いなく日本一の競馬フォトグラファーであった。

若くして広いスタジオを持ち、助手や運転手を従えて活躍したファッションフォトグラファーとしての華やかな生活は、ある日突然の暗転を迎える。乗っていたタクシーが事故を起こしたのだ。後部座席からフロントガラスに突っ込んだ今井さんは生死の境を彷徨ったばかりか、フォトグラファーとしては死刑宣告にも匹敵する「失明」の瀬戸際にもあった。

「生きるか死ぬかという時になって、もっと生命感のあるものを撮りたいと思った」と、それまで積み重ねたものすべてををかなぐり捨てて、彼女はヨーロッパへと旅立つ。彼の地でのニジンスキーとの出会いが全てを決定した。

海外での知名度は今も群を抜く。

1997年の凱旋門賞のパドックでのこと。「その撮影パスではパドックでの撮影はできない」と言う(多分。フランス語なので)警備員と私とが小競り合いをしていると、パドックの中からゆっくりと今井さんが現れ、警備員に一言二言話しかけると、一瞬にして警備員の態度が変わってパドックの中に通してくれたことがある。

特に親しかったわけでもない私をパドックに招き入れてくれたのは、単に私が日本人だったからなのか、あるいは野平邸で何度か顔を合わせていたことを覚えていたからなのか   。今となっては確認のしようがない。

今井さんは撮影技法に対する関心がことのほか高かったように思う。時には「トリック」と言っても差し支えないような表現方法を取り入れることもあり、それを嫌うカメラマンもいたことは事実。だが、写真というメディアの可能性を信じていたことの表れでもあろう。

ここまで書いて突然「誰でも写真を写せる時代。だからこそ自分なりの個性的な表現が重要」と今井さんがおっしゃっていたことを思い出した。けだし金言である。心よりご冥福をお祈りしたい。

 

 

 

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2009年2月19日 (木)

月に一度の料理教室

過日、ライトレジーナの初勝利と自らの試験パスを祝うべく、ひとつ豪勢な昼食を食べようとわざわざ電車に乗ってメシを食いに出かけてみた。まあ、たまにはこういうのがあって良い。

その日はうららかな陽気で、陽なたを歩けば春を思わせるような暖かさ。どこからともなく梅の花の香りが漂ってもくる。外に出て良かった。そうあらためて感じた。

だが不幸というものは、まるで大井競馬場前の交差点に潜む白バイのように、いつも突然やってくるものである。ようやく辿り着いたその店が、なんとその日に限って昼の営業を休止していたのだ。

店の前に貼り出された「お詫び」の紙によれば、月に一度の料理教室の日とある。28分の1のハズレを当ててしまうとはなんというヒキの弱さか。途方に暮れた私は店の前で完全に固まってしまった。

しかしもちろんすべての非は私自身にある。電話一本ができなかったことはもちろん、もとより私に付きまとうツキのなさにも大きな原因があったにちがいない。

いつまでも固まっていても仕方がないので、大きなタメ息をついて駅への道を引き返すことにした。さて、昼飯はどうするか……。

ふと、私の名が呼ばれたような気がした。

振り返って見ると、お店の方が走ってくる。なんでも、たまたま店内から外に目を向けたら固まっている私の姿が目に入ったとのこと。これは申し訳ない。申し訳ないが、それにも増してありがたい。

挨拶を交わし、電話の一本もできなかったことを深く詫びて引き揚げた。

それにしても、メールという通信手段が一般的になりつつある昨今は、ちょっとした電話ですら躊躇ってしまいがちになっているような気がする。えー、これは言い訳ではなくて、反省です。

ともあれ、電話は相手の時間を切り取ってしまいそうな気がするんですね。その点メールなら、相手のタイミングで応対できるだろうし、たとえ電車の中であっても必要な連絡はできる。

それでも、電話の方が早いんじゃないかと思うシチュエーションはよくある。とある馬が未勝利戦を勝ち、その育成を手掛けた牧場の社長にお祝いのメールを送った時のこと。もちろん相手の携帯に直接電話を入れることも考えたが、午前中でもあったし調教中で手が離せないかもしれないと携帯のキーをパタパタと叩いた。

以下、メールのやりとり。

 私:おめでとうございます!\(^O^)/
  ↓
 相手:おはようございます。何ですか?
  ↓
 私:●●●●(馬の名前)が勝ちましたよ!
  ↓
 相手:ウソ!?
  ↓
 私:ウソじゃありません。大穴です
  ↓
 相手:マジで?
  ↓
 私:マジです
  ↓
 相手:信じらんない
  ↓
 私:調教師もそう言ってます
  ↓
 相手:じゃあ大穴だったでしょう?
  ↓
 私:大穴です(※さっきも書いた)
  ↓
 相手:調教師といえば、昨日●●先生が馬見に来ましたよ
  ↓
 私:えぇっ!? 何か言ってましたか?
  ↓
 ……(以下、延々続くので省略)

こんだけ細かいパスを出し合えるくらいなら、電話しちゃった方が早ぇーだろ!と思うわけですけど、これでいざ電話を掛けてみたら留守電になってたりするんですよねぇ(笑) もうワケ分からん。

Nabeともあれ今宵は恵比寿『軍鶏丸』にて、水炊きをつつきながら古い友人と競馬について語り合う集い。さすがに予約を入れてあったので今宵は無事入店を果たした。私が「水炊きナンバーワン」と崇める甲斐大泉『中村農場』にも劣らぬ見事な鍋に一同声を無くして軍鶏を齧り、つくねを頬張り、そして〆のうどんをすすった。この旨さは何より鮮度の良さの賜物。酒よりもこのスープを飲み続けたいと真剣に思う。

あまりに鍋が旨かったせいもあるが、場所柄「そういや今井寿恵先生が亡くなったね」なんて話にもなり(今井先生のオフィスは代官山にある)、シンボリルドルフやトウカイテイオーの思い出話もしたりして、比較的静かな宴会となった。まあ、たまにはこういうのがあって良い。

 

 

 

 

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2009年2月18日 (水)

7歳馬のフェブラリーS

ダイワスカーレットが回避(その後引退)したフェブラリーSは、蓋を開けてみれば昨年暮れのJCダートの再戦ムードの様相が漂う。本命党がカネヒキリ、ヴァーミリアンの一騎討ちに期待を込めれば、穴党はこの2頭が共に7歳馬であることを突破口にして伏兵の登場を願っているようだ。

2006feb  

このブログでも散々書いてきたが、私は近年のサラブレッドは、緩やかではあるが弱体化の一途を辿っていると考えている。高齢馬が次々て重賞を勝つ昨今の傾向はそうした流れを裏付けるものだと訴え続けているわけだが、それでもJRAのGⅠレースの牙城は堅固と言う他はなく、7歳馬が勝った例となるとわずかに4頭の5レースを数えるのみである。

 70年 宝塚記念・有馬記念 スピードシンボリ
 86年 JC ジュピターアイランド
 96年 安田記念 トロットサンダー
 98年 天皇賞秋 オフサイドトラップ

こうした数字を見れば「GⅠレースで7歳馬のワンツーなどあり得ない!」と叫ぶ穴党たちの主張も、おいそれと無視はできないような気がしなくもない。

4歳の秋から5歳にかけてが能力のピークと言われる競走馬だが、その一方で骨格部分は6歳になってようやく完成するとされている。逆に言えば競走馬の身体は6歳まで成長を続けることになる。すなわち7歳2月の競走馬はようやくの「完成型」。そう思えば本命党の危惧も単なる杞憂に終わるかもしれないとも思う。

難しいですね。

一般論に走って申し訳ないけど、大事に育てられた馬の競走馬としての寿命は長く、逆に過酷な調教とレースを頻繁に繰り返してきた馬の競走寿命は短い。もちろん馬ごとに個体差もある。

トロットサンダーは、7歳で迎えた安田記念まで21戦しか消化していなかった。オフサイドトラップも7歳の天皇賞秋までは26戦を数えるのみ。

2008feb今回のフェブラリーS登録した7歳馬では、ガブリンが33戦、エイシンロンバードが37戦、オフィサーに至っては実に42戦のキャリアを誇る。とはいえ、このあたりが7歳オープン馬のごく平均的な出走回数なのかもしれない。

それに比べれば、ここまで26戦のヴァーミリアンや、僅か18戦のカネヒキリに対して、加齢による衰えを期待するのは少々無理がある。特にカネヒキリについて言えば、4歳馬のナンヨーヒルトップ(15戦)とレース数がさほど変わりないのだから。

   なんて書くと、揃って飛びそうな気もするが(笑)、もし両馬が揃って飛ぶことがあれば、それは他の要因によるものではないだろうか。

 

 

 

 

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2009年2月17日 (火)

大臣とキューピーの話

中川昭一氏が財政・金融担当大臣を辞職した。

あの記者会見の原因が酒にあったのか薬にあったのかにあまり興味はないんだけど、大臣には側近とかお付きの従者っていないんですかね?

普通なら、そういう立場の人が「おそれながら!」とか言いながら羽交い締めにして、止めると思うわけですよ。その上で「風邪をこじらせた」とか理由を作れば済むハナシじゃないですか。あんな状態の人間を世界各国の敏腕記者たちが居並ぶ会見場に連れ出せば、ああいうオチになることは分かり切っているはず。とかく政治家のやることは理解に苦しむ。

それはそれとして、2年前の「ばんえい競馬廃止危機」に際して、ばんえい存続のために奔走した中川氏の失脚は若干心残りでもある。地元帯広のための活動だったと言われれば確かにそうだろうが、それでも当時自民党政調会長の要職にあった中川氏の影響力がなければ、ばんえいの行く末は危うかったこともまた事実。国からの資金援助は制度的に難しいとされる中、帯広から開催継続の要請があった場合は速やかに協力するよう農水省などに働きかけてくれたのだから。

当時、講演会などで「(存続のために)いろんな知恵を出し合おう!」と訴えていた中川氏だが、薬であれジントニックであれ飲み過ぎには注意したい。いや、これは自らへの戒めでもある。

 

ところで「ばんえい」と言えば、馬の着ぐるみをまとった『ばんえいキューピー』が人気を集めているんだそうだ。

 「ばんえい十勝劇場」
 http://www.tokachi.co.jp/banei/2009/1/entry_317.php

年明けからインターネットで販売した200個は即日完売だったというから凄い。競馬場内や帯広空港などの売店でも品切れ状態だというから相当な過熱ぶり。ネットオークションでも人気の品なんだそうだ。帯広市、NPO法人、そして大阪のグッズ企画会社の3者が知恵を出し合って生み出した傑作。「いろんな知恵を出し合った」、その結果の賜物ですな。

 

 

 

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2009年2月16日 (月)

横山義行騎手負傷

JRAの横山義行騎手が昨日の障害レースでの落馬により、両腕骨折という大怪我を負ったんだそうだ。

実はこのレースは競馬場で見ていた。   と言ってもスタンド6F『ときわ家』のTVモニタ越しだけど、まあ見てはいた。

Jockeyしかも1レースでユウワスーパーに乗ってくれたのが横山義行騎手だったこともあり、ちょうど彼の話題で盛り上がっていた矢先の事故である。一瞬背中に冷たいモノが走った。彼も百戦錬磨の騎手だから上手いこと避けてくれたものと願っていたのだが、両腕骨折とは言葉がない。お見舞い申し上げる。

以前、やはりレース中の負傷で長期の戦線離脱を余儀なくされていた横山義行騎手が、数ヶ月ぶりの復帰戦を見事勝利で飾ったことがある。その時は騎手本人よりも調教師の方が狂喜し、復帰戦を応援すべく競馬場を訪れていたご家族の方も一緒に口取り写真に納まるというシーンもあって、とても感動した記憶がある。このブログで繰り返し訴えていることだが、本物の感動は誰も予期せぬ瞬間に訪れるものなのだ。予定調和に感動は有り得ない。

Mercyatimeともあれ、中山大障害と中山グランドジャンプの両方を勝つほどの騎手である。あの日のことを思い返せば、今回の両腕骨折という大怪我でさえもすぐに克服して、競馬場に戻って来るものと固く信ずる。

そんな横山義行騎手に比べれば、右腕一本ごときが満足に動かせなくなった程度でギャーギャー騒いだ自分のなんと恥ずかしいことか。

四十肩対策として今日から筋トレとウォーキングを開始。最近は競馬場に行く機会が減ったので、歩くこと自体が激減していた。なんだか中年サラリーマンみたいな話になってみっともないが、背に腹は代えられんのですよ。

 

 

 

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2009年2月15日 (日)

競馬場の魔術師?

1レースにユウワスーパーが出るので早起きをしなければならない。私とユウワスーパーとの縁(えにし)については12月27日付「ユウワスーパー、デビュー」を参照されたい。

が、目は覚めても起き上がるまでに時間がかかる。一晩寝れば治るべ、と気楽に構えていた右肩の症状は昨日よりもむしろ悪化しているようで、右上腕部あたりまで痛みの範囲が広がっている。首を動かすのも一苦労で、歯を磨いたはいいがうがいができないという有様。

それでも慎重にシャツの袖に右腕を通して、苦労しながら左手でネクタイを締め、歯を食いしばって靴紐を結んで府中に出かける。

Warmそれにしても、どういう陽気なんでしょうね、ここんトコは?。昨日に引き続き競馬場はダービー前を思わせるような暑さ。わざわざ日影を求めて座る人も出てますよ。入場門のお姉さん方はコートを羽織ってらしたけど、さながら我慢大会の様相。

ユウワスーパーは458キロでパドックに登場。デビュー戦より4キロ増やしてきた。

で、さっそくカメラを構えてみたが、あまりの痛みに手の震えが止まらない。こりゃイカンと、目の前の手すりにレンズを乗っけて撮影。それでも額に脂汗が滲む。肝心のレースも今ひとつ集中できないまま終わってしまった。負けたことは分かったけど、あそこまで負けていたとは…。

Usuper  

馬がまだ子供なので、レースに集中できていない模様。ただ今日に限れば私もレースに集中できなかったのだから馬を責める資格はない。私の場合は「子供だから」ではなく「オッサンだから」集中できなかったわけだけど。

レースを終えてオーナーとお茶を頂くことに。テーブルに着く前にオーナーは私の背中に周りこんで肩胛骨の辺りをひとしきり触ると、「こういう動作をしなさい」と四十肩解消法を伝授してくださった。

で、言われた通りに肩を動かしながらの競馬談義に花が咲いたのである。期待の明け2歳馬がいるというのは何にも増して素晴らしい。

なんて、気が付けば場内は障害戦が終わる頃合い。競馬の話は時間を忘れる。競馬場にいながら競馬はまったく見てないというのにこの楽しさはいったいどういうことか。

挨拶をして席を立ち、荷物を抱え、スタンドの階段を駆け降りながら携帯を取り出して自宅に電話をかけながらふと気付いた。

何かが違う……。

最初はさっきのコーヒーショップに忘れ物をしてきたのかと思ったのだが、そうではない。なんとあれほどひどかった肩の痛みがあまり気にならなくなっているのである。

えっ?!魔法??

さっきまで携帯を持つのも一苦労だったのに、今ではこの文章を打つのもさほど苦にならないほどの回復ぶり。ユウワスーパーの大敗はショックだが、痛みを堪えて競馬場まで行ったかいはとてつもなくあった。

 

 

 

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2009年2月14日 (土)

「右前」に故障発生!

着替えの最中、シャツの袖に右腕を通そうとしたその瞬間、バチッと電気のような激痛が背中を走り、そのまま動けなくなってしまった。

ここんトコ試験だ花粉症だとネガティブな話題ばかりを書き連ねてきたが、それらとは比較にならない災厄がついに訪れたのかもしれない。

これが四十肩か…?

よりによって着替えの途中である。いつまでも固まっているわけにもいかず、文字通り歯をくいしばってシャツに腕を通したが、前のボタンを止めるのは諦めた。時間と共に痛みは引くかと思えたが、尋常ではない痛みは一向に治まる気配を見せない。

まいったなぁ、と思った。

今日の東京10レース・銀嶺Sにサラトガが出走することになっているのである。カメラを抱えて出向くつもりでいたのだが、右腕がこんな状態では重い荷物を持って歩くのはしんどいかもしれない。

この時は、まだこの程度にしか思っていなかった。

奇しくもダイワスカーレットと同じ“右前”である。(※後日訂正:ダイワスカーレットの故障個所は左前でした)食事の時は遠い皿に腕を伸ばす度に激痛が走り、歯を磨くにも歯ブラシさえ満足に動かせない。痛みは治まるどころかむしろひどくなり、某馬主氏に100文字程度の携帯メールを送るのに10分以上もかかる始末。

馬主氏からの返信には「肩関節周囲炎では?」とあった。四十肩の親戚だそうだ。

近親でも全兄弟でも良いが、とにかく立ってても座ってても横になってても痛みは増すばかり。ひいこら言いながら昼食を食べているうち「行くべきは競馬ではなく、病院なのでは?」と感じ始めた。

それでも「病院に行けるなら競馬場にだって行けるだろう」と思うに至り、意を決して出発。実際歩いてみると「肩」というよりも「背中の右半分」がやられちゃってる感じ。東京競馬場のゲートをくぐるときに、「そういや今年の初JRA競馬場じゃん」と一瞬盛り上がりかけたが、パドックでカメラを構えた途端右肩に激痛が走り、思わずカメラを落としそうになる。

Saratogaたいていのカメラって右手のみで操作できるようになっているけど、この発想ってどうなんですかね? 何かの理由で右手が使えない人は、いったいどうするんだ! なんて、自分がこういう目に遭ったことで、そんなたいそうなことを考えたりもした。

銀嶺Sのサラトガは大敗。このクラスともなると、ちょっとしたレースのさじ加減で着順が大きく変わってしまうが、これも競馬の結果だから仕方ない。写真が取れたことをヨシとしよう。

 

 

 

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2009年2月13日 (金)

相馬の達人

ここのところTVやスポーツ新聞とは疎遠な日々を過ごしていたので、共同通信杯をブレイクランアウトが勝ったと知って、いたく驚いた。今さらの話で申し訳ないけど。

東スポ杯2着にして朝日杯3着の素質馬がこの時期のGⅢを勝ったところでことさら驚く必要もあるまいが、実は近い知人がこのキャロットファーム所有の外国馬に出資しているのである。

いや、知人が出資している馬が共同通信杯を勝つということも、ない話ではないのでさほど驚くことではない。驚くのはその知人が同じキャロットファームのフィフスペクトルにも出資しているのである。

Fif_2この世代のキャロットファームの募集馬のうち、収得賞金トップは函館2歳Sを勝ち、朝日杯でも2着したフィフスペクトルでおよそ8000万円。これに僅差で続くのがブレイクランアウトで7900万円。その次はメトロノースの2960万円だから、上位2頭が完全に抜けている。80頭を越える募集馬の中から、この2頭だけを選ばれたその卓越したセンスにこそ驚かされるのである。

ブレイクランアウトの父スマートストライクの産駒と言えばBCクラシックやドバイWCを勝ったカーリンやBCターフなどを勝ったイングリッシュチャンネル。渋いところではJCダートを勝ったフリートストリートダンサーなどの名が挙がるが、それだけで誰もが飛びつくわけでもない。実際、ブレイクランアウトには最後まで”残口”が残されていたという。

それでもその知人は「スマートストライクには以前から興味があった」と言う。

ブレイクランアウトの母の父フレンチデピュティはデピュティミニスターの直子。そう言われてみればカーリンと酷似した配合であることに気付くが、キャロットの募集馬であればノーザンの内国産馬に目が行きそうなものである。知人の目利きは、けだし慧眼と呼ぶべきであろう。

そのブレイクランアウトは、このあとNHKマイルCに直行するらしい。主戦の武豊には明後日のきさらぎ賞に出走するリーチザクラウンというお手馬もおり、おそらくはヤネの確保も加味した上での苦心のローテーション。件の知人も「クラシックで武豊に乗り続けて貰うというのはとても難しい」と悩みを隠さないが、ぜいたくな悩みでもある。

一方のフィフスペクトルの次走は弥生賞。調教師が「折り合いだけが鍵。もし距離がもたないようなら皐月賞をあきらめて別路線を考える」と言うように、こちらもNHKマイルCに向かう可能性が漂う。

もしここでワンツーフィニッシュなんてことになったら、すぐにでもキャロットや社台のパンフレットを取り寄せて、今年のイチオシ馬を教えてもらわねばなるまい。

 

 

 

 

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2009年2月12日 (木)

一難去ってまた一難

目下の懸案だった「試験」はおかげさまでパスできました。いろいろご心配をおかけいたしました。やれやれ。

それにしても、合否を伴う試験なんて大学受験以来じゃなかろうか? 各種資格とは無縁の生活を送ってきたし、言われてみれば就職試験の経験もないし、すなわちこれが20数年ぶりに味わう「合格」の喜びである。明日は大井で能験があるわけだけど、これからは「合格」を勝ち取った馬たちを見る目が変わってしまいそうだ。

Noken  

ともあれ、晴れて自由の身になったことだし、さっそく浦和にでも繰り出すか!     、と思った途端、ついに今年も花粉症の症状が現れてしまった。

いや、今年はスギ花粉の飛散が例年より早まっているということは承知している。ただ私の場合、スギよりもヒノキとかチモシーとかで症状が顕著なので、皐月賞の頃から徐々に症状が現れ始めダービーの頃にピークに達するというなんとも飛散な、もとい悲惨な春を過ごすことになる。

最近では馬も花粉症になると言われている。医学的な論拠はさておくが、春先になると鼻水を垂らしたり目を赤く充血させる馬が増えるのだそうだ。まあ、この時期は人間の側が花粉症に対して神経過敏になっているから、よけいそういう目で見てしまうのかも知れないけど。

それでなくとも美浦トレセンはスギ林に囲まれているから、花粉症の人にしてみれば馬の心配どころではないかもしれない。

毎年花粉症に悩まされている大久保洋吉調教師や松岡騎手などは「屋内馬場を作って欲しい」と口を揃える。たかが花粉症とはいえ、競馬にマイナスであることは間違いない。睡眠不足から集中力を欠けば事故に繋がることもある。対策は万全にしておきたい。

 

 

 

 

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2009年2月11日 (水)

1回目にして55回目のユングフラウ賞

最近のブログを読んで写真がないことにお気づきの方もいらっしゃると思う。あるいは、ちょっと短いとか、内容が薄いとか……。

実は諸事情があって最近競馬以外のことがワリと忙しいんですよ。ここんトコずっと自宅に閉じこもって受験勉強の日々。てめえのトシで受験も勉強もねぇだろ!とお思いかもしれないが、実際に受けるのだから仕方ない。しかも、その試験というのが実は明日に迫っているとあって、受験勉強もいよいよ勝負どころ直線の攻防に差し掛かっているハズなんだけど……、

Urawa1  

……来ちゃってます。

 

Urawa2  

ユングフラウ賞の浦和競馬場ですな。

 

Bakenまあ、今日ばかりは来ないわけにはいかなかったのですよ。ゼッケンには「第1回」とあるけど、これは今年から重賞に格上げとなったため。準重賞だった昨年は「第54回」だったから、事実上55回目のユングフラウ賞ということになる。ユングフラウ賞の伝統の重さに比べれば、私の試験など地面にうち捨てられた1枚のハズレ馬券みたいなもの。試験はダメでも再チャレンジできるが、今日のこのレースに“再チャレンジ“はない!

 

 

   なんてアホなくだりはさておき、レースはモエレエターナルの完勝。

Moere準重賞だった頃のユングフラウ賞といえばサイコロ賭博にも等しい荒れっぷりだった印象が強いのだが、重賞に格上になるとやっぱ傾向が変わるんですかね。きれいに1・2番人気馬のワンツーという結末に、そんなことを考えさせられた。

 

今年は桜花賞の施行時期が1ヶ月早まって、早くも来月から牝馬クラシックがスタートする。「本番にまるで結び付かないトライアル」とまで言われたユングフラウ賞を勝ってしまったモエレエターナルの調子が持続するのかもポイントになろう。11月には460キロだった馬体は、439キロ→430キロと走るたびに減り続けてついに今日は424キロでの出走。増えれば良いというものではないが、立派な胸前に比べ背中やトモの周りがちょっと寂しくも映った。

 

 

 

 

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2009年2月10日 (火)

「疫病神」と言われる前に

今日の浦和の第1レースでナマラスゴイが人知れず2勝目を挙げました。パチパチパチパチ。

注目度は低いかもしれないが、この時期に南関東で2勝を挙げることの難しさは嫌というほど承知しているつもり。コメントをお寄せ下さったサプレマシー様にはこの場を借りて御礼申し上げたい。結構たいへんなことなんですよ。

とはいえ微妙にテンションが低いのは、実は浦和に駆け付けられなかったのである。

またもやナマラスゴイが勝つレースをナマで見られなかったわけだ。

言い訳で申し訳ないが、このレースは当初第3レースに予定されていた。私もそのつもりでスケジュールを調整。いつものギリギリスケジュールながら「何があっても行くんだ!」という強い信念の元、おさおさ怠りなくあらゆる準備を整えていた(大袈裟)

なもんだから、一昨日発表された番組表見た瞬間は声が無かった。投票頭数が減ったことで第1レースに繰り上げとなっていたのである。

がびーん…… (・o・;)!

競馬にはよくあることだと承知はしているが、登録段階で30頭近くいたこともあって、むしろ除外ばかりを心配していた。よもや繰り上げの対象となるほどの少頭数になろうとは。

そんなわけで、練りに練ったスケジュールはチャラになりレースはネットで観戦。

いつもより前々で競馬を進めるナマラスゴイを見て「おっ、勝ったか?」と思い、それでも向こう正面から手が動きっぱなしの坂井騎手の姿を見て「やっぱいつもと同じか?」と思う。そんな思いが交錯する直線の攻防を最後はアタマ差凌いで、見事勝ってくれた時は思わず両手が挙がった。

   が、次の瞬間

「勝っちゃった…」

と両手を挙げた姿勢のまましばし固まる。

ナマラスゴイはこれで7戦2勝。うち私が現地に行った5戦の成績は(0,0,4,1)と散々なのである。逆に私不在のレースでは2戦2勝のパーフェクト。

浦河のオーナーにお祝いの電話を入れなければならないのだが、「あ~、何て言おう。どうしよう…」とうだうだ悩んでいるうちに向こうから電話が掛かってくる始末(爆)

聞けば、今日は珍しく前に行ったものの、やはりズブさは相変わらずで、最後の直線も全然本気で走っていないとのこと。やっぱりね。位置取りを無視してナマラスゴイ一頭だけを見ていたら、普段のレースとあまり変わり映えしなかった。

そんで、気になる次走としては月末の地元戦(川崎)になる模様。次は行きます。行くんだけど……、

 私:行かない   馬:勝つ
   ↓         ↓
 私:行く  馬:クラス上がって負ける

という悪循環に陥っているような気もしなくもない。まあ、毎回必ず行かないのが悪いんだけど、とにかく「疫病神」などと不名誉な称号を得る前に早く口取りしたい。

 

 

 

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2009年2月 9日 (月)

岩手競馬新年度方針決まる

昨日の続き。ハンデ戦以外の岩手競馬新年度方針について。

まずは賞典費の削減から。

昨年11月時点でも減額方針が発表されていたが、それよりさらに1億2000万円少ない19億6000万円に減らされた上、出走手当についても最大5000円減額される見込み。

ただし1着賞金の減額は見送られた。むしろ、新馬の確保を目的に2歳馬および3歳馬の一般戦の1着賞金が増額されるという。増額の規模は2歳戦で10万程度。いや、「たった10万」ではない。昨年の2歳一般戦の1着賞金は25万だったのだから、率で言えばもの凄く大きく上がることになる。

一方で、水沢競馬場で行っていたダートグレードレースを盛岡競馬場に移すことになるとのこと。JRA出走枠を増やすための措置だが、これはちょっと寂しいですな。ことさら熱心なことで知られる水沢のファンは納得するんだろか?

あと、千メートル戦の導入ね。これはあちこちでやっていることなので、まあそうですか、といったところ。ダートだけでなく芝でもやるそうです。

ところで、最近になって、宮古と釜石にある岩手競馬の場外発売施設の業務を受託している業者が、県競馬組合との契約を年度途中にも関わらず打ち切っていたことが判明した。その理由は「馬券の売上げ低迷で採算が取れなくなった」というもの。同場外売場は、今月から組合直営方式に切り替えて通常通り運営されており、雇用や顧客サービスに影響はないとしている。

これをして、「ついに逃げ出す人間が現れた!」などと騒ぎ立てているメディアもあるようだが、「リストラする前に自己都合で退職してくれた」と捉えるくらいでちょうど良いのではないか。非常時には直轄の方が何かと都合が良いでしょ。

 

 

 

 

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2009年2月 8日 (日)

騎手ハンデ戦導入へ

岩手県競馬組合は、売上げアップの方策として来年度よりハンデ戦を導入すると発表した。

ただし、そのハンデというのは馬の能力に対するものではなく、騎手の能力に対するもの。騎手を対象としたハンディキャップレースは「世界でも初めて」との触れ込みらしいが、平たく言えば一部のトップジョッキーを除き「あとは全員減量騎手」みたいな状況になると思えば良いのだろうか。

しかし、キャリアや通算勝ち星で一律に減量となるわけではなく、あくまでも「最近の騎乗成績」に基づくところが減量特典とは大きく異なる。対象となるレースは年間20レース程度だそうだが、例えば成績が落ちたベテランが「来週のハンデ戦のあなたの重量は51キロにしてあげます。良かったですね。しっかり減量してください」と言われてもキツそうですね。まあ、おそらくそこまで極端なハンデ差はつかないのだと思うけど。

しかも、この制度導入が「ファンの意見によるもの」と聞けば「ふ~む…」と考え込んでしまう。つまり盛岡・水沢のファンたちは、馬よりも騎手を重視しなければならない競馬を強いられているとも受けとめられるからだ。そりゃつまらんだろね。ひょっとしたら、勝ちまくっている騎手の側だって「つまらん」という思いを抱いているのかもしれない。

ただ、プロスポーツ選手の命とも言える技量を、「負担重量」という安易な調整器具で加減することへの抵抗だって、もちろんあると思う。

もし、プロ野球において年間25試合のみが”ハンデ戦”となり、

イチロー選手は打ち過ぎるのでバットの負担重量を1.5キロとします。

とか、

藤川球児投手の投げるタマが速過ぎて相手打者が打てないのは見ていてつまらないので、右腕に1キロの負担重量を装着して投げてもらいます。

みたいなことになったら(最初はお客も食い付くかもしれないが)やはり、見ている方は興醒めだろうし、何よりもやっている選手の側がアホらしくなるに違いない。

もちろん、競馬はプロスポーツであると同時にギャンブルでもあるから、ゲーミングとしての面白さを追求しなければならないことは事実。ただ、その実現のため「選手の技量の調節」という手段に走り過ぎてしまうと、プロスポーツとしての競馬の地位を危うくする可能性もあるのでことさら注意が必要だ。 

 

 

 

 

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2009年2月 7日 (土)

択捉競馬場

今日2月7日は「三浦皇成騎手、史上最速の通算100勝達成」の記念日であると同時に「北方領土の日」でもある。九段では「北方領土返還要求全国大会」がなんかも開かれた。

毎年6月に根室で開かれる草競馬大会「馬事協議会大会」は国内でもトロッター競馬が見られる数少ないイベント。昨年は馬インフルエンザの余波で中止のやむなきに至ったが、例年サラブレッドやドサンコ、ポニーなど様々な種類の馬たちが、騎乗競馬、ばんえい競馬、そしてトロッター競馬などで熱戦を繰り広げている。

実は、この大会は二つの大きなスローガンを掲げて開催されている。それは「北方領土返還実現」と「根室への地方競馬誘致」だ。

かつて択捉島に住んでいらした日本人の方が択捉島を訪れた際、択捉島には競馬場があったと話されていたのをTVニュースで見たことがある。

戦時中の記憶を辿りながら「学校」「病院」「飛行場」……、という具合にかつてあった施設の場所を思い起こしていく中にあって、意外に早く「あそこには競馬場があった」と答えていたのが意外だった。農耕馬を集めた草競馬を行うための馬場があったようだが、そういえば国後島にも同じような競馬場があったとも聞いた。北海道も含めて、開拓者たちは馬と共に生活し、当然の帰着として競馬をも楽しんだのかもしれない。

北方領土ではないが、かつての樺太豊原市(現ユジノサハリンスク)にも競馬場があった。

こちらは草競馬などではなく、立派なスタンドを誇る本格的な競馬場だった。現在でも陸上競技場として施設が使われているというから驚く。以前、樺太で生まれたという方から当時のお話を伺う機会を得たが、やはり競馬場に話が及んだ。幼少時であるはずだから、よもやそこで馬券に目を血走らせていたはずもなかろうが、競馬場というオブジェクトはそこにあるだけで何か大きな印象を与えるものなのだろう。

 

 

 

 

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2009年2月 6日 (金)

1000ギニーを待ちながら

酔って帰宅してます。

アースリヴィングのドバイ1000ギニーの結果を知りたくて、必死にネット転がして調べたら日本時間で明日3時15分頃の発走と知るまでに1時間ぐらいかかった。酔っているとロクなことがないですね。

ここ1年くらいはまるでJRA競馬場に行ってないのに、アースリヴィングの新馬戦は見てたんだよね。天皇賞の日ですよ。あの衝撃の9馬身はなかなか忘れることができるもんじゃない。ブエナビスタとかの競馬をナマで見てないので、私の中での最強3歳牝馬はこのアースリヴィング。ちなみに「最強3歳牡馬」はスーニね。なんかダート馬ばっかだな。

Pizzaさっきまで飲んでいた店は三宿のナポリピザの名店『フォルツァ・ナポリ』。もう少しまともな写真が撮れれば良かったんですけど。トマトとツナのピザですな。

一緒に飲んだのははるか昔から府中、中山のみならず京都だ阪神だと一緒に遠征した相手で、久々の酒席でたっぷり競馬の話ができるかと思いきや、最近はお互いすっかりJRAとは疎遠になっている二人でもあり、「フェブラリーSって今週だっけ?」とか「朝日杯って何が勝ったの?」とか会話は途切れまくり。結局ピザを食いまくる会に落ち着いた感も。

ピザ発祥の地がナポリでは古くから伝わるピッツァ職人の伝統技術が世代交代を経て変わっていくことを防ぐため政府公認の『ナポリピザ協会』が設立されている。こちらのお店はその協会からお墨付きをもらっている希少な店。3枚じゃ少なかったかも知んないけど、ぼちぼち真剣にダイエットに取り組めと医者にも言われている身としてはこれくらいで分相応か。

そんなワケで、もうしばらくアースリヴィングのレースを待ちます。今日は内容が薄くて失礼。

 

 

 

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2009年2月 5日 (木)

木更津”場外”闘争

先日、ちょっとしたロケ仕事で木更津を訪れた。

私にとって木更津という町は内房に行くにせよ、外房に抜けるにせよ、はたまた内陸部にある育成牧場を訪問するにせよ、とにかくただ通過するだけの土地に過ぎなかった。が、せっかくの機会なので、お昼のお店も含めて地元の方に案内していただくことに。

こんな風に特にメジャーな観光地とも言えないような土地で「町巡り」みたいな行動に出てしまうこと自体、歳をとったっつうコトなのかな。昔は「町を見たい」なんてかけらも思わなかったけど。

Takarayaともあれまずは昼メシということで、JR木更津駅から木更津漁港に向かう途中にある「宝家」へ。その佇まいに相応しく、創業は明治にさかのぼるという。新鮮な江戸前の魚介を使った料理がウリで、特にアサリが評判とのこと。佃煮やカキ揚げも良いが、やはりなんと言っても味噌汁が旨い。

港で何枚か写真を撮ってJR木更津駅に戻ると、駅ビル『アクア木更津』が目に入ってくる。なんでも、このビルの地下フロアに南関東競馬の場外馬券売場施設を誘致するとかしないとかで、市民を巻き込んだ論争になっているという。場外馬券売場開設の方針は市議会でも決議されてはいるが、「競馬をやるような人間が集まると街が汚れる」などと主張する反対派の市民は未だに署名活動などを展開しているらしい。

『アクア木更津』は地上9F&地下1Fの商業ビルだが、地下1F部分はテナントが入っておらず”遊んで”いる状態。ビルの所有者は市で、テナント確保は市政上の緊急課題なのだろう。場外馬券売場の設置に反対運動はつきものなので驚くこともない。馬産地静内でさえ反対運動は起きた。

たしか木更津では10年前にも「場外馬券売場問題」が起きていたと思う。ただし、場所は駅前ではなくて郊外。そして発売対象は南関東ではなくてJRAだったと記憶する。つまりはWINSの誘致運動が沸き上がったのである。

この案件が特殊だったのは、発起人としてWINS誘致に乗り出したのが地元の漁協だった点にある。漁業機材置き場として利用されなくなった空地をWINSの管理会社に賃貸することで、土地の有効活用を目論んだのだった。

しかし、当のJRAが安易なWINSの建設に否定的な方針を打ち出した時期と重なったこともあり千葉県初となるWINS設立構想は立ち消えとなった。あれから10年の歳月を経て再び現実味を帯び始めた場外馬券売場構想だが、たとえ実現の運びになったとしてもそこに「WINS」の看板が掲げられることはない。

改正競馬法により、競馬実施に関する事務も民間委託できるようになったことで、木更津に限らずあちこちの郊外都市で似たような議論が立ち上がっているとも聞く。昨今の激症型不況でテナント探しが困難を極める中にあって、他の都市でもこうした問題が顕在化するかもしれない。

 

 

 

 

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2009年2月 4日 (水)

笠松競馬訴訟、和解へ

Kasamatsu笠松競馬場を主催する同県地方競馬組合に、競馬場の一部地主が土地の明け渡しなどを求めた訴訟の和解協議が名古屋高裁で行われ、借地料など組合側提示の和解案に対し、地主側が譲歩して受け入の意向を示した。これにより、「訴訟による競馬廃止」という異例の醜聞はひとまず回避されることとなった。まずはめでたい。

しかし、何より”異例”だったのはこの裁判そのものではないか。

岐阜地裁での一審で原告地主86人は勝訴判決を勝ち取っていた。にも関わらず、その控訴審直前になって訴えを取り下げる地主が相次いだのである。勝訴した原告が訴えを取り下げることなど、まさに異例。控訴段階での99人の原告のうち、昨日(2月3日)までに半数近い41人が訴えを取り下げる手続きを取った。

訴えを取り下げた地主の声を聞けば、概ねこのような内容で一致する。曰く「原告代表者の説明では地代を上げる訴訟だったはず。しかし、岐阜地裁の判決や報道で明け渡し請求と知り、取り下げを決めた」というものだ。

どういう経緯でこのような誤解が蔓延したのか理解しかねるが、土地明け渡しを求める訴訟を起こした以上、地主勝訴はすなわち競馬場廃止に他ならない。しかるのち、地主には固定資産税の支払い義務だけが残る。笠松競馬場の敷地は開発が大幅に制限された市街化調整区域にあり、住宅を含め新たな建物を建てることは認められない。この不景気のさなかに跡地利用の見通しなど立つはずもなく、地主は大きな痛手を負うことになる   

この事実に   今さら   気付かされた地主が、ボロボロと訴えを取り下げ、原告側の譲歩を引き出し、今回の和解への流れを作ったと見るべきなのだろう。

原告のリーダーを務める人物は「勝訴しても競馬場は廃止されず、競馬場の経営に地主が参加できると弁護士から説明を受けた」と話し、弁護士は「説明会でも話しているし、新聞も『明け渡し訴訟』として報道してきたはず。提訴から何年もたって(訴訟の趣旨を)知らないと言うのは大人げない」と反論する。

こんな馬鹿げた裁判のせいでひとつの競馬場が消滅する危機に瀕したのかと思うと、なんとも言葉がない。

「裁判が始まる前に、仲間にこの紙にサインしてと言われたので、ハンコを押した。当初は賃上げ交渉の紙だと思っていたけど、いつのまにか裁判の原告になっていて驚いた。笠松競馬で働く人たちのためにも、廃止してはいけない」

訴えを取り下げた地主の一人の言葉である。

 

 

 

 

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2009年2月 3日 (火)

川崎の至宝、世界の至宝

過日、「佐々木竹見が選ぶ2008川崎ベストジョッキー」(詳しい名称は失念)なるイベントが行われ、今野、山崎、佐藤博、金子、そして町田の各騎手が佐々木竹見氏より表彰状と花束を手渡された。

Kishu  

イベントの冒頭、司会者は「川崎の、いや世界の至宝、佐々木竹見さんです!」と竹見さんを紹介。マイクを手渡された竹見さんは、「引退してからも、暇があればちょくちょく競馬見に来てます」と、“庶民的な至宝”ぶり溢れるコメントを披露した。

Takemi1  

続いてマイクを取った今野騎手は「今年は200勝したい」と具体的な目標数を宣言。「ダービー勝ちたい」でくるかと思ったが、まあ川崎でのイベントでもあるしね。ともあれ、今年の今野騎手は勝ち星と合わせて注目してみたい。

佐藤博騎手は、初めて重賞を勝つ感動を味わったという意味で2008年は忘れられない年になったとした上で、「今年は飛躍の年にしたい」とコメント。表彰式後には、遠巻きにイベントを見ていた車イスのお客さんのところまでわざわざ馬場を歩いて行って、花束をプレゼントするというシーンも見られた。今野騎手同様、彼の今年の騎乗ぶりには注目だ。

Yudoba1   と、突然ですが、これはウシ柄なんすかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウシ柄にしては若干”ぶち”が細かいような気も……。まあ、誘導馬も色んな格好させられてたいへんだ。いや、本人(馬)は楽しんでいるかもしれないけど。

Yudoba2  

 

Takemi2

私の用事も滞りなく済み、さてボチボチ帰るべと競馬場を出たら、目の前に見覚えのある男性の後ろ姿が……!

イベントが終わって徒歩で帰宅の竹見さんでござる。世界の至宝はどこまでも庶民的でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2009年2月 2日 (月)

カンタカJRA復帰へ

昨日の佐賀競馬でカンタカが3勝目を挙げた。

Kantakaいきなり「カンタカ」とか言われてもなんのことか分からぬ読者様のために多少の解説を加えておく。

父ジャングルポケット、母ファヴォリ(その父リアルシャダイ)という血統の4歳牡馬。縁あってデビュー以来ずっと家族総出で応援に駆けつけていたのだが、人馬の奮闘むなしく6戦未勝利のまま昨年10月佐賀に移籍したのであった。一介の未勝利馬には違いないのだが、このブログにもカンタカに関するコメントが寄せられたりもしたので、佐賀転入後の動向もチェックしているのである。

JRAの未勝利戦で入着経験があれば佐賀で勝つことなど容易いと思われがちだが、正直私は佐賀転入後の彼にいくつかの不安を抱えていた。佐賀でのレースの距離は1300mか1400mが大半で、しかも極端な小回りコース。ジャングルポケットの産駒がそれを得意とするとは思えなかったのである。もしこれが13000mなら能力全開なんだろうけど。

実際、JRA時代も中山のダート1200や川崎の1500というおよそ適正からはかけ離れた条件ばかりを走らされて、当然ながら結果は出なかった。フルゲートに遠く及ばない芝2400を敢えてスルーし、フルゲート必至のダートの短距離戦を使われ続けた挙げ句の果てに「3歳未勝利馬」のレッテルを貼られてJRAを終われたカンタカには気の毒と言うほかはない。

これはなにもカンタカに限った話ではなく、全能力を発揮できる機会を与えられぬまま消えていく馬のなんと多いことか。「馬のせいではない」というところが何より辛く、言葉がない。馬たちも声を大にして訴えたいはずなのだけど、残念なことに彼らは人間に理解できる言葉を発することができない。

だから、佐賀で4戦3勝(2着1回)という戦績を残したこと自体は意外に思うと同時に、彼は幸せな部類なのだとあらためて感じた。

佐賀での活躍の背後には、父母から受け継いだ晩成型のDNAの開花期が訪れたことがあるのかもしれないし、能力が適正を凌駕した可能性も見落とせない。ただ、彼はまだ人に恵まれている部分が残されていただけラッキーだったのだと思う。さらに幸運なことにはJRA再転入も決まった。日本全国のカンタカファンの皆さんには朗報である。

いやまさか、不本意ながら中山のダート1200を走らされた経験が、佐賀で功を奏したなんてことはあるまいな。よもや、先々の佐賀転入を見越したレース選択をしていたとも思えんが……。

 

 

 

 

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2009年2月 1日 (日)

暖冬がもたらすもの

記録的な暖冬になる恐れがあるらしい。

東京にいると実感しづらいのだが、北海道各地は既に大きな影響を受けている。札幌中心部では道路にほとんど雪がなく乾いた路面が剥き出しになっている一方で、本来ならば雪の少ない太平洋側の地域での降雪量が多く、例年なら1~2回程度しか行われない門別競馬場の馬場除雪作業が既に今年は5回を数えているのだそうだ。

Tsuru_2先週、釧路の鶴居村に丹頂の撮影に行ったという知人のカメラマンからは、「例年ならほぼ間違いなく見られるはずの雪裡川の川霧が、今回は一度も見られなかった…(>_<;)」と落胆メールを送ってきた。

そんで仕方なく屈斜路湖に行って「御神渡り」(湖の水面が氷って盛り上がる現象)を撮ろうとクルマを飛ばしたら、「水面が風に揺れていた」んだという。聞けば、道内各地で行われる雪や氷を使ったイベントが、相次いで中止・縮小されているというから、観光関連に従事されている方は頭を抱えているのではあるまいか? そういえば流氷接岸というニュースも聞いてない。

ただ、もちろん暖冬で胸をなで下ろす人もいる。

馬の出産は間もなく本格的なシーズンを迎えるが、この時期にあまりにも厳しい寒さが続いたりすると馬鼻肺炎ウイルスが流行してしまう。逆に暖冬になってくれれば、ウイルスの流行は多少軽減されるという。

馬鼻肺炎ウイルスとは人間でいうところの「風疹」。1月から4月にかけてほぼ毎年発生しており、通常ならば感染しても軽い風邪程度の症状で済むところが、繁殖牝馬が感染してしまうと流産を引き起こしてしまうことが多い。

「暑さには弱いが寒さには強い」と言われる動物とはいえ、度を過ぎる寒さにさらされれば馬もストレスを感じるし、結果としてウイルスの蔓延を引き起こしてしまう。それが暖冬であれば、緩和されるかもしれないというわけだ。実際、今年は感染の話を聞かないという。

Snow  

なんて、こんなコトを書いた途端に、超一級の寒波が10日間ほど北海道上空に居座って結局いつもの寒い冬   、なんてことにもなりかねない。馬と天気ばかりはほんとアテにならんね。

 

 

 

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