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2009年1月31日 (土)

邂逅、ふたたび

様々な事情により朝に家を出て仕事に出掛け、殺人的混雑を極める正午過ぎの店で掻き込むように昼食を食べ、夕方には自宅に戻るという生活パターンが続いている。競馬場の混雑はさほど気にはならなかった私だが、電車や昼飯時の混雑は正直しんどい。

しかもJRAと縁が切れたため、土日は完全な休みと化した。齢40を迎えて、いよいよ私も世間一般のサラリーマンの仲間入りを果たしたわけだ。これが良いことなのか悪いことなのか自分では判断がつかないが、楽かと言われれば以前より間違いなく楽。でも、楽しいかと言われれば以前の方が楽しかったことも間違いない。

この完全週休2日制チックな日々がいつまで続くのか自分でもわからないので、家族への罪滅ぼしならびに先々への恩着せは今のうちに済ませておこうと、過日家族を連れ立って山中湖に向かった。

Hujisan  

これまでなら、家族旅行の行き先といえば北海道か福島か新潟か小倉といった競馬場のある土地か、いわきや那須など競馬関連施設がある土地に限られていたわけだが、それが山中湖である。これが意味するものは何か   ?。

ここには競馬場も場外発売施設もトレセンも牧場もないのである。およそ競馬とは隔絶された観光地たるこの地を選んだ私の罪滅ぼしへの本気度をお分かりいただけるだろうか。

Hotouともあれ湖を見下ろす高台のホテルに宿をとり、中庭で雪遊びをして、湖にボートを浮かべてワカサギ釣りに興じ、名物のほうとうを食べ、温泉に浸かりながら富士山を眺めた。

いつでもそうだが偶然の出来事というものは突然やってくる。子供たちのおやつでも買おうかと、湖畔のコンビニ入ると、なんとかつてニューマーケットやアスコットで一緒に仕事をした知人が飲み物を手に取ってレジに並んでいたのである。

大手町駅の改札口に続く今年二度目の邂逅は山中湖畔のセブンイレブンで訪れた。邂逅は場所と時間を選ばない。

聞けば、乗馬クラブを兼ねた山中湖畔のペンションに逗留しているのだという。なんとも優雅な話だが、競馬に関わる仕事はずいぶん前にやめてしまったとのこと。週のうち7日間を競馬場通いに費やしていた彼の当時の仕事ぶりを思えば、歳月の流れを感じずにはいられない。

それでも、乗馬クラブに来ているというからには、何かしら馬とは縁のある日々を過ごしているのだろう。コンビニでの再会だけに詳しく聞くことはできなかったが、そうであって欲しい。「まだ撮ってるんですか?」と聞かれて、「いや、まぁ、むむむ…」なんて具合にはっきり答えられなかったのが悔やまれる。

 

 

 

 

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2009年1月30日 (金)

期間限定、行く人来る人

岩手所属の菅原勲騎手が、この川崎開催から南関東で騎乗している。期間は2ヶ月。期間限定騎乗のスタートに際しセレモニーが行われ、川崎騎手会の今野会長(この若さで「会長」という呼称はいささか不似合いだが)から激励の言葉が贈られた。 

Sugawara  

曰く「あまり勝たれてしまうと私たちの生活に響きますので、そこは空気を読んで乗って下さい……、なんてのは冗談で、どうか怪我なく頑張って下さい。我々も負けずに頑張ります」というもの。

Mrpink  

実は南関東ではMr.ピンクこと内田利雄騎手も期間限定で騎乗中である。さらに既にレギュラーとなった酒井忍騎手、水野貴史騎手、そして御神本訓史騎手といった名を挙げれば、さながら「全日本リーディングジョッキーズシリーズ」の感がある。そんなスーパージョッキーたちの共演が、ナマで見れる!んん~ん、南関東に生まれて良かったぁ~~っ!!なんて思っている人は少ないかもしんないけど、なかなかの顔ぶれであることは間違いない。

そうなると今野会長の冗談は、あながち冗談では済まないようにも思う。「勝てる騎手に良い馬が集まる」という流れはなにもJRAに限った話ではない。勝てる騎手と勝てない騎手の色分けは、騎乗制限ルールのある南関東においても顕著であり、今野会長のみならず調教師たちも危機感を隠そうとしない。

数ヶ月前、南関東のとある調教師と談話中のこと。その調教師に馬を預けている馬主が血相を変えて飛んできてこう言った。「●●(騎手の名前)を乗せるとはどういうことだ?ふざけるな!」

傍に私がいることなど気にはならない様子で、さらに畳み掛ける。「いいか。戸崎か御神本だ。それ以外はダメだ」

馬主が立ち去ると、調教師は「これだから若い騎手が育たない」と言ってため息をついた。馬を調教するだけでなく騎手を育てるのも調教師の大事な仕事なはずのに、それがままならないというわけである。

折もおり、川崎所属ながら高知で期間限定騎乗中の中地雄一騎手が、高知での騎乗期間をさらに2ヶ月間延長するとの発表があった。2004年4月に初騎乗を果たすも、調教中の大怪我で約2年の休養。デビューから初勝利まで実に3年半を要した同騎手にとっては、実はその”初勝利”が南関東で挙げた唯一の勝利であるが、昨年11月に高知に移ってからは2勝をマークしている。

本来、騎手というのは騎乗機会を得るためにあちこち移動するものであるから、菅原騎手や中地騎手のような動きが一般的になる日は近いかもしれない。

 

 

 

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2009年1月29日 (木)

競馬場のカラス

これまで家庭を顧みることなく中山だ府中だ新潟だと出歩いていた私であるが、昨今は土日に競馬場に行くこともなくなったので、これまでの悪行の”詫び”という意味も含め、家族を連れて「富士山こどもの国」を訪れた際の話。敷地内に用意された人工の雪山で子供たちを遊ばせているべく、手近なテーブルのひとつに貴重品以外の荷物をドサっと置き、私もソリを抱えて雪山に足を踏み入れた。

30分ほど遊んで先ほどのテーブルに戻ってみると、荷物の一部が無くなっているのである。

すわ!置き引きか!

Karasu一瞬そう思ったが、犯人はすぐに分かった。カラスである。だいたいが、食べかけのメロンパンだけをわざわざ盗ってく人間もそうはいまい。ただ、そのメロンパンは海老名SAでわざわざ購入したやつだから、ヘコむことはヘコむ。

雑木林に囲まれたこの遊園地には、カラスどもの鳴き声があちこちから聞こえてくる。「うぅわ!このメロンパン、ちょーウマくね?」とか言ってるのだろうか。

カラスの鳴き声を聞きながらつらつらと考えた。

競馬場にもカラスはいる。私と同じように食べ物をカラスにかすめ取られるような被害はおきていないのだろうか。昼時を挟む上、馬券購入のために居場所を離れることもあるから、結構ありそうなことだと思う。

競馬場のカラスと聞いて思い出すのが、1981年の阪神4歳牝馬特別(現在のフィリーズレビューに相当)。軽快に逃げていたブロケードが、突然両前脚を突っ張らせて急にスピードを落としたのである。鞍上の柴田政人騎手も「何が起きたのかわからなかった」と述懐するほど突然の出来事だったが、ふと前方を見ると黒い物体がさっと空に飛び立った。ブロケードはカラスに驚いたのである。

そのあとのブロケードは、恐怖から一刻も早く逃れようとしてか「狂ったように(柴田政人騎手))走り、2着馬に6馬身もの大差をつけてゴールしている。

逆の例もある。2002年の弥生賞でバランスオブゲームに騎乗した田中勝春騎手の作戦は先行策。しかし、カリカリする気性が災いしとあって向正面で走りに力みが見え始めたその時のこと。バランスオブゲームの視線が前方の内ラチにとまっていたカラスにクギ付けになった。一瞬にして走りから力みが消え、見事な逃げ切り勝ちを収めたである。

レース後のインタビューで勝春騎手は「本番(皐月賞)では作り物のカラスを向正面に置いてくれ」とコメントしたほどから、よほどカラスに助けられたという思いが強かったのだろう。

Bgame  

そういえば、「札幌競馬場の本馬場には、たまに鮭が落ちている」と聞いたことがある。

いくら北海道とはいえ、鮭が馬場を遡ってくることなどあり得る話ではなく、この犯人も実はカラス。札幌中央卸売市場が近いこともあって、札幌競馬場にはカラスが多いとされる。レース中に空から鮭が降ってきたら、馬だけでなくさすがに騎手も仰天すると思う。

 

 

 

 

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2009年1月28日 (水)

中華風家庭料理の店

おかげさまで熱も下がり、幸か不幸か食欲も元に戻ったので、先週あまりの行列に断念した南青山の中華風家庭料理『ふーみん』にようやく足を踏み入れた。

正午ジャストの段階で行列11人。15分程待ってようやくの入店を果たしたが、目当ての「豚肉の梅煮定食」が残り1人前と聞いて胸を撫で下ろす。こちらでは何を食べても充分旨いのだが、目当てのメニューにありつけないとなれば、結局のところ思いは果たされず何かが残されてしまうので、それをクリアにするためにまた後日やって来て並ばなければならなくなる。まあ、昼飯ごときで大袈裟なんですけど。

Butaumeともあれこちらが貴重な「豚肉の梅干し煮」ですな。梅干しがゴロゴロ入っているので最初は驚くが、これがクセになる旨さ。私ごときの稚拙な文章力ではとても説明できるものではなく、「とにかく食ってみてくれ」としか書きようがない。申し訳ない。

冒頭にも書いたように、こちらのお店の看板は「中華風家庭料理」である。広東でも北京でも四川でもない。そうした従来の中国料理店とはひと味違う店としてお客を惹きつけているのは、中華料理店での修行経験を持たないシェフの独特の感性によるところが大きい。

もともとシェフが店を持つことになったのは、料理をごちそうした友人に「こんなにおいしい料理を私だけが食べているのは、もったいない」といわれたのがきっかけだったという。小さいときから両親が働いていたため、家族七人の食事の支度は長女であったシェフの役目。台湾出身の両親から受け継いだ料理の腕にも自信はあった。

Natto「家庭料理」というジャンルでの挑戦は、中華料理の既成概念の枠を大きく飛び出して成功を収めた。人気メニューの「納得ご飯」(※写真)をはじめ、「たらこ豆腐」「ねぎワンタン」そして「豚肉の梅煮」といった他店にはない珍しいメニューは、味に煩い青山界隈の客のハートを瞬く間に鷲掴みにしたのである。

こちらでは、かつてランチタイムの営業を一時休止したことがあった。多い日には300人を超える来客があり、このままでは「料理の質が落ちる」と懸念したことからの決断だったが、逆に夜の混雑がひどくなり、また常連客からの懇願もあって現在は昼の営業を再開している。

ランチをやるやらないというのは、実力店にとって大きな課題であると思う。ここでこの問題を語るには紙幅が足りないので日を改めるが、ランチサービスという営業スタイルに理解と配慮の足りない客が、結果として店をスポイルしているケースが多いように思えてならない。

 

そんなわけで「豚肉の梅干し煮」とドンブリ一杯のご飯を、ゆっくりとではあるが完食。まだ身体はふわふわするが、どうにか体調は戻ったように思う。私ごときの体調を気遣ってコメントやメールを下さった方にはあらためて御礼申し上げたい。ありがとうございました。

 

 

 

 

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更新遅れのお知らせ

筆者体調不良につき更新が滞っております。何卒ご了承下さい。

→おかげさまで体調は回復しました。インフルエンザではなかったようです。ブログの方も徐々に追いついていきたいと思います。

 

 

 

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2009年1月27日 (火)

禍福は糾える縄の如し

体調を崩した。

昨夜飲んだせいもあるが、明らかに熱発している。37度7分。これがもしインフルエンザだったりしたら、家人から家を追い出されてしまうことは必定なので著しく焦る。

なんと珍しいことに食事が喉を通らない。上手こと行けばこのまま痩せられるんじゃないだろうかと真剣に思う。自宅の郵便受けに届いた預託料請求書を見てさらに熱が上昇する。

意を決して病院へ。

検査の結果、幸いもインフルエンザではないと判明。しかし、夜の約束はキャンセルせねばならん。その罪悪感と熱による倦怠感を行ったり来たりの精神状態。ぐっすり寝付くのもままならない状況。辛い。

追い討ちをかけるように不幸の電話が鳴り響く。内容は詳しく書けんが、自馬に関する良くない知らせ。弱り目に祟り目とはまさにこのことか。体温さらに上昇し、ついに意識混濁状態に陥る。

薄れゆく意識の中で考えた。

「禍福は糾える縄の如し」という言葉がある。

良いことと悪いことは縄の縒り目のように交互に訪れるという意味だが、こと私に関して言えば「交互」には程遠い人生を過ごしているとしか思えない。禍、禍、禍、禍、禍、福、禍、禍、禍、…くらいのペースではなかろうか。全然言葉通りになってない。あんまりだ。

いや、あるいはこの言葉の真意は、「たとえ交互に来なくても、いずれまとめて来てちゃんと帳尻合うから、頑張ってやんなさいよ」というところにあるのかもしれない。そうでも思い続けてなきゃ、人生やってらんないし、競馬に関わるのなんて到底無理。だとすれば、そろそろ私の運気も反抗に転じる頃合い。ふんじゃあ何で勝負してやろうか?   などと考えつつ、熱にうなされる夜はまだまだ続くのである。

  

 

 

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2009年1月26日 (月)

ナマラスゴイ6戦目

正月2日にめでたく初勝利を挙げたナマラスゴイが、2勝目を目指して勇躍の出走である。もしここを勝つようならクラシックを意識せずにはいられないわけで、そう思えば自然と力が入る。

実は歓喜の初勝利を挙げた1月2日のゴールの瞬間を私はこの目で見てはいない。やむにやまれぬ事実により私は競馬場に来ていなかったのである。

ナマラスゴイは今日まで5戦を消化。そのうちの4戦を現場で見ていながら、たった一度の勝ちレースを見逃しているのだから、ヘコみ方もハンパではない。「あいつが来ると勝てない」なんつーおかしなジンクスが出来てしまわぬうちに、私の目の前で勝利を飾って欲しい。

幸い今日のレースは、3歳一組とはいえ突出した強い相手は見当たらないメンバー構成である。ただ、ナマラスゴイ自身も前走が辛勝だったからそれほど強気になれるわけでもない。単勝5.9倍の4番人気は妥当なところか。

ところでナマラスゴイと言えば、様々な意味で“縁”のあるヴァイタルクリークの動向も気になるところ。いつの間にかナマラスゴイの方が上のクラスに上がってしまったから、同じレースで相謁するには至らないもののナマラスゴイのレースの前に行われた下級条件戦に出走していた。

Vaital  

結果は4着。相変わらずゲートが開くやガーッと飛び出したが、今日は坂井騎手も負けずにビシッと抑え込んだ。何より直線で前回ほど止まらなかったのは素晴らしい。お兄さん(ヴァイタルシーズ)も同じようなタイプだし、徐々にリラックスすることを覚えていけば初勝利も近いと感じた。

そんなこんなでナマラスゴイのパドック。

Namara2_2   

馬体重470キロ。デキは悪くはない。スタート後に置かれることが多い彼だが、今日はこれまでより1ハロン長いマイル戦だから追走は楽になるはず。休み明け3戦目のアドバンテージも勝ち負けを意識させるが、「勝ったら驚く」と自らに言い聞かせる。

そんでレース。

Namara  

心配されたゲートだが、メンバー中一番の好スタート。ところが、坂井騎手が必死に押して好位置を取りに行こうと加速をしたその瞬間、内外から締められてガタッと後退。せっかくの好発も1コーナーでは後方集団の外という最悪の位置取りになってしまった。結果的にこのロスが大きく響いて6着。競馬だから道中にアクシデントはつきものだが、せっかくの好発を生かせなかった悔しさが募る。

しかし道中の反応は徐々に良くなっているということだから、悲観ばかりする必要もあるまい。6戦目にして初めて4着以下に負けたのは残念だが、次も勝ち負けになるチャンスはありそうだ。

 

 

 

 

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2009年1月25日 (日)

殺戮兵器としての馬

昨日に続き馬車の話。

我が国で交通手段としての馬車が発達しなかった理由はだいたい次の通りとされる。

①武士が乗る戦闘車両でありか攻撃兵器そのものでもある馬に「車を曳かせる」という発想そのものが受け入れられなかった。

②周囲を海に囲まれた列島国家ゆえ、長距離大量輸送の手段としては陸路の馬車よりも海路の船舶の方が発達しやすかった。

③欧米や中国のような平原地帯がほとんどなく、国土のほとんどを山岳地帯が占める我が国の道路事情では馬車の通行そのものが困難で、それならむしろ馬に跨がって(あるいは馬の背に荷を載せて)峠道を越えた方が手っ取り早かった。

②と③は良いとして、①の「馬は攻撃兵器」という件には補足が必要かもしれない。

「壬申の乱」の頃より馬は戦(いくさ)の道具として必要とされてきたが、特に重宝された馬の資質は、悍性がすこぶる荒く、近寄るものを手当たり次第に噛み殺すような、「問題がある」なんて表現にはとても納まらぬ気性の荒らさだった。当時の馬武者の戦法は、荒ぶる馬に跨がって敵陣に深くに飛び込み、手にした槍や刀で相手を斬るだけではなく、同時に自らの馬が敵を噛みあるいは踏みつけて殺戮を果たすというものだったからである。

Surusumi平家物語の「宇治川の先陣争い」に登場する2頭の名馬「池月」(いけづき)と「磨墨」(するすみ)をご存知だろうか。大井競馬場で毎年行われるレース名にもなっているから名前だけなら知っている競馬ファンの方もいると思う。

「磨墨」の方は、その名の如く真っ黒な馬体からその名が付いたとされるが、「池月」はもともと「生食」(いけじき)という名で平家物語に登場している。なぜ「池月」として世に広まったのかについてさほどの興味はないが、「生きているものと見れば何にでも食らい付く性格から『生食』と名付けられた」という一文はまことに興味深い。

Ikezuki_2もともとが源頼朝の所有にかかる馬で、「当代随一の名馬」と称賛された一頭だと思えばなおのこと。ややもすれば騎乗者自らをも危険にさらす猛獣のような馬こそが「名馬」とされ、それを乗りこなす武将こそ「馬術の達人」だったのである。

 

 

 

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2009年1月24日 (土)

馬資源枯渇の日本

馬車に乗ったことはありますか?

多くの観光地には観光馬車があるし、競馬場のイベントでも乗せてもらえるから「乗った経験はある」という方は少なくないと思う。馬のお尻を眺めながら、ポッコポッコという常脚のリズムで揺られるのは、なんというか独特の癒し感がありますね。

ちなみに我が国の道交法においては、馬車は「軽車両」にカテゴライズされ、自転車や荷車などと同じ扱いを受けてる。

とはいえ、普段道を歩いてて馬車とすれ違ったり、コインパーキングに馬車が停められている光景など見たことはない。欧米の街中ではいまだに馬車を見かけるが、我が国の交通史において「馬車」の存在感は極めて薄い。

かの村上春樹氏は、ご自身がどうしても理解できない謎のひとつとして「なぜ日本で馬車という交通手段が発達しなかったのか?」を揚げている。

馬車の歴史は古く、紀元前3000年古代メソポタミアの遺跡からは、荷車を馬のような動物に曳かせている絵が出土しているし、日本の文化に大きな影響を与えた唐の王墓には、副葬品として馬車が一緒に埋葬されている。唐の都にあったはずの馬車が日本に伝わっていないと考えるのは不自然だというのである。

と、ここまで書いておいてナンだが、私は考古学者ではない上、このブログ自体論文発表の場ではないのでその後のストーリー及び歴史的考察は割愛させていただく。要は、我が国でも古来より馬車文化が発達していれば、もっと馬が身近な存在であっただろうに、という惜々たる思いを抱いているのである。

Basha  

皇室関連行事では儀礼上馬車が使われるシーンもあるが、それも最近は激減しているという。現皇太子ご夫妻のご婚礼に際しては、当初馬車によるパレードが検討されたのだが、結局はオープンカーに変更された。「警備上の問題」と言われればそれもそうかと思うが、それならオープンカーもさして変わりはない。馬車が見送られた実際の要因は「パレードを行うに足るだけの馬を確保できない」という極めて現実的な問題だった。

だから廃用になる競走馬を馬車に回せ!   、なんて短絡的な話をするつもりはない。話はそんなに単純ではない。ただ「話が単純でない」という事実そのものが、この問題のエッセンスでもある。要するに馬事文化がとことん未成熟なのだ。

皇室ですら馬不足を云々されるほど馬資源に乏しい我が国だが、馬券売上では世界のトップを突き進んでいる。競走馬以外の馬を知らないのは、F1マシン以外の自動車を知らないのと同じこと。なぜ我々の周りには馬がいないのだろう? 再び同じ問いが頭に浮かぶ。

 

 

 

 

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2009年1月23日 (金)

チャーハンは哲学だ!

今日の昼飯は、地下鉄外苑前駅前にある『蟹漁師の家』より「蟹玉チャーハン・大盛」をお届けしております。

Kani1_2別名「ダイタマ」と呼ばれるこのメニューは相当にデカく、かつ相当に旨い。ゆうに2人前はある分量のチャーハンと聞けば、食ってる途中に飽きてきそうなものだが、ふわっとしたカニ玉や、その上にかけられたトロトロのあんのおかげで飽くことなく箸(スプーンだけど)が進む。だいたいが土台のチャーハンが出色の味だから「飽きちゃうんじゃ…?」なんて心配はまさに杞憂でしかない。チャーハンを食べ終えて、大きなカニの爪が入った味噌汁を飲み干すと「あぁ、カニ食った~」という達成感が身体全体を優しく包み込んでくれる。

Kani2むろん、時間によっては行列を覚悟しなければならない。私が店に到着した11時50分の段階で既に13人が空席待ちの状態。それでも待つこと15分足らずでカウンターに座れた私は、行列の人数を考えればむしろラッキーだったかもしれない。人数によっては不本意な相席ということもあり得る。

カウンターに座った私の目には、厨房で大きな中華鍋を振ってチャーハンを作っているコックさんの姿が映っている。体全体を使ったダイナミックかつリズミカルな”中華鍋ワーク”は、その動きを見ているだけでも楽しい。このブログでは何度も書かせていただいたことだが、腕の立つプロは例外なく手際に優れており、個々の動きに無駄というものがなく、時にはその所作自身が芸術的にも思える。高く宙空に舞い上がったご飯粒たちのなんと美しいことか。誇らしげに皿に盛られたチャーハンには哲学さえ感じる。

 

ところで11月20日付「他人事ではない話」の中で、「飲食店経営を目指すカメラマンの方がいらっしゃる」と書いたことがあったが、2ヶ月ぶりに当のご本人にお会いしてお話を伺ったところ、現時点では実現の可能性は極めて低い様子。

う~む、難しいもんですね。まあ、最初っから無理のある話でもあったわけだけど、こういう夢のある話が消えてしまうのはなんとも切ない。たしかに2ヶ月前とは景気動向がまるで違うけど、こんだけ景気が悪いと撤退する店舗もあるだろうから、逆にチャンスと言えなくもないんだけどなぁ。

 

 

 

 

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2009年1月22日 (木)

キラーストリート

例によって青山に来ているんだけど、まずは馬の話から。

Killer_st 

 

 

 

 

 

 

大井競馬の所属馬に「キラーストリート」という5歳の牝馬がいる。父バブルガムフェロー、母ヘイセイエルザ(母の父スズカコバン)という血統は誰もが目を引くような名血とは言えないかもしれないが、母系を辿ればアストニシメントに辿り着く名牝の流れを汲む名門の出自。アストニシメントのファミリーから出た名馬を挙げれば、クリフジ、チトセホープ、リュウズキ、テンモン、ブロケード、メジロデュレン、メジロマックイーン、オフサイドトラップ、トロットスター、リージェントブラフ、ショウナンカンプなど列挙に暇がない。

Killer01  

 

 

 

 

 

 

  

ところで、ここ青山の「キラーストリート」は、外苑西通りのうち青山通りとの交差点から北側、国立競技場を経てJR千駄ヶ谷の駅のあたりまでを指す。 

その異称の由来には諸説あるが、私が小学生の頃には既にそう呼ばれていたという記憶があるから、30年前のネーミングとすれば出色のセンスではないか。有力説のひとつに「コシノジュンコさんが名付けたらしい」という逸話があるのも頷ける。コシノさんが通りにブティックを開いた案内状に、その名を記したのがそもそもの始まり   、というのだが真偽は明らかではない。

その他にも

 ・青山墓地が近い
 ・交通量が多く殺人的渋滞が起こる
 ・当時大ヒットしていた歌手『ピンキーとキラーズ』にひっかけて

など諸説入り乱れる中、通りで営業するショップ関係者は「店殺し通り」じゃないか?と声を揃える。人通りがそれほど多いわけでもなく、店に個性がないとすぐ経営が傾く“栄枯盛衰”の通りというワケだ。

Killer02  

 

 

 

 

 

 

 

一方で、同じ土俵にありながら全く逆の「客殺し」説を唱える店もある。「他では絶対に手に入らないような品揃えで「絶対に客を落とす」という店が立ち並ぶから」と話せるのは、まがりなりにもこの激戦区で店を経営しているという自負の表れだろうか。

 

さて大井のキラーストリートに話を戻すと、通算3勝はすべて1~2番人気で挙げた白星で、逆に6番人気以下で走った12回のうち掲示板に載ったのは2回だけと、人気と結果が見事にマッチしている。さしずめ「穴党殺し」と言ったところだろう。

 
 

 

 

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2009年1月21日 (水)

”記念馬券”も積もれば1番人気?

MarionTCK女王盃はクイーン賞のリプレイのようなレースになってしましたね。もしユキチャンが内からダイワスカーレットばりの差し返しを見せて『奇跡の勝利』を飾ったところで、外のヤマトマリオンに被せられてゴール前写真は悲しい結果に終わっていたはず。ヤマトマリオンにしてもユキチャンをマークすれば勝てると決めてかかってるから、競馬に迷いがない。ジョッキーも「前に目標がいたから競馬はしやかった」とコメントしてたし。

Abumiその幸騎手。馬場入り時には右の鐙が外れたままガーっと馬が走り出したので、見てる方はヒヤッとしたけど、何事もなかったかのようにスポッと鐙をかけて走り去って行った。「ユキチャン」の人気は凄いけど、「ミユキチャン」もなかなか凄い。

 

 

 

 

Nise手前右の真っ白な馬体は金沢からやってきたシンシンマーキー。「ニセユキチャン」なんて呼ばれていたけど、ジョッキーが乗ってなかったらホントに区別しにくいですな。中継映像のカメラも2頭を間違えるシーンがあったりしたけど、まあ気持ちは分かる。

 

今日が今年の初顔合わせという相手ばかりなので「今年もよろしく」と挨拶三昧。さすがに「あけましておめでとう」とは言いづらいものがあり、ようやくここに至って「報知オールスターC」「船橋記念」「ニューイヤーC」の新年重賞を3連休してしまったことを悔やむ。いつもお世話になっているTさんに会えたのがせめてもの救いだが、大井でしか会えないIさんには新年の挨拶ができずじまい。なんでも「仙台出張中」とのことで、いったいどんな仕事なのか計りかねるのだけど、少なくとも競馬絡みではなさそうだ。

釧路の知人からユキチャンの単勝馬券を頼まれていたので購入。関東オークスを思えば売場窓口はガラガラに空いている。

ふと隣を見れば、同じように「単勝~11レース~6番~100円」と繰り返しマークカードを塗り潰している若い女性が。

一心不乱に馬券購入のマークカードを塗る女性の姿というのは……、う~ん、何とも表現のし難いけど、見た目に凄くたいへんそう。しかるのちに30枚はあろうかというマークカードの束と数枚の千円札を握りしめ、彼女は券売機へと向かった。

よもや、こうした“記念馬券”に投じられる百円玉の積み重ねがユキチャンを1番人気に押し上げたわけではないだろうが、もし次にユキチャンとヤマトマリオンが相まみえる機会が訪れたならば、そろそろヤマトマリオンが人気で上回っても良いんじゃなかろか?

そう思うと今日のヤマトマリオンの単勝配当260円は美味しかったのではないか?

ユキチャンの単勝オッズは170円だった。一方、馬単に目を転じればヤマトマリオン→ユキチャンの馬単420円に対して、ウラ目の1番人気・ユキチャン→ヤマトマリオンが340円。やはりヤマトマリオンの単勝がの“お買い得感”が際立つ。

両馬とも次はエンプレス杯。果たして人気はどう出るか?

 

 

 

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2009年1月20日 (火)

だるまさんでラーメン

今日も青山に来ております。

実は、やむにやまれぬ事情があって、昨日から毎日朝早く起きて青山に通わねばならなくなったんですよ。期間は月末までの2週間。「朝早く」と言っても青山9時だから普通っちゃ普通なんだけど、通勤ラッシュというものに馴れてないので、とにかく電車が辛い。朝の田園都市線の混み具合はハンパじゃない。

そういや10年ほど前にもやはり2週間ほど青山に通ったことがある。南青山のギャラリーで個展を開催した時の話だが、若かったせいか「電車が辛い」などと感じた記憶は残ってない。10年前っつったらスペシャルウィーク、エルコンドルパサー、グラスワンダーが高いレベルで凌ぎを削った年ですよ。懐かしい。そういや昨年はそれぞれの産駒がGⅠを勝ったんですね。たいしたものです。

Arima  

なんてよくよく考えて見れば、個展開催時は正午のギャラリーOPENに合わせて昼前に家を出て、ギャラリーがCLOSEする深夜2時にタクシーで帰宅という毎日だったからラッシュもなにもあったもんじゃなかったワケだ。

そんで今日の昼飯は当時足繁く通った『ふーみん』に行ってみようと思ったら、正午の時点でなんと行列10名。いやぁ~あ。相変わらずの人気ぶりに、ため息またひとつ。

『ふーみん』は諦めるにしてもこうなったら中華でないと気が済まないので、近くの『だるま』へ。

Daruma2こちらも混んでるけど、回転は速い。ワンタンのトッピングを施した「だるまラーメン」をすすれば10年前をを思い出して涙が出る……、なんてコトはないが、あんな素晴らしい日々はもう二度と自分に訪れないのだろうなと思って、若干陰鬱な気持ちになった。せっかく旨いラーメン食ってるというのに。

Daruma1そういえば「ダルマ」っていう名のマル外がいませんでしたか? カワカミプリンセスの従兄弟かなんかで、名前からも血統からも注目されていたと思うんだけど、いったいどうなったんだろか?

あと、今年の明け3歳世代に「ダルマックス」という馬もいたはず。なんか「アズマックス!」みたいな勢いのある響きで、単なる「ダルマ」よりはこっちの方が強そうに聞こえるけど、まあこれは個人的な感覚の問題です。とりとめのない話で失礼。

 

 

 

 

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2009年1月19日 (月)

青山でエドウィン・ダンを思う

野暮用(仕事)があって青山に来ている。

知人の馬2頭が人気を背負って大井で走るというので、気持ちとしては午後の早いうちに終わらせて競馬場に駆け付けたかったのだが、野暮用というのは思うように終わるものではないですな。終わった頃にはとっぷり日が暮れていたですよ。

せめてもの救いは、その2頭が揃って2着に敗れたことで、それを「救い」と書いてしまうことには若干の後ろめたさもあるが、実際そう思ってしまうのだから仕方ない。逆に万障繰り合わせて現場に行ってたら、悔しさのあまり立ち上がれないくらいのダメージを受けていたに違いないとも感じる。競馬で勝つというのは、ホント難しいですな。

Bochiビルのトイレの窓からの眺め。六本木ヒルズの手前に広がる広大な緑地は青山墓地。

 

 

 

 

で、突然エドウィン・ダンを思い出した。

1877年に新冠に御料牧場を開設して「馬産地・日高」の礎を築き、それまで日本に習慣のなかった馬の去勢術を伝え、農業に馬を導入することで結果として「ばんえい競馬」を広めるキッカケも作った米国人である。ついでに書けば、当時の札幌官園勤務時代にはビール醸造を目的として大麦栽培を開始した。まさに今の北海道を作った人物と言っても過言ではないような気がする。

乗馬の得意な彼は札幌と新冠牧場との間を馬を飛ばして通っていたという。札幌~新冠間て120キロくらいあるよね。そういうエピソードにあやかって、毎年夏には彼の名を冠したエンデュランス大会も行われている。

Hidaka  

なんで、突然「エドウィン・ダン」かと言えば、彼は青山墓地に眠っているんですね。3~4年ほど前、墓地を管理する東京都が管理費未納の墓を無縁仏に改葬しようとしたところ、市民団体が「史跡として保存すべきだ」と反発して騒動になったことがあって、その時にエドウィン・ダンの墓がココにあると聞いて意外に思ったのである。

ちなみに、エドウィン・ダンの一族については、ちゃんと管理費が支払われているから、改葬されることはない。安心して眠っていていただきたい。

 

 

 

 

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2009年1月18日 (日)

競馬の不思議と醍醐味

Monaku_2有馬記念を人気薄ながら2着と好走し、今日の日経新春杯では2番人気に推されたアドマイヤモナークは、父ドリームウェル、母スプリットザナイト、母父トニービンという血統の8歳牡馬。決してファッショナブルな血統とは言えないから、良血馬が集まる2001年度セレクトセールでの落札価格は2200万円だった。落札185頭中、上から85番目の価格である。

この年の最高価格馬はロッタレースのSS牡馬で1億9000万円。2番目の高馬はのちのハイアーゲームで1億5000万円。10番目の7800万円で取引されたキングマンボ牡馬は、言うまでもなくキングカメハメハである。

そんな中にあって2200万円という金額は比較的おとなしい方だが、それが8歳でここまで走っているのだから立派。実際、この年のセレクトセールで近藤オーナーは、ジェドゥーザムールのSS牡馬(9200万円/のちのアドマイヤビッグ)、オーピーキャットのSS牡馬(9000万円/のちのアドマイヤマッハ)といった高額馬を落札しているが、この2頭に比べればアドマイヤモナークは十分に稼いでいる。馬主孝行な1頭だ。

 

それにも増して凄いのは今日の日経新春杯を勝ったテイエムプリキュア。父パラダイスクリーク、母の父ステートリードンのこの6歳牝馬は2003年のオータムセールで250万円という廉価で竹園オーナーが落札した。それが今日の引退レースで5800万円を加算して、本賞金ベースで1億6000万円を稼ぎ出したのである。

Purikyua  

竹園オーナーについてさらに書けば、300万円で取引されたテイエムオオアラシが福島記念など重賞を3勝。1992年3月のHBA主催のトレーニングセールで1100万円で落札したテイエムハリケーンが札幌3歳Sなどオープン級を3勝。1997年秋のHBA2歳市場で1000万円で落札されたテイエムオペラオーについて、今さら成績は必要あるまい。

種牡馬サンデーサイレンスの出現以降、日本の競馬はガラリと変わった。他の種牡馬とは先天的に能力が違うサンデーサイレンス産駒を   どれだけ金を積んででも   確保することが「馬主の技量」とされ、「もはや相馬眼などは無用」とさえも言われるようになった。

しかし、いま種牡馬地図は再び混沌に向かおうとしている。

1億円馬が必ず走るとは限らないのが競馬の不思議なところであり醍醐味。それを久々に堪能させてもらった日経新春杯だった。

 

 

 

 

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2009年1月17日 (土)

寝る子馬は育つ

馬の早産化傾向の話の続き。

本来、ウマとは地面に青草が生え揃う春に出産する動物である。自然の中で暮らす北海道和種(ドサンコ)などを見れば一目瞭然で、雪の上に子馬を生み落とすことなどまずない。寒さが子馬の健康に及ぼす影響や採餌環境に従えば自然とそうなるのだろうが、暖かい馬房と十分な飼い葉が与えられているサラブレッドの場合、早生まれだからといって子馬の飼育上さほど問題はないのかもしれない。

しかし、冬と春の出産でまるで違いがないかと言えばそうとも言い切れない。特に子馬の行動にははっきりとした差が現れる。

Snow_2  

早生まれの子馬は、生後しばらくして放牧に出されるようになっても、放牧地は雪に覆われていることがほとんど。同じ生後1ヶ月の子馬の放牧の様子を比較すると、1月生まれの子馬の放牧時間中の総移動距離は3月生まれの子馬の半分以下。さらに、ただ立っているだけの時間の比較では、1月生まれは3月生まれの6倍以上の時間を「じっと立っているだけ」に費やしているという調査結果が出ている。

前者の「総移動距離」はそのまま「運動量」に置き換えることができ、後者の「立っているだけの時間」の比較は「運動」と「休憩」のメリハリの問題に帰着する。

「馬は横になって眠らない」などと言われることもあるが決してそんなことはなく、疲労が溜まっていれば横になって眠る。特に体力が備わっていないくせにあちこち走り回る子馬は疲れるのも早く、放牧地の真ん中で横になってぐうぐう寝ていることが多い。

Zzz  

睡眠には、浅い「レム睡眠」と深い「ノンレム睡眠」がある。より重要なのは深い睡眠でることに人間と馬の区別はない。脳の休養はもとよりノンレム睡眠時に分泌される成長ホルモンが欠かせないのである。馬の場合、横臥姿勢での睡眠こそがノンレム睡眠に相当する。放牧地で横になってイノセントな寝息を立てている子馬の体内では、成長ホルモンが疲労を回復させ身体形成を進めているわけだ。

ところが、一面雪に覆われた放牧地では、子馬が横臥姿勢をとる時間は減少する。すなわち貴重なノンレム睡眠は奪われ、成長ホルモンの分泌も阻害されると言われている。

雪が積もっていても干し草を撒いておけば、その上で横になれるけどね。干し草は偉大。でも、やはり一面に緑の牧草が生え揃った時期に比べると寝ている時間は減る。寝心地も違うだろうし。

Hoshikusa

近年のサラブレッドは昔に比べて急速に弱くなっている」という指摘に対する有効な回答につながるかもしれない   。こんな視点から研究を進める向きもあるが、冒頭にも書いたようにそもそもウマという生き物は牧草が生えそろった時期に出産する生き物であるのに、それを雪上に放つという行為の是非、すなわち「動物福祉」という観点からも研究が進むことを望みたい。

 

 

 

 

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2009年1月16日 (金)

早生まれのアドバンテージ

年が明ければボチボチ日高から子馬誕生の便りが届く頃合いである。

かつては1月中に生まれる馬は珍しい存在だったが、種付け~出産の時期は年々早期化する傾向にあり、生まれたばかりの子馬が雪に覆われた放牧地の上を飛び跳ねる光景も見慣れた感がある。

Snow  

早生まれの馬が増えたのは、2歳春から競馬で走らせることを考えればこそ。2月生まれと5月生まれでは、人間でいえばおよそ1歳の違いがあるのだから、早い時期の2歳戦では早生まれの方が断然有利   。一昔前まではこうした理由による早生まれ馬が圧倒的に多かった。

最近では『セレクトセール当歳』の存在が大きい。当歳セールだからまずは血統が重視されるわけだが、ディープインパクトが「小さいから」という理由だけで1億に到達しなかったように、最高ランクの血統馬がズラリと並ぶセールでは馬体が大きく見栄えがする方が価格も高騰する。7月に行われるセレクトセールでは、1月生まれの当歳と5月生まれの当歳ではまるで大きさが違うし、早生まれ馬は産毛も完全に抜けて毛ヅヤもピカピカ。売る側にとっては、生まれの早さは大きなアドバンテージとなる。

さらに種牡馬サイドの事情もある。一部の種牡馬に配合申込が集中し、1シーズンに250頭もの牝馬と交配する種牡馬も珍しくない時代である。そうなると以前のように4月から種付けをスタートしていたのでは数をこなしきれないから、2月の声と同時に種付けが開始されることになる。

サラブレッドの妊娠期間は約330日。2月1日に種付けして受胎すると出産予定日は1月1日となる。馬の年齢は「数え」だから、万一12月中に誕生してしまったら前の世代と競馬をしなくてはならないので致命的な不利になる。そのリスクを抱えながらも、生産者は早い時期の出産にギリギリまで挑んでいる。

(明日付に続く)

 

 

 

 

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2009年1月15日 (木)

邂逅の果てに

昨年末の某日、地下鉄大手町駅の構内で旧知の方にバッタリ遭遇した。

私が海外の競馬場に出向くたびにお世話になった海外競馬ツアーのエキスパートで、現在は当時勤めてらした旅行会社こそ退職されてはいるものの地方で馬を持っていらっしゃる。

ところで、冒頭で「遭遇」と書いたが、「遭遇」という言葉には「偶然、遭いたくないモノに遭ってしまう」というニュアンスがあり、ここで使うには相応しくない。奇跡的な嬉しい再会を示す言葉に「邂逅」というのがあるが、まさに今回は「邂逅」と呼ぶに相応しいケースだった。競馬場でならまだしも、大手町駅の改札ですれ違うなんて考えられんですよ。

Hongkongそんな邂逅を祝して、日をあらためて本日の飲み会となったのである。先日の『最上川』に続き今年2回目の新年会は、邂逅を果たした大手町駅直結のサンケイビルの地下のお店で実施。産経さんは1995年当時の我々二人共にに縁深く、飲むには相応しい場所であろう。

ただ、相手も競馬の素人ではないから、勢い議論は白熱した。これほどの相手と競馬の話ができるというのは、正直嬉しい。話は海外競馬から地方競馬の話まで多岐に及んだが、むろん啓蒙されることばかりである。

特に盛り上がった話題を敢えてピンポイントで挙げれば、某一口出資クラブの近況更新頻度が遅すぎる!という話題。「屈腱炎で放牧に出された」という事実を放牧後1週間してからHPで知らされた!とのことで、かなりのご立腹である。そりゃひどい。私も怒る。

11月28日付にも書いたように、一口出資クラブの情報提供頻度については、大きな転換がなされる時期に来ていると思う。FAXとか電話しかなかった当時とは違うのである。日々の更新にさほど労力を必要とせず、しかもそれを待ち望む人が大勢いるとなれば、自ずと答えは見えているはずだ。

今日はあまりに酔っているから、また後日に続きを書きたいと思うけど、「一口出資クラブの近況更新頻度問題」は、業界挙げて取り組むべきだと強く思った。

 

 

 

 

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2009年1月14日 (水)

愛宕山階段上りに挑む

野暮用があって虎ノ門までやってきたついでに愛宕神社に立ち寄ってみた。

Atago1愛宕神社は、港区随一の「山」である愛宕山のてっぺんにある。標高25.7mを示す三角点もちゃんと存在し、国土地理院発行の地形図でも「山」として表記されているその頂からはかつては房総半島が広く見渡せたというが、今では立ち並ぶ高層ビル群がそれを遮る。

 

 

 

 

Atago3神社正面には男坂という急階段がある。その段数86。

急峻かつ堂々とした階段で、途中に踊り場などなく、そびえ立つように立ち上がる階段の前に立てばその威圧感に圧倒されぬ者はいまい。もともと愛宕山は火の神を祭る信仰の山。神聖な空間と俗世を結ぶに相応しい威厳を保ち続けている。階段を上る途中で背後を振り返れば、真っ逆さまに転落してしまいそうな、そんな錯覚にも苛まれる。

 

この階段を馬で登り、梅の枝を手折って再び馬で階段を下りてきたという江戸時代の講談『愛宕山誉れの石段』をご存じだろうか。

Atago4たまたま愛宕神社の前を通りかかった将軍家光が、誰か馬で石段を登ってあの梅を折ってこれるものはいないかと家臣に問う。お供の者は顔を見合わせて皆尻込みし、それでも何人かの腕に覚えのある馬術の達人が果敢にチャレンジを試みるが、誰も成功するものはいない。あまりの不甲斐なさに家光が機嫌を損ねたところに間垣平九郎盛澄なる人物が登場する。間垣は、その場で五回ほど輪乗りをして馬の気持ちを静めたのち、一気に石段を駆け上りる。さらに梅の枝を手折ると、昇りよりも難しいとされる下りさえも馬でこなし、家光公の賞賛を浴びるというストーリーである。

この逸話の真偽や、そもそも間垣平九郎という人物が実在したかどうかも実は不明確で、実話である可能性は低いとされるが、逸話を自らの手で具現させようとこの急階段に馬で挑んだ人物が少なくとも10人いる。(※一般に「3人」とされているが、認知度の差だと思われる)

 一森彦三郎広有
 進藤重之丞延秋
 小松忠蔵
 佐脇大学
 四戸三平
 石川清馬(1881年)
 岩木利夫(1925年)
 里見国啓(1936年)
 須田福延(1939年)
 渡辺隆(1982年)

Nhkこのうち、1925年11月8日の岩木利夫の挑戦では、その年に愛宕神社の隣りでラジオ放送を始めたばかりのJOAK(現在のNHK)が馬での階段上りの模様を生中継している。「上り」が成功したところで、「下り」もあることを臨時ニュースで知らせたところ、大勢の見物客が殺到したと言うから、かなりのイベントだったのだろう。ちなみに、これが我が国におけ「生中継」の嚆矢。日本初の実況生中継は、なんと馬の階段上りだった。

岩木利夫は陸軍参謀本部の馬丁の職にあった人物。当時自分がかわいがっていた8歳のサラブレッド「平形」が廃馬にされてしまうということを耳にして、「この馬の真価を天下に知らせたい」と石段上りを決行したと言われている。

Atago2この話は”美談”として参謀総長から昭和天皇にも伝えられた。結果「平形」は廃用を免れ、騎兵学校の将校用乗馬に転用され天寿を全うしたと伝えられている。自らの職務上の立場のみならず、命をも賭して「階段上り」に挑んだ岩木の思いはここに実を結ぶこととなった。

それにしても、この階段を駆け上がった馬が10頭もいるという事実にあらためて驚く。実際に自分の脚で上ってみたら、見物に集まった野次馬たちの気持ちが分かったような気がした。

 

 
 

 

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2009年1月13日 (火)

社台牧場・吉田善伍氏を偲ぶ②

社台牧場の敷地には一本の川が流れていて、馬たちは毎朝その川を渡って対岸の放牧地へ向かい、日が暮れると再び川を渡って厩舎へと帰る。馬が川を渡るシーンを撮りたいと申し出た時、吉田善伍氏は私に付き合って一緒にカメラを構えてくださった。

ところが、ようやくやってきた馬たちは、迫力満点に川を渡るそぶりなど微塵も見せず、立ち止まって川の水を飲んだり、バシャバシャと水を叩いて遊んだり   。まるで思うような絵にはならず二人揃って苦笑した覚えがある。その時、「馬のことだから仕方ない」と静かにおっしゃったことが今も印象に残る。

Shadai  

秋になると川には鮭が遡上してくる。黒い魚影が上流を目指して力強く水を蹴る脇には、産卵を終えて力尽き、白っぽくなった鮭の姿もあった。

「あの今にも死にそうな鮭を何と言うか知ってますか?」

川にかかる小さな橋の上に立って鮭を眺めていると、ふいに善伍氏が口を開いた。「いいえ」。私は首を振った。

「あれは“ほっちゃれ”って言うんです。タマゴを産む前と後で呼び名が変わるなんて変でしょう。それだけ北海道の人は鮭と親密だという証でもあるんでしょうけどね」

私は黙って聞いていた。

「小さいころは、この時期になるとあればかり食わされた。ぜんぜん美味くない。味なんかない。でもそれしか食卓に上がんないんだから食べなきゃなんない」

「人間だけでなく、キツネやクマも“ほっちゃれ”を食べますよ。やはり不味いなぁと思いながら食べてんじゃないかな。クマは出ますよ。そのあたりの山にいます」

「北海道の厳しい環境の中で、人や動物が生きてこれたのはやはり鮭のおかげなんでしょうね。最近、こうして鮭を眺めてたら、そう思うようになったんです」

北海道拓殖銀行が破綻し、道内の景気が一気に冷え込んだ頃だった。あるいは馬産地北海道の行く末を案じてらしたのかもしれない。

従兄弟が経営する社台グループが世界でも有数の牧場に成長するのを横目に見ながら、社台牧場の成績は思うようには伸びなかった。私が訪れる間にも飼養頭数は目に見えて減り、JRAの出走表に生産馬の名を見つけるのも難しくなってゆく。今現在でJRAに競走馬登録されている生産馬は若駒Sを勝ったモチを含む6頭。現役のユウトウセイ産駒は地方を含めても見つけることができない。

しかし「馬」というのは結果が出にくい仕事であり、たとえ出たとしても恐ろしく時間がかかることもしばしば。もちろんそのことは善伍氏がいちばんよく知っていた。だから、生産馬の成績だけで善伍氏の功績を云々すべきではないのだろう。間違いなく馬産地胆振の礎を築いたひとりであり、競馬発展のために細かな労力を惜しむことなく、邁進した65年。それ自体が大いに賞賛に値すると思うのである。

(この項終わり)

 

 

 

 

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2009年1月12日 (月)

社台牧場・吉田善伍氏を偲ぶ①

新年も明けたばかりだというのに、少しばかり暗い話を書くことをお許しいただきたい。

我が国の競馬界をリードする社台グループは、照哉氏・勝己氏・晴哉氏の3兄弟の父・善哉氏によって現在の礎が築かれたわけだが、善哉氏とその3人のご子息はいわゆる“本家”ではない。

本家筋にあたるのは白老にある社台牧場。近年ではユウトウセイやダービーレグノといった重賞勝ち馬を出しているその本家の3代目・吉田善伍氏が昨年11月に急逝して2ヶ月になる。65歳は早い。突然の訃報を聞いた時は、何かの間違いではないかと真剣に思った。

Derby最後にお会いしたのはいつだったか。たしか数年前のセレクションセールの会場だったと思うが、いつかははっきり思い出せない。電話で話したのは2003年の新潟記念をダービーレグノが勝った時が最後になるか。受話器の向こうで「ようやく結果が出てきたのかもしれない」とおっしゃったのは、ダービーレグノ一頭のことを指したのか、あるいは牧場の生産馬全体のことをおっしゃっていたのか。今となっては、もう分からない。

元旦に我が家に届いた年賀状の中に「小学校時代から善伍氏と親友」という方からの1枚が含まれていた。それを読むうち、またいろいろなことを思い出したのである。

社台牧場は1928年に白老にあった徳川家の牧場を継承する形でして開かれた。後に独立して社台ファームを立ち上げる吉田善哉氏も、子供時代をこの地で過ごしている。社台牧場は善哉氏の兄・善一氏が経営にあたり、その後を善伍氏が継いだ。

善伍氏は「競馬の裾野を広げたい」との思いを強く抱かれていたと思う。地元の小学校で馬と触れ合う機会を提供する一方、牧場を訪れたファンに丁寧に応対する姿がしばしば見られた。

生産馬のユウトウセイが種牡馬として牧場に帰ってくると自宅の一部を改造して、ファンからの手紙や写真などを展示するメモリアルコーナーを作り、その一角でユウトウセイを目当てにやってきたファンと言葉を交わした。話が尽きると馬を連れ出し、顔を撫でさせ、最後には自らカメラを持ってファンと馬の2ショットを撮ることも忘れなかった。カメラを持参しないファンがいれば、自宅から愛用の一眼レフカメラを持ち出してきて撮影し、現像して、きちんとアルバムに入れて送ってあげていた。

なぜそこまでするのか?

最初は私にもよく理解できなかったが、結局は「競馬の裾野を広げたい」との一心からの行動だっだのだろう。

(明日付に続く)

 

 

 

 

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2009年1月11日 (日)

2009年初JRA

昨日付で「今年は競馬場に行かんだろう」と書いたばかりだというのに中山競馬場に足を運んだ。“初JRA”である。

Ushiうし。

 

 

 

 

 

つっても文字通り競馬場に行っだけ。船橋法典から入場し、場内で働く知人宛ての預かりモノを手渡したところで、馬券も買わず、馬を見ることすらもせず、そそくさと引き揚げた。

Garagara法典地下道からスタンド前を見上げる。日曜の昼過ぎだというのにガラガラ。

 

 

 

 

純粋な“おつかい”のために電車賃と200円の入場料を支払ったと思うと悲しい。悲しいので、せめて年始の挨拶くらいはと行きつけのコーヒーショップに顔を出す。「今年も御贔屓に」と言われたけど、ぶっちゃけ御贔屓にできるかどうかわからんです。

Coffeeコーヒー。270円。

 

 

 

 

 

カメラを持ってきてないので、写真はみんな携帯で撮ったやつ。カメラを持たずに競馬場に来るというのは、とても手持ち無沙汰なものです。

Sora 

 

 

 

 

  

せっかくココまで来たんだからと祐ちゃん先生の墓参りに。

ところがどっこい競馬場からだとエラく歩くね。暇な上に運動不足だからちょうど良かったんだろうけど、途中で引き返そうと何度思ったことか。

昨年末に仏壇まで1mの近さに居ながら、やむない事情によりお線香をあげられなかったので年跨ぎのお参り仕切直し。手を合わせて「どうか壮君(二本柳騎手)を見守って下さい」と必死に祈る。願わくば、勝負どころで壮君の馬を後押しして欲しい。今年も去年のような成績に終われば、いよいよ後がなくなってしまう。

 

 

 

 

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2009年1月10日 (土)

新春恒例『最上川』

新春恒例、大和の割烹『最上川』での新年会でござる。

Tokkuri大晦日から元日未明にかけてだらだら飲んだり、とあるイベントが終わって“打ち上げ”と称した飲み会が3日にあったりしたけど、あらたまった“新年会”というのは今年初。銘酒『最上川』で新年の門出を祝う。酔ってるからカメラ(携帯)を持つ手も震えているけど、ともかくめでたい。

昨日まではいただいた年賀状の内容から、私の周囲の方々の2009年を書き連ねてきたが、肝心のてめえはどうなんだ?というメールを頂戴したので新年会方々ここでご紹介したい。

①馬券購入額激減
年間100万以上突っ込んでいた一昨年までがそもそもおかしかったのだが、昨年の馬券購入を振り返ってみたら20万に達していなかった。しかも、うち3万弱が大晦日の『大井馬券大会』での投入分。競馬場に行く機会そのものが減っているから、今年は10万割り込むんじゃないか。

②競馬場来場機会激減
JRAのみならず南関東も行く機会が減りそう。原因は私のお仕事の問題にある。行くとしたらナイター開催が始まってからか、あるいはポーカーアリスが走るかそのどちらかだな。いずれにせよ春まで待たねばならん。ああ、でも年末のゆりかもめオープンのアタリ馬券があるから、払戻期限の前にどうにかして一度行っておこう。

③1or2歳馬購入
ボチボチ若駒を持って新たな夢に賭けてみたいという気運が高まってきた。今年の馬の相場次第だが、この不況の中にあってよもや昨年より上がることはあるまい。これまでさんざん馬券で溶かしていた金で賄える程度で探すつもり。

ざっとこんなトコだろうか。景気の悪い話と良い話が入り交じってるけど、なんか楽しみを盛り込まなきゃやってられんもんね。

Tamamo  

それにしても今日は飲んだ。4人で2升半ということは一人6合余り。う~、明日に残りそう。

 

 

 

 

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2009年1月 9日 (金)

年賀状に見る苦悩と決意

今日に至ってもまだ年賀状届きますね。そんなわけで年賀状の話を続ける。

Paddock2_2競馬から離れる人がいる一方で「離れずに頑張る」とか「離れたくとも離れられん」という方からも便りは届く。景気の良い話が皆無なのは時世を考えれば当然のこと。「少しずつ」とか「着実に」なんてフレーズが目についた。

とある一口出資クラブ(いわゆる共同馬主クラブ)の関係者から届いた年賀メールには「例年にもまして募集馬の選定に頭を悩ませることになりそうです」とあった。クラブ会員の大半を占めるのは会社勤めか自営業の一般生活者。そうした人たちがこの不況下で「新たに馬を持とう」と考えるだろうか? 情勢は極めて厳しいというのが、彼の分析である。

となれば需要に合わせて供給量を減らすのがスジ。しかし、一頭あたりの募集口数を減らせば単価が上がって顧客離れを招くだろうし、かといって募集頭数を減らせば「欲しい馬がいない」と購入を見送るケースも考えられる。むろん何も手を打たなければ満口に届かぬ募集馬が続出して、クラブ職員が「現物支給」の形で募集馬の面倒を見ることになる。これがいちばん避けたいシナリオである。まあ、それで走りゃば良いんだけど、競馬はそんなに甘くはない。

 

とある若手騎手(このブログでさんざん書いている二本柳騎手ではありません)からの年賀状には、「騎乗機会の少なさを嘆くよりも、悔いの残る騎乗をゼロにしたい」とあった。勝ち星欲しさに窮々とするあまり内容がおろそかになっていたという自省に基づく決意を読めば、書き手の心中察するに余りある。現実をしっかりと受け止め、その上で前を見据えるほかJRA騎手としての彼の道は残されていないのだ。

Paddock私との比較でつい「若手」と書いてしまったが、彼もいつの間にか“アラサー”と呼ばれる年代。競馬学校の同期たちも次々と引退している。騎手デビューから10年以上現役を続けるのは、思うよりかなり難しいことだとあらためて感じる。

 

 

 

 

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2009年1月 8日 (木)

競馬から遠ざかる人たち

松も明けたというのに、郵便受けにはまだ年賀状が配達されてくる。あれですかね。最近は年賀状の配達パターンが変わりつつあるんすかね?

昔は元日の朝にドカッと大量に届いてあとはパラパラ程度。5日には配達はほぼ終えていたように思う。

しかるに今年は元日付にも書いたように、元日の朝に郵便受けに入っていた年賀状の束は存外の薄さであった。「これも不況の表れか」と自分なりに納得していたのもつかの間、2日には元日を上回る枚数の束が届き、3日にも輪ゴムで留められた“束”が届いたのである。必ずしも元日に届かなくても良いという風潮は、出す方のみならず配る方にも広がっているのかもしれない。かく言う私も30日に投函したのだから、あまりエラそうなことを言えた義理ではないが。

それはそうと、自宅に届いた年賀状をあらためて読み返してみると、「競馬から離れた」とか「最近あまり競馬場に行ってない」という近況報告がやたらと多いことに気がつく。

競馬から離れて5年。今では馬の名がさっぱりわかりません。
 (元競馬専門誌本紙予想記者)

年明けから料理のコラムを始めます。競馬からどんどん離れてしまいます。
 (某全国紙競馬担当記者)

●●●●(←馬の名前)の引退で、ついに持ち馬がいなくなりました。
 (JRA馬主)

最近はまったく競馬場に行ってません。以前では考えられなかったことです。
 (かつて私の個展に来てくれたコアな競馬ファン)

Arimaなどなど。他にも音信不通になった競馬カメラマンとか、行方不明になってしまった馬主さんとか、あるいは昨年中に亡くなってしまった競馬関係者なども含めれば、私の身の回りで競馬から遠ざかる人はどんどん増えていることになる。一方で、新たに競馬を始めたとか、競馬関係の職についたという人は   私の周囲には   いない。

競馬というのは一度関わってしまえば一生涯の付き合いになるものだと固く信じていた時期もあったが、現実はそうではないようだ。買わなくなれば見なくなるし、見なくなれば興味も消える。

そも私自身が良い例になりつつある。昨年だったか一昨年だったかはっきりしないが、中山金杯をナマで見れなかったことを「20年ぶりだ」とか「情けない」とか書いたはずなのに、今年は行かずとも見ずとも特に気にならなかった。競馬ファンなら「一年の計は金杯にあり」なんてことを言ったりもするが、馬券を買おうなどという気もおこらない。不思議といえば不思議。

慣れというのは怖いもので、競馬に行けないとなれば「いやだいやだ競馬に行きたい!」と駄々をこね、周囲に迷惑をかけるほど不機嫌になっていた昨年までの私はどこへやら。4日の午後は別の仕事をしながらTVを見ていたのだけど、見ていたのはプロ野球選手が集まった運動会のような番組だったと記憶している。中山金杯のことなど微塵も気に留まらなかった。

JRAについて言えば、「新規プレイヤーの獲得」の一点にマーケティング戦略がシフトするあまり、「既存プレイヤーの囲い込み」にまで配慮が行き届いていないと指摘する向きは多い。これではせっかく汲んだ水をザルに移し替えているのと同じこと。顧客一人ひとりと長く付き合い、リピート需要を引き出すことこそが、少子高齢化時代に即した商売のあり方ではなかろうか。

 

 

 

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2009年1月 7日 (水)

トウケイニセイと聞けば

トウケイニセイが水沢にやってくるらしいですよ。地元のみならずコアなファンには興味をそそられるイベントだと思うのですがいかがでしょう?

http://www.iwatekeiba.or.jp/hp/news/0901/090106n03.html

Toukトウケイニセイについては私より遥かに一言あるカメラマンの方が活躍してらっしゃるので、あまり多くのことは語れないのだが、私もかの馬にまつわる深い思い出をひとつ持っている。

といってもライブリマウントに屈した南部杯ではなく、かといって引退レースを劇的な勝利で飾った桐花賞でもない。現役引退後のハナシ。

種牡馬生活をスタートさせた彼を真っ先に見てやろうと思った私は、1996年1月のとある日に小雪舞う門別の種牡馬場を訪れた。そこで働く知人に頼みこんで馬を引いてきてもらって、立ち姿を撮り、顔を撮った。「昨日、蹄鉄を脱いだばかり」と言うだけあって、すぐにでもレースに使えそうな雰囲気を醸し出していたことを思い出す。

トウケイニセイ以外にもダイタクヘリオスやイナリワンなどを撮り、知人に礼を言って私は種牡馬場を後にした。ところがその時、ふと魔が差してしまったのである。

Snow門を出て左へ向かえばすぐ国道に出るのに、何を思ったか右へハンドルを切ってしまったのだ。間違えるような道ではなく、おそらく「こっちの方の牧場も見てみよう」程度のことだったと思う。

 

 

ほどなくして辺り一帯は猛烈な地吹雪が吹き荒れ始めた。

視界ゼロというほどでもないが、目印になりそうなものがさっぱり見えない。カーナビなど無い時代である。どっちが山でどっちが海なのか。もっと言えば、どこまでが道でどこからが道でないのかすらも分からなくなってしまったのである。私は焦った。

焦った私は「とりあえず今きたこの道を戻ろう」と、狭い道路上でUターンを試みた。途端に、ガタンと大きな音がして左前を脱輪してしまったのである。

あのとき親切なヒグマの親子が通りかかって脱出を手伝ってもらえなければ、きっと私は吹き溜まりで凍死していたに違いない   。なんてのはもちろん冗談で、たまたま通りかかって助けてくれたのは、優しいオジさんが乗った四輪駆動車。ともあれ、私はトウケイニセイと聞くと、吹雪のなか不安にかられながら助けを待った数十分間のことを思い出す。あれは恐かったですね。

ちなみにトウケイニセイの父トウケイホープは、バーナスコーニやトゥインクルバードを所有する東京都競馬株式会社の所有にかかる馬で、「トウケイ」という冠名はすなわち「東競」の意。ただトウケイニセイは東競さんの所有馬ではなく、「父トウケイホープの二世」という意味が込められた命名。「オグリワン」みたいなもんですな。

 

 

 

 

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2009年1月 6日 (火)

実名投票8年目のJRA賞

ウオッカが2008年の年度代表馬に選ばれたそうで、関係者の皆様におかれましてはおめでとうございます。

年度代表馬を初めとする各JRA部門賞は記者やアナウンサーなどの有資格者300名による投票で決まるが、JRAは公式サイトで投票内容の内訳を投票者名つきで(一部の投票者を除き)公表している。これは2002年1月の発表時(2001年の年度代表馬)から実現されたもので、情報公開の流れに沿ったものであると同時に、必ずと言って良いほど不可解な投票があり、それに対するファンの指摘や質問に答えるという意味もあった。

Vodka  

”実名投票”も8年目を迎え、かつてのような不可解な投票は姿を消しつつあるが、今年も年度代表馬部門に「スリープレスナイト」という票が投じられた。投票したのは読売新聞大阪本社・競馬担当の真田記者。おそらく深謀遠慮あってのことだろうとは思うが、そのうち紙面の上でその思いを吐露してくれるだろうか。

去年はディープスカイが変則2冠を制したが、年度代表馬部門の票数はウオッカ(180票)はおろか、次点ダイワスカーレット(79票)の半分にも達しない37票。3歳で2冠を制すれば年度代表馬の最有力候補と言われた時代はとうに過ぎ、ミホノブルボンを最後に2冠馬の年度代表馬は誕生していない。サニーブライアン、エアシャカール、ネオユニヴァース 、キングカメハメハ、メイショウサムソンと同様、ディープスカイも最優秀3歳牡馬のタイトルに甘んじた。セイウンスカイに至っては最優秀3歳牡馬も獲れなかったもんなぁ。

3歳クラシックの重みがまるで失われたとは思わないが、競走馬を評価するモノサシは、エアグルーヴやエルコンドルパサーの当時を境に大きく変わった。

「3歳同士」「牝馬同士」「国内同士」という様々な条件の枠を徐々に廃して、どれだけ普遍的な強さを見せられるかが問われる時代である。牡馬相手に2つのGⅠタイトルを獲り、なおかつ負けたとはいえ海外で僅差の勝負を繰り広げたウオッカの年度代表馬は当然の帰着だった。

なんでスリープレスナイトかなぁ……。気になる。直接聞いてみようか。

 

 

 

 

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2009年1月 5日 (月)

初打ちは「ばんえい」で

2009年初打ちは氷点下の帯広ばんえい競馬場。うう~ぅ。寒いっす。

Butadonといっても、競馬目当てで帯広にやってきたわけではなく別の用事のついで。午前中に地元の新聞社に行って、お昼に豚丼を食べて、午後は大学を訪問してそのまま空港に戻る予定だった。ところが、午後2時にはすべてのスケジュールが片付いてしまい、このまま帰るのはもったいねえべと、競馬場に向かったのである。今日は元日から続いた5日間連続開催の最終日。平日だからガラガラかと思ったが、思ったよりはお客さんが入っている印象を受ける。

帯広市長とばんえい競馬を運営する会社「オッズパーク・ばんえい・マネジメント」の藤井社長が揃って会見したのは昨年12月の25日だったか。時期が時期である上に会見内容が「来年度の開催について」であると聞いて、「すわ、オッズパーク社撤退か?!」という憶測もちらっと飛んだという。

しかし、そんな憶測を拭い去るように、会見の冒頭で帯広市長は来期の開催について基本合意がなされたことを発表した。折からの不況で競馬運営は厳しい状況にあることは認めた上で、その逆境をチャンスに変える意気込みで臨む方針を示したのである。

Bamba帯広市長の言葉は事実上の「ばんえい競馬存続宣言」であり、まずはひと安心。とはいえ、たしか次年度の競馬開催を申請する場合は12月中に何らかの手続きをしなきゃならんとかいうルールがあったはずで、そうだとすれば実にギリギリの決断だったことになる。

しかも会見に同席した藤井社長は「来年度に向けて協議を進めていきたい。企業の意思としては確定的というよりは協議開始ということだ」と述べ、「開催を基本合意した」とする市長との認識にあからさまな温度差があることも露呈した。

さて今年の初打ちの成績だが、3鞍に3千円ずつ突っ込んでことごとくハズレ。勢い余って場外発売の金沢にまで手を突っ込んでそれもハズレ。3連単発売がなく必然的に馬単勝負となるのを「簡単」と思った自分のなんと浅はかだったことか。ばんえいの売上げに少しでも貢献したと思えばまだ救われる部分はあるのだが、今年も馬券では苦労しそうだ。

 

 

 

 

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2009年1月 4日 (日)

【同着論③】2戦2勝2同着

1着同着は日本ダービーや有馬記念などわが国の旧8大競走では一度もないと書いたが、本場イギリスのダービーでは19世紀に2度に渡り記録されている。ちなみに、日本の1着同着の最多頭数は3頭とも書いたが、イギリスでは4頭による1着同着がやはり2度記録されている。単勝式馬券は4通りが的中。もし3連単があれば24通りが的中することになる。JRAのシステムってそういうケースに対応してんのかな? ソフトはともかくハードの方ね。パドックの電光掲示板とかは無理っぽいでしょ。

大レースの同着に話を戻すと。2003年のアメリカ・ブリーダーズカップターフでジョハーとハイシャパラルが1着同着となったことはまだ記憶に新しいし、1992年の大井・帝王賞ではラシアンゴールドとナリタハヤブサが1着同着となった。であるから、「デカいレースではなにがなんでもシロクロつける」という概念は少なくともグローバルスタンダードではない。

JRAや地方競馬の競馬施行規定には「同着の場合における賞金は、その着順以下同着となった馬の頭数に相当する着順までの賞金の総金額を、同着馬の頭数に等分して同着となった馬に交付する」という条項がある。良く知られていることだが、1着が同着となった場合に2頭が受け取る賞金は、(1着賞金+2着賞金)÷2となる。しかし、ひと昔前は1着賞金をそのまま2頭に授与する競馬場もあったと記憶している。地方の場合、判定を不服として主催者とモメたり提訴されるケースも珍しくなく、そうしたトラブルを避けたいという主催者の思惑がそのような賞金ルールを作り出したのだと思われる。

競馬場にとって「同着」という決着できれば避けたい。舞台が大きければ尚更である。

Hana  

珍しい同着の記録としては2006年6月6日。名古屋競馬6日目2Rで、宮下瞳騎手のヘイセイチャンスと、小山信行騎手のメイショウタンドルが1着同着となったことがある。言うまでもなく、両騎手は2004年2月に結婚した夫婦ジョッキー。夫婦での1着同着は国内競馬史上初というが、夫婦で騎手というケース自体が希有なだけにそりゃそうだろうと思う。

【2006年6月6日 名古屋2R】 http://www2.keiba.go.jp/keibaWeb/PageFlows/RaceMarkTable/RaceMarkTableController.jpf?k_babaCode=24&k_raceNo=2&k_raceDate=2006%2F06%2F06

 

2003年7月19日の小倉競馬9R・日向特別では、インターコウキとエリモアスリートの2頭が1着同着となった上、ダート1700mの勝ち時計1分43秒8がレコードとなった。1レースで2頭のレコードホルダー誕生はJRAの記録にはない出来事だった。

Kokura1700  

 

2001年も押し詰まった12月30日の川崎1R。イソエイイーグルとプリンスガーデナーの2頭は3コーナーからビッシリと馬体を合わせてマッチレースを展開。ついには2頭が鼻面を揃えてゴールした。

写真判定となった1着、2着の結果が「同着」と発表されると、スタンドのファンよりもむしろ検量付近にいた関係者の方から大きなどよめきが起きることになる。というのも、この両馬はちょうど1ヶ月前の11月30日のレースでも1着同となり優勝を分け合っていたのである。しかも2頭の鞍上も前走と同じということで、史上に例のない「同一人馬による2戦連続の1着同着」という記録が生まれた瞬間だった。

【2001年11月30日 川崎4R】 http://www2.keiba.go.jp/keibaWeb/PageFlows/RaceMarkTable/RaceMarkTableController.jpf?k_babaCode=21&k_raceNo=4&k_raceDate=2001%2F11%2F30

【2001年12月30日 川崎1R】http://www2.keiba.go.jp/keibaWeb/PageFlows/RaceMarkTable/RaceMarkTableController.jpf?k_babaCode=21&k_raceNo=1&k_raceDate=2001%2F12%2F30

まがりなりにも“デビュー2連勝”を飾ったイソエイイーグルの方は、その後半年間の休養に入る。そして、今度こそ自分一頭だけの1着ゴールを期して翌年7月10日の川崎開催で復帰……するはずだった。

ところが、折悪しく関東地方に接近しつつあった台風6号の影響で川崎競馬は開催中止。この日予定されていた重賞スパーキングレディカップは翌日に振り替えて実施されたが、イソエイイーグルが出走を予定していた条件戦が振り替えられるはずもなく、同馬はそのまま登録抹消となる。

JRAの記録を紐解けば、同着を3度経験したストレンジメグロや、2戦連続して2着同着となったキョウエイヤヨイというケースはある。だが、「同一人馬による2戦連続の1着同着」とか「2戦以上のキャリアがありながら、生涯戦績が1着同着のみ」というイソエイイーグルのような記録は例がない。

 

 

 

 

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2009年1月 3日 (土)

【同着論②】凱旋門賞の失態

昨年秋の天皇賞では「2cmの差」が大きな話題となったが、フランス凱旋門賞では3着馬の「同着」が大きな波紋を呼んだ。

3歳牝馬のザルカヴァが圧勝し、日本から参戦のメイショウサムソンが10着に沈んだこのレース。3着はソルジャーオヴフォーチュンとイッツジーノの2頭の「同着」と判定されたのだが、後日になってイッツジーノの陣営が「明らかにウチの馬の方が先着している」として提訴に踏み切ったのである。

Hanteipic_3日本では写真判定に使われた写真は、公正確保のための「証拠」として競馬場内に掲示されるばかりではなく、報道関係者に配布されるし、インターネットでも公開されることになっている。

ところがフランスでは事情が若干異なる。

写真判定の写真は、競馬統轄機関である「フランスギャロ」が保管するのみで、その場でファンが確認することはおろか、報道関係者ですらすぐには入手不可である。

今回、イッツジーノの馬主がどうやってその写真を入手したのかは分からないが、提訴に際し判定写真のコピーをメディア関係者に提示したことから騒ぎは大きくなった。

写真を見る限り、確かにイッツジーノの方が前に出ているように見える。陣営が法的措置という大がかりな手に打って出た気持ちも分からないでもない。

だいたいが、ディープインパクトの出走した凱旋門賞でも、レース3日後になって勝ちタイムを5秒以上訂正するなど、我々の感覚とはちょっと懸け離れた運営をしている主催者である。結局、件の提訴は退けられてしまったのだが、馬主は納得したとしても、馬券を買ったファンは納得してんのかね? あるいは、フランス人はその程度のことでギャーギャー騒がない気質なのだろか?

もし日本で同じことやったらタダじゃ済まんね。そう思えば、目を皿にしながらたった”2cm”の差を見出したJRAの対応は当然なのかもしれない。

 

 【凱旋門賞の判定写真】
 http://www.horseracing.ch/france-galop-lehnt-protest-arczielfoto-ginolager-nd-2717.html

 

 

 

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2009年1月 2日 (金)

【同着論①】あわや4頭が

有馬記念をダイワスカーレットが勝ったことで年度代表馬争いは混沌としたまま年を越してしまったが、「ベストレース」というカテゴリで言えば秋の天皇賞が多くの票を集めることになると思う。今でも私は「同着だった」と信じるが、「日本のGⅠレース(グレード制導入前は「8大競走」)においては未だに1着同着がない」という事実を踏まえれば「GⅠでは何が何でも白黒つける」というJRAの不文律の存在を穿ったりもする。

KeiseihaiGⅠ格に及ばない重賞レースの1着同着は過去8回記録されている。(JRAのみ)

 1955 クモハタ記念(マサハタ&ヨシフサ)
 1961 日経新春杯(キオーガンヒカリ&タイカン)
 1976 愛知杯(トウカンタケシバ&ハードラーク)
 1979 福島記念(ファニーバード&マイエルフ)
 1988 阪神大賞典(タマモクロス&ダイナカーペンター)
 1997 平安S(シンコウウインディ&トーヨーシアトル)
 2002 京成杯(ヤマニンセラフィム&ローマンエンパイア)
 2007 阪急杯(プリサイスマシーン&エイシンドーバー)

ちなみに、GⅠレースの1&2着馬の「最小着差」は、良く知られているように1996年のスプリンターズSのフラワーパークとエイシンワシントンでその差は1cmだった。次いで昨年秋の天皇賞の2cm。1994年エリザベス女王杯のヒシアマゾンとチョウカイキャロルの時も、「ほぼ同着」と言われながら、それでも3~4cmの差があったとされる。

先ほど「旧8大競走には1着同着がない」と書いたばかりだが、天皇賞の前身とも言われる帝室御賞典には、1着同着になると日を改めてマッチレースを行い優勝を決するという規定があった。

「同着→再戦」というルールは当時の欧米においても一般に採用されていたから、それに倣ったのだろうが、1930年にイギリスのジョッキークラブが「馬にとって過酷である」との理由から決定戦廃止の方針を打ち出すと、やがて世界各国の競馬場から「再戦」は姿を消していく。

Hanahana  

と、ここまで書いて、またまた先ほど書いたことが気になってしまった。

「マッチレースを行い優勝を決する」と書いたが、1着同着は必ずしも2頭のみとは限らないですよね。

日本国内レースでの1着同着の最多頭数は3頭。戦後では大井、笠松、川崎、高崎で1度ずつ記録されている。

中でも1986年8月の川崎10R新涼特別のゴール前の争いは熾烈を極めた。このレースは、

 テスコカチドキ 佐々木竹見
 アーノルドフジ 桑島孝春
 トランスワンスター 中地健夫

の3頭が同着となったのだが、驚くべきは猛然と追い込んで4着となった石崎隆之騎乗のガーデスイチフジの着差はなんと「ハナ」。あわや4頭の同着という大記録が誕生するところだったのである。いや、惜しかった。

 

 

 

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2009年1月 1日 (木)

とある馬主からの年賀状が

昨夜は大井の競馬が終わってから、あちこち寄り道してようやく帰宅すると既に年が明けている時間。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

Rappa帰宅時に集合ポストを覗くと、社台サラブレッドクラブの会報誌「Thoroughbred」が。”初荷”のページをめくりながらゆるゆると初日の出を待ってたら、そのまま眠ってしまったようで目が覚めたると既に時計は10時過ぎ。既に天頂に近づきつつある”初日”を仰ぎ見ながら再び集合ポストに降りて、配達されたばかりの年賀状を取って戻る。

なんか例年より少ない感じが……。

当然ながら私の交友録には「年賀状のみの付き合い」という方もいるわけだけど、そういった人からの年賀状が届いてないのが特に気になる。最近になって突然競馬場に来なくなった馬主さんも、一人や二人でない。何かの偶然ならいいのだけど、若干の不安を覚えながら大手町へ。

元旦早々たまっていた野暮用を済ませなければならない。用事が早く終われば川崎競馬場の正月開催に行こうと目論んでいたのだが、これがまるで終わらず迎春賞はネット中継で観戦。昨日までの大井は逃げ馬天国&休み明け馬地獄だったけど、川崎はまた違った競馬が展開されてますな。東京ダービー以来のブライトフェースが差し切り勝ちとは。

Bright  

帰宅後、夜も更けた時分に自宅の電話が鳴る。

時間が時間。日が日だけに「何だろう?」と構えて受話器を取ると、年賀状が届いてないことを心配した馬主からだった。年賀状の印刷が出来なかったので、電話で新年の挨拶しているとのこと。今ひとつ飲み込みにくい状況ではあるが、ともあれ声を聞く限りお元気であることは間違いなさそう。

「今年こそは久々に会って競馬のお話しましょう」と約束したのだが果たしてどうなるか。でもそんな約束が出来ただけでも十分のような気がする。

 

 

 

 

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