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2008年12月31日 (水)

ダブルメインの大晦日

Ooi2_3毎年恒例。大晦日は従兄弟のうっちーと大井競馬場の指定席で過ごしております。 

第1レースからベットリと馬券を買い、あわよくば的中させ、今年一年間の邪気を取り払って、心新たに新年を迎えようイベントだが、当然のことながら毎年邪気まみれになって帰宅することになる。

ところが今年に限っては1~3レースを連続的中。特に2レースの馬単は2万馬券だから太い。どうしたことか? 喜ぶよりも逆に何か不吉な出来事の前触れではないかとビクビクしながら、2歳優駿牝馬を迎えた。

Ooi_2  

Roma個人的な注目はロマ。「ロバ」と呼んで揶揄していたお客さんがいましたが「ロマ」です。9番人気ながら5着と健闘したので、この際ぜひちゃんと覚えて欲ください。

 

 

Ooi3そんなロマは先々を見据えて追い込む競馬に徹した。ところが、タメにタメて追い込んだロマよりも逃げたネフェルメモリーの方が1秒近く上がりが早いんだから嫌になってしまいますね。まあ、今はそんだけ力量差があるのは事実だけど、いずれ追い付きたい。

 

Ooi4それにしても今日は寒いッス。外にいるのが辛くて仕方ない。プレゼンターのにしおかすみこさんも、彼女のイメージより厚着してらっしゃるような。まあ当然か。

私も寒いので2歳優駿牝馬が終わったら屋内に引っ込んで寒さを凌ぐことに。余りの寒さにカウントダウン特別はスルー。十分体をあたためて、ゆりかもめオープンの発走直前になってになって現場に戻る。「もう帰ったかと思った」と言われたけど、ある意味このレースこそが大晦日のメインレースでござるよ。

 

Ooi5そんなわけで日本競馬界今年最後のレースは、今年もこのゆりかもめオープン。ロイヤルマコトクンとモエレラッキーの人気馬2頭が、壮絶なバトルを展開してなかなか見応えのあるレースだった。寒いなか残っていたかいがあったッス。

 

それでは皆様良いお年を。m(_ _)m

 

 

 

 

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2008年12月30日 (火)

事故

30日未明、ついに年賀状150枚を校了。フラフラになりながらも「もし6時に起きれたら大井の能験に行こう」と決めて3時過ぎに布団に入る。

で、いざ目が覚めて時計を見たら6:25。

……微妙。

目当てのライトレジーナの発走は7:20。今から準備して、駅まで走って、大井町からタクシー飛ばしても間に合うかもしんないけど、そこまでして見るもんでもないし…。でも、せっかく起きたんだから行っておこうか…。

なんてウダウダ考えているうちに無為に時間は過ぎていつの間にか時計は6:40。う~、もう間に合わん。というわけで二度寝。しかるのちに昼過ぎに大井へ。

昼過ぎなら帰省客もそんなにいないだろとタカをくくってたら東京駅は結構な混み具合で、浜松町から乗ったモノレールも、デカいトランクを携えた家族連ればかりで肩身が狭いことこの上ない。

それでも少数派の意地とばかりに競馬新聞を広げたら、向かいに座っていた子どもが「あのひとけいばだよ」と無邪気な発言をして、その母親が慌てて子どもに何か囁いた。何を言ってるのかはわからなかったが、「これ! 汚いモノを見るんじゃありません」みたいなことのようであったように感じる。「君も大きくなったら、こうなるのかも知れんのだよ」と思ったけど、もちろん口にはしない。

Tokeiそんなわけでテンションが下がった状態で大井到着。でも、着くなりカレンダーを頂いたりして幾分テンション回復。

大井は昨日と同じ16度。快晴。コートがいらない陽気。

一度は上がったテンションもシンデレラマイルが終わった時にはまた若干下がってしまっていた。なんとも後味悪い結果に終わってしまいましたからね。怪我人が出なかったのは何よりだし、あくまで馬のやったことだから誰も責められない。不幸な事故であると言う他はない。

 

Karauma 

でも、何かちょっとしたさじ加減の違いで怪我人が出ていたかも知れない。あるいは、もっとたくさんの馬が外ラチに吹き飛ばされたかも知れない。もしそうなっていたとしても、単なる「事故」で済まされたのだろうか。

Motohashiそういう意味では重賞初勝利を果たした本橋孝太騎手は気の毒だったかもしれない。大半の人は直線入口での出来事に気を取られて、勝った人馬に関心を寄せるような状況ではなかったからである。ひとり大ハシャギしているカメラマンの方もいたけど、それはあくまで例外。普段なら引き上げてくる人馬を撮るべく小走りに移動するカメラマンたちも、今日はその場に留まってターフビジョンが映し出すリプレイ映像にクギ付けとなった。

「落馬→カラ馬が他馬の邪魔をする」というケースを想像することは難しくないが、いざそれを真っ正面から見てしまったら、驚くというより引いてしまう。あるいは今回はレアケースなのかもしれないが、カラ馬から派生するリスクというものを垣間見たシンデレラマイルであったような気がする。

ところでライトレジーナは無事能験をクリア。蛯名調教師によると、能験後も問題はないので次開催の未出走戦でデビュー予定とのこと。既に兄(ライトハート)よりもひと回り大きな馬格を誇っており、楽しみな一頭になりそう。なって欲しい。

 

 

 

 

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2008年12月29日 (月)

気合いだーっ!!!!!

昨日は中山競馬場滞在が8時間。麻布に移動しての忘年会がやはり8時間。

1日の3分の2を競馬と酒に充てるというロクでもない過ごし方に若干の自省の念でもあったのか、帰宅後はずいぶん遅くまでパソコンに向かって“有馬記念仕様”の年賀状作りに励んだようなのだが(酔っていて記憶無し)、今朝あらためて出来栄えを見てみたら、とても人様にお贈りできるような代物ではなかった。こんなモノのために年末の貴重な時間を費やしてしまったのだと思うと虚しさばかりがこみあげてくる。ともあれ午前中は残る50~60枚の年賀状書きを少しでも進めるべく朝食も摂らずに(二日酔いだから)机に向かう。

年賀状といえば、金曜付けで「とある騎手に出す年賀状用にご本人の写真を取りたいので、ちゃんとパドックで騎乗してほしい」なんてコトを書いたのだが、案の定パドックには姿を現さなかった。仕方なくゴール前で待っていたのだけど、これも案の定の落馬&競走中止。哀れゴールにも姿を現すことなく彼の2008年は終わりを迎えることになってしまった。彼も悲しいだろうが、私だって悲しい。一応馬場入場の時に撮ったカットがあるにはあるのだが、落馬したレースを年賀状に使うというのは、やはり礼儀に反するものだろうか。

気がつけば時計は正午に近づいており、慌てて家を出る。12時半に大井町に着くと競馬場行きのバス乗り場には長蛇の列ができていた。みんな昨日馬券でひどい目に遭ったはずなのに、懲りないんですね。

Gyuudon競馬場に到着して、今日最初の食事はごらんの吉牛。何度でも訴えるけど、普段の食事はこれが一番多いんですよ。今日は競馬場も混んでいて、立ち食いテーブルは5人の相席。

 

 

 

Uchi今日は内田騎手も来場。この勝負服も久々に見るとそれなりに新鮮ですな。

ポーカーアリスを預けている牧場の社長がきていたので様子を聞き出したり、「野平会」の方が馬主席にいらしていたので挨拶に行ったりしている間に東京大賞典の発走と相成った。

まさかブルーホークのハナとは思わなかったが、のんびりした流れの密集から一気に抜け出して、さらに後続を引き離した2頭の能力には脱帽するしかない。時計は平凡だが間違いなく好レース。少なくとも昨日の有馬記念より見る価値はあった。

 

Kiai_2

右の写真は「気合いだーっ!!」と叫ぶカネヒキリ。……なんてはずはないか。

 

ともあれ、レース内容とはあまりに対照的なぐだぐだの口取りでしたね。始まるのを待ってたら終わったみたいな。

 

Kaneそれにしてもカネヒキリという馬のなんと凄いことか。屈腱炎という致命的な不運のみならず、加齢やブランクによる衰えすらも乗り越えてしまう能力には畏敬の念を禁じ得ない。

 

 

レース後は昔から世話になっている八雲の店に顔を出すも、早めに切り上げて21時前にはしっかりと帰宅。いささか酔ってはいるが、今宵は残る年賀状と対峙することになる。

 

 

 

 

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2008年12月28日 (日)

有馬記念よりもサラトガ

夕べは両国で飲み、泥酔で帰宅してから2時過ぎまでなぜか年賀状を書きまくって、朝7時に起床。朝飯も食わずにすぐに着替えて出発。8時に都内某所で知人と待ち合わせているのである。正直しんどい。

中山競馬場へ向かう都心の道路は空いていて、鬼越ICを降りてからも混雑らしい混雑もなく、「あれ? 今年の有馬はガラガラか?」なんて軽口叩きながら9時半に駐車場に到着してみれば、なんと満車寸前。1R前だというのに北方十字路交差点は人で溢れ、馬主席もその時点でほとんど席が埋まっていたから、つまり我々は「遅い部類」にカテゴライズされていたようだが、あれ以上早く起きんのは無理でしょう。今にも寝てしまいそうなくらい眠い。

とはいえ、今日は6Rにサラトガが出走するので気が張っている。

1000万昇級緒戦の前走が8着。クラスの壁にぶつかるのは当然だが、クラス2戦目で距離短縮、しかも内田博幸騎手に手が戻るということもあって「4~5番人気になって、結構楽しめるかな?」なんてユルく考えていたのだが、いざ新聞の印をみてみたら、◎とか○が結構並んでいる。「なんじゃこの新聞。おかしいんじゃねぇか?」とか言って別の新聞を見たらやはりちらほら◎がある。

Sara1何が起きているのかわからぬまま迎えた6R。パドックのオッズ表示をみたら、僅差といえなんと1番人気なのである。

今日は有馬記念で普段馬券を買わぬような素人ファンが大勢来ているから、ただ『ウチパクだから』とかいう理由だけで買ってんじゃないか   

なんてことを考えた。人気になったらなったで不安に襲われるもんなんですね。

そうこうするうちにレース。

ワンテンポ遅れた感じでゲートを飛び出すと、向こう正面では中団からの競馬。ここ数戦は先行だったし、逃げたこともあったけど、やはり久々の1200mでついていけないのかも……、と不安ばかりが募ったが、落ち着いてみれば、いつのまにか内ラチ沿いを絶好の手応えで進出してきた。

4コーナーのジョッキーの手応えで「勝った!」と確信。

Sara2  

こう感じながらも実際には負けてしまうこともあるのだが、サラトガが勝つ競馬は何度か見ているので、これは間違いない。ゴールに入るのを見届けるよりも早く、席を立って、狭い階段を駆け上り、遙か彼方の検量に向かって走った。

こんなに疲れるほど走ったのは久々だ……(^_^;

ウイナーズサークルに辿り着いた時には、1200mを1分11秒で馬ってきたばかりの馬よりも、200mばかりを3分くらいかけて走っただけの私の方が、遙かに息が上がっていた。日頃の運動不足をいたく反省。

それにしても4馬身差の圧勝である。サラトガに◎を打った予想記者様やサラトガを1番人気に押し上げたファンの方々の慧眼には恐れ入る。直線で後続を引き離した時は、お母さんのスイングバイのレースぶりを思い出した。母譲りのスピードにさらに磨きをかければ、来年は更なる飛躍も期待できそうだ。

 

 

 

 

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スカーレットも強いけど

有馬記念が終わって、麻布十番の『むら田』で釜飯食べてビールを飲んで、さらに西麻布に移動して焼酎を飲んでベロベロの帰宅。とりあえず暫定更新。

ダイワスカーレット強かったですね。

Arima 

しかし、サラトガも強かったですよ。

Saratoga

 

前回の500万勝ちは内田博幸騎手の今年100勝目のメモリアル勝利だったけど、今回の勝利は、移籍一年目の内田博幸騎手の最終勝利。関東リーディング獲得の記念すべき123勝目となった。

内田博幸騎手とは良くも悪くも縁がある。お母さんのスイングバイは内田博幸騎手が乗って大井のトゥインクルレディー賞を勝ったほどだし。

ともあれ、本更新は明日とさせていただきます。おやすみなさい。

 

 

 

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2008年12月27日 (土)

ユウワスーパー、デビュー

Keijiban「スーパーイノセント2006」改メ「ユウワスーパー」が、今日の中山5Rでついにデビューを果たすのである。私とユウワスーパーとの縁(えにし)については、2006年3月12日付「スーパーイノセント2006」を参照されたい。

 

とにかく、産まれた時はこんなだった赤ちゃん馬が…、

Yuuwa1 

Yuuwa2半年後にはこんな感じのやんちゃ馬に育ち、

 

 

 

 

 

 

 

 

1年と10ヶ月を経て、こんな立派な2歳牡馬としてパドックに現れたのである。

これでテンション上がらない方がどうかしている。

Yuuwa3_2  

テンションが上がっているのは私だけはなく馬も同じようで、かえし馬では「おりゃーっ!!」って感じで突っ走っていってしまった。

Yuuwa4  

レースでも、普通にゲートを出たのに、2コーナー過ぎからびゅーっと行ってしまって、よもやのハナ。今日の鞍上である武士沢クンにはとてもじゃないけど御し切れない感じ。2歳馬に持ってかれているようじゃイカンですな。

結果は勝ち馬から大きく遅れた11着。しかし、久々にテンションが上がるレースを見れて満足。次走は変わって暮れるものと信ずる。

Yuuwa5  

その後は淡々と馬券を買いながら競馬を見る。単勝1.1倍のジャンバルジャンが普通に負けたり、マルカラスカルが逸走したり、フラムドパシオンが右前の腱断裂で競走中止寸前になるなど、今日は一番人気が受難の一日。寒風に耐えてフラムドパシオンを撮り続けた身としては同馬の故障は痛いが、馬券はナンヨーヒルトップから買っていたので痛し痒しの結末。

Pacion  

それにしても、フラムドパシオンの「右前」っつったら、屈腱炎やったトコですな。今のところ「競走能力喪失には至らない」との判断らしいが、それでもただでさえ脚元に不安のある馬だし、このあとの判断に注目が集まる。

そんな中にあって、今日二番目の興奮(一番はユウワスーパーね)は中京最終R長良川特別だったか。

9番人気の二本柳壮騎手のラヴォランテが直線で先頭に立った時は、今年一番の声が出た。いやぁ、ここでの1勝は大きいなんでモンじゃないですよ。きっと周りの人は私が単勝を買っていたと思ったかもしれないが、私はただ壮クンに勝って欲しいと思っただけで馬券は買ってません。お騒がせしました。

それでも、単勝36倍の配当を知った時は、「なぜ買わなかったのか!」と自分を責めたことも事実。でも   いくら壮クン贔屓の私でも   勝つとは思わなかったからねぇ。

12月27日になってようやくの今年初特別勝ちの壮クンだが、お金の面でも1着賞金1050万円はデカいね。今年これまでの壮君の獲得総賞金は、ほぼ1億円。今日の1鞍で1割を上乗せしたんだから、正月のおせち料理がちょいと豪華になるかもしれない。よかった、よかった。 

 

 

 

 

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2008年12月26日 (金)

ボンキュッボン、ラストラン

↑ (タイトルについて)正式に手続きが完了したとかいうわけではありませんが、ほぼ決まりです。

 

Bonq気温6度。騎手がゴーグルを飛ばされるほどの猛烈な北風で体感的にはもっと寒い大井2日目の7RはC1クラスのダート1200m戦。ボンキュッボンの18戦目は、耳が千切れちまったんじゃないかと思うほどの寒さの中で迎えることとなった。

 

今日の鞍上は戸崎圭太騎手である。

2着馬以下を8馬身の彼方に置いてきた初勝利。返す刀でシスターエレキングに3馬身を付けた2勝目。いずれもボンキュッボンの背中には青赤星散の服色があった。

Bonq3 

その後、坂井英光、繁田健一、本村直樹といった騎手が跨ってきたが、最後の最後に戸崎騎手の手に背中を委ねることになったのもきっと何かの縁。なんとか2歳当時を思い出してくれないものかと、藁にもすがる思いでスタートを待つ。

Chokokuでも、まだあと3分あるので、こんな写真を撮って遊んでみたりして。

 

 

 

 

 

 

そうこうしているうちにスタート。

スタートは悪くない。が、二の足がつかず向こう正面で早くも中段に置かれてしまう。早くも暗雲垂れ込めモード全開。

3コーナーで騎手の手が激しく動くが、馬は思うように前に進まないようで、直線に入って内をついたが、先行馬群には大きく置かれており、内でも外でもどこでも選べる状況に過ぎなかった。結果、勝ち馬から3秒近く離されたされた11着で入線。

戸崎騎手は「ササって追えなかった」と言ってたが、たとえまともに追えたとしても、伸びしろがあったかどうか…。思えば、いつもならはち切れんばかりの馬体を誇るパドックでも、今日は馬がすっかり萎んで見えた。馬も分かっているのかもしれない。

北風にあらがいながらモノレールの駅を目指して歩いていると、ふいに昨年の東京2歳優駿牝馬を思い出した。ちょうど1年前。彼女はそのレースに出走を果たしただけでなく、3番人気に支持されたのである。今日と同じ「7」のゼッケンを付けて果敢に逃げたが、結果は最下位。思えば、あの一戦から彼女の走りのリズムに微妙なズレが生じてしまったような気がする。

Bonq2 

放牧、転厩、距離短縮、騎手変更……等々。1年かけて、周囲は様々な手を尽くしてきたが、ついに彼女はそのリズムを取り戻すことはできなかった。いや”取り戻そうとしなかった”のかもしれないが、それは結局わからない。いつものことだけど、馬とは難しいものだとつくづく思い知らされた。

 

 

 

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2008年12月25日 (木)

勝利数大暴落の年の瀬

今年最後のJRA開催の出走馬と騎手が確定した。残すは泣いても笑っても71鞍。リーディングは武豊騎手で決まり、関東リーディングも内田騎手でほぼ決まりとくれば、あとは三浦皇成騎手の新人記録だが、それも100に届かなければさほど緊張して見るものではない。

となれば、あとはあまり勝ってない騎手が、土壇場で虎の子の1勝を挙げられるかどうか? というささやかな   しかし当事者にとっては極めて大事な   視点で見ることになる。

Soh1毎年有馬記念の直前になると「壮くんの勝ち星が……」と嘆いている気がするが、私が贔屓にしている二本柳壮騎手は、今年はわずか3勝という成績のままついに最終週を迎えることになってしまった。

「9勝なんて少な過ぎるから、最終週に1勝積み上げて、せめて10勝くらいしてくんないと……」みたいなことを書いたのは一昨年の有馬記念の直前だったか。それがまさか2年後に「3勝」まで暴落するとは思わなかった。トヨタ経営陣の気持ちが少し分かったような気が……しないか。

その最終週の壮君のラインナップはどうなんとんじゃ? とJRAのサイトを調べる。中山とか阪神で乗れっこないから、土曜の中京1Rの出馬表を開く。ない。続いて2Rを開く。いない。3R。やっぱない。4R。あれ?いない。

10Rも11Rも「二本柳」の名前はなく、いいかげん「あれ? 中山なのかな?」とも思うが、そんなワケないんで、「ひょっとしたら騎乗停止中だっけ?」なんて思いつつ諦め気味に12Rを開いたら……いた。

中京でも1鞍だけ……?

若干ヘコみつつ日曜の中京を調べたら4鞍発見。都合5鞍。間違えれば1つくらい勝てるラインナップだけど、どうかなぁ……。もし私が金子真人ならもっと勝たせてあげられるのに……。すまん、許してくれ。

なんてアホなことを思いつつ年賀状の準備をしていたら、とあるJRA所属騎手に出すのに今年撮った写真がないことに気付いた。私がJRAから離れてしまったこともあるだろうが、よくよく調べてみたらその騎手の騎乗機会が激減していることも一因。だって、東京では一度も見なかったぞ。

調べたら明後日の中山で1鞍乗るようなので、そこで撮ることにしよう。もし撮り逃したらウチの子供の写真の年賀状になっちゃうので、できればパドックから跨って欲しい。以上、業務連絡でした。

 

 

 

 

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2008年12月24日 (水)

憂鬱なX’masプレゼント

「ポーカーアリスの帰厩がさらに延びそうだ」との連絡を受けた。世間はクリスマスイブだというのに、なんとも嬉しくないプレゼントが届いたものである。

ブログを読み返してみると、11月28日付に「幸いにも来月帰厩予定だと連絡があった」という一文がある。つまり、この時点では12月26日の調教試験を受けようということになっていたわけだ。

Screenところが、ジャパンカップ観戦のために上京していた社台ファームの重鎮のお方が、スクリーンヒーローの祝勝会の余韻も醒めやらぬJC翌日の12月1日にポーカーアリスの様子を見に行ってくださり、ツメの具合を調べてもらったところ「まだ早い」との判断が下された。その時点で「帰厩は1月上旬」と改められた。

それが、ここへ来てさらに1ヶ月押しというのである。「2月帰厩→3月の船橋開催で復帰」との青写真だが、今から3月のことは正直あまりイメージしづらいものがある。

うむむむむむむむ………。

二度に渡る帰厩延期の理由は「半端な状態で戻しても仕方ない」というものである。

それは分かる。分かるが、よくよく考えてみれば、社台のお方がポーカーアリスを見に行く2週間ほど前に私が見に行った時の第一印象が、やはりこのブログの11月22日付に残されていて、「(年内帰厩は)どう見積もっても無理。(中略)復帰は来年の夏頃になるんじゃなかろか?」と書いてある。

今となっては、「結局はこの見立てが正しかったんじゃないか?」と思わずにいられない。3月の復帰戦というのも   馬のことだから当然なんだけど   流動的だ。前にも書いたが、結局は自分の目で見て判断しなけりゃならんのである。

なんて、馬の愚痴を書き出すときりがないので、他の馬の話も。

Bonqbon  

明後日の大井の枠順が発表になり、ボンキュッボンが7Rに出走することが確定した。注目のジョッキーは……、なんと戸崎騎手!

ナマずるいところがあるので戸崎騎手のようなアタリの柔らかいタイプでは逆にちょっと……、という思いがあるのは事実だが、一方でボンちゃんの2勝でいずれも手綱を取っていた騎手であることとも間違いない。文字通り「背水の陣」で臨む今回。”何か”が起きてくれやしないか   ? そう願わずにいられない。

  

 

 

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2008年12月23日 (火)

地元馬の回避続々

一部のスポーツ紙は東京大賞典を「空前の好メンバー!」などと煽り立てているけど、地元馬が続々回避して、少頭数のレースになりそうですよ。アンパサンドとドリームスカイの両ダービー馬は回避決定。トップサバトンあたりも回避濃厚とのこと。「相手が悪い」っつーことなんだろけど、単なる馬場貸しに終わっては盛り上がるモンも盛り上がらんでしょう。週間予報で29日が「雨」となっているのも、ちょっと気がかり。

さて、今日は休みでござる。

わざわざ浦和に行くほどの番組ではないし、寒いし、書かなくてはならない年賀状は溜まってるし、カレンダーも送らなきゃならんし、一応大掃除みたいなこともしなきゃならんし、…等々の理由から一歩も外に出ることなく過ごすことに。

まずはカレンダー。こないだ「カレンダーは早く送らなきゃ」なんてことを書いたのに、まだ送り終えてないんですわ。早く送らないと、相手の人が中山金杯が4日に行われることに気付かないまま帰省のスケジュールを立ててしまい、勇んで5日に中山へと繰り出したら新春ジャンプSを見る羽目になってトボトボ帰宅   。なんて、新年早々気の毒なことになりかねない。

そんなことになっては一大事と、くるくるとカレンダーを梱包して宛名をペタペタ貼る作業を続ける。やれやれ、JRAが金杯の日程を変えたりしなければ、こんなに慌てずに済むものを。

カレンダーといえば、来年の社台のカレンダーの1月を飾るのはメイショウサムソン。引退後は社台スタリオンで繋養されるからだけど、社台のカレンダーでメイショウの勝負服を見るというのは、なんというか若干の違和感を覚える。それにしても、アドマイヤジュピタ・チチカステナンゴと合わせて社台の新種牡馬3頭は、いずれもサンデー系ではないところが興味深いですね。

Meisho_2  

次は部屋の掃除。…というか不要品の洗い出し作業。買ったまま読んでいない本、取り置きの新聞、写真、人から頂いたカレンダー、レーシングプログラム、手紙、番組表、請求書、領収書、……なんて類のものが堆く積み上げられている。妻はこれの「山」を見る度にタメ息をつき「要らないモノは捨ててくださいね」と言う。

とはいえ、それは「必要だから」という明確な理由があって保管しているわけで、本来要らないモノなどないのである。それでも何か捨てるものを差し出さなければ彼女は納得しない。仕方なく、「山」を崩してに床に広げたら余計に散らかって一気にテンションが下がった。

Ishino  

しかもどういうわけか、自分が撮ったと思しきイシノサンデーの写真(おそらく弥生賞)が発掘されたりして、「この地層は1996年当時のものか!」なんてムダに盛り上がっているうちにどんどん時間が過ぎて気付いたら夜になっていた。

また、年賀状できない……。

 

 

 

 

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2008年12月22日 (月)

ロクでもない一年だったけど

今年も残すところ10日足らず。早いものですね。ただ、振り返って「良い年だったか?」と問われれば、正直返答に窮するところもある。

競馬とは無縁の仕事に忙殺され3歳クラシックをほぼ棒に振り、挙げ句の果てにJRAから袖にされたのが今年の前半。さらに、ポーカーアリスとともに夏の新潟へ乗り込むはずが、股関節痛で遠征話はチャラ。認定勝ちのメリットは露と消え、次いで発症した蟻洞に振り回されたのが今年の後半。

健康で無事に年末を迎えることができたのは何よりだが、こと競馬に限れば良いことより悪いことの方が圧倒的に多かったような気がする。「良いこと」といえは、縁のある馬が勝って口取りさせていただいたシーンしか頭に浮かばない。他に何かあったかなぁ?

しかも、せっかくまとまった有馬記念に関する企画話が取材申請の直前になって流れてしまい、いたく落ち込んでいたところにもってきて、「ポーカーアリスの帰厩が1ヶ月延期」との知らせが入ったばかりなのである。まあ、ポーカーアリスのツメの方は、自分が見た感じで「12月の帰厩はまだ早い」と思っていたのも事実なのでこれは仕方ない。ここまで待ったのに半端な状態で無理した挙げ句にまた放牧……、なんてことになったら元も子もないもんね。有馬記念については、もう私はJRAと縁が無いものと割り切るしかあるまい。

Matsurida   

でも、良いことは少なかった一方で「楽しみ」はある。知人の馬が中山の最終週にデビューするのだが、それは単なる「知り合いの馬」ではない。2年前の春、出産の一部始終に立ち合った馬が、ついに競走馬としてデビューを果たすのである。これはなかなかあることではない。馬主氏には叱られるかもしるないが、この際着順などはどうでもいい(笑)。

あの小さかった子馬が   。何度も転びながらそれでも震える脚でなんとか立ち上がったあの子馬が、騎手を乗せて、満員のスタンドの前を走るのである。それでテンションが揚がらないという方がどうかしている。

競馬をやっていて救われるのは、辛い厳しいと言いつつも、こうした楽しみが常に先に用意されていることである。それは馬券でも同じこと。それがなきゃ、やってらんないですよ。

大晦日の東京2歳優駿牝馬にも縁のある馬が出走することになっており、2頭のおかげで少しはテンションを高くして年の瀬を迎えることができそうだ。

 

 

 

 

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2008年12月21日 (日)

ワールドチャンピオン

Sushi自宅近くの『寿し長』でうだうだ飲んでいたら、職人さんの一人がなんとなくソワソワしていることに気付いた。

「どうしたの?」と水を向けると、今まさに佳境に入っているであろうサッカークラブワールド杯の決勝戦、リガ・デ・キトvsマンUの試合の行方が気になって仕方ないのだそうである。なるほど。店には私ひとりしか客はいないのだから、どっかでTV中継でも見れてばと言ったがさすがにそうはいかないとのこと。

私の携帯にTVチューナーが付いているば見せてあげられるのだが、あいにく前時代の携帯なので、ネット速報で我慢してもらう。後半15分が過ぎた時点で0-0。そう伝えると、彼は「おお!」と言って笑顔になった。

静岡県出身の彼は、例に漏れずサッカー漬けの学生時代を送ったとのことで、さすがに話す言葉には含蓄がある。サッカーのクラブワールド杯から野球のWBCへと話題は流れ、フィギュアスケートのグランプリシリーズや自動車のF1などにも触れながら、ついには「世界ナンバーワン決定戦のあり方とは」という大きな議論へと話は展開していった。

そうこう言いながらも試合経過のチェックは怠らない。後半28分にマンUが1点を先制したようだ。

ふいに「競馬には世界大会とかワールドツアーみたいな仕組みはないんですか?」と聞かれた。

あるにはある。ドバイワールドカップやブリーダーズカップなどは世界大会と呼べるかもしれない。また、ワールドツアーに相当する「エミレーツ・ワールドシリーズ」も数年前まで行われていた。

しかし、競馬の場合、距離は性齢など競技内部のカテゴリが細か過ぎることや、馬が主役であるため思うようなローテーションを組むことが難しいなどの理由から「統一世界チャンプ」を決めにくいという事情がある。

また、エミレーツ・ワールドシリーズは、世界各国のGⅠサーキットを転戦して、レースごとの獲得ポイントでその年の年間チャンプを決めようという当時としては画期的な試みだったが、エミレーツ航空がスポンサーを降りて、さらにドバイワールドカップがシリーズからの脱退を宣言すると、なんとなくうやむやのうちに消滅してしまったという経緯がある。

Fantasticシリーズチャンピオンに名を連ねたのはグランデラやファンタスティックライト(※写真)といった面々。むろん強豪馬であることは疑いようもないが、かといってその年のナンバーワンホースかと言われれば必ずしもそうではなく、馬の能力よりはむしろ出走回数が勝負を分けていたのも事実。最後には香港のヴェンジャンスオブレインが優勝してしまい、誰もがやる気を無くしてしまったかのように消滅してしまった。

そもそもの旗振り役であり、しかも毎年のようにチャンピオンの座に輝いていたゴドルフィンが真っ先にシリーズの舞台から降りてしまったのは、参加各国との意識のズレがあったからだとされる一方で、「イベントとして失敗」という思いも決してゼロではなかったはずと推測する。

サッカーのクラブワールド杯に話を戻すと、この大会は来年初めて日本以外の国で開催されることになっている。来年以降2年間の開催国は件のドバイ。ドバイではナドアルシバ競馬場に代わる巨大な競馬場の建設も進んでおり、完成の暁にはドバイワールドカップの賞金もさらに上積みされるとの見方もある。

スポーツの国際大会を国の“基幹産業”と位置付けるお国柄に加え、世界を揺るがす金融危機にもびくともしない資金力を誇る   

と思ってたら、12/22付読売朝刊によると、ドバイも金融危機の影響が深刻らしい。「金融危機後もドバイに失業者はいない」と聞いていたのだが、それもそのはず職を失った出稼ぎ労働者は国外退去になるとのこと。そう言われてみりゃ、そりゃそうだ。

何処もおなじ秋の夕暮れ   

 

 

 

 

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2008年12月20日 (土)

JRAは毎週走り続けます

JRAの方(広報担当ではない)より来年のJRA手帳をいただいたので、さっそく南関東の日程をシコシコ書き込み始めた。年賀状書くよりこっちの方が断然楽しい。

Techo今年までは自分の名前や住所や血液型を記入しておく「おぼえ」のページだったところが、来年版からは<経営の基本方針>というページに指し替わっている以外、ほとんど変わりがない。「JRAは毎週走り続けます」なんだそうだ。

手帳とかカレンダーというのは毎年同じモノを使い続けたいタチだから変わらない方がありがたいのだけど、そもそもこういう他人からもらっているものだと毎年必ずもらえるという保証ってないじゃないですか。近所で売っているものなら自分で買えば済むのだが、非売品であるとか、売っているけど数に限りがあるなんて場合だと事態は深刻の度を増す。また、たとえ気軽に買えるものであっても、「今年は来ないのか…」と諦めてカレンダーを買いに行き、帰宅したら同じカレンダーが届いていた、というケースも小さい悲劇である。

私はカレンダーや手帳を貰う立場であると同時に送る立場でもある。そう考えると、来年からはもっと早めにカレンダーを送ろうと思う。忘れぬよう来年の手帳の12月のページに書いておこう。

さて、新しい手帳を手にしてまず私が記入することは、

 ・南関東開催日程の記入
 ・南関東重賞競走の記入

でござる。JRAの開催情報は既に記載されているのでね。

まず4色のマーカーを使って、1/1~4は川崎だから黄色~、1/6~9は船橋だから緑~、次は大井なので赤~……という具合にカレンダー部分にラインを引いて行く作業から始まる。

単純作業ゆえ、10月くらいに差し掛かると集中力が途切れて「ああっ!大井なのに緑で塗っちゃった!」みたいなミスを犯してしまうこともある。まっさらな手帳に間違えてモノを記入してしまった時の挫折感といったら、他に喩えようがない。できれば「緑」で縫ったままにしておきたい気持ちもあるのだが、それが元で当日になって大井開催であることに気付かないまま船橋に行ってしまったりしたら、やはりそれも悲劇であるので、ページが汚れるのを覚悟で塗り直しておかねばならない。

しかるのちに、重賞レース名をひとつずつ記入していく。新設重賞があったり、大きく日程が変更になったりするというニュースは1ヶ月前くらいに耳にはしているものの、その有り様を実感するのは毎年この手帳記入作業の時ということになる。

Urawa  

今回作業していて思ったのは、浦和がやたらと祝日開催をGETしているような印象を受けたことで、例えば2月の「建国記念日」には桜花賞トライアル・ユングフラウ賞が行われ、本番の桜花賞が翌月の「春分の日」に実施される。さらに翌月の「昭和の日」には牝馬限定のしらさぎ賞が行われるといった具合だから、来年の春までは祝日のたびに浦和に足を運ぶことになりそうな気配。国旗をはためかせた連絡バスに乗って競馬場に行くのも、まあ悪くはないか。

Oka  

 

 

 

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2008年12月19日 (金)

2008年川崎最終日

最終日だから特にどうということもないのですが…。

Kawasaki今開催からスタンド建物と屋外との境目の一部に、こんな仕切りが設置された。寒さ対策なんだろけど、中は薄暗く、混み合っていて、空気澱みまくり。かつて繁栄を極めた昭和の競馬場の匂いがする。正直そういう匂いは嫌いな方ではないが、その日の気分にもよるわな。

 

Bus今開催の川崎ネタでもうひとつ。川崎駅の無料連絡バスの乗り場の混乱を紹介しておきたい。

競馬場行きのバス乗り場と競輪場行きのバス乗り場は隣同士なのだが、今開催は川崎競輪の開催と重なったもんだから「競輪場行き」と間違って「競馬場行き」のバスに乗り込んでくる客がことさら目立ったのである。

月曜は、これみよがしに競輪専門紙を広げている客が乗ってきて、運転手も「このバスは競馬場行きです」と散々アナウンスしているのに、気付く様子もなくバスは発車。いざ競馬場に着いたら「おい、ココどこだよ?!」と騒ぎ始めた。せめてもうちょっと早く気づけよ!と言いたいところだが、まあせっかく来たんだから競馬してったらどうでしょうか。

Ashi  

そんで一昨日は一昨日で、携帯電話でやかましく通話しているオヤジがバスに乗り込んできた。席に座っても通話を止める気配はない。ところがその会話をよくよく聞いてみると「仕方ねぇよなぁ。村上は先行させたら上手いからよぉ」みたいなことを言ってるのである。それを聞いた後ろの席の同じようなオッサンが「競輪は後ろのバスだよ」と声をかけたところ、「へ?」という間抜けな声を出して慌ててバスを降りていった。

「村上」って聞いただけで競輪って分かるモンなんですかね?

私はてっきり一昨日の全日本2歳優駿に岩手からの遠征馬がいて、それに村上忍騎手が帯同してきているのかと   半分くらいはマジで   思った。いや、村上騎手も「先行」は得意ですよ。

ともあれ、私が乗り合わせた2台のバスでいずれも誤乗車があったということは、トータルでも結構な人数が間違ってしまったのではないだろうか。逆のパターン(競馬の客が「競輪場行き」に乗る)があったのかどうかは定かではない。

 

 

 

 

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2008年12月18日 (木)

不良顧客の烙印

昨今我が家を揺るがす最重要案件である「年賀状問題」に、ついに真正面から取り組む決意をした。いや、つまり、ボチボチ重い腰を上げて年賀状の準備をしようと。その程度のことです。

というのに、なんとなく部屋の散らかり具合が気になったので、普段自分では全くしない掃除を突然始めてみたり、買ったは良いが「難解で…」とまるで読まずにいた本のページをパラパラとめくってみたり。とにかく、自分が面倒だと感じるモノ(この場合は年賀状書き)を少しでも先延ばしにしたいんですな。

いっそ年賀状のような形式主義的な儀礼などやめてしまおうか   !?

なんて言ってみても、目の前にウズ高く積み上げられた200枚の官製年賀状葉書は既に購入済みである。もちろん「お年玉抽選」のためだけに買ったなどというわけはなく、また「日本ダービーの指定席抽選」用に転用しようにも「応募は一人一枚」の厳格運用の壁がそれを阻む。やはり年賀葉書は年賀状として、ききちんと本来の趣旨を全うさせねばなるまい。

ところで、ここまで書いたところで急に思い出したのだけど、ダービーやジャパンCの指定席抽選って、同じ人ばかり当たっているような気がするんだけど、気のせいですかね。

私はまるで当たらないのに、周囲の知人はほぼ100%の確率で当たっているんですよ。その知人というのも1人や2人の話ではない。

Sunnybrian_3    

私だって以前は結構当たっていたのである。フサイチコンコルドやサニーブライアンのダービーはかつての「D指定席」で見た記憶がある。

そのうちスタンドではなく、ラチ下でダービーを見るようになったのだが、「家族用に」と指定席の抽選葉書は出し続けた。ただ、家族の場合は当日になって見に行けなくなるということもある。そんなこんなで、2年続けてキャンセルを余儀なくされた翌年からプッツリと当選葉書が届くことはなくなり、それが今日まで続いているのである。

一方の「当選確率100%」を誇る知人に聞いてみれば、当選指定席をキャンセルした経験はないと口を揃える。

これらの状況から推論するに、葉書による指定席抽選においても「優良顧客の優遇措置」がとられているのではあるまいか?

JRAカードによる抽選発売ではそういうことが行われていると聞くが、葉書抽選でそれをやろうとすれば相当な手間となる。たかが指定席ごときでそこまでするものか?と思う一方で、結果を見ればそのように説明するのがもっともフィットしているように思えるのも事実。

まあ、これはあくまで仮説に過ぎないのだが、もし私が「不良顧客」のレッテルを貼られてしまっているのだとしたら、仕事だけでなく客としてもJRAからお暇を頂いたことになる。まあ、寂しい限りですね。

なんて、また余計な思索にふけっている間に、時間がどんどん過ぎてしまった。目の前の年賀状の山を、早くどうにかせねば。

 

 

 

 

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2008年12月17日 (水)

雨の全日本2歳優駿

Yudoba今年の全日本2歳優駿は冷たい雨の降る中でのレースとなった。寒さや雨は我慢すりゃ済むけど、暗いのだけはどうもならん。年末開催恒例、「トナカイバージョン」の誘導馬はツノが雨に濡れて少し重そう。

 

 

 

 

 

 

一方こちらは「大物」の呼び声高いスーニ。

Suni1  

水の浮く不良馬場でどうかだが、パドックの周辺からは「こういう馬場を経験できて良かった」と余裕の声も聞こえてくる。勝ってからならまだしもねぇ。

Suni2そしたら5馬身差圧勝ですよ。もとより「負け」の2文字は関係者の頭になかったということか。

Suni3_2前走の園田では小回りに戸惑ったのかモタつくところがあったそうで、「それで向こう正面で気合いを入れたら反応し過ぎた」とはジョッキーの談。今年は朝日杯の日程が1週繰り下がって、全日本2歳優駿が先に行われることになったもんだから、この5馬身は尚更インパクトが強い。朝日杯がパッとしない結果に終わったら、「スーニの方が強い」なんて声も上がるかもしれない。

その見据える先は、3月のUAEダービーだろうか。ちなみに、前走で2着に負かしたアースリヴィングは2月のUAE1000ギニーに向かうらしいけど。

 

帰り際、イイデケンシンの園田移籍の話を聞かされた。昨年の勝ち馬で、やはりUAEダービーにも挑戦した一頭。担当厩務員氏は私とも縁のある人だったのだが、一年前に一緒に喜んだことを遙か遠い昔の出来事のように思い出しながら帰宅。

 

 

 

 

 

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2008年12月16日 (火)

幹細胞培養注入手術

先日行われたJCダートは、「不治の病」と言われた屈腱炎が“不治”ではなくなる可能性が、実際のレースで具現化されたという点においてターニングポイントとなるかもしれない。「休養」という消極的治療法しか存在しなかった病魔に侵された馬が、「外科手術」という積極的治療により治癒を果たし、しかも最高格付けのレースを勝つことでその有効性まで証明してみせた。これを画期的と呼ばずして何と呼ぼうか。

Kane2006年2月のフェブラリーSを3馬身差で圧勝し日本ダート界ナンバーワンの地位を得たカネヒキリは、その勢いのまま翌月のドバイワールドカップで世界に挑戦。しかし、エレクトロキューショニストの4着と敗れると、帰国後の帝王賞でもアジュディミツオーの2着に敗れ、9月になって右前脚に屈腱炎を発症してしまう。

既に国内G1レースを4勝。「種牡馬入り」というオプションもある中で、陣営は敢えて「手術による現役続行」というカードを選んだ。そのあたりの経緯については当ブログ2006年10月13日付「カネヒキリ種牡馬への道」も参照されたい。

Pasion2この手術は、別の組織から取り出した幹細胞を培養して腱に移植し腱繊維の再生を促す「幹細胞培養注入手術」。海外で研究結果が報告され始めたばかりの新技術で、日本での臨床例はほとんどなかった。その「ほとんどない」中の数少ない臨床例が、同じ角居厩舎所属で、同じく2006年にドバイに遠征したフラムドパシオンである。

2006年のUAEダービーに臨んだフラムドパシオンは、帰国後に放牧に出されたノーザンファームでやはり右前に屈腱炎を発症してしまった。カネヒキリの屈腱炎が明らかになる3ヶ月ほど前になる。

「屈腱」はよく人間のアキレス腱に喩えられるが、この場合は前脚なのだから「手のひら」と言った方が良いかもしれない。その腱が炎症を起こし、最終的には腱繊維が壊死してしまう。こうなると馬は走ることができなくなる。

繰り返しになるが、これまでは有効な治療法がなく、休養による自然治癒に任せるほかはなかった。発症した馬の多くは引退を余儀なくされている。

これに対しフラムドパシオン関係者が選んだ治療法は、馬の胸骨から採取した幹細胞を万能細胞として培養して患部に移植し、壊死した腱繊維を再生させるというもの。2002年頃から欧米で研究が始まった技術で、今年6月にフィラデルフィアで行われた「国際幹細胞研究学会(ISSCR)」でも発表されている。英国を中心に活動している動物愛護団体「動物健康トラスト」の発表によれば、2003年から屈腱炎を起こした約500頭の競走馬に、骨髄から採取した幹細胞を約1か月かけて培養し、患部に注入する治療を行ったところ、多くのケースで回復が早まり、再発率が下がるなど高い効果が認められたという。

Pasion約2年の治療を終えたフラムドパシオンは、今年の日本ダービーの次のレースとして行われた富嶽賞に出走。2着以下を4馬身引き離す快勝で復帰戦を飾った。

さらに先週土曜の中山メイン・北総Sでも勝利して5勝目をマーク。騎乗した内田博幸騎手も「能力は相当に高い」と感心しきりだったという。

脚元優先のローテーションが組まれるため、次走は未定とのことだが、同じ治療法で劇的なカムバックを果たしたカネヒキリとの対戦も、ひょっとしたら実現するかもしれない。

 

 

 

 

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2008年12月15日 (月)

デビュー以来4戦連続3着

川崎もついに年の納めの開催。インフォメーションに貼られた『LABI』の折り込みチラシが歳末感を一層引き立てる中、4Rにナマラスゴイが出走することになっている。カツマル君、チラシで隠されちゃってますな。

Chirashi  

ともあれ8月以来4ヶ月ぶりの競馬である。3戦して3着3回というナベアツが喜びそうな戦績に今日こそピリオドを打ち、見事初勝利を果たして来年の飛躍に繋げて欲しい。

そう思いつつ、ひとつ前の3Rのパドックに出てみたら、ヴァイタルクリークの名前を見つけた。

私はこのグランジョワの産駒とはよくよく縁がある。兄のヴァイタルクシーズにはボンキュッボンがレース中にぶつけられたり、ポーカーアリスが子供扱いされたり、とにかく散々な目に遭った。

そして一年経った今年、今度は弟のヴァイタルクリークとナマラスゴイが既に3回も対戦している。ここまでの対戦成績は先着ベースでナマラスゴイの1勝2敗。とはいえ、どちらも未勝利なのだから本当の勝負はここからなのかもしれない。あわよくば、両馬とも今日のレースでそれぞれ初勝利を挙げ、「来年のクラシックで雌雄を決する!」なんてことにならんものだろうか。

まあ、たとえ奇跡的にそんなシチュエーションになったところで、食い付くのは私だけだと思うけど。

そんなこんなで3Rの発走。

ヴァイタル君、スタートから掛かりまくりです。

3r

必死になって手綱を抑える坂井騎手を嘲笑うかのように向こう正面で「おりゃーっ!」とハナに立ったが、やはり最後の踏ん張りがきかずに3着。ジョッキーはさぞや疲れたことだろう。

さて、いよいよ目当ての4R。パドックに現れたナマラスゴイは、気持ち太いか?と思わせる程度で、全体的な気配は悪くない。人気は低いがデビュー以来すべて馬券に絡んできたしぶとさを発揮すれば、一発があっても不思議ではない。なんと言っても今日のヤネは今野騎手である。

Namara1  

そんなこんなで4Rの発走。

発馬は悪くない。いや、むしろ1、2を争う好スタート。なのに、前に出ることはせず、1コーナーでは内の6番手と慎ましい競馬。まあ「ズブい」とも言えるけど。

Namara2  

手応えが悪いのか向こう正面では早々にステッキが入った。いや、「入った」なんてモンじゃなくてもはや「連打」。それでもポジションは上がらない。さっきのヴァイタルクリークと真逆の展開に、早々に口取りは諦める。

ところが3コーナーに差し掛かったところから、まるで別馬のようにポジションを上げて行くではないか。

最内の4番手で4コーナーを回ると、前を行く3頭の直後の外に持ち出した。

「ヨシ、勝てる!」と叫ぶ。一瞬、ホントにそう思った。

Namara3_2  

でも、良かったのは外に出したところまで。バテた1頭を交わして3着のゴール。おぉ!また3着だ。デビューから複勝コロがしてりゃ、今ごろ結構な額になってんじゃないの?

引き揚げてきた今野騎手は疲れ切った表情。「馬に遊ばれちゃって…」と言って検量に消えた。

3Rのヴァイタルクリークとまるで逆の展開ながら、それでも「騎手が疲れる競馬で3着」というの結果だけはまるで同じ。そんなところでいちいち歩調を合わせなくたって良いんだけど。

もちろん良い面もある。メンバー中最速の上がりだったこと。そして、3Rの同じ2歳の1500m戦の勝ち時計よりも、ナマラスゴイの時計の方が1秒も早かったことだ。

さらに言えば今回は休み明けというハンディもあった。それでもココはクリアして欲しかったというのが正直な思いだが、次の正月開催でめでたく初勝利といってもらおうか。

 

 

 

 

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2008年12月14日 (日)

マイルの申し子

「ダイタクヘリオスはマイルの申し子と言えるんじゃないですか。1800までならマイペースの競馬をされたら太刀打ちできる馬はいませんよ」

OkawaスプリンターズSが有馬記念の前週に行われていた頃の1992年。そのレース当日の朝、神様・大川慶次郎氏は、このように言ってダイタクヘリオスの能力を高く評価した。

中山開催中の大川氏は、世田谷のご自宅から小田急線、千代田線、東西線、路線バスを乗り継いで競馬場に通われていた。偶然にも私も毎週末に同じ電車の同じ車両を利用していたこともあり、氏の貴重なお話を伺いながら競馬場までのわずかな(しかし濃密な)時間を過ごせたことは身に余る光栄であったと言う他はない。

1992年12月のスプリンターズSの朝、氏のお話のテーマは「ダイタクヘリオスについて」だった。西船橋駅の改札をくぐり、遥か先のロータリーに停まっていた競馬場行きのバスを見つけ「乗りましょう!」と言って走り出した氏の後を慌てて追い掛けたりしながら、それでもダイタクヘリオスの話題は長く続いたと記憶している。

マイラーズCは60キロを背負って5馬身差の圧勝。毎日王冠では日本レコードの逃げ切り。そして何よりコースレコードでのマイルCS連覇である。

Daitaku06  

そんなダイタクヘリオスを高く評価していた大川氏ではあるが、「今日で引退させるならばJRA賞(最優秀短距離馬)でも彼に投票するんですがねぇ」と含みを持たせた発言をされていたこともまた事実だ。

年内引退が決まっていたダイタクヘリオスは、スプリンターズSの翌週に行われる有馬記念にも出走を予定していた。「マイルの申し子」。「1800までなら」。そう評価する大川氏にとって、有馬記念出走は理解しがたいローテーションだったのだろう。

Daitaku08 

そもそもダイタクヘリオスのローテーションは、デビュー当時から一流馬のそれとは少し異なっていた。

2歳10月のデビュー戦で3着に敗れると中1週、連闘と矢継ぎ早に出走して初勝利。返す刀で中1週となるデイリー杯に挑戦するも4着に敗れ、12月のさざんか賞で2勝目を挙げるとまたもや連闘で阪神3歳Sに向かって2着した。10月7日のデビューから12月17日までの2ヶ月余りで実に6戦を消化しているのである。

明けて3歳シーズンも1月から始動。シンザン記念、きさらぎ賞、スプリングSとクラシック路線を歩むも結果が出ず、短距離に矛先を向けて出走したクリスタルCで2馬身半の圧勝を遂げると、なんと賞金別定で59キロを背負うと分かっていながら葵Sに出走する。

レースは人気薄のアンビシャスホープが逃げ、ダイタクヘリオスが2番手から追走する展開。だが、59キロが響いたのかクビ差まで詰め寄るのが精一杯で、自分より4キロも軽いアンビシャスホープに金星を献上したかに思えたが、そのアンビシャスホープは3~4コーナーでウエスタントーヨーの進路を妨害したとして失格となり、思わぬ形で4勝目が転がり込んだのである。

それから2年半が過ぎた92年の12月。

スプリンターズSでニシノフラワーの4着に敗れたダイタクヘリオスは、予定通りの連闘で有馬記念に挑む。レース中盤に13秒台のラップが登場するような先行馬有利のペース。しかし、ダイタクヘリオスと一緒に先行したメジロパーマーがまんまと逃げ切ってしまったレースの遥か後方で、上がり3ハロンに38秒6を要し、アゴを上げ、歩くようにゴールしたダイタクヘリオスの姿を見た時、私は一週間前にに聞いたばかりの大川氏の言葉を思い起こした。

Daitaku07  

結局この年の「最優秀短距離馬」のタイトルは、桜花賞とスプリンターズSを勝ったニシノフラワーが獲得。「最優秀内国産馬」もメジロパーマーの手に渡り、ダイタクヘリオスはタイトルとは無縁のまま引退する。

「最優秀短距離馬のタイトルに加えて最優秀マイラーの創設を!」という声は今でも時折聞こえるが、その最初のきっかけにもなったのがダイタクヘリオスの1992年シーズンであった。とはいえ、ダイタクヘリオスにしても優秀なスプリンターとしての資質はそのものは高く評価されていたことは間違いない。ただ、最後の最後にその評価をコミットさせることに失敗してしまったのだと今でも感じている。

 

 

 

 

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2008年12月13日 (土)

【訃報】ダイタクヘリオス逝く

ダイタクヘリオスが死んだそうである。

Daitaku0121歳とはちと早い。今年の2月に八戸で会ったのが最後になってしまった。手を出すと噛みつかんばかりに飛びかかってきたので、「15年前に門別で会った時と一緒。まだまだ元気。大丈夫」と笑って別れたことを思い出した。つい10ヶ月ほど前のことなのに、ずいぶん昔のことのようにも感じる。

2月のあの日、仙台に向かうべく新幹線を待っていた盛岡駅で、仙台での用事にはまだまだ時間があると気づき、「そうだ、ダイタクヘリオスに会いにいこう」と思い立ったことはまさしく天啓であった。

 

それでも当の牧場側となかなか連絡が取れず、「次の電話で繋がらなかったら今日は諦めよう」と決めた電話も既に10回目くらいのコール。諦めて電話を切ろうとしたその瞬間にようやく電話が繋がり、切符の変更をする間もなく大慌てで八戸行きの「はやて」に飛び乗ったのである。

もしあのときダイタクヘリオスに会いに行こうなどと思いつかなければ、あるいは牧場との電話が繋がることがなかったら、私はきっと今頃ひどく後悔していたに違いない。

Daitaku02  

その戦績について詳しい説明は今さら必要ないとは思うのだが、追悼の意味を含めて今一度おさらいさせていただく。

Daitaku03_21991年と92年のマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を連覇。同じく91年と92年のマイラーズカップ(GⅡ)でも連覇を果たしているが、なんと92年は60キロを背負っての勝利である。さらに高松宮杯(GⅡ)とクリスタルC(GⅢ)を勝っている上、GⅠレースでは安田記念(GⅠ)と阪神3歳S(GⅠ)の2着がある。

なにより「逃げ切りは至難」と言われる京都1600mで行われるマイルチャンピオンシップを逃げて勝った馬は、後にも先にもダイタクヘリオスただ1頭しかいない。逃げて連覇なのだからなお凄い。

ちなみに最近5年のマイルCSにおいて、坂上先頭だった馬の着順は15着、17着、14着、18着、18着と猖獗を極める。1997年から3年続けて出走したキョウエイマーチは、3年続けて果敢にハナを奪って逃げ切りに挑んだものの、1997年の2着が最高着順であった。

Daitaku04  

 

(明日付に続く)

※写真は、上から2枚が今年2月に八戸の山内牧場で撮影したもの。続いて92年の京王杯スプリングカップの本場馬入場時。最後が92年のマイルチャンピオンシップ。

 

 

 

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2008年12月12日 (金)

誤記、誤用、勘違い

このブログの文章は移動の車中とか、寝る前の布団の中で書いているものなので、中には間違った内容を書いてしまうこともあるし、おそらくタイプミスはもっとあると思う。とはいえ校閲担当者を雇う予定などない。

なので、大きな誤記については皆様からのコメントによって修正がなされるわけだが、12月6日付で「ばんえい競馬の馬には定年制度かある」と書いたことに対して指摘のコメントをいただいた。(当日分の文末に訂正文を掲載済み)

なるほどね。やはり、定年制は昨年度に廃止になっていたんですね。「やはり」というのは、昨年度末に「ばんえい定年引退馬」のニュースを耳にする事がなかったからです。しかも昨年度の「蛍の光賞」が定年馬限定戦になっていなかったもんだから、あの日のブログにも「近年はどうだか分からないが」と書くことになった。

そうですか、定年制度廃止ですか。馬、足んないんだなぁ。

Sale  

もうひとつ。9月18日付の中で、「馬喰」という言葉は北海道弁で「交換する」という意味の「バクる」に由来すると書いてしまったが、これは真逆。正しくは、北海道弁の「バクる」が仲介業者「馬喰」に由来する、です。お詫びして訂正。これは自分で読み返してて気付いた。指摘コメントがなかったのは、まあどうでも良いと思われたのか、あるいはありにもあからさまな誤りなので、いちいち指摘する気も起きなかったのだろう。

「バクる」という言い回しが北海道で日常的に使われるようになる遥か昔から、江戸日本橋には「馬喰町」という地名が存在していた。日光街道(奥州街道)沿いにあるこの地には東北からの良馬が集まりやすいということも手伝って、江戸の昔より定期的に馬市が開かれていたという。

「ばくろう」には「馬喰」の他にも「博労」、「馬苦労」、「馬駒労」といった漢字が充てられることもあるが、本来の語源は中国の古典に登場する相馬の達人「伯楽」(はくらく)にある。

その逸話に「伯楽が通過した後には、良い馬が一頭もいなくなってしまった」というものがあり、転じて「良馬を見分ける名人」という意味で使われるようになった。昨今では成績の良い調教師を「名伯楽」などと呼んでもてはやすこともあるが、語源からすれば「名馬喰」と呼ぶのと同じことに他ならない。

さらに最近では野球とかサッカーの監督・コーチをして「名伯楽」などと呼ぶこともあり、こうなると語源も意味もあったもんではない。おそらくは調教師に対する「名伯楽」という言葉を「名トレーナー」という意味に勘違いしての誤用であろうと想像するが、野球やサッカーで使うならせめて無名選手を発掘したスカウトに使われるべき言葉であろう。繰り返すが、本来の意味は「素質を見出す達人」という点にあるのだから。

 

 

 

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2008年12月11日 (木)

1枚の写真

一昨日から家中を探し回っているのだが、たった1枚の馬の写真が見つからないで困っている。10年ほど前に知人から頂戴した写真。引越の時に消えてしまったか、あるいは子供のオモチャになってしまってしまったか…。頂いた方にも、そして馬にも申し訳ない。

今、TBSの『うたばん』を観ていたら、ゲストの水谷豊さんが「大事な写真を、大事に大事にしまっておいたので紛失してしまった」というお話をされていたけど、なんとなくそんな感じ。う~む、どこへ行ってしまったのやら。

ところで、昨日船橋で行われたクイーン賞は歴史ある重賞として知られている。今年は数えて54回目。南関東では希少だった古馬牝馬の重賞としてイーグルシャトーやマキバサイレントを輩出。中央交流となってからはファストフレンドなども勝ち馬として名を連ねた。

1980年にこのレースを勝ったテンパーソロンは、その名が示す通りパーソロンの産駒。ダービー馬サクラショウリの全妹という良血で、クイーン賞の他にも中央在籍時に4歳牝馬特別(当時はオープン特別)を勝っている。クイーン賞では、のちに名トレーナーとなる川島正行騎手を背に、のちにメリーナイスの母となるツキメリーらを寄せ付けぬ完勝だった。

ただ勝ったテンパーソロン自身には「のち」のストーリーが残されていないのが残念ではある。産駒はJRAで4勝を挙げたミスシリネラが目立つ程度。「ダービー馬の全妹」という自らの立場そのものが、既にに「のちのストーリー」であったのかもしれない。

テンパーソロンの初子はリマンドとの間に生まれた牝馬で、その名をシリネラヒメという。そのシリネラヒメの子に、かつて私は一口出資したことがある。

「ターフケンザン」。その名が示す通りターファイトクラブによる募集馬で、その名が示す通りフジヤマケンザンの産駒だが、その名に似合わず牝馬であった。「馬名決定」との連絡がクラブから届いたときは、思わず「えぇ~っ!? 女の子なのにぃ?」と叫んで天を仰いだ記憶がある。

JRAでは4戦して未勝利。その後、今は無き高崎競馬場に移籍して6勝を挙げたが、フジヤマケンザン産駒としては活躍した部類に入るのではないか。

私が一昨日から探しているという写真は、同じくターフケンザンに出資していた知人の方が、寒風吹きすさぶ中わざわざ高崎まで出向いて撮ってきてくれた1枚なのである。

Kenzan02ふと思いついて、かつてターファイトクラブの請求書を束ねてた封筒を覗いてみたら   おお、あった!

しかも1枚かと思ってた写真は2枚だった。まあ、いいかげんなもんですわ。

まず1枚はパドックにて。

 

 

 

 

 

Kenzan01もう1枚はレースの写真。

 

 

 

 

 

ともあれ、ターフケンザンの写真をこうして世に残すことができてよかった。それすらも叶わない馬の方が圧倒的に多いのだ。

 

 

 

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2008年12月10日 (水)

予想談義に花が咲く

先日のジャパンカップでは会う人会う人から「最近飲んでばかりじゃない?」と言われて返答に困った。

振り返れば確かにウドンスキーやらなんやらかんやらと酒席が続いていたような気もするが、あくまでそれはJCまでの話で、この先年内いっぱいは(独りで飲むことはあるだろうが)酒席の予定はない。あ、いや、有馬記念で『野平会』があるなきっと。でも、まあその程度。

Kaeshiともあれ、酒席で楽しいのはやはり競馬の集まりであることは言うまでもない。最近ではすっかり馬券を買わなくなってしまった身だが、あれこれ予想をしながら酒を飲めば時間を忘れる。てめえは馬券を買わぬくせに、変にウンチクだけは持ち合わせているから、私のテーブルは無責任な予想話に花が咲く。

私の場合はそれでもいいのだが(いいのか?)、責任ある立場の方だと、たとえ酒の席でもいろいろ言葉を選ぶ必要がある。つまりTVやラジオの解説を務めるような人物が普通の馬券ファンと同席して「明日のJCは何を買えば良いですか?」と聞かれるようなシチュエーションである。

「そんなことは新聞を買って俺の記事を読め!」と言って済めば話は早いが、世の中はそこまで単純ではない。そこで解説者は一通り自分の新聞の印を紹介した上で、「でもね…」と付け加える。「最終的にはパドックで馬を見てみない何とも言えません」

「では、トーセンキャプテンはどうでしょうか?」

ファンは食い下がる。彼は函館記念を的中させて以来、トーセンキャプテンを買い続けているのだ。

すると解説者は「可能性はある」と言うだろう。どんな馬だってゲートに入る以上、勝利の可能性はある。しかも、たとえ3着であっても、それが馬券の結果を大きく左右する昨今である。「そんな馬が、馬券になるわけねーだろ!」などと思っていたとしても「可能性はある」と答えるしかない。本来、そういう質問をプロに向けるべきではないのだ。

実際、彼らプロの多くは東西の遠征馬が入り交じるメインレースで真剣勝負に出たりはしない。自信の一鞍は午前の未勝利や下級条件に温めてある。しかし、ファンの視線はどうしてもメインに向く。

JC当日、1レースからメインの馬柱を睨んで脂汗を流していたら、顔見知りの記者にポンと肩を叩かれ「未勝利戦の20倍もジャパンカップの20倍も一緒だよ」と言われ、手にした馬券を見せられた。

馬単2点買い。2080円の配当を1万円的中している。

お見事。やはりプロは平場で稼いで、メインは観戦するに限るようだ。でも、ジャパンカップは20倍では済まなかったぞ。

 

 

 

 

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2008年12月 9日 (火)

廃止問題から跡地問題へ

先日、野暮用があって宇都宮を訪れた。7月に福島競馬場からの帰途に立ち寄って『みんみん』で餃子を食べて時以来となる。

Utunomiya今回は餃子を食べに行ったワケではなかったが、まあなんだかんだで餃子は食う。今回は馬場通り沿いにある『みんみん』の本店。それにしても「馬場通り」とはどういう由来か? 宇都宮競馬場があった場所とは遠く離れているから、おそらくもっと昔に遡るお話があるに違いない。

2005年3月に廃止された宇都宮競馬場の跡地について「栃木SCのホームグランドとなるサッカー場兼用の陸上競技場などを核とした総合スポーツゾーン整備を目指す」との公約を掲げた栃木県の福田知事が、先月の知事選で再選を果たした。さらに先週になって栃木SCのJリーグ加入が正式に認められ、競馬廃止から3年以上もくすぶり続けてきた「競馬場の跡地利用問題」は俄に急展開を見せそうな雰囲気である。

とはいえ、世はまさに奈落の底に転がり落ちるかの如き不況である。300億円規模ともいわれる再開発事業にはまだまだ曲折が予想される。

その点、上山競馬場(2003年11月廃止)は跡地問題を上手く乗り切った。ジェネリック医薬品大手の東和薬品が競馬場跡地への工場進出を正式に決定した。地元雇用や税収面で大きなメリットが期待される。

Ashikagaまた、上山より一足早く廃止された、足利競馬場(2003年3月廃止)の跡地にについては「新足利赤十字病院」が建設されることとなり、2011年の開業を目指して準備が進められている。これも地元住民のことを考えれば悪くはない話だと思う。

 

Takasaki一方で高崎(2004年12月廃止)では先の見えない論議が続けられている。

競馬場の跡地利用を巡り2006年に設置された有識者会議では「商業施設は好ましくなく、公共利用が望ましい」との方向性だけは示されたのだが、利用案までは取りまとめなかった。

どうやら、年内に再び有識者会議を立ち上げるようだが、これまで出てきた案の中でも、芸術文化複合施設、コンベンション施設、サッカー場、さらには道州制を見据えた州都用地として保存などというものまで、どれも決定打になりそうもないものばかり。そもそも議論の出発点が「せっかく駅前の好立地に広い空き地ができたのだから、なにか立派なモノを」ということだから、必要性に迫られた議論になるはずがないという悲しさがある。中には「使い道がないなら、いっそ競馬でもやれば」と皮肉る声まであって、”跡地利用レース”の中では後方に置かれた感がある。

関東・東北地区の競馬場廃止ドミノの中で、もっとも早い2001年8月に廃止となった三条競馬場は、馬術競技場として生まれ変わった。この8月には「第29回北信越国体」の馬術競技の会場にもなっている。

http://www.city.sanjo.niigata.jp/kokutai/page00032.html

来年10月には新潟で開かれる「トキめき国体」の馬術競技会場となり、全国から選手・役員340人、馬200頭が集まり、延べ約5千人の集客を見込んでいるとのこと。現在でもメインスタンドでは南関東の場外発売をしているはずだが、新潟国体時に限りスタンド内部を国体出場スタッフの宿舎として提供する計画だという。「馬券売場に泊まる」って、ちょっと凄い。なんか悪い夢見そうな感じ。

ただ、跡地が馬術競技場として使われるのは新潟国体まで。国体が終われば馬場施設や厩舎は撤去される予定だという。いち部外者としては、せめて馬のいる景色だけは残して欲しいと願うばかり。

 

 

 

 

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2008年12月 8日 (月)

年賀状問題の根は深い

Nenga2008_2例年ならジャパンカップが終わると同時に年賀状の準備に取り掛かるのだが、今年は今一つやる気が出ない。ホントにスクリーンヒーローを使って良いのかなぁ?と逡巡しているうちに一週間が過ぎた。

いや、スクリーンヒーローが弱いとかJCがフロックだったと言うつもりは毛ほどもない。並み居るGⅠ馬を相手に良馬場の府中2400mを勝った馬が弱いはずもないですよね。

 

 

Nenga2007_2ただ、現実問題としてあの結果にガッカリしてしまった人が少なくないのも紛れもない事実なんですよ。受け取った人がガッカリすると分かっているものを、わざわざ送り付けるのもどうかと思う。

 

 

 

 

 

Nenga2006有馬記念の写真を使うことも考えたが、年の瀬も押し詰まった28日の実施ではとても間に合わないし、だいたい有馬の写真はたぶん撮れない。かといって秋天では元日から数えて2ヶ月も前の話となり著しく新鮮味に欠ける。

 

 

 

 

 

Nenga2005_2かくなる上は全日本2歳優駿でいくか?

つっても川崎の薄暗い写真じゃねぇ。華やかさがないし、たとえスーニが歴史的大差で圧勝してもそれが年の初めを飾るに相応しいかと問われたら答えに窮する。

となるとクイーン賞のユキチャンかなぁ…。でも勝つと決ったわけじゃないんだよね。下手したら私の来年の年賀状はシスターエレキングになりますのでよろしく。いや、51キロなら、もう一丁があるかもしれませんぜ。

 

 

 

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2008年12月 7日 (日)

高齢者と競馬

地味なネタが続いて申し訳ないけど、昨日の「定年」ネタをさらに一般化して「高齢者」と競馬についての話。

半世紀にも及ぶサラリーマン生活に別れを告げ、先月定年退職した私の父親は、以下のようなポイントを挙げて定年後の生活の不満を述べた。

・達成感がなくなる
仕事がなくなるということは、すなわち目標がなくなるわけで、何かを成し遂げて獲られる達成感、充足感を感じることができない。

・ストレスがなくなる
一見羨ましい話にも聞こえるが、ストレスがなければ「ストレス解消」もなくなる。メンタル面でのメリハリがなくなり平板な精神状態が続くのは耐えられんとのこと。

・モノを考えなくなる
散歩と庭いじりの毎日では「必死になって何を考える」というシチュエーションがなく、急速にボケてしまわないか心配になる。

・金がない
これらの問題を解消すべく何かを始めようにも、年金生活者に余分な金はない。

こうした悩みを聞いた時、解決策として真っ先に浮かぶのはやっぱ「競馬しろ!」だと思いませんか?

展開を考え、血統を考え、馬場を考え、騎手の技量を考え、あらゆるものを考えても当たらぬ馬券というものはストレスを抜きにしては語れないが、考え尽くした結果が見事「的中」として結実した時の達成感は何物にも代え難い。しかも、極端な話1200円あれば、目の前で行われる全てのレースに参加できるのである。もちろん、運がよければそれ以上のお金を懐に納めて帰途につくことだってあろう。やはり定年後の悩みを解決してくれるのは競馬しかないように思える。

実際、多くの地方競馬場は高齢者の溜まり場になっており、「今日の場内最年少はオレじゃねぇか?」と思うことはしばしばある。だが、この高齢者たちは、昔っからのファンが歳月と共に高齢者となっただけの話で、「定年を機に競馬場に足を運ぶようになった」という人は少数派だと思う。

Keibajo  

今はすっかり地方贔屓の私だが、「定年を機に」という方にはJRAをオススメせざるを得ない。

とはいえ、JRAさんてそれほど高齢者に優しい施策をとってませんよね。若年層向けしか意識していないCMやイベントの数々がそれを如実に物語っている。

競馬場には「シルバー席」や「シニア席」という高齢者専用の席が用意されているが、それにしたって導入されたのは今から25年も昔の話。その後中山に「シニアサロン」が登場したのは進歩には違いないが、一方で老人イジメとしか思えないような超細かいマークカード塗りを義務付けたり、あるいは話の通じない自動発売機をズラリと並べたり、あるいは場内の飲食店をファーストフードチェーン一色にしたり、あるいはフォーメーションだマルチだと訳の分からぬ買い方を強いたり……等々。どちらかといえば、高齢者の離反を覚悟した方策を進めてきた四半世紀だったようにも思う。

話はJRAに留まらない。競馬新聞にビッシリ埋め込まれたあの細かい数字も、高齢者向けという点ではいかがなものか。

文字フォントを数段大きくした高齢者向けの競馬新聞があっても良いと思う。文字拡大に伴っては情報量の減量が避けて通れないが、役に立たないタレントの予想や無駄に大きな見出しを省けば十分に補完できるはずだ。

この春、ほとんどの一般紙が文字フォントを大きくしたのは「高齢者に配慮しなければ生き残れない」と判断したから。同じ新聞メディアである以上、決して他人事ではあるまい。

 

 

 

 

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2008年12月 6日 (土)

定年と競馬

父親が定年退職となったので、家族を連れて埼玉の実家に出向いた。

別に、父親の定年退職と私の仕事とは何の関係もないんだけど、イベントといえばイベントなのでみんな集まりましょうという感じで弟の家族も集合。天気が良いので中山にでも行きたかったが、もともと先週集まろうと言われたのを「JCで無理」と断ったのは私である。今日のステイヤーズSのメンバーで、再び「無理」と言い張るには無理があった。

父親は出世とは無縁ながらそれでも典型的な会社人間であったので、案の定「やることが無くて辛い」とぼやいていた。趣味らしい趣味も持たず、近所との付き合いもなさそうだから、いわゆる「面倒な定年パターン」であろう。

若い頃は付き合いで馬券も買っていたと聞くので、「そんなにヒマなら競馬すりゃいいじゃん」と言ってはみたが、色好い返事はなかった。だいたいが、中山へも府中へも1時間以上かかるとあっては、老人がひとりで出掛けるにはちと遠過ぎる。かといって、インターネットや携帯を操作して馬券を買うだけでは「体を動かす」とか「外の空気に触れる」という大事な部分が満たされない。

馬券を買いたいのに買いに行けない……。未だ世間にはこういうジレンマが存在するという事実を、競馬主催者の方々は頭の片隅にでも置いて欲しい。

Paddock  

定年といえば、JRA所属の調教師にも定年規定がある。JRAが日本調教師会との間で「70歳定年」の協定を結んだのは今から20年も昔。たしか1987年だったか。「技術者たる調教師に定年を導入するなどけしからん」という意見もあり、その導入には様々な曲折があったことを思い出す。

1991年の有馬記念をダイユウサクで制した内藤繁春・元調教師も定年制導入に反対した一人である。

「馬に一生をささげ、うまやで死ぬのが本望」

そう言い切る内藤元調教師にとっては、ある日突然、年齢の線引きによって競馬界を去らねばならないことが我慢できなかったのだろう。そこで「定年後は騎手として競馬界にカムバックする!」と宣言。69歳での騎手試験受験は、スポーツ新聞などでも大きく取り上げられた。

結局その願いは果たされなかったが、能力や健康状態に関わらずただ年齢だけをもって退場を命じる「定年制」は、競馬業界に限らずとも常に議論の的となっているようだ。

かつては馬にも「定年」が多く存在した。多くの地方競馬場では「10歳定年制」を取っていたが、馬資源が乏しくなった昨今では撤廃されているところがほとんどだ。

しかし、ばんえい競走馬には今も定年制が残されている。出走申し込み馬の年齢は2歳以上10歳以下(せん馬となり3歳までに競走に出走した馬は11歳まで)と定められていることから、すなわち明け11歳馬が「定年」。年度内限りでの引退を余儀なくされる。また、牝馬に限れば明け8歳の新年度で20キロのセックスアローワンスが消滅するため、これが事実上の定年となる。

帯広一極開催となった昨今ではどうだかわからないが、ばんえいでは年度の最終開催の最終日の最終レースに「蛍の光賞」というレースが組まれている。定年を迎えた引退馬同士のレースで、その馬の関係者にとっては「もっとも力を込めなければならないレース」だという。ファンもそれを知っているから、損得を忘れて応援する。こういうレースに出走できる馬は幸せだ。今年度もちゃんとやってくれるのだろうか?

※12/9追記

ばんえい競馬の定年制は昨年廃止されたそうです。コメントありがとうございました。

 

 

 

 

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2008年12月 5日 (金)

嗚呼、愛しの牡蛎

Kaki牡蠣が好きだ。

とりわけ殻の付いたままの生の牡蠣に、さっとレモンを絞っただけのシンプルな食べ方が最高である。

店のメニューに「生ガキ」とあればたいてい注文するし、「夏の新潟」と聞けば「競馬」よりむしろ「岩牡蠣」を連想してしまう。さらに凱旋門賞のためにパリを訪れた時は、アトサキ考えずに名物の生ガキを食べることにしている。「危ないからヤメとけ」と必死に止める同行者を横目に、10月のパリに来て牡蠣を食わずに帰れるか!とばかりに意地になってツルツルと食べる。幸いなことに「大当たり!」とか「ホテルの部屋で悶絶!」とか「入院、帰国延期」などという目に遭ったことは   今のところ   ない。

先日、自宅近くのフレンチレストラン『プルミエ・アヴェニュー』にて『赤崎産生牡蠣¥580』なるメニューを見つけた。

牡蠣好きには知られた三陸・赤崎湾モノと聞けば一も二もなく注文しなけりゃならんだろが、1個580円はちと迷う。一人2個でも妻と合わせて2320円。

とはいえ、馬券を買ってしまえば一瞬でトケる金額にも満たないのだと思ったら「どぉってことないか」と思えたので注文。

出てきた牡蛎は長さ10センチを越える大きなもの。ぷっくり盛り上がった身は「一口で吸い込む」というよりは「頬張る」という感覚でないと食べられない。弾力のある身をぎゅっと噛み締めると、海の香りと濃厚な旨味が口いっぱいに広がった。

なんでも、赤崎のヨシダなにがしという漁師の方が養殖された牡蠣だそうで、仲買人の間でもつとに人気が高く、ただでさえ市場でも入手困難な赤崎産牡蛎にあってさらに輪を掛けて滅多に手に入らないらしい。

実際にこれを食せばさもありなんと思う。が、同じ赤崎湾内で養殖したものでありながら、なぜヨシダさんの牡蠣だけが抜けて旨いのか? 場所が同じで何か特別な餌を与えられるものでもない。

しかしもちろん差が生まれる”技術”もある。その一つが「温湯駆除」。65度の湯を満たした水槽に養殖中の牡蠣を漬け、貝殻に付いたフジツボなどを殺す作業で、牡蠣を殺さずに余計な貝だけ死滅させる温度と時間こそが生産者の腕の見せ所だという。

結局は日々の手入れがすべてを分けるのだ。地味で手を抜きがちな日々のルーチンワークの僅かな差が積み重なり、ある日それは決定的な“格差”となって具現化されるのだという。なんだか、馬づくりにも通ずる話にも聞こえるますね。

 

 

 

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2008年12月 4日 (木)

シート撤去している場合か

イギリスのメジャーな競馬場では、一般入場者はスタンドに入れないばかりか、パドックやゴール前の攻防さえも見ることが許されない。

Ascot  

ゴールやパドック、ウイナーズサークルを含むエリアは「ロイヤルエンクロージャー」、その隣のちょっとランクが落ちるエリアは「オーナーズエンクロージャー」。呼び名は競馬場や開催によって異なるものの、最下級の一般エリア「シルバーリング」に至るまで場内は明確かつ厳重に仕切られている。むろん、格下のエリアの入場者が格上のエリアに足を踏み入れようとすれば屈強な係員に行く手を阻まれることとなる。

そもそも「エンクロージャ」という言葉は「囲い」とか「縄張り」の意である。すなわちかつての貴族たちか所有する領地に名前を付けていたのと同じこと。支配階級文化の名残りに他ならない。

ただし、当の英国競馬ファンたちはそれを不当な差別と怒ったりはしない。かつてアメリカを悩ませた「差別」がイギリスにおいてさほど問題化しなかったのは、イギリスはそもそもが階級社会であり、差別というよりも“区別”がごく普通に社会に根付いているからだと思われる。つまり一般的な社会傾向として、医者の子息は医者となり、政治家の子息は政治家となり、爵位があればそれを継承する。英国階級社会の象徴とも言える競馬場において、今も歴然たる格差区別が罷り通っているのは、ある意味ではごく自然の成り行きなのかもしれない。

一方、「格差社会化」が叫ばれて久しい我が国だが、少なくとも競馬場に於いては「200円ぽっちの入場料ではパドックは見せられない」とか「汚い服装の客は目障りだからウイナーズサークルに近寄るな」などという理不尽なルールは(今のところ)発生していない。良くも悪くも競馬は「国民の健全なレジャー」であり、上流階級のための社交場では決してないのである。

かくも大衆主義的な日本の競馬なのに、最近になって若干気になることがある。

パドックやウイナーズサークルに現れた馬主に罵声を浴びせる輩がいるのだ。その矛先は特定の馬主にではなく馬主全般に向けられており、しかもその内容がいささか物騒なのが気になるのである。

馬券で負けた悔しさを騎手に向け、その結果として罵声を浴びせるのは   聞いていて気持ちの良いものではないが   まだ分かる。しかし、いわれない妬みを不特定の馬主に向けるようだと、常軌を逸している上、何より昨今の社会風潮も鑑みて危険極まりない。

Guest  

おそらくは一部の“残念な”客の行動が、ことさら目立ってしまっているのだと思うが、去年のジャパンカップに続いて今年のジャパンカップでも同じ光景が繰り返されてしまったことはある意味JRAの落ち度であるとも言える。

今のところ顕在化はしていないが、無目的にイベントをつまらなくしてやろうと考える人間が競馬場に現れないとも限らない。優秀さで世界に知られるJRAの警備担当のことだから、よもやビニールシートで場所を占拠している客をしらみつぶしに立たせて歩くだけの仕事を繰り返しているはずなどないとは思うのだが……。

 

 

 

 

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2008年12月 3日 (水)

地方スーパージョッキーズ

土曜付で「明日の騎乗ぶりに注目」と書いた三浦皇成騎手だが、結局日曜は未勝利に終わった。世界中から名手が集まるJCデーに9鞍もの騎乗馬を集めたこと自体快挙に違いないが、おそらく本人は「勉強になった」程度では納得しないだろう。ぜひ来年はJCに乗って欲しい。

Sohなんと日曜は二本柳壮騎手(@私がいたく贔屓)も東京競馬場で2頭の騎乗馬に恵まれた。

新聞の印は軽い……と言うか皆無だが、JCデーの騎乗はそれだけでも名誉とばかりに応援の意を込めて単勝を購入。そしたら14着と16着。もはや「私が馬券を買ったら…云々」というジンクスとはかけ離れたレベル。だいたいが両馬とも単勝万馬券の最低人気馬だもんね。特に16着の方なんか単勝が3万超えてんだから勝ち目なんてない馬なんですよ。辛いね。辛いけど、乗れるだけまだマシと思わねば。

3月のデビュー以来85勝を積み重ねた三浦皇成騎手の進上金は5千万円を超えるが、今年3勝に留まる二本柳騎手のそれは5百万円に満たない。二人の技量に10倍もの差があるわけではないのだが、これこそがプロの世界の厳しさなんですね。もうひとり私が贔屓にする柴田未崎騎手も、今年は1勝をマークするのみ。壮騎手も未崎騎手もラスト1ヶ月であと1勝の上積みを期待したい。

騎手といえば、今週はワールドスーパージョッキーズシリーズである。

「世界の名手の腕比べ」というコンセプトながら、これまでは地方所属騎手の活躍ばかりが印象に残るイベントだけど、JRAのホームページに掲載された国・所属別の成績統計を見たら地方騎手の勝率は他を圧倒している。よくよく考えたら「元地方騎手」の勝ち星でJRAに算入されている部分もあるだろうから、もはやWSJSは地方騎手の技量の確認の場になってんじゃないか。

Yuhiなんて思って今年の日本人出場ジョッキーの名前を見たら、7人の出場ジョッキーのうち元あるいは現地方所属騎手が5人を占めている。おいおい競馬学校は大丈夫か?

このような状況だからこそ、乗れるものなら平日は地方で乗って、いくらかでも技量を磨きたいと思うJRA若手騎手は多い。未崎騎手の今年の騎乗数はわずか40鞍。分業制が浸透したトレセン業務では、朝の調教にすら思うように乗ることができず、「技量を磨く」どころか、勘が鈍らないよう努力するので精一杯なのだろう。気の毒な話だ。

 

 

 

 

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2008年12月 2日 (火)

日本ウマ科学会学術集会

Tokei_2昼間開催に移行した大井競馬場の気温は10℃。四六時中吹き付ける北風のおかげで体感的にはもっと寒い。「午後から晴れ」という予報にも裏切られ、あろうことか小雨までパラつく始末。暗く寒い昼間開催の典型のような一日になってしまった。

 

そんな陰鬱な競馬場でまる一日を過ごすのは悲しいので、大井町にて開催中の『日本ウマ科学会・学術集会』に立ち寄る。いや、実はこちらこそが今日の本命であるといっても差し支えない。

Gakkai目当ては『エンデュランス競技会中の歩様検査におけるウマの速歩時のピッチとストライド』というお題の一般口演。数十キロから数百キロを走破するエンデュランス競技では、「レグ」と呼ばれる競技区間境目にあるチェックポイントで獣医師による馬体チェックを受けることが義務付けられており、許容を越える心拍数の上昇や跛行が認められた場合は失権となる。

極端な話、艱難辛苦の果てにどうにか100キロを走り終えたゴール地点で「失権」を言い渡される可能性もあるシビアな競技。だが、「跛行しているかどうか?」は、あくまでも獣医師の主観的判断に委ねられる。ぶっちゃけ“微妙な判定”に泣くケースだってあるわけだ。そこで、馬の歩様を定量化し、客観的基準で跛行を判断できないか?というトライアルである。わずか10分足らずの発表ではあったが、話の内容は興味深く、他の口演も含めてとてもアカデミックな時間を過ごしているうちにぼちぼち競馬場に行かねばならない時間と相成った。

会場の重い扉を開けてビルの外に出ると、なんと目の前に大井競馬場行きのバスが停まっている。一転して“非アカデミック”の極みのような世界に一歩足を踏み入れれば、たちまち日常の営みに逆戻り。灰色の客を乗せたバスは灰色の空の下に佇む灰色の競馬場に辿り着いた。

Stand  

メチャクチャ寒いのは冒頭に書いた通り。顔見知りに掛けられる声は決まって「寒いねぇ」の一言。寒い中、メインの神楽賞は1番人気グレイトセイヴィアが快勝で4連勝。2着には単勝12番人気のマルターズグレート(写真桃帽)が粘り混んで、ソコソコの波乱になったが、このマルターズグレートは昨年の神楽賞(賞金条件は微妙に違うが)の勝ち馬なんだそうです。レースに縁があったと知っていれば、高配当をGETできたかもしれない。

Tosaki  

 

 

 

 

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2008年12月 1日 (月)

底力とは

昨日のJCの話。

Jc2  

全馬がゴールを過ぎるのを確認してから息せき切って検量に降りると、ちょうどスクリーンヒーローとデムーロ騎手が引き揚げて来るところ。二重三重に連なる人垣が殊勲の人馬を迎える。満面に笑みをたたえたデムーロ騎手が高々と右手を挙げると、検量前は拍手と歓声に包まれた。

ほんのひと月前に、あの言い様のない緊張感に包まれたのと同じ場所とはまるで思えない。興奮したイタリア人カメラマンが「ミルゥ~クォゥ!ブラァ~ボ!」と叫び続けていたという致命的な違いもあるにはあったが、こういうエピローグももちろん悪くはない。

喧騒の中、遠巻きに馬を見ていた群衆の一人が「社台の底力だなぁ…」と呟いた。

見たことのあるその顔は古参の競馬評論家である。特に血統論に一言ある人物だけに、母系を指しての呟きであろう。曾祖母モデルスポートは善哉時代から社台グループの屋台骨を支えてきた基礎牝馬。のちのインタビューで照哉氏は「オヤジに恩返しができたかな」と語っていた。

それにしても、である。秋の東京開催を迎えた当時は、まだ一介の条件馬に過ぎなかった馬だと思えば、いくら「母系の底力」と言われてもにわかには目の前の現実を理解し難い。スーパーホーネットとウオッカが激戦を繰り広げた毎日王冠の、ひとつ前に行われた条件戦に出走して負けているのである。あの日、ひと月半後の大一番でウオッカと一緒に走るどころか、ウオッカを完封して勝ってしまうなどと予想できた人がいただろうか。もしいらしたらそれは相当な慧眼である。自慢していい。

この馬がアルゼンチン共和国杯を勝ったことは「運」だとは思わないが、有力の回避で16頭の枠に滑り込めたのには多分に運も見方した。「運も“底力”のうち」ということか。

知人の馬主氏から頂いたメールには「底力は育成から」とあった。

Jc3  

スクリーンヒーローは1歳秋から2歳秋のデビューまでのみならず、セントライト記念の直後に骨片摘出の手術を受けたことから、3歳秋から4歳夏の期間をも北海道の牧場で過ごした。4歳秋の突然の飛躍は、高い技術と強い信念に裏付けられた“育成の力”によってもたらされたのかもしれない。

であるならば、ポーカーアリスが今年1年間をまるまる棒に振って、ほとんど牧場で暮らしていたことさえも、「4歳での大躍進の必要なステップなのかも」と思えなくもない。じっくり底力を養って、4歳の飛躍に備えよう。

 

 

 

 

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