「腕」の良し悪しとは
夕方になって突如思い立って六本木の社台ビルへ。
だが、実際行ってみると慌てて出向くほどの用事ではなかったことに気付く。電話で十分な内容だった。軽く勇み足。でもせっかく来たのでポーカーアリスの話をポツポツと。先月下旬から「もう少し」「あとちょっと」というようなもどかしい状態が続いている。戻そうと思えば今すぐにも戻せるけど、なんか決め手に欠ける。…そんな状況である。
せっかく思い切って休養させたのだから、その目的が達成できないような状態のまま競馬に戻すべきではないとは、思う。うん、確かにそう思う。実際、このブログにもそう書き連ねてきたんだし…。
ただ一方で「競走馬は走ってナンボ」という原理的な思いがあることも事実。この言葉は先輩馬主の受け売りそのままなのだが、レースで走らせてあげることを最優先で考えるべきという思いは私も同じ。もとより多くの競走馬にとって、“一点の曇りもない完璧な仕上がり”など生涯にそう何度もあるはずもないわけだから、一種の開き直りは必要ではないか。要は最適化の問題。馬主稼業は数学的な趣もある。
そんなことをぶつぶつと考えながら麻布十番まで歩き、久々に『畑中』の暖簾をくぐった。一年ぶりくらいだっけ?みたいな話をしつつ淡々と揚げられていくネタを次々と口に運ぶ。海老、アスパラガス、鱚、蕗のとう、小鮎、穴子、白魚…等々。どれもみな美味いですね。
前にも書いたけど、天ぷらにせよ鮨にせよ、腕の立つ職人は概して動きに無駄というものをを感じさせず、手際の良さが抜きん出ている。常日頃思うに、これはカメラマンにもじゅうぶんに当てはまることで、良い仕事をするカメラマンというものは例外なく仕事が早い。周到な準備。流れるような動作。瞬時の決断。そういうカメラマンは、ただそこで通常の仕事をしているだけでも、周囲に何かしらのプラス要素を与えているのがわかる。
逆に言えば、「あっ、ちょっとレンズ替えるから待って」とか「やっぱさっきのカットもう一回撮らせて」などと手際の悪いヤツ すなわち私ですね は、周囲にマイナス気運の雨をざんざん降らせているのだろう。申し訳ない。
『畑中』のカウンターに座り、大将の一見何気ない所作から生み出される絶品の天ぷらを口にするたび、私は“手際”というものについて深く考えさせられる。ただ単に旨いモノ食べたさで来ているワケではないんです。…なんて書いてもあまり信用してもらえないだろうけど(笑)
ところで、世間の”畑中ファン”が気を揉む昼営業再開については、まだメドが立っていないとのこと。ただ、そのメドがどういったものかについての話はできたから、絶望的に先の話ということもないようだ。気長に待ちましょう。
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