アラブの読売
来週末に行われる「読売マイラーズC」は、読売新聞社の名が冠された数少ないレースである。
競馬の冠化は朝日新聞と読売新聞の2大全国紙が先鞭を付けた。1949年のことである。戦後の混乱期に、新聞がいち早く競馬のイメージアップに協力したのは、当時の競馬が国営だったせいもあるだろう。
朝日新聞はその編集方針の中で「公営ギャンブル有害論」を謳っている割に競馬の冠レースは多く、『朝日杯フューチュリティステークス』や『朝日チャレンジカップ』などの重賞の冠を持っているほか、日本ダービー優勝騎手表彰にも「朝日新聞社旗」を提供している。
一方、朝日のライバル読売新聞は、公営ギャンブル自体には優しい眼差しを向けているはずなのだが、「読売」の名が付く重賞レースは『読売マイラーズカップ』のひとつしかなく、特別まで含めても『読売杯西海賞』という小倉の900万特別くらいしか見あたらない上、その西海賞も現在では「読売」の冠は外されている。
そんな競馬に冷たい読売新聞さんも、かつては日本ダービーに匹敵するようなビッグタイトルをバックアップしていたことがある。
そのレースは「読売楯争奪アラブ東西対抗」。春は関東、秋は関西で行われ、第1回は1949年12月の阪神競馬場が舞台となった。
「アラブ」と聞いて失笑するなかれ。1着賞金30万円は、当時の皐月賞が40万円、桜花賞が35万円だったことを考えれば、クラシック並みの大レースだった。ユニークな団体戦(関東と関西との対抗戦)が人気を呼び、1951年春の馬券売り上げは同年の菊花賞や天皇賞を遙かに上回っている。アラブのレースの売り上げがダービーに続いて年間2位になることなど現在のファン感覚から想像もできないだろう。しかし、優勝騎手に内閣総理大臣賞が授与されていたと聞けば、もはや「たかがアラブのレース」と蔑むわけにはいくまい。まさにダービーに匹敵するビッグタイトルだったわけだ。
しかし、なにより特筆すべきは「団体戦」であったこと。これに尽きる。
競馬は元来「個人戦」である。この「東西対抗」のアイディアは実はプロ野球によるものである。レース創設当時、プロ野球はまだ1リーグ制の時代。当然ながら、プロ野球のオールスターゲームはセ・パに別れてのリーグ対抗ではなく、東西対抗形式がとられていた。すなわち『グランプリ有馬記念』よりも先に、プロ野球のオールスターゲームに範を為す競馬のレースが既に存在していたことになる。これは日本の競馬史を語る上でも、見逃せないトピックスである。
ともあれ、東西対抗というユニークな試みは爆発的な人気を呼び、先述のような馬券売上げにも繋がった。実際のレースでは上位5着までの採点で勝敗を決めるのだが、通算成績は東軍の5勝4敗だった。1953年には西軍13-12東軍の大接戦という記録も残されている。
JRAからアラブ限定競走が消えて久しいが、地方でもアラブの競走はもはや風前の灯火である。
3/30に実施された球磨川カップをもって、荒尾競馬からアラブ限定競走の灯が消えた。となれば、残るは福山と高知の2場のみ。ただ、高知にしても限定レースを組めるほど頭数は揃ってない。荒尾から何頭かの転入があるにせよ08年度は実施されない可能性もある。
ちなみに私が初めて競馬場で業務撮影を行ったのは90年代前半の大井競馬場。アラブの重賞競走『ワード賞』だった。
写真は、そのレースに出走していた通算21勝のランドアポロ。的場さんも若かった。
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