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2008年1月31日 (木)

無力感と睡魔との闘い

まずポーカーアリスのネタから。

昨日のうちに船橋競馬場から千葉県内の育成牧場に移されました。背中から腰にかけて疲労が溜まっているということで、ササ針を打って1ヶ月はラクさせることになります。やっぱ2ヶ月コースですな。育成牧場の担当者から早速電話があり、「まずはリラックスさせてやることが大事」とのこと。確かにその通りかもしれない。昨年6月のデビュー以来、ずっと張りつめた毎日だっただろうし。

~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~

昨日と同じく文京区内で開催されているシンポジウム会場に拉致されて、黙々とヒトを撮っております。実はマスコミ関係の集まりなのでスポーツ紙の方もちらほら来ているようだが、競馬担当とは限らないから、挨拶三昧という展開にもならず、ただひたすら発言者を撮り続ける。

そんな中にあって、大阪スポーツ報知の競馬担当の方と会話する機会に恵まれたことは救いだった。見知らぬ国を彷徨い歩いていて、ばったり日本人に出会った気分。「今年のクラシックは先が見えませんねぇ」などというたわいもない会話ひとつも、オアシスの如き存在に感じた。

進行表には、12時から1時間半の昼休みとあったのだが、進行が遅れているのか、はたまた前倒しになっているのか知らんが、ともかく一向に議事が止まる気配がなくて、そのことが私をひどく苛立たせる。

別に腹が減っていたわけではない。

実は、昼休みを利用して川崎の3レースを見に行こうと画策していたのだ。地下鉄と京急を乗り継げば、川崎競馬場の最寄り駅「港町」までは40分。レースを見て、戻ってきたらちょうど午後の部が始まる、というのが、夕べ「駅すぱあと」を駆使しながら導き出した苦心の策だった。というのも今日の川崎3レースに、先日大井でお世話になったライトハートの1歳上のお姉さんリリーベルが出走するのである。こんな薄暗いホールで陰鬱なヒトの顔を撮っているよりは、太陽の光を背に浴びて筋肉を躍動させている馬を撮る方がよっぽど楽しい。

そんな私の心情など知る由もない議長は、昼休みの予定時刻を過ぎてもなお延々と議事を続けた。情けない限りである。前にも書いたが、競馬に行けない時に私が感じるのは、怒りや焦りではない。「情けない」という、いわば“無力感”だ。自分の力の無さ、社会的立場の弱さを痛感するのである。

Noren 

ようやく昼休みの裁可が降りたのは、川崎3レース発走間近の12時35分。憤懣やる方ない私は、せめて昼は“ドカ食い”してやろうと、白山通り沿いの洋食店『せんごく』のカウンターに腰をおろし、300グラムのハンバーグステーキを注文した。

 

 

 

 

Hanbこんな感じ。

ライスはお替わり自由です。

ハンバーグ300グラムとライス3枚平らげて昼飯終了。会場に戻り、ほどよく満腹になったところで睡魔と闘いながら必死に撮影を続ける。ちなみにリリーベルは3着でした。

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2008年1月30日 (水)

「各個撃破」で打開せよ

「各個撃破」

座右の銘というほど大袈裟なものではないけど、私が好んで使うことばである。言うまでもなく孫子の兵法。漫画『パタリロ』に登場するバンコラン少佐のセリフにもよく使われている。

ともかく、ここ数日の私は、5分ごとにこの言葉を反芻しなければならないほど、追い詰められている。”敵”は「やならければならないこと」の一個師団だ。

今日は川崎記念が行われる日であるが、それに行くことが許されるほど忙しいことは数日前に書いた。それでも「あわよくば川崎に」と脱出を企てていた私の行動を察知した担当者は、私の襟首を掴んで文京区内で行われている某シンポジウム会場に引きずり込んだ。抵抗虚しく拉致された私は、あとは大人しく発言者の写真を黙々と撮り続けたのである。なんと屈辱的なことか。

ここ数回のブログにも書いたように、私は「肺結核」と「春闘情勢」の呪縛から逃げることができずにいる。加えて、

 ・ポーカーアリスの移動に伴う立ち会い
 ・ドサンコの放牧風景の撮影
 ・ドサンコに関する膨大な資料の熟読
 ・開催替わりに伴うJRA詣で
 ・川崎記念欠席による各方面への詫び
 ・私の肝臓に巣くう”腫瘍”の検査
 ・今日の川崎2Rに出走するナスノドトウの応援
 ・確定申告の準備
 ・再来週に迫った大学の同窓会の店手配

といったToDoの大群が突如として私を襲ってきた。他にも娘の宿題の手伝いから、乗馬クラブの予約まで、膨大な件数のToDoリストを書き連ねて、「さて、どれから片づけようか?」とリストの前で腕組みをして考えていたら、北海道の牧場から「フサイチペガサスの牝馬を繁殖としてどう思うか?」なんつーメールが届き、「おぉ!そいつは面白い」とばかりに血統表をひっくり返しているのだから、実にいい加減なものである。結局は面倒臭いものは後回しにして、面白そうなものを優先してあたってしまうんですよね。

Saddleともかく、ひとつひとつ片付けなければ前には進めない。「駅すぱあと」を駆使して「ふむふむ。水道橋から川崎競馬場までは40分なのか」などとアレコレ考えつつ、夜は更けてゆくのである。

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2008年1月29日 (火)

ポーカーアリス放牧

ついにポーカーアリスが放牧に出ることになった。

Pa「ついに」と書いたのは、先週1/25付で「はっきり調子が悪い」と書いたように、予感……、と言うか”覚悟”があったからである。

素人同然の私が見ても、あからさまに「こりゃダメだ」という走りをしていたのだから放牧はやむを得ない。これ以上厩舎に置いといても費用がかさむばかりである。ただ、この馬に関して言えば、これまで様々な局面における選択がことごとく裏目っている。今回の放牧は間違いではないと思いつつも、「あとでまた後悔すんじゃねぇか…?」とついビクビクしてしまう。

ともあれ、真剣にクラシックを狙える位置にいるわけでもない馬が、3歳のこの時期に無理なチャレンジをする必要もあるまい。「あの時休ませておけば良かった…」なんて後悔の方が、遥かにダメージは大きい。

実際、昨日も5ハから時計を出したのだから、このまま使って使えないことはないと思う。ただ、どうやら腰に疲れが溜まっているようで、良かった時とは走るフォームがまったく違う。このフォームの乱れがいずれ脚に来ないとも限らない。

折しも、生まれ故郷である社台ファームから大勢のスタッフ  と言うか”幹部”。しかも“重鎮”  がJRA賞の表彰式に出席するために上京しており、ポーカーアリスの具合を見てもらったところ、即座に「休ませた方がいい」と言う。プロ中のプロたちが言われて、私ごときが反論できるはずもない。ただし、私を含めた共同所有者の方々の心情くらいは披露させてもらってもバチは当たるまい。すなわち、以下のような話をした。

「レース選択、ジョッキー選び、そして今回の放牧の決断。いずれをとっても後手後手に回っている感があり、かつ結果的に裏目っているケースが目立つのではないか」

「スウェプトオーヴァーボードの産駒は、総じてその仕上がりの早さがセールスポイントである。しかるに船橋転厩4ヶ月間でわずか130万円を稼いだだけで休ませることは、スウェプトオーヴァーボードの血統特性を生かしきれていないのではないか」

なんて言ってみたものの、馬のことについては前を向くほかはない。腰に疲れが溜まっているとなればササ針を打つのだろう。針を打ったらその後まる1週間は舎飼いで、さらに1週間から10日のパドック放牧。人が乗れるのは3週間後で、そこから1ヶ月から1ヶ月半程度乗り込んでから、ようやくの帰厩となる。帰厩までは早くて2ヶ月後というところか。

4月に戻ってこれれば、2ヶ月間に及ぶ春の東京開催が待ち受けている。現状で、左回りを得意とするポーカーアリスには理想の  現状での理想ね  スケジュールとなるが、あまりこうした皮算用などしない方が良いかもしれない。ともかく、一日も早い帰厩を待つのみである。

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2008年1月28日 (月)

レースは生き物

関東の若手ジョッキー松岡正海とは、ほんの僅かながら縁があって、デビュー当日よりその手綱捌きには注目している。思えば、昨年の毎日王冠の馬券を的中することができたのも、この「僅かな縁」によるところが大きい。

昨年は皐月賞であわやの2着したのちヴィクトリアカップを制してG1ジョッキーの仲間入りを果たすなど、重賞4勝の大活躍。今年も早々に京成杯を勝ち、いよいよ飛躍のきっかけを掴んだかのようにも思える。久しぶりに、関東から若手の有望株が出てきたと、厩舎・オーナーサイドの期待も高まっているようだ。

それだけに、昨日のAJC杯のレースぶりを見た後は「う~ん」と唸るしかなかった。

問題の4コーナー。外のトウショウナイトと接触したことで、ドリームパスポートは「スイッチが入って」(松岡談)しまい、そのまま先頭に立ってしまう。「あそこで先頭には立ちたくなかった」という一番人気を内から抜き去ったのは、「目標の馬が早めに先頭に立ってくれたのでラクだった」というエアシェイディ。松岡騎手には同情できる要素も多分にあるが、この結果を一言で言い表わすならば、レース直後にふと私が口走った「まだ若いのかな」という表現になるのだろうか。

実はそう思ったことには伏線がある。

昨日付けでも書いたが、私は昨日の中山2レースを見に行った。多忙を極め、メインすら見ることの許されない私が、わざわざ牝馬限定のダートの3歳未勝利戦を見に行ったのは、縁のある馬が1番人気に推されていたからだ。すなわち、記念すべき初勝利を飾る瞬間をカメラに収めようとしたわけである。そして、その鞍上には松岡正海騎手がいた。

その馬が負けたことは昨日付けで書いた通り。1番人気の松岡騎手が敗れ、後藤騎手が老獪な  なんて書いたら怒られるか?  手綱捌きで勝利を収めたという点で、AJC杯に通ずるものがある。レースの”流れ”は、騎手が作り出すものだとしみじみ感じた。

とはいえ私は松岡騎手の騎乗を責めるつもりは毛頭ない。ドリームパスポートは今回が転厩緒戦。むろん松岡騎手はテン乗りだったわけだが、今回は転厩の事情が事情だけに、単なるテン乗りとはまた別のプレッシャーもあったはずだ。

ドリームパスポートの突然の転厩の理由については、「オーナーサイドと厩舎サイドの意見の相違」と伝わっている。もうあちこちで書かれていることだからここで書いても構わないだろうけど、具体的に何が相違だったのかと言えば、ひとえに騎手起用についてである。

ドリームパスポートの実質的なオーナーは、マイネルの岡田繁幸氏。コスモバルクの鞍上問題でもさんざん話題を振りまいてきた方である。

Dreampassport有馬記念のドリームパスポートには、昨年ついに未勝利に終わった高田潤騎手が跨った。武豊騎手をして、「馬の仕上げの技術では敵わない」という高田騎手を敢えてグランプリに起用してきた厩舎サイドの決断は、”美談”としてマスコミ各社が好意的に取り上げたが、オーナーにしてみればこれがいたく不満だったらしく、実にあっさりと「転厩」という伝家の宝刀が抜かれた。それに伴い、コスモバルクの主戦も務める関東の若手・松岡に白羽の矢が立ったのである。

今回のAJC杯の敗戦ごときで、松岡騎手を「降ろす」「降ろさない」という議論になるとはとても思えないが、できることなら彼には制約なしに乗らせてあげたい。今回もレース運びについては細かな指示があったと聞くが、これが次回以降も続くようだと、せっかくの伸び盛りの若い芽を摘み取ることにもなりかねない。

エアシェイディについに重賞を勝たせた後藤騎手は、この馬に乗って何度も失敗を繰り返しながらようやく栄光を掴んだ。昨日の中山2レースだって、よもや指示通りのレース運びではあるまい。レースは生き物。だからこそ面白いのだ。

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2008年1月27日 (日)

競馬の効能

船橋法典駅を降りてホームの時計を見やると、第2レースの発走時刻まで10分もない。これはイカンと、改札口に続く階段を駆け上がる。

Turfy撮らねばならぬ馬が出るのである。

本来ならパドックから付きっきりで撮らねばならないほどの馬だが、ここ数日のブログにあるように今の私は諸事雑務の奴隷と化しており、そもそも競馬場に行けるような状態ではない。そんな暇があるなら、世間の春闘情勢について今日中に2000文字の原稿を書き上げた上で、肺炎の知識に関してさらなる精進をせよと、編集担当から容赦のないムチが飛ぶのは目に見えている。

来週は我が地元川崎における最大の祭典・川崎記念が行われるが、その当日は競馬とはまるで無縁の仕事で名古屋に行かねばならない。折しも、私がたいへんお世話になり続けている飯塚オーナーの所有馬シャドウゲイトがここから2008年のキャンペーンをスタートさせる。なのに地元民たる私が  カワサキを“ホーム”と自認するこの私が  その現場にいることが許されないとは、情けない限りである。「悔しい」とか「悲しい」ではない。もはや競馬に行けぬことは「情けない」のだ。

原稿を書きながらそんなことを考えていたら、ふと、今日中山に行かなければ未来永劫中山の門をくぐることはできないのではないか?という強い強迫観念に襲われた。こうなるともはや立派な精神病である。いや昨今ではもっと緩やかに「メンタルヘルス不全」などとも言う。

ともあれ、来週以降も暗黒の日々が待ち受けている私にとって、春の中山開催に行けるなどという保証は皆無である。いや、おそらく無理だろう。競馬とは無関係の仕事を司る無慈悲な担当者から、「4月の前半は空けておけ!」と五寸はあろうかというぶっといクギを刺されたばかりなのだ。

もはや限界。「私は2008年のクラシックの大半を棒に振るのだ」と思い返したその瞬間、反射的にカメラを取り、300ミリレンズを装着するや、それを肩からぶら下げただけというおよそプロとは言えぬ装備で中山競馬場へと向かった。

船橋法典駅から競馬場までの道のりの、なんと楽しかったことか。1回中山開催の最終日は快晴に恵まれた。まだ2レースだというのにゴール付近は屋外席もすべて埋まっている。客足は良さそうだ。

目当ての馬が何番なのかも分からぬままスタート。ダート1800mのレースは1周目のスタンド前をゆったりと進む。

Nakayamadirt1コーナーの進入でハナは決ったかに見えたが、大外枠で大きく出遅れたウイングヴィーナスが、暴走気味に引っ掛かって2コーナーで先頭に立つ。しかし、そのまま落ち着くかに見えた隊列も1000m通過が66秒という調教なみのスローペースに耐え兼ねたか、後方にいたブリズデロートンヌが向こう正面からマクり上げて先頭に立った。後藤浩輝騎手はたまにコレをやる。

私の目当ての馬といえば、一見ベストポジションとも思える2~3番手をキープしていたが、前が次々と入れ替わる度にペースも激しく変わる展開は辛い。後藤騎手が余裕のあるアクションで4コーナーを回るのを見届けて、私はカメラを目から離した。あとはそのまま帰途に着く。

滞在時間にしてわずか5分程度に過ぎず、しかも目当ての馬が負けたのだから、さぞかし後味が悪いかと思いきや、案外そうでもない。船橋法典に向かう道すがら、私は自分のカラダがリフレッシュされていることを明確に自覚した。「新品同様」とまではいかないまでも「中古良品」にまでは戻った気がする。

できることならば、「肺結核」などではなく、「世間の春闘情勢」でもなく、「競馬の効能」というテーマの原稿に当たってみたい。それを身を持って体感した今この瞬間なら、こんなブログよりもっと深い記事が書けるはずなのに。

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2008年1月26日 (土)

「再生元年」に果たせなかったもの

岩手競馬は3月下旬に5日間予定されている「特別開催」を残して、今季の通常開催日程が終了した。3度にも渡るコスト調整でどうにか来年度の存続は決まったものの、売り上げは下方修正を重ねた末に計画比を0.6%上回ったのみ。まさに「帳尻合わせ」を地で行くコスト調整だった。

コスト調整のあおりで、競馬組合職員の冬のボーナスが全額カットされたことは既に書いた。住宅ローンを抱えた人もいるだろうにと、他人事ながら心配になる。しかし、苦しいのは職員だけでは  もちろん  ない。コスト調整の大部分は「賞金の減額」でまかなわれる。

Dirt既に存廃論議の渦中にあった昨年の1月。岩手競馬における最下級条件戦の1着賞金は25万円だった。それが4月には20万円、7月には18万円とコスト調整の度に削減され続け、ついに昨年11月のコスト調整を経て現在の15万円に至っている。

賞金の減額は厩舎関係者の生活を直撃しているが、昨年の存廃騒動の中で、「競馬を残してさえくれれば大幅な賞金減額も構わない」という手形を切ってしまった以上、あからさまに賞金減額に異を唱えることもできない。とはいえ、「もしこれが底でないのなら、もう続けられない」という弱音も漏れ聞こえ始めている。「4度目」のコスト調整が来た時、もはやついて行けぬとドロップアウトする人が続出する可能性もある。

私個人は、昨年3月の劇的な県議会の展開をハラハラしながら注視していた身として、2007年は「再生元年」と呼ぶに相応しい一年になるのだろうと、内心期待していた。

むろん、端から見ているだけの人間の勝手な期待である。だから、その期待が裏切られたからと言って誰かを責めたいとも思わないのだが、不満の残る一年であったことは間違いない。おそらくそういう思いを抱く人は多いと思う。

岩手に赴任している某全国紙記者の話によれば、「競馬場の雰囲気は昨シーズンとまるで変わらなかった」と言う。こちら(東京)で感じていたこともまったく同じ。それならば現地へ行く必要もあるまいと、この一年間私は盛岡にも水沢にも行くことはせず、ただひたすら東京競馬場フジビュースタンド1Fの岩手専用場外で、ベタベタと岩手の馬券を買い続け、ドロドロと財布の金を溶かしていた。

来季こそは負の連鎖を断ち切れるか。関係者が地域に積極的に出向いてファンと競馬場との距離を縮めるなど、再生に向けて「変革」を実感できる取り組みが欠かせなくなってくる。

来季から本格導入される「民間委託拡大」に関する説明会には、有名IT企業など14社からの参加申し込みがあった。もちろん、民間企業のノウハウだけでは競馬復興を成し遂げることはできない。地元自治体や近隣住民の理解と協力が不可欠だ。帯広ばんえいでも、「ソフトバンク」だけでなく、「帯広市」と「地元住民」の3者が互いに知恵を出し合い、協力したことによって現在のような復調局面にまで漕ぎ付けることができたのである。

そういう意味では、水沢はまだどうにかなるのではないかと思うのだが、一方で盛岡の先行きには懸念を覚えずにいられない。今年度の盛岡競馬場は、売上で前年比23%減、入場者でも前年比12.5%減と、比較的安定していた水沢に比べて大幅に落ち込ち込んだ。さらに書けば、こうした事態に及んでもなお、盛岡市長は競馬支援に関していっさいの言及をしなかった。

達増知事をはじめ、盛岡、奥州両市長、さらにあまねく競馬関係者たちは、330億円もの血税を投入して競馬を存続させたその「意義」を県民に伝え、十分理解してもらう義務がある。そしてその義務は、「再生元年」と位置づけられた今年度中に達成しなければならなかったはずだ。それが果たせなかったツケは、いずれ間違いなく回ってくる。

今年度はあと2ヶ月余り残されている。今から動いても決して遅くはないと思うのだが……。

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岩手県競馬存廃に関する、当ブログの過去記事。

 2006年1月9日付 トウケイニセイ記念
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_59cf.html

 2006年3月8日付 堀江はいずこ?
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_e780.html

 2006年3月23日付 計画続々② ~盛岡~
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_7143.html

 2006年9月22日付 岩手競馬改革計画まとまる
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_e2d8.html

 2006年9月23日付 東北の雄の誇り
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_0a06.html

 2006年11月12日付 開催変わりのない競馬
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_6e7f.html

 2007年1月20日付 岩手存廃問題 続報
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_2187.html

 2007年1月29日付 岩手存廃問題 続々報
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_bf18.html

 2007年3月16日付 《速報》岩手競馬重大局面
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_61dd.html

 2007年3月16日付 《続報》岩手競馬 廃止へ
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_f85c.html

 2007年3月16日付 《続報その2》奥州市の動き
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_faac.html

 2007年3月16日付 《続報その3》賛否の議員名
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_69d8.html

 2007年3月19日付 岩手競馬① 本日ヤマ場
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_0cac.html

 2007年3月19日付 岩手競馬② サスケ議員辞職
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_f474.html

 2007年3月19日付 《速報》岩手競馬存続へ!
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_7c0e_1.html

 2007年4月9日付「ビジョン無き”競馬再生”」
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_91b7.html

 2007年9月30日付「キーワードは「民間委託」」
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_8878.html

 2007年10月17日付「JBCに岩手からの登録なし」
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_a39b.html

 2007年10月18日付「変わらぬ依存体質」
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_547c.html

 2007年10月19日付「”収支均衡”を棄てた岩手」
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_6e61.html

 2007年12月4日付「”収支均衡”から”縮小均衡”へ」
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_3c65.html

 2007年12月20日付「ダービーグランプリ廃止へ」
 http://hirotomi.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_0e75.html

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2008年1月25日 (金)

ポーカーアリス便り

ご無沙汰のポーカーアリス・ネタでござる。

大晦日の東京2歳優駿牝馬を骨溜のために回避。JRAの芝のレースを狙って一から立て直しを図っているポーカーアリスだが、暮れに向けて一度仕上げた身体を完全に緩めてしまったことで、思いのほか調子が上がってこない。いや、「上がってこない」なんて回りくどい表現はやめておこう。ハッキリ言って「悪い」。

実は明日中山で行われる黒竹賞に選出されていたのだが、結局回避することになった。1800mという距離への不安もさることながら、むしろ体調面の不安が拭いきれない。また現段階では、右回りの競馬にも若干の不安がある。

となれば、勢い矛先は2月の東京開催に向けられる。3日目に牝馬限定の500万特別「春菜賞」があって、さっそく申し込んでみたものの地方枠2頭の選定から漏れ、補欠の1番手とされた。

JRA特別指定レースへのに出走申込頭数が出走枠を超えた場合、JRA番組企画部交流競走課による「抽選」で、出走馬が決められると定められている。ただし、この「抽選」というのがクセモノで、「実際にはなんかしらの主観的な基準に基づいて選出されてんじゃないの?」と思わずにいられない。これまではこんなこと気にも留めなかったんだけど、実際に選んでもらう立場になると特に敏感に感じるようになるから勝手なモノですよね。

これはあくまで私個人の印象に過ぎないが、馬主、管理調教師、所属競馬場、が重複するような選出結果が出ることはないのではないか。また、南関東4場で言えば、大井所属馬は比較的希望通りのレースに割り振られることが多いように思う。

えぇと…、繰り返すけどこれはあくまでも私個人の“印象”ね。

だから今回の春菜賞では、大井所属のカクテルラウンジが出走を希望した段階でポーカーアリスはハジかれることが決ったようなものである。カクテルラウンジとポーカーアリスの筆頭名義人は、共に吉田照哉氏である。

Pokerari_2結果的に、ポーカーアリスは東京開催6日目に行われる平場の500万条件戦に回されることとなりそうな気配。だが、これは結果オーライだと私は前向きに捉えている。体調面で一息足りない現状を考えれば1週でも間が空くのは、むしろ好都合。春菜賞の1400mという距離も、少し忙しいのでは?という気がしないでもないし、何より内田博幸騎手を確保できそうだというのが大きい。もうこれ以上、騎手のことでイライラしたくはないというのが正直なところだ。

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2008年1月24日 (木)

結核が競馬史を左右する

とある事情から毎月第3木曜日は、安全衛生に関する大きな会合の末席を汚させて頂いている。数日前に「肺結核について調べている」と書いたのは、つまりこの会合のためである。1月の第3木曜日である今日も、都内某所で開かれた会合に出席した。

「結核」などと聞いても、私などは「はるか昔に根絶した病気」としか思ってなかった。

社台グループの礎を築いた故吉田善哉氏が、若い時分に肺結核を患ったことで、徴兵されずに済んだというのは良く知られたエピソードである。闇で手に入れたスプレトマイシンを自分でガンガン射って、結局は完治させてしまうのだが、この時、氏がもし結核にかかっておらず、そのまま戦地に駆り出されていたとしたら   。おそらく日本の競馬は、今とはかなり違ったモノになっていたことだろう。

そんな「結核」だが、現代でもまだ発症患者がいるのだという。いやはや、自分の鞭、もとい無知を恥じるほかはない。

そういえば、一昨年の暮れに亡くなられた松山吉三郎氏も、結核を患ったことで騎手を引退し、調教師転向を余儀なくされたのだと聞いたことがある。しかし、それが調教師としてダービー2勝を含む通算1358勝という大金字塔を建てるキッカケとなるのだから、まこと人生は分からない。

小説『蛍川』で1978年の芥川賞を受賞した作家の宮本輝氏は、その直後に結核を患い、1年間の療養生活を強いられたことがある。

だが、この療養中に宮本氏は、不治の病で入院生活を送りながらも競走馬の魅力にとりつかれて前向きに生きようとするひとりの少年と、日本ダービーを目指す一頭の馬を巡る壮大な物語の構想を練る。そのストーリーは、『優駿』というタイトルで小説となり吉川英治賞を受賞。映画化もされ、今も競馬ファンの脳裏に焼き付く名作となった。

「結核」の存在は、日本の競馬史に少なからず影響を与えたと思えてならないのである。

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2008年1月23日 (水)

ボンキュッボンに浦和の洗礼

ボンキュッボンが浦和に遠征するというので、イソイソと出掛ける。

浦和に限らず首都圏は朝からけっこうな雪。「中止」の2文字が頭をかすめたが、積もるタイプではなかったのか、特に混乱もなく淡々とレースは消化されていた。

Urawa1年末の東京2歳優駿牝馬から1ヶ月も経たないうちに、すぐさま桜花賞に向けた闘いにシフトしなければならないというのは何とも忙しない感もあるが、これが南関東のルールなのだから仕方ない。理想を言えば、ここで浦和1600mを経験しつつ賞金を上積みし、ユングフラウ賞で出走権利を獲って本番に向かいたい。ただ、それはどの陣営も考えていることで、そう簡単に物事が進むようなら誰も苦労はしませんよね。

当然今回も先手を取りたい。ところが枠は大外10番枠。ご存じの通り、スタートしてすぐコーナーにさしかかる浦和マイル戦で、逃げ馬が大外枠を引いてしまうというのは泣きたくなるような状況である。

ところで、よくこういう時に「大外枠を引く」と、あたかも出走させる側が能動的に枠順決定のための行動をした結果として枠順が確定するかのような表現をするが、実際には枠順確定のためのクジ引きは行われておらず、コンピュータが乱数表を用いて決定しモニタに表示するだけ。何かを「引く」という行為は行われておらず、実に味気ない。見ている方が「えっ? あぁ…うぅ…。」と言ってる間に、枠順というものは実にアッサリと  無機的に  コンピュータによって決められていく。

Bonbonともあれスタート。

さすがは戸崎騎手。ゲートが開くまさにその瞬間、見事なタイミングで飛び出したが、それでもすぐに左へカーブを切らなければならず、1周目の直線で隊列が固まった時には、外目の3番手というポジショニングを強いられることになった。

レースの流れは比較的速く、スタートダッシュで多少なりとも力を削いだボンキュッボンにしてみればかなり厳しい。案の定、勝負所の3コーナーでは動くことができず、結果8着に終わった。

検量前で引き揚げてくる人馬を出迎える。午前中の雪は、レース中に霙となり、今ではすっかり大粒の雨に変わっている。傘をさせないのは辛いが、馬も騎手も厩務員もずぶ濡れであることも考えてなければならない。

馬から降りた戸崎騎手は開口一番「申し訳ありません」と謝ったが、騎手に非のある敗戦とはとても思えず、あの枠であの流れでは「仕方ない」としか言いようがない。どうせなら、雪で開催中止となり、出馬再投票にでもなれば良かった。そうなれば、枠順抽選もやり直しになったのに。……などと無為なことを考えながら、トボトボと帰宅。

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2008年1月22日 (火)

ストの封印は解かれるか?

昼間ぽっかり時間が空いたので、ようやく本腰入れて競馬に行けるぞとほくそ笑んだのもつかの間、頭痛を伴う全身の倦怠感に襲われた。

すわ! ついに私もインフルエンザか?

勘弁願いたい。せっかく予防接種を受けたのだから、それが無駄になってしまうのはなんとも切ないし、今週も来週もその先も、競馬とは無縁のありがたい仕事がびっしり埋まっている。休んでいる暇などない。

ともあれ、こんな体調では寒風吹きすさぶ浦和にまで遠征する気力、体力もなく、布団にくるまってなぜか「春闘」に関する資料を読みつつ日中を大人しく過ごす。

こと「春闘」だけについて言えば競馬とはまるで無関係とは言えないことはご承知の通り。トレセンで働く厩務員や調教助手の労働組合が、春になると賃上げと処遇改善を求めて使用者たる調教師側と団交を行う。一般ファンの認知度は計りかねるが、少なくとも業界に身を置く者にとっては、春の風物詩という風情でもある。

このブログでは昨年11月6日付「経営のプロを迎えて」の中で、「9年ぶりのスト突入というシナリオも俄然現実味を帯びてきた」と書いた。

厩務員組合最大手の3共闘(全馬労、関東労、トレセン労)は、世間並みの賃上げを強く要求している。この要求内容の背後には、日本経団連の御手洗会長のいわゆる”賃上げ容認発言”がある。これは1月10日に都内で行われた労使フォーラムにおいて、「企業業績は引き続き堅調で、働く人々に対する配分を考慮できる状況になってきているのではないか」と御手洗会長が発言したものだ。経済界のトップが賃上げを容認する発言を行ったということで、かなりの注目を集めた。

ただし、この発言には次のような続きがあったことを忘れてはならない。

「しかし、賃上げは困難と判断する企業数も少なくないと予測される」

これは当初原案になく、急遽付け加えられた文言だった。

文言追加のウラには、とある方面からの影響があったとされる。この会合の直前、御手洗会長に対して、安易に賃上げムードを煽るべきでないとクギを刺した人物がいた。もっぱらの噂では、クギを刺したのはトヨタ自動車の会長だという。トヨタ自動車と言えば、つい最近まで奥田碩氏が会長を務めていた日本有数の大企業。現在でも相談役の要職にある奥田氏は、JRA経営委員長の立場でJRAの経営状況に目を光らせている人物でもある。

御手洗氏の発言に影響を与えたのが、奥田氏本人の意向であると考えるのはあまりに早計だが、少なくとも世の中の全ての業種が好調ではないということは間違いのない話で、それはJRAとて例外ではない。昨年一年間の売上金は前年比2.3%減の約2兆7591億円。10年連続での減少である。その中にあって大幅賃上げを要求し、競馬開催を人質に取るような事態になれば、多くのファンは違和感を覚えるに違いない。

組合は春闘だけでなく、厩務員の配転などにも重大な影響力を持つ。組合の力の強い関東(美浦トレセン)では、厩務員は好きな厩舎を選ぶ権利が組合によって守られており、使用者たる調教師が自らの従業員を選ぶことができない状況が続いている。これを東西トレセン成績格差の根本原因と指摘する声もあるが、「労働組合」という組織の特性として、一度手に入れた権利をそう簡単に手放すようなマネをするはずもなく、少なくとも美浦では今の状況がまだしばらく続くものと思われる。

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2008年1月21日 (月)

馬と結核

ここんとこ競馬とはまったく無関係の仕事でカンヅメにされたり、JRA中京も公営名古屋もやってない名古屋に行かされたりと、とにかくストレス溜まりまくりでござるよ。

先週末もカンヅメから解放されるや、自ら自宅に引きこもり原稿と調べモノ。これではカンヅメが続いているのとあまり変わりがない。京成杯に特段のこだわりがあったわけではないけど、行かないよりは、たとえつまらないレースであっても競馬場に行っておきたいものである。

ともあれ、この先しばらく競馬場に行けるような見通しがないのは、なんとも辛く切ない。しかし仕事の選り好みなどできる立場でないことは明らかなのだから、黙々と言われた日に言われた場所に行くほかはない。

暗い…。

付けっぱなしのTVで競馬中継を横目に見ながら私が「調べていた」というのは、「肺結核」に関する諸々の資料である。

繰り返すが、この調べモノは競馬とはまるで無関係である。サラブレッドが結核になるということはない。牛の場合は、ヒト型結核菌に感染して結核病を発症するというが、馬が結核になったという話は聞いたことがない。まあ、病気になるよりはならない方が良いから、これはこれで良い話。病気は馬インフルだけでもう十分ですよね。

ただし例外もある。

ダンシングブレーヴが「マリー病」と呼ばれる奇病に冒されてこの世を去ったことは良く知られているが、この「マリー病」、実は鳥だけが感染する”結核病”なのである。

1987年。イギリス国内で5頭のマリー病発症馬が確認され、イギリスの競馬サークルはパニックに陥った。そのわずか5頭のうち1頭が、この年からダルハムホールスタッドで種牡馬入りしたばかりのダンシングブレーヴだったことは、世界の競馬界にとって大きな大きな不運としか言いようがない。

マリー病を発症した馬は四肢全体が強く痛んで、骨膜や関節が腫れる。併せて高熱を出すことが多く、治療には抗結核剤が用いられ副作用にも悩まされることになる。病名は1980年にこの病気を発見したオーストラリアの医師の名前からつけられたという。完治例は  私が知る限りでは  ない。

Dancingbraveダンシングブレーヴが日本にやってきた後も、日々全身を襲う痛みにジッと耐え続けていたのだと思うと、その精神力には畏怖さえ覚える。この写真は1998年の夏に撮ったもの。当時、ダンシングブレーヴが放牧されることはほとんど無かったが、この日は体調が良いということで、写真を撮るために厩舎からちょっとだけ出てきてくれた。

風の強い日で、隣りの馬房では若かりし日のフォーティナイナーが「オレも外に出せ!」と言わんばかりに大暴れしていたことをよく覚えている。ダンシングブレーヴがこの世を去るのは、それからちょうど一年後。1999年8月のことだった。

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2008年1月20日 (日)

もしこの世に馬がいなければ

昨日行われた大学入試センター試験1日目。「公民」の試験問題に「尾崎豊」に関する設問があったということで世間では話題になっているらしいけど、「日本史B」の問題に「馬と人との関わりの歴史」に関する設問があって、私などにしてみれば、むしろそちらの方が興味深かった。

Haniwa_2設問は、古墳から出土した馬の埴輪や、伝統神事としての流鏑馬。あるいは、農耕馬や駄載馬に関する知識を問うもの。もちろん日本史に関する問題であることには違いないが…。最近の入試センター試験ってこういうモンなんですかね? 自分が受けたのは、もう20年以上も昔の話だし。

しかし私個人としては、大学を目指そうという若い人たちに馬と人との関わりについて問いかけるというのは、良い話だと思う。日本人という国民は、競馬については世界先進国の中でもっとも熱心でありながら、”馬文化”については世界先進各国の中でもっとも不熱心である。

もし馬が地上に存在しなかったなら、「古代」という時代がひたすら続いて、この21世紀もまだ「古代」にすぎなかったのではないだろうか   

東京大学で西洋古代史を研究している本村凌二教授の著書『馬の世界史』は、そのような視点で書かれていて非常に興味深い。馬のスピードと馬力がどれだけ人間に役立ってきたか。太古には狩猟対象の単なる”獣”に過ぎなかったはずだが、やがて、車を引き、人を乗せ、人間の生活に深く入り込んできた。大規模な軍事行動を可能としたのは馬であり、東西の文化交流にもっとも重要な役割を果たしたのも馬である。馬と人とが関係をもったことで、我々の住む人間世界は物理的にも形而上的にも大きく広がった。

「人が馬にまたがったとき、世界は変わった」

競馬場の行き帰りの電車の中で、こういうことに思いを巡らせる人が増えるようになれば良いのになぁ…、と思う私にしてみれば、大学入試センターに馬の問題が出てきたというのは、ささやかではあるが、大きな一歩だと思えるのである。

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2008年1月19日 (土)

大井の”神様”は今年も健在

今年最初の大井開催(5日間)が終わった。

Matoba3元日からの川崎開催(4日間)とそれに続く船橋開催(5日間)で僅か6勝と、今ひとつスタートダッシュに失敗した感の漂っていた「大井の神様」的場文男騎手だが、地元大井開催で人が変わったかのような大活躍。3日目(1/16)に5勝、最終日(1/18)にも4勝の固め撃ちを含め、なんと12勝を荒稼ぎしたのである。

昨年2007年の大井の勝ち星では、どうにか100勝を達成して”神様”の面目を保ったが、大井リーディングでは3位に甘んじた。内田博幸騎手はともかく、20歳ほども歳の差がある坂井英光騎手にも及ばなかったとなれば、そろそろ”トシ”なんかなぁ……?、などと不覚にも感じてしまったりしたけれども、この大井開催を見る限り、そのような心配は全く無用なようだ。

Matoba2的場文男騎手について、なにより特筆されるべきは”頂点”に立ち続けている期間の長さだ。

的場文男騎手が初めて大井のリーディングに輝いたのは1983年。今から25年も前の話。それから2004年まで21度のリーディングを獲得し、その後も2~3位を続けているのだから、神格化されるのももはや当然と言えば当然か。

しかし、そんな神々しい”神様”も、ファンに対しては意外にも(?)フレンドリー。大井のウイナーズサークルで口取り撮影が終わると、ファンから差し出された色紙にペンを走らせる。

サインを頼まれるのは、色紙以外にも写真やTシャツなどもあって、そのたびに的場騎手はペンの種類を変えたり、台を探したりしてと、結構マメに応対する。いや、ただし、次のレースが迫っているような場合は、この限りではないので注意されたい。

Matoba1この写真では分かりづらいが、ファンがサインを求めて差し出したものは「馬券」。それを見て、細字のペンを持ち、やおらサインをしようと構えた的場騎手は「あっ!」と大きな声を出して、ペンを持った手を止めた。

「これダメだよ! もったいないよ!」

と神様はサインを拒もうとする。

見れば券面には「ローレルアンジュ」と印字されている。どうやら、2006年2月のエンプレス杯の単勝馬券のようだ。神様は「だって、コレ…、8000円くらいつけたヤツじゃない! ダメだよ。ちゃんと払い戻しなよ」と言いつつ、「あぁ、でももう有効期限過ぎちゃってるか…」と思い直し、結局はペンを走らせた。

「でもさあ、なんで払い戻さなかったの?」とサインを終えた馬券を渡しつつファンに尋ねると、そのファンは「いつかこうしてサインしてもらおうと思いまして。今日やっと念願が叶いました」と興奮気味にまくし立てた。

今年53歳になるが、神様の気力・体力はまったく衰えてはいない。その騎乗スタイルは首尾一貫して「先行」一本槍。スタート直後に出ムチを入れてハナに立つ。内ラチギリギリのインコースにこだわり、直線では「これでもか」と言わんばかりに必死に追う。その騎乗スタイルに惚れ込んだファンたちも、まだまだ熱い気持ちを持ち続けているようだ。

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2008年1月18日 (金)

ナリタと京成の不思議な関係

朝から神奈川県内の某所に幽閉されている。つまり、“またまたまた”カンヅメにされて仕事しているわけですね。今は風呂&夜食のための休憩時間。「夜食」っつったって、コンビニのおにぎりですぜ。『築地天むす』の”穴子天むすび”なんかだとすごく嬉しいんだけど……、でも…、まあ…、頂く立場なので文句も言えず、モソモソと食べる。

私が宿泊している施設は、大きなアウトレットモールに隣接していて、昼間は平日だというのに多くの買い物客で賑わっていた。世間は平和である。すぐ隣の建物の中に、外の空気を吸うことも許されずに、昼となく夜となく強制労働を強いられている哀れな男がいることなど、彼ら彼女らは知る由もないのだろう。部屋の小さな窓を叩いて「助けてくれ!」と叫んだら気付いてくれるだろうか、などとつい考えてしまう。

こんだけカンヅメばかり続くと、さすがに”慣れ”てしまった感もある。とはいえ、いつもいつも週末であることには毎回閉口させられる。

前回のカンヅメは秋の中山開催開幕週の京成杯オータムハンデの週だった。そして今回は明け3歳馬の重賞・京成杯である。カンヅメのスケジュールは私が決めているわけでは当然ないのだが、京成さんの協賛レースと何かしら関連があるのかもしれない。となれば、次回は6月の京成盃グランドマイラーズのあたりだろうか。え~と、これは船橋の重賞ね。いずれにせよカンヅメとは無関係だろうけど。

「京成」というのは、言うまでもなく私鉄の会社名で、東京と成田とを結ぶことからつけられた。ナリタと聞けば、ちょっと年季の入った競馬ファンであれば、山路オーナーの所有馬を連想するだろう。4冠馬ナリタブライアンを筆頭に、ナリタタイシン、ナリタハヤブサなどナリタの名馬は数知れない。

ただ、そんなナリタの名馬をもってしても、成田に縁深いはずの京成杯や京成杯オータムハンデを勝ったことはなく、一昔前の「京成杯3歳ステークス(現京王杯2歳ステークス)」まで含めても皆無となれば、もうこれは「ナリタと京成電鉄は縁がない」としてしまって構わないだろうか?

同じ山路オーナーでも“オースミ”の冠名を持つ馬は、京成杯を2回も勝っているわけだから(オースミポイント、オースミブライト)、やはり“ナリタ”がいけないのではと思いたくもなる。

と、ここまで書いて不安になったんだけど、ナリタの馬が京成のレースを勝ってないと断言してしまって大丈夫かな?(笑)

つい2日前のブログで間違いを書いてご指摘をいただいたばかりなので、多少ナーバスになっております(笑)

とはいえ、今私の置かれた状況にはネット環境もなく(この文面は携帯から送信してます)、私自身の記憶に頼る他はないので、どうにもならない。もし間違っていたら、どうかご指摘願います。今日は、しょうもない内容の話で、写真も無く、失礼いたしました。

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2008年1月17日 (木)

鶏の話と、鳥の話

ライトハートの快勝劇からちょっとばかり時計の針を戻して、甲斐大泉の話。

彼の地には知る人ぞ知る親子丼の名店があり、今回私がわざわざ八ヶ岳まで足を運んだのも、この『中村農場』さんの親子丼を食べるためだったと言っても過言ではない!……、なんてコトはなくて、とある乗馬クラブに行くのが目当てでした。でも、親子丼を食べることも大事な目的のひとつであったことには違いない。

Oyakoその名から分かるように養鶏農場直営のお店で、鶏肉は噛み締めるほど甘くて、旨くて、香り高く、片や半熟というよりもむしろ“生”に近い卵は驚くほど黄身に弾力があり、その中に味がギュっと濃縮されている。

このブログでは麻布十番『さ和鳥』(現在は神楽坂に移転)の親子丼を絶賛してきたわけだが、『中村農場』の親子丼もまったく負けてない。人形町『玉ひで』で2時間行列に並ぶくらいなら、思い切って八ヶ岳まで行ってしまうのも悪くないと思う。

Zosuiちなみに夜は予約のみで、夜だけのメニューとして「鶏すき」や「鶏しゃぶ」の文字が並ぶが、やはりここは王道の「水炊き」が絶品。ただし雑炊用の「ご飯」は、1人前がドンブリまるまる一杯分とややボリュームがあるので、注文時には注意されたい。

 

Kanbanでもせっかく八ヶ岳まできて昼も夜も鶏料理ばかりというのもちょっと……。という向きには、俳優の柳生博さん&作家の柳生真吾さん親子が経営する『八ヶ岳倶楽部』という選択肢もある。小海線・甲斐大泉駅から八ヶ岳に向かって3分ほどクルマを走らせるたあたり。1月14日付でも紹介した石釜ピッツァの『バックシュトゥーベ』の“お隣”である。

Makiカフェのメニューはカレーやハヤシライス、スパゲッティなど軽食系が中心だが、中でもビールで煮込んだというビーフシチューのパイ包み焼きは出色。娘のオーダーにもかかわらず「ちょっと食べさせて」を連発して、ほとんど私と妻が食べてしまった。

Tori1柳生博さんといえば、言わずと知れた『日本野鳥の会』の会長の要職にある方である。だから、敷地内には鳥寄せの餌台があちこちに設置されていて、いろいろな野鳥が姿を見せてくれる。えー、さっきまでは「鶏」の話で、これは「鳥」の話ね。ややこしいな。

Tori2ともあれ、私もカメラを引っ張り出してきて、10分ほど“野鳥カメラマン”の真似ごとをしてみたのだが、これがなかなか難しい。馬に比べて被写体が極端に小さい上、馬以上に行動が予測不可能ときている。もしフィルムで撮ってたらいったい何本無駄にされるか想像もできない。

でも楽しい撮影であることには違いなく、「動物を撮る」という行為そのものの中にあるエッセンスには、多くの共通項があると思う。プロアマを問わず、野鳥を撮影対象としている方が、この世に星の数ほどいるというのも少しは理解できたような気がした。

ところで、『八ヶ岳倶楽部』には”彫刻家具作家”の田原良作さんの作品がところ狭しと配されているが、田原さんは東京競馬場内のさまざまなレリーフを手掛けたアーティストでもある。まあ、競馬とはまるで無縁とういワケでもないというところで、ひとつ。

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2008年1月16日 (水)

同一馬主1~3着独占の凄さ

Tatejima今年最初のダートグレードレース・TCK女王盃は、1着から3着までを黄黒縦縞袖青一本輪の勝負服が独占した。社台やサンデーの勝負服が上位を賑わすことには慣れ切った感もあるが、同一馬主の1、2、3着の独占となると、これはかなり珍しい。少なくとも、ダートグレードレースでの同一馬主の1、2、3着独占は初の出来事。ちなみに4~5着もJRA所属馬で、地方をホームにしている私などにしてみれば、泣きたくなるような結末だった。

同一馬主の「ワンツー」というのは、稀だけどあることはある。2004年のダービー卿チャレンジトロフィーはマイネルのワンツーだったし、2003年の阪神ジュベナイルフィリーズも、ヤマニンのワンツーだったことはまだ記憶に新しい。

JRAでの同一馬主ワンツースリー独占は、最近では2006年12月17日のオリオンSで”トウカイ”の内村オーナーが達成しているが、それ以前となると1990年9月30日の中山6レースまで遡る。この日の中山6Rは芝1200mの4歳(当時)未勝利戦。このレースには馬主「ホースマン」がコーラルアイズ(鹿戸雄一)、パープルアーチ(加藤和宏)、グリーンコメット(岡部幸雄)の3頭を出走させていたが、それらが見事に1、2、3着を独占した。当時は3連複も3連単も存在しなかったが、馬主としてはそんな馬券があればなあと思ったことだろう。

Tatejima2重賞ではないが、オープン級のレースということでは、その前年の巴賞でグランドキャニオン(東信二)、ディクターランド(菅谷正巳)、ダイナオリンピア(本田優)で3着まで独占の例がある。この時の馬主は今回のTCK女王盃と同じ社台レースホース。やはり、こんなことをやってのけるのは社台さんだけなんですかね。ちなみに、このレースには、もう一頭社台レースホースの所有馬・ダイナバトラーが3番人気で出走していて、”1~4着独占”という快挙への千載一遇のチャンスだったのだが、ダイナバトラーは6着に敗れている。

いずれにせよ、重賞レースでの同一馬主1、2、3着独占というのはなかなか成し得る業ではない。今後、もしJRAの重賞でそれが達成されるとすれば、やはり社台か、あるいはサンデー、マイネルなどに限られるのだろう。

TCK女王盃に話を戻す。

期待の真島・アウスレーゼは末脚一息の10着。ボンネビルレコードに迫ったあの脚が使えれば、JRA所属馬相手でも勝ち負けできると思うのだが、いかんせん休み明けの今回は追い切りが動かなすぎた。牡馬相手となるが、次の金盃での大駆けを期待したい。

~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~

と、ここまで書いて投稿したら、すぐに指摘のコメントを頂戴しました。

2006年12月17日の阪神10R・オリオンSは1着トウカイエリート、2着トウカイワイルド、3着トウカイラブで全て馬主は内村正則氏とのご指摘。確かにその通り。

さっきは社台、サンデー、マイネルに限られると書いてしまったけど、冷静に考え直せば、トウカイさんやアドマイヤさんあたりが中長距離重賞で1~3着独占する方が、最近の傾向からすると現実的なような気がします。

いずれにせよ、ご指摘ありがとうございました。本文の方も修正させていただきます。

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2008年1月15日 (火)

競馬場には正装で行くべし

「末席を汚す」という言い回しがある。

集まりなどに出席したり、何かの仲間に加わったりすることを、へりくだって言い表す言葉だが、この日の夜、私はこの言葉が直接的に指し示す状況を身をもって思い知ることになった。

ともあれ話は昨日の続き。

夕闇迫る大井競馬場で、私は妻と娘2人とともにライトハートが出走する大井12レースの発走を待っていた。1番人気はJRAから大井に移籍して3戦負け無しのカイテキセレブで2.6倍。ライトハートは3.4倍で差の無い2番人気に支持されている。

スタートが一番の不安だったのだが、五分以上の好発を決めると、大外から無理なく3番手につける理想的な展開。休み明けの前走で見せたような掛かる仕草も今のところは見られない。前を行く1番人気のカイテキセレブが苦しくなったのを横目に、馬なりのまま4角を回ると、ここが勝負所とばかりに一気に先頭に躍り出た。しかし、内と外からは後続馬が猛然と迫ってくる。

大井外回り直線400mの、なんと長かったことか。

Lightheart結局、ライトハートは2着馬を3/4馬身凌いで優勝。見事に通算4勝目を挙げた。早め先頭という内田博幸騎手の好判断もさることながら、管理する蛯名調教師の言葉を借りれば「底力が違った」ということになる。大井1400mの大外枠のスタートを、4角先頭から押し切るというのは、なるほど確かに並の芸当ではない。

ともあれ、めでたく口取り。ウチの上の娘は、小学2年生にして「内田博幸騎手の大ファン!」というツワモノで、一緒に口取りをして内田騎手に握手までしてもらったあとは、しばらく口をきくことすらできなかった。長く牧場で働いていたという女性も、今回が初めての口取りということで、皆が「本当に良かった良かった」と思える結末。昨日付で書いたゲン担ぎが少しは役に立ったのかもしれないと思えば、次にまた関係馬が走る時には、またどこか遠くに家族で出掛けて、馬に乗ってから駆け付けなければなるまい。

なんて、そこまでは本当に幸福感に包まれていたのだけど、直後に場面は急展開する。

馬主夫妻のご厚意で、恵比寿にオープンしたばかりのビーフダイニング『MAESUTORO OGAWA』に家族揃って招待していただくことになったのだが、妻と子供はともかく、私の服装といえば下は革靴にコットンパンツで、上は襟付きとはいえヨレヨレのカジュアルシャツという出で立ち。クルマに戻ればパリっと糊の効いたYシャツとネクタイがあるが、今から着替えに戻るわけにもいかず、なんとも肩身の狭い思いにかられる。

競馬場に行く時は何があっても正装で   

かつてイギリスの競馬場を歩いた時、身をもって知ったはずのセオリーだが、「大井の大外14番枠」という負のセオリーを優先してしまった自分を情けなく思う。完璧なまでにゲン担ぎを徹底し、実際、勝つつもりで革靴にネクタイまで準備しながら、些細な理由からそんな準備を無駄にしてしまったわけだ。祝宴の末席に座った私は、見た目でも“汚して”いたように思う。

Mashとはいえ、お店の方は「グランドハイアット東京」出身の佐々木主紀氏が料理長を勤めるということもあり、味もメニューも秀逸。厳選した和牛を味わえるだけでなく、ちょっと常識では考えられないような野菜が出されて驚くことしきり。写真は直径10センチはあろうかという巨大マッシュルーム。焼き網が小さいとか、周りの肉が小さいということではない。それでこれがまた旨いんですよ。

マンゴーディップ、アボガドディップ、胡麻酢、フランスゲラント塩、ポン酢、醤油ダレの6種類のタレを好みで選んで食べるというスタイルもなかなか新鮮。どんだけ旨い肉でも、たくさん食べ続ければ途中で飽きがくることがあるけど、これだけ味のバリエーションがあればそのような心配も無く、結果普段より多くの肉をバクバクと食べてしまうことになる。いや~あ、恐いですね。でもライトハートが勝ったのだから、今夜くらいは無粋な心配などするのはやめよう。

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2008年1月14日 (月)

乗馬&高速道路でゲン担ぎ

実は数日前から八ヶ岳の麓、甲斐大泉に滞在しているのである。

Tsurara当然寒い。夕べ20時にホテルの従業員と話してたら「今、外はマイナス11度ですよ」と聞かされてぶっ飛んだ。ところが、このあと北海道の牧場からやって来た人から「夕べはマイナス20度だった」と聞かされて、さらにぶっ飛ぶことになるのだが……。

Clubホテルで朝食を済ませてから、速やかに地元の乗馬クラブへ向かう。小淵沢周辺は乗馬クラブのメッカであり、ふたつの乗馬クラブが文字どおり隣合わせで営業しているという光景も、決して珍しくはない。立派な馬術競技場なんかもあって、夏には多くの大会が開かれるというが、去年は馬インフルの影響で多くの大会が中止になったようだ。今年は来てみたいですね。特にホーストライアル。

Kaki乗馬が済んだら、大泉の石釜ピッツァのお店『バックシュトゥーベ』へ。休日には入店待ちの列もできる人気店だがまだ12時には間があるので、店内はガラガラ。窓の外には吊し柿。

生ハムのピッツァとソフトシェルクラブのパスタを食べ終えると、一気に山を下り、高速を飛ばして東京に取って返す。

なんともせわしないスケジュールではあるが、これは一種のゲン担ぎで、敢えてせわしなくしている部分もなくはない。実は、今日の大井最終レースにライトハートが出走することになっており、その関係者と大井で会う約束をしているのである。どうしても、ライトハートに勝って欲しいと考えた私は、10月11日にボンキュッボンが川崎で勝った時と全く同じ行動をなぞることで、ゲンを担ごうと決めたのである。(※10月11日付「ボンキュッボン初勝利!」)

外出先のホテルで朝食をとり、乗馬をして、高速道路を飛ばして競馬場に入る。クルマは馬主専用駐車場に入れ、レース前に軽食を取り、レースは一般スタンドのラチ沿いで”かぶりつき”で観る。川崎と大井との違いはあるにせよ、3ヶ月前の自らの行動を徹底してマネてみる。

パドックで関係者と会う。久しぶりに会う顔も会って、実に嬉しい。娘たちも大喜び。でも、これから始まるレースへの緊張感の方が勝っており、ライトハートの強敵ととなりそうな馬を一頭一頭吟味する。

それでも、パドックで見る限りライトハートの馬体は抜けているように見える。もちろん贔屓目もあるだろうが、なにより落ち着いているのがよろしい。休養明けの前走は、パドックからイレ込んで、スタートしてからも掛かり通し。それでも、直線まで逃げて粘っての3着だから、2戦目の上積みも期待できる。

しかし、そんな我々の淡い期待の前に「大外14番枠」という最悪のファクターが立ちはだかる。

実は一昨日の晩。ホテルの布団に横になりながら携帯電話でライトハートの枠順と騎手とをチェックした瞬間、私は「勝利」をほぼ諦めた。内田博幸騎手であることに文句はないが、なにより14番枠は痛い。大井の1400m戦における大外枠は、3馬身以上の不利に相当するとも言われている。

革靴とスラックスという、およそ八ヶ岳に似合わない服装で出掛けていた私は、もちろん今日のための着替えとしてYシャツとネクタイも用意していた。が、この枠順を見た途端「Yシャツのクリーニング代だってタダじゃないんだから…」などと考え、カジュアルシャツにノーネクタイという出で立ちで東京に向かったのである。

この安易な  かつケチな  考えを、私はあとになってひどく後悔することになる。

(明日付に続く)

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2008年1月13日 (日)

聞き間違えから”名馬”

せっかくなので、もう少し馬の名前にまつわる話を続ける。

馬名というのは、競走馬を便宜的に規定するための記号ではない。だからこそ一部のファンは冠名というものに抵抗感を覚えるのだろうし、安易な  あるいはふざけた  ネーミングに対しては嫌悪感を感じるのだろう。サラブレッドという、地上でも類い希なほど高貴な生き物に対する人間側の礼節が問われる問題である。

Grooveそういう背景があるからこそ、1文字馬名が認められなくなったわけだが、その一方で、1968年にはそれまで馬名に認められなかった拗音と促音が認められるという出来事も起きている。有馬記念を勝った名牝スターロッチが「スターロツチ」と表記されていることに違和感を覚える方も多いことだろう。実際「ヴ」という文字の使用が認められたのもつい最近で、1997年の秋の天皇賞を勝ったエアグルーヴも、世が世なら「エアグルーブ」だったかもしれなし、2003年の2冠馬ネオユニヴァースは「ネオユニバース」だったかもしれない。

馬名に使われる特別な文字といえば、まず「スウヰイスー」の名があがる。1952年の牝馬クラシック2冠を制し、安田記念も連覇した名牝中の名牝だが、名牝であるが故にその発音には苦労させられた人が多かったようだ。特にラジオの実況アナウンサー。

ちなみにこの表記では「スウィイスー」と読むほかないが、本来の命名は「スイートスー(Sweet Sue)」だった。意味は”愛しのスーちゃん”といったところか。”Sweet Sue”でネットを検索すると、エステサロンから曲名までいろいろに使われている言葉のようだから、悪くない言葉なのだろう。それが珍妙な名前に化けた理由は、馬名登録を頼まれた厩舎関係者の電話の聞き取りミスだという。

それにしても、いくら電話が遠かったとはいえ「ヰ」という文字を聞き取るとはハンパな耳ではない。まさに世紀の聞き間違いではないか。

ところが、そのスウヰイスーがデビュー戦を快勝し、しかも万馬券を演出したとあって、喜んだ馬主はゲンをかついで馬名変更をしなかった。もっとも、さすがに発音しにくいので、馬主は「スイスイ」と呼んでいたという。よく知られたことだが、その馬主というのは大女優・高峰三枝子さん。高峰さんは仕事の合間を縫って競馬場をよく訪れていて、愛馬の口取りにも参加したという。今ならパニックにもなりかねないような話だが、高峰さんの競馬への情熱が伝わるエピソードでもある。

(馬名の話はこれまで)

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2008年1月12日 (土)

冠名と序数の馬名文化

日本競馬独特の文化に”冠名”というのがある。

Meisho馬名の一部に「メイショウ」とか「アドマイヤ」といった馬主固有の文字列を含めるもので、「ナリタ」と「オースミ」の山路オーナーのように複数の冠名を使い分けている馬主もいる。

冠名を使用することについては「馬主の崇高な責務である命名行為や、競走馬そのものをを軽んずる」として批判の対象になることが多く、私もそれほど好きではないが、一方で毎年数十頭を購入するような大オーナーの場合、世代を覚えやすくするために使用しているという側面もあり、ドバイのモハメド殿下も一部の所有馬に”ドバイ”という冠名を付けるようになった。2000年のドバイワールドカップをレコードで勝ったドバイミレニアムがもっとも有名な例である。

冠名とはちょっと違うが、同一の命名が重なると”序数”を付けることがある。1954年の皐月賞と菊花賞を勝ったダイナナホウシユウという馬をご存じだろうか? この馬名の「ダイナナ」という部分は序数である。

1949年の日本ダービーに出走し、タチカゼ、シラオキに次ぐ3着に善戦したのが初代「ホウシユウ」。

ダイニホウシュウはアングロアラブだったことで記録らしい記録はないが、ダイサンホウシユウは1953年の日本ダービー出走してボストニアンの2着するなど活躍し、翌1954年の日経新春杯を勝っている。

ダイヨンホウシユウはまたまたアングロアラブで、ダイゴホウシュウは初代ホウシユウの産駒でオープンまで出世しているが重賞勝ちはなく、ダイロクホウシユウに至ってはまるで記録がない。

あと一歩のところでダービーの栄冠を逃してきた”ホウシユウ”シリーズの馬たちだが、”7代目”となるダイナナホウシユウこそダービーをもっとも意識させた一頭であることは間違いない。なにせ皐月賞を迎えるまで10戦全勝。迎えた1954年の皐月賞では、1番人気こそ朝日杯の勝ち馬・タカオーに譲ったものの、スタートから力強く逃げて2着馬に8馬身を付ける圧勝劇を展開し、無敗の連勝記録を「11」に伸ばした。しかしながら、日本ダービーではスタートで痛恨の出遅れ。大井競馬出身のゴールデンウエーブの後塵を拝することになる。

実は日本ダービーに関するジンクスのひとつに「馬名に数字のついた馬は勝てない」というものがある。

ダイナナホウシユウだけでなく、テンポイント、ホウシユウエイト(8代目!)といった有力馬が、人気を集めながらダービーを勝てなかった。

ちなみに現在の規定では「序数は3頭まで」と定められているので、「ダイナナ~」というような馬名は認められないことになっている。

(明日付に続く)

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2008年1月11日 (金)

和名4文字の美しさ

知人を通じて明け2歳馬の命名を頼まれたので、いろいろと思案しているところである。

依頼されたのは昨年の秋天当日の地下馬道。だから、引き受けてからもうかれこれ2月半が経つ。当時のブログを振り返れば分かるが、私自身、競馬とは無縁の難題を抱えており、出口の見えない中で追い詰められていた。そんな状況下で、馬名を考えることは、僅かばかりでも気分転換にはなるだろうと考