【五十嵐冬樹騎手を巡って②】コスモバルク力走の影に
五十嵐冬樹騎手が名実ともに脚光を浴びたのは、2004年にコスモバルクとのコンビでJRAの重賞に出走するようになってからだ。しかし、その前年、2003年夏の段階で 昨日付でも書いたように 既に、JRA騎手の間では「要注意」とのレッテルが貼られていた。
迎えた2004年の日本ダービー。北海道のみならず全国のファンの期待を背負って出走したコスモバルクと五十嵐冬樹であったが、キングカメハメハの8着に敗れる。
覚えている方も多いだろう。このレース、4コーナーを回ったコスモバルクは制御不能に陥ったかのように左右に斜行し、危うくキングカメハメハと激突するところだった。このときは、コスモバルク というより五十嵐冬樹 に予め注意を払っていた他の騎手たちが、同馬から距離を置くようにして4コーナーを回ったため、ゴールシーンではほとんどの馬が大外を飛んできた。もっとも外を回ったハイアーゲームの蛯名騎手は、レース後「コスモを気にし過ぎて外を回し過ぎた。普通のコース取りなら(1着との差は)際どかったはず」とコメントしている。
翌2005年のシーズン。前年のクラシックで結果を残せなかった五十嵐冬樹騎手は、コスモバルク主戦騎手の座を追われる。
しかし、手綱は千葉~安藤勝~ボニヤと渡るもやはり思うような結果は出ず、暮れの有馬記念なって1年振りにコスモバルクは五十嵐冬樹騎手とコンビを組んだ。ハーツクライが無敗のディープインパクトを破った、あの歴史的レースである。
ディープインパクトの敗戦に水を打ったように静まりかえるスタンドと歓喜に沸くハーツクライ陣営を横目に、3着に入ったリンカーンの鞍上横山典弘騎手は顔を紅潮させて検量に戻ってきた。ゴーグルに隠された”目”の様子までは計りかねたが、その表情は明らかに怒りを漲らせていた。
このレースは直線の出来事で審議となったが、実は加害馬とされたのは、4着に入線したコスモバルクだった。直線坂上で背後から迫ったリンカーンの進路を妨害したとされたためである。五十嵐冬樹騎手には「戒告」の処分が課されている。
レース後、横山典弘騎手は「最後、伸びかけたところで寄せられたのが痛かった。それまではうまく運べたのに。ホント後味が悪い。(五十嵐冬樹騎手は)大レースでこんなのが多過ぎる」とまくしたてた。
翌年のコスモバルクのキャンペーンは月の日経賞から始まったが、またまた五十嵐冬樹騎手はインターフェアによる過怠金1万の制裁を受けることになる。直線で背後から追い込んだストラタジェム(2着)の進路を塞ぐように馬を寄せたことによるものだ。
この日経賞を勝ったのは、3ヶ月前の有馬記念でコスモバルクに邪魔をされた格好のリンカーンと横山典弘騎手である。このときは、横山典弘騎手もコスモバルクの動静には注意を払っていたようで、同馬とは”距離”を置いたレース運びを心がけていたようだ。
しかし、さらに禍根は続く。
昨年の秋の天皇賞(4着)では、決勝戦手前でアサクサデンエンの進路を塞ぐように外斜行した。この時は審議対象とはならなかったものの、続くジャパンカップはスタートから逃げる展開。しかし、最後の直線で外斜行してトーセンシャナオーが立ち上がるほどの不利を与え、返す刀で内ラチ沿いから伸びてきたドリームパスポートにも馬体をぶつけてしまった。ここまでやらかせばさすがに審議対象になるもので、五十嵐騎手には過怠金3万円を科されたが、メディアやファンの目は凱旋レースを勝利で飾ったディープインパクトに釘付けになっており、2着以下のことなど誰も気にしていなかったようだ。
(明日付に続く)















































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