« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

2006年3月31日 (金)

間隙の7ハロン

こちらの数字をご覧頂きたい。

 1200 12
 1400  5
 1600 22
 1800 18
 2000 25

左の数字はレースの距離だということはすぐにおわかりいただけると思うが、右側は何の数字でしょうか?

実はこれ、距離ごとに分類した場合の年間の重賞レース数(去年の実績で芝のみ)なのである。一目瞭然だと思うが1400m戦は抜けて数が少ない。

「1400mは中途半端だから少ない」という見方は間違っていないと思うが、それなら1800mも半端な距離の割に数が多いことになる。結局は1400mのコースを取れる競馬場が、東京・新潟・京都・阪神の4場しかないことが一番の原因だろうが、実は海外ではこの7ハロン戦の重要性が増してきているのである。ヨーロッパ各国における2歳チャンピオン決定戦、デューハーストS(英)、ナショナルS(愛)、グランクリテウム(仏)などは揃いも揃って7ハロン、つまり1400mで行われるようになったのだ。

かつて某雑誌のコラムで1400m戦の重要性を説いた岡部幸雄元騎手によれば、短距離に近いイメージがあるマイル戦ですら、実は道中息が入る箇所がたくさんあったり、折り合いに注意しなければならないペースになることがあったりして、スピード能力が十分に発揮できない場合が多い。競走馬のスピード能力が格段に発達した現在では、「ある程度の持久力とスピード」をバランス良く発揮することができるのは、1600mではなくむしろ1400m戦なのだそうだ。

タイキシャトル級のスーパーホースであれば、1200mだろうが1600mだろうが、適正距離云々などを度外視した断然な能力差をもって圧勝するかもしれない。しかし、2000m超の中長距離戦とは異なり、1200m~1600mは1ハロン距離が変われば、結果も大きく変わってくるというのが一般的な考え方である。

23033 例えば私などは、香港の英雄サイレントウィットネスとハットトリックが1400mで対戦していたら、いったいどちらが勝っただろうかとか、トロットスター@スプリントチャンプとトロットサンダー@マイルチャンプが1400mでトロトロ対決したらどっちが強いのだろうかなどと、  まるでしょうむないことだけど  興味が尽きない。

ちなみに、「日本競馬史上の最強の7ハロンホースは何か」というのを調べようとしたのだが、グレード制導入以降に1400mの重賞を3勝したというような”7ハロン猛者”は存在しなかった。重賞の数自体が少ないのに加え、G1戦がないから強い馬の参戦が少ないことが原因だと思われる。

さて、今年の番組改正で1400mの重賞がひとつ追加され(阪神カップ)、さらに昨年までは1200mと1600mで行われていた重賞が、それぞれひとつずつ1400m戦に距離変更となった(阪急杯と阪神牝馬S)。

7ハロン重賞はスプリンターとマイラーの双方の有力馬が流れ込む、いわば”潮目”のような条件であり、馬券的な妙味が高く、ひいては売上げ増につながる可能性がある。今回のレース数調整を見ると、JRAも7ハロン重賞を重視してきたのかもしれないという思いにかられる。

「7ハロン重賞を3勝している馬はいない」と先ほど書いたが、実は最近まで7ハロン重賞を既に2勝している現役馬が2頭いた。

「いた」と書いたのは、そのうちの1頭がコスモサンビームであるからで、彼は先月の阪急杯で2番人気に推されながらレース中の故障で予後不良となってしまっている。7ハロン云々を抜きにしてもこれは気の毒かつもったいないことをした。

1224_31_ もう1頭の現役馬ラインクラフト(ファンタジーS・フィリーズレビュー)は、このあと阪神牝馬Sに出走予定だという。勝てば史上初の”JRA7ハロン重賞3勝馬”の栄冠に輝くことになるが、そもそもこんなことに注目しているのは私だけなんだろうね…(^_^;

| | コメント (0)

2006年3月30日 (木)

電撃の6ハロン

高松宮記念のことをすっかり忘れていた。

わけあって日曜は高松宮記念が見られなかった。しかも、翌朝のスポーツ新聞の競馬欄はドバイの快挙を大々的に報じていたため、高松宮記念はまさしく「中京で行われた重賞」程度の認識になってしまったのだ。すまん、ヨシトミ。

それにしても勝ったオレハマッテルゼは6歳。(くどいようだが旧表記なら7歳)

3着シーイズトウショウも同じく6歳で、4着プリサイスマシーンが7歳。5着のネイティブハートに至っては8歳という結果を、どうやって受け入れたらよいのだろうか?

高齢馬活躍に対する私のささやかな憂いについては3/16付「サラブレッド非進化論」にも書いたが、結果だけを見ればデュランダルやサニングデールを相手に走り、しかもその牙城を崩せなかった馬たちが、今回の掲示板の上位を占めただけという単純な結果に帰着する。そう考えれば、翌日の新聞各紙がハーツクライとユートピアの記事で埋まったのも理解できなくない。つまりは見ていてインパクトが薄かったのだ。

TVのアナウンサーも「柴田ヨシトミは、オフサイドトラップの天皇賞以来のGⅠ制覇です!」と実況したあと、「あ、失礼しました、キングヘイローの高松宮記念以来ですね」と訂正。おいおい、実況しているレースの過去の成績くらいチェックしておけよ!とそのときは呆れたが、よくよく考えれば2004年のジャパンダートダービーをカフェオリンポスで勝っているではないか。翌日の新聞各紙にも、「キングヘイロー以来」と書いてあったが、これはちょっと考えものだ。逆に言えば、やはりインパクトに乏しかったからこそ、微妙なところがいい加減になってしまったのかもしれない。

その中で4歳牝馬ラインクラフトの好走は、キラリと光るものがあった。

1225_04_ 4コーナーの「あや」で勝ちを逃した格好になったが、これは競馬だから仕方ない。「發」と「白」をポンしているヤツがいるのに、平然と「中」を切るようなヤツだっているのだ。思惑通りにコトが運ばないのは、競馬も麻雀も同じであるし、レベルの低いプレイヤーが混ざれば、そうした危険性は増すものである。

ただ、ひと言だけ不安も述べておきたい。

昨年の秋、ローズSと秋華賞の2000mに対応するため、あれほど長距離対策の猛調教を課されてきた馬が、いきなり6ハロン戦を使われた影響はいかほどだろうか?

今回、陣営が最後まで出否を迷ったのは、調教不足の問題もさることながら、6ハロン戦を使うことによって鳴りを潜めていた掛かり癖が再発することを危惧したためだと聞く。

中1週という強行軍にも関わらず阪神牝馬Sに出走してくるのも、次走がいきなりマイルでは掛かる恐れがあるので、徐々に距離を伸ばしたいという陣営の配慮があってのことだろう。高松宮記念2着の代償は案外大きいのかもしれない。

| | コメント (0)

2006年3月29日 (水)

お座敷競馬

夕方某病院へ出向く。

待合室はたいそうな賑わい。実は昨日も朝からこの病院を訪れたのだが、混雑するのは朝夕関係ないようだ。

ご想像通りほとんどが老人で、ご想像通り皆元気そうである。もちろん見た目には分からないような病気を抱えていらっしゃるのかもしれないが、もし地方競馬関係者がこうした光景を目にしたら、何か考えるたりしないだろうか?

私はついつい考えてしまう。地方競馬に限ったことではないが、この20年、主催者はひたすら「若者」だけをターゲットにキャンペーンを展開してきた。アイドルタレントをCMに起用し、テーマパークを思わせる装飾でスタンドの内外を飾りつけ、馬券購入や情報提供のネット化を急速に推し進め、ついには法改正という手段まで使って二十歳以上の学生の馬券購入を合法化してしまった。

JRAは明らかに20~30代の男女をターゲットにしており、他の地方競馬組織もほぼ同じ路線を踏襲している。しかし、日本が高齢化社会の扉を開けようとしている今こそ、壮年層・老年層を競馬場に呼び込む(あるいは呼び戻す)努力を始めるべきではないか。理由はここであらためて挙げる必要もないだろうが、要は「時間」と「金」を持つ人を囲ってしまえ、ということである。

今でも地方の競馬場には賞味期限切れのオヤジどもが押しかけているが、ここで私が言っているのは「もっと健全で」「もっと高齢で」「もっと金持ち」の老年層である。たとえばJR東日本は年齢50歳以上を対象に「大人の休日倶楽部ミドル」というキャンペーンを展開しており、コンセプトはこれに近い。

かつて大井が壮年層向けの有料会員組織を立ち上げたことがあったが、いつの間にか消滅してしまったようだ。悪くない試みだと評価していたのだが、有料(しかも万単位)であったことに問題があった。指定席が無料になるという得点があったが、そもそも何度も階段を上り下りしなければならない指定席を高齢ファンはむしろ敬遠する傾向にある。

アホな考えだとは承知しているが、例えば「和室」はどうだろうか?

競馬を観戦する場所が、必ずしも洋風スタイルでなければいけないという決まりはない。相撲のマス席のようにとまでは言わないが、和室の特別観覧室なら可能ではないか。

靴を脱いで座敷に上がると、大きめの座卓と人数分の座布団が用意されていて、もちろん座卓の上には湯の入ったポットと湯飲みとお茶菓子が置いてある。床の間には立派な掛け軸が飾られて、頃合いを見て懐石料理の膳が運ばれてくる。奥の襖を開けると壮大な富士山…、ではなくて競馬のトラックが見渡せるような観覧室である。つまりは高級旅館のスタイルそのものですね。

各競馬場の担当者は、年配に人気の料亭や旅館を(むろん自腹で!)巡り歩いてみてはいかがだろうか。いろんなヒントが隠されていそうなものだが。

Image018~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~

病院で用事を済ませて、久々に大船の「ひな鶏・小山」へ。

10年来の付き合いの大将と一緒に、ひな鶏の素揚げを囓りつつ幻のチューハイ「ホイス」を7~8杯飲んで豪快に撃沈。

| | コメント (0)

2006年3月28日 (火)

ミスターピンク大活躍の陰で

ミスターピンクこと内田利雄騎手が来月から兵庫で騎乗することになった。

Uchida1 説明の必要はないだろうが、宇都宮の名馬ブライアンズロマンや、2000年度のNRA年度代表馬ベラミロード(写真は2000年東京盃)などとコンビを組んだ3000勝ジョッキーである。所属する宇都宮競馬が廃止されると、地方競馬では初となる「フリー騎手」を宣言。笠松~盛岡~浦和と渡り歩いて、短期所属としては園田が4場目となる。

しかし、厳密に言えば内田騎手は「フリー」ではない。

一部の主催者に「特例」として認められた期間を「短期所属騎手」として過ごすというもので、現にこの数ヶ月のあいだ内田騎手はどこの競馬場でもレースに乗ることを許されていなかった。鞭一本だけ持って日本中の競馬場を毎日渡り歩くというようなフリー騎手本来の姿にはほど遠いが、それでも「特例」が認められたこと自体は画期的なことで、内田騎手の活動が着実に実を結んでいることを示している。

ところで、この「特例」とは何に対する特例なのか?

もともと地方競馬の騎手免許は全国共通で、所属競馬場を縛る規定などない。本来なら地方競馬の騎手は、好きな競馬場に出向いて好きなレースに乗れることになっている。

しかし各競馬場の調騎会は、「所属競馬場を変更する場合は、一年間の厩務員業務を経なければならない」という内規を作った。要するに雇用確保のための排他政策である。この制度で何人かの若手騎手が移籍を果たしたことがあったが、ある程度キャリアを積んだ優秀な騎手の移籍は事実上この内規によって阻まれきた。

この2月から園田で騎乗を開始した川原騎手はアンカツと並ぶ笠松のトップジョッキーだったが、兵庫での騎乗を目指して厩務員として園田で下働きをしてきたという。しかしこれは珍しい例だろう。逆に言えば、彼はそれほどまでしてでも笠松を逃げ出さなければならないほど、追いつめられていたということだ。

この短期所属に関する「特例」は、これまで盛岡、南関東、東海など一部の主催者でしか運用されていなかったが、今日28日に全地方競馬場での特例条件が発表になった。

と言っても、条件は主催者ごとにバラバラで、その内容はその競馬場が置かれた状況を端的に表している。

 ①2500勝以上。期間は2ヶ月以内。各場、年度内1名。
 ②2500勝以上。期間は5開催。年度内1名。

という厳しい条件の主催者もあれば、

 ③減量騎手や制裁の多い騎手以外。期間や人数の制限はなし。
 ④減量騎手以外。騎乗期間は6ヶ月以内。人数制限はなし。

というほぼ無条件という主催者もある。

つまりは、余裕のある競馬場では厳しく、そうでない競馬場では条件は無いに等しいわけだが、上記の①は南関東で②は園田。一方で③は笠松で④は高知である。

制限があるとはいえ競馬場の垣根を超えた騎乗が可能になったことは、内田利雄騎手の活動の成果だと思う。しかし、今日発表された短期所属に関する特例条件を見ると、「一年間厩務員ルール」という外堀の内側に、新たに内堀を掘ったに過ぎない。各競馬場とも「グローバル化への対応」という前向きな理由を打ち出してはいるものの、実際には年に一名だけが30日程度乗れるに過ぎず、むしろ本格的な移籍は断固認めないという主催者の強い意志が感じられてならない。

それにしても、あらためて岐阜や高知の特例条件を見ると悲しくなってきやしないか。

笠松はアンカツ、赤木、川原、柴山と4人ものトップジョッキーが続々と流失し、最後に残されたアンミツ(安藤光彰騎手)も南関東や園田あるいはJRAでのスポット騎乗に重点を置いているため笠松を留守にすることが多い。もはや自壊寸前のこの競馬場に「特例」でやってくる騎手など果たしているのだろうか?

| | コメント (0)

2006年3月27日 (月)

ユートピアが与えるもの

ユートピアのゴドルフィンマイル制覇は、日本産の日本調教馬が日本人騎手を背にして初めて海外ダート重賞を勝ったという点においてはまさしく快挙だったが、もうひとつ重要な意味を持っている。それは、ユートピアが決して抜きんでたチャンピオンホースではない点にある。

1049_24_ 「GⅠ4勝」と聞けばそうは思わないかもしれないが、これらはいずれも川崎と盛岡で挙げたいわゆる交流GⅠで、JRAでの重賞勝ちは3歳時のユニコーンSのみ。なんと言っても去年の今頃はGⅢマーチSでクーリンガーやサミーミラクルに完敗していた馬なのだ。

このユートピアが、アメリカのGⅠ馬を寄せ付けることなくゴドルフィンマイルを圧勝したシーンを、これまでユートピアと勝ち負けを演じてきたナイキアディライトやレイナワルツらが見ることができれば、大きな勇気とささやかな誇りを手にしたに違いない。

実際に馬がレースを見たり聞いたりできるはずもないが、馬たちの勇気と誇りというのは、すなわち関係者のそれである。つまり、日本国内の交流GⅠで上位争いできる能力があれば、海外の国際GⅡなら十分に勝ちを狙えることを端的に示すことができたという点において、今回のユートピアの勝利は非常に大きな意味を持つと思うのである。

地方所属馬の海外遠征といえば、昨年のドバイワールドカップに挑戦したアジュディミツオーが真っ先に思い浮かぶが、馬の資質だけで述べさせてもらえば、例えばナイキアディライトでも十分通用するし、アジュディミツオーがゴドルフィンマイルに出ればワンサイドの競馬になるかもしれない。ユートピアの今回の勝利は、さらに多くの地方所属馬が海外に挑戦するきっかけとなるかもしれない。

ユートピアは帰国後も地方交流競走を中心にレースを使われることになるのだろう。次走は5月のかしわ記念という話も聞く。地方競馬の馬たちは、これからもユートピアと接戦を繰り広げて、もっともっと勇気を得ると良い。

| | コメント (0)

2006年3月26日 (日)

ハーツクライの成長曲線

高松宮記念もあったが、まずはドバイの快挙について触れなくてはなるまい。

ドバイで優勝した2頭を思い浮かべたとき、まずは2頭の馬名がそれぞれUTOPIA、HEART'S CRYという世界に通じる美しい名前で良かったとしみじみ思う。これがORE HA MATTERUZEなんて馬名だったら、ちょっと格好つかないですもんね。

それにしてもハーツクライという馬のなんと凄いことか。

1310_14_ 昨秋のジャパンカップで東京の芝2400mを2分22秒1。世界でも類を見ない「極限のレース」を繰り広げたからには、それなりの代償があると考えてしまうのが普通だと思う。しかし結果はまるで逆で、有馬記念で初のGⅠ勝ちを収めると、返す刀で海外GⅠ制覇まで勝ってしまったのだから驚かずにはいられない。

しかも、

 ・鬼門だった中山競馬場
 ・無敗の3冠馬が相手
 ・初の海外遠征
 ・日本では考えられないほどの時計のかかる馬場

などなどの数々の(しかも決して低くはない)ハードルをクリアしてのGⅠ連勝である。馬が変わったと言っても言い過ぎではないろう。あのジャパンカップの前に何かがあったのだろうか、とついつい考えてしまうが、やはりここは母アイリッシュダンスの血が開花してきたと考えるのが普通だと思う。

Photo_17_1 5歳になってから重賞を2勝したアイリッシュダンスのデビューは意外に遅く、3歳夏の新潟戦だった。しかも秋の未勝利戦までに勝ち星を挙げることができず、初勝利はデビューから1年近くが過ぎた4歳夏の福島。500万の一般戦に格上挑戦しての初勝利だった。

ひとつ勝った後は順調に勝ち星を重ねて行き、さらに1年後にはデビューの地で2つの重賞タイトルを獲得している。母が初めて重賞を勝った5歳春にハーツクライが海外GⅠタイトルを手にしたことを考えるとき、母アイリッシュダンスの成長曲線とハーツクライの成長曲線がほぼ重なって見えてこないか。

残念ながらアイリッシュダンスは昨年死んでしまったと聞くが、それでもアイリッシュダンスの血はハーツクライの中に脈々と生き続けている。

2分22秒1でも2分31秒8でも勝ち負けできる能力の高さに加え、逃げ差し自在の脚質。現時点の古馬12ハロン戦線では、間違いなく世界チャンピオンだろう。2着を4馬身以上突き放した今回のパフォーマンスに、世界のハンディキャッパーがどれほどのレーティングを与えるのか。今から楽しみでならない。

それにしても、なぜ日本の競馬では、春シーズンに芝2400mの古馬GⅠが行われないのだろうか?

関東の某トップトレーナーは「春はおかしな距離のレースしかないから、海外に行くか休ませるしかない」と嘆く。有馬記念の勝ち馬が翌年の春シーズンに国内で走らないという状況は今年で4年連続となるが、これは果たして競馬のあるべき姿なのだろうか。

ハーツクライのドバイシーマクラシック制覇は歴史的快挙である一方で、日本国内の古馬のレース体系に対するひとつのアンチテーゼではなかろうか。目黒記念を日本版コロネーションカップと位置づけて日本ダービー当日に移行したまでは良いが、ハンデGⅡ格付のままではGⅠホースの参戦は期待できない。新設すべきGⅠはビクトリアカップではなく、まずはこちらではなかったか?と思わずにいられないのである。

| | コメント (0)

2006年3月25日 (土)

日経賞

日経賞のコスモバルクは完敗。

4コーナーの手応えを見た時は「勝った」と思ったのだが、手応えの割に伸びがない。脚が無くなったと言うより、むしろ自分で走るのをやめてしまった感じに見えた。

競馬場でレースを見た時は、窮屈な内ラチ沿いに進路を求めた鞍上のミスかとも思えたが、いまレースを振り返ると運良く外に出せたところで結果は同じだったとしか思えない。コスモバルク1頭に限って言えば、去年の日経賞のVTRを見るような中身の薄いレースだった。

天皇賞出走が絶望になったことから、今後は宝塚記念を目標に調整されると聞く。しかし、私などはもっとレースを使ってみてはどうだろうかと思わないでもない。

去年のコスモバルクのを振り返ると、
  日経賞
  チャンピオンズマイル
  宝塚記念
  毎日王冠
  ジャパンカップ
  有馬記念
と、年度代表馬なみのゆったりしたローテーションが取られている。

地方馬が出走可能な芝の中距離戦を選べば自然とこうなるだろうが、バルク自身が好調を維持していた頃は、もっと間隔を詰めて使われていたはずだ。

1174_15_ 例えばJRA初見参の百日草特別でハイアーゲーム以下を完封した際は、連闘~中2週~中1週と使い詰めだったし、セントライト記念でレコード勝ちした時も北海優駿から中1週というローテだった。

実はダートが苦手だということは重々承知しているが、負けを覚悟の上でも地元のダート戦に出て調子を取り戻すのもひとつの方法だ。去年の秋から、ずっと馬体重が増え続けていることも気になる。

コスモバルクは、日経賞までに3億4600万以上の賞金を獲得している。それでも日経賞で2着までという成績を残せなかった以上、天皇賞に出走する手だてはない。獲得賞金が1億円に満たないフサイチアウステルが出走できるのに不公平だ!とする意見も、少なからずある。

しかし、今回の結果を見て思うのは、たとえ天皇賞の地方馬出走制限が緩和されてコスモバルクが天皇賞に出走可能となったところで、実際に勝ち負けになることはまず無いだろうということだ。今年の日経賞は、条件馬のストラタジェムが2着に入ったように、メンバーの質は決して高くなく、この相手に9着という結果では天皇賞を云々できる立場ではない。しかも、その天皇賞にはディープインパクトが待ちかまえているのである。

そもそもコスモバルクは「道営競馬振興」と「内きゅう制度打破」という2つの目的のため、出走レースが制限されることを承知の上で敢えて道営所属の道を選んでいる。

Baruku しかし、「道営競馬振興」を目指すなら、アジュディミツオーのように地元開催への波及効果を考えたローテーションも考慮しなければ実効性はない。そういう意味では、思い切って今年は道営競馬だけで走ってみるというもひとつの手だ。

「道営の星」と呼ばれながら、コスモバルクは2年前の夏以降まったく道営競馬では走っていない。北海道のファンは喜ぶと思うのだが。

| | コメント (0)

2006年3月24日 (金)

計画続々③ ~札幌~

昼食に入った鮨屋に、「春丼」というメニューが加わっていた。

200603231340000_1固めに茹でた千切り春キャベツを酢飯の上にざざっと敷き詰めて、その上に鰹や鯛など春の魚をあしらった丼で、酢飯とキャベツの絶妙な組み合わせには正直驚かされた。

が、「これは旨い」と一心不乱に丼をかき込む私の姿を見て、大将が「いつ見ても見事な食べっぷりですねぇ」と呟いたのである。デブが丼を食べれば絵になるのはわかるが、こんなことを言われたのは初めてである。

素直に喜んでイイものか…。

~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~ * ~

さて、『計画シリーズ』も今日が最終回なので、やはり札幌競馬場の移転計画についてここで触れておかねばなるまい。

このほど、札幌競馬場の移転計画の概要が明らかになった。札幌屈指の観光地「羊ヶ丘」にほど近い農水省所管の土地に、新たな競馬場を建設しようというのである。

http://www.sapporo-cci.or.jp/info/sapporokeiba2006.pdf

Clark_05 競馬場をドームで覆う「全天候型競馬場」構想には驚かされたが、その完成予想図を見るともっと驚く。スタンドもコースもひとつの屋根ですっぽり覆った競輪場「前橋グリーンドーム」みたいなものを作るのかと思ったら、そうではない。スタンドは普通の形態のままで、馬が走るコースの上部だけをオーバル(卵形)な屋根で覆ってしまおうというのである。

透明なケースに包まれた競馬をスタンドから眺めれば、さながらゲームセンターの競馬ゲームという風体にもなりそうだが、他にも計画案には、

  ①新札幌競馬所で施行されるGⅠレースの創設
  ②JRA札幌開催の1~2開催分の増加
  ③道営ホッカイドウ競馬のナイター開催を実施
  ④基本的に通年開催

などと、いずれも実現不可能な(あるいは実現しても意味がないような)ことがたくさん謳われており、この計画は競馬関係者の関与が薄いのだろうということが素人目にも伺える。

ちなみに、現在日本国内で行われているGⅠレースは、ダートグレート競走を含めると年間30レース。実に2週に1度以上の割合で日本のどこかでGⅠ競走が行われており、つまりは完全な飽和状態にある。また、天下のJRAとはいえ売り上げ低下に歯止めがかからない状況下では、経費ばかりがかさむローカル開催を増やすとは到底考えにくい。

ナイター開催については旭川との競合問題が発生する。旭川開催の廃止を視野に入れて、ホッカイドウ競馬は札幌だけでやっていくとする覚悟が果たしてあるのだろうか。

通年開催にも疑問は生じる。屋根の設置により積雪から逃れられたとしても、馬場の凍結から逃れる術はない。たとえ馬場が使用可能だったとしても、2歳馬戦中心のホッカイドウ競馬の場合、12月~1月はほとんどの有力2歳馬(明け3歳馬)が南関東に移籍してしまうという事情がある。真冬の開催を実施したところで、ファンに魅力ある番組を提供できるかどうかは大いに疑問だ。

以前、社台グループの総帥・吉田照哉氏が、社台系馬主クラブ会報誌の中で、このように私見を述べていた。

『ところで、いまの北海道の競馬関係者を中心に、ひとつの話題が盛りあがりつつあります。札幌の中心地から南東へ車で20分ほどの豊平区の一角に、新しい競馬場を建設しようという計画です。

~(中略)~ そして、せっかく新しい競馬場をつくるなら、いままでの日本にはないまったく新しいタイプの競馬場にしてほしいと思います。では、新しさとはどういうことでしょうか。その具体的な部分を考えるときに、思い浮かぶのが先に申しあげたアスコットの風景です。地形そのままのアンジュレーションを取り入れ、直線は長く、カーブの緩い広大なトラックを丘のスタンドから一望のもとに見下ろす、そんな自然に溶け込んだ美しさを再現するだけの地理的条件を候補地は備えているのです。』

吉田照哉氏がこの一文を書いた時には、この計画に「ドーム型」という発想は未だなかったのかもしれないが、果たしてコース全体を屋根で覆いつくした競馬場が、「自然に溶け込んだ美しさを再現」することができるのだろうか? 吉田氏の思いと移転計画とは、全く別のベクトルを持って話が進展しているように思えてならない。

ちなみに、本計画案には「重要なメリット」のひとつとして「赤字が続く道営競馬の収支改善にもつながる」とある。

しかし、果たして新・札幌競馬場が完成するその日まで道営ホッカイドウ競馬が存続しているだろうか…? 「競馬場は出来たが、競馬が無い」なんていう史上最強の笑い話が現実のものとなる日が来るかも知れない。

| | コメント (0)

2006年3月23日 (木)

計画続々② ~盛岡~

20日の岩手県議会で、新年度の予算案が可決されたそうである。

http://www.iwate-np.co.jp/news/y2006/m03/d21/NippoNews_9.html

岩手競馬に関する県議会の混乱ぶりについては、当ブログの1/9付「トウケイニセイ記念」でも触れたが、結果的に競馬組合への巨額融資は実施されることに決まった。

最終的には50億の融資のうち27億を岩手県が、残る23億を盛岡市と奥州市(旧水沢市)が負担することになったのだが、半分に減ったとはいえ27億もの大金を何も言わずにくれてやるという太っ腹な議員ばかりではない。予算案採決では思いのほか反対票が多く、一歩間違えれば否決というシーンも無くは無かった。

どうでもいいことだが、ザ・グレート・サスケ議員は本予算案に対し「反対」票を投じている。「政務調査費」を流用して新幹線に乗り、プロレス会場へ行き来していた事実が発覚したばかりだが、片道わずか9600円の私的移動費を公費で賄おうとするその姿勢から察するに、案外お金にうるさい方なのかもしれない。

いずれにせよ県が融資を決めた以上、残る盛岡・奥州両市が反対する流れになろうはずもなく、少なくとも来年4月までの岩手県競馬の存続は決まったが、これはあくまで今年だけの話である。というのは、今回の融資案件は今年に限った話ではなく、この先10年間で合計380億もの巨費を岩手県の予算から組み入れるという壮大なもので、今年の27億円の融資はその第一歩に過ぎない。

盛岡・水沢の両競馬場を擁する岩手県競馬は大井と並ぶ地方公営競馬の雄とされてきた。つまりは規模が大きいというわけだが、規模が大きいということは借金の額も大きい。1/9付のブログにも書いたが、県競馬組合は公営企業金融公庫や岩手銀行などに対し膨大な借金を抱えており、その総額は実に400億円を遙かに超える。それを岩手県からの借入金で返済しようというのだから、借金で借金を返すという構図になる。まさに自転車操業の典型的な見本である。

なぜこのような巨額の負債が生まれたのか?

第一には新盛岡競馬場(オーロパーク)の建設費用があげられる。

当初の建築計画では、建築予算は230億円とされていたが、最終的には440億円にまで膨れあがった。この建築計画はバブル全盛時期に立ち上げられたもので、200億円程度の差額は「誤差」にするだけの余裕があったのかもしれない。しかし、当時は今とはまるで逆の高金利時代である。利息だけで年間10億以上の負担が発生しており、借金本体の返済はおろか利息分の返済すらままならない状態が続いている。アテにしていた旧盛岡競馬場跡地の売却は遅々として進まず、馬券売上げは右肩下がり。借金返済計画が好転する要因はひとつもない。これが一般企業であれば、間違いなく破産宣告されるべき状況なのだ。

事態がここまで深刻化する前に、何か手が打てなかったのか? 誰でもそう考える。

Photo_16 かつて「東北の雄」「地方競馬の優等生」などと讃えられたプライドが問題の先送りを進めたとみる向きもあるが、私はそれだけではないと思う。これは推測だが、たとえ競馬存廃の危機を迎えたとしても、実際に岩手の競馬を潰すとなれば社会的にも政治的にも経済的にも問題が大き過ぎる。「県レベルの判断では廃止には踏み切れまい」との甘い考えが蔓延っていたのではないだろうか。

しかし時代は変わった。大きすぎて潰せないなどというのは前世紀の論理である。あの超巨大企業ダイエーですら産業再生機構に送られる時代だ。ダイエーの顛末を見た岩手県競馬関係者が慌てて対応に本腰を入れ始めたために、今回の負債問題がにわかに明るみに出た、というシナリオを私は考えている。

借金返済のわずかな足しになればと、盛岡市内の繁華街に建つ岩手県競馬組合の持ちビル「競馬会館」も売却することになり、競馬組合事務所はオーロパーク内の事務施設に引っ越すことになった。引っ越し当日は職員総出で荷造りをして、馬運車を借りて盛岡市内とオーロパークとの間をピストン輸送したという。引っ越しの専門業者を雇おうにも、その費用が出せなかったのである。

組合は、競馬会館ビル・旧競馬場跡地・新競馬場(オーロパーク)・場外馬券発売施設の「4点セット」の一括売却を目論んでいるが、手を挙げる人物が現れる気配は今のところない。

| | コメント (0)

2006年3月22日 (水)

計画続々① ~川崎~

「川崎競馬経営改善計画」が発表になった。

http://www.nankankeiba.com/dirt4.kawasaki/ns_2006031821.pdf

15717 関東オークスの統一GⅡ昇格やJBCの開催、あるいはマルチ・フォーメーション馬券の対応などは既に報じられていたのだが、何より目を引くのは、

 ・正月開催の川崎固定化
 ・外きゅう制度の導入

の2点である。

前者については、今年の1/7付当ブログ「正月に名物レースを」でも指摘した内容で、その後も会う人会う人にアツく語ってきた内容なので、ひとまずは喜んでいる。この上で、全日本2歳優駿を正月に持ってこれれば言うこと無いが、来年度のダートグレード競走の日程は既に決定してしまっているので、再来年度(平成20年)には期待をかけたい。

外きゅう制導入については、すでにホッカイドウ競馬が導入してコスモバルクという活躍馬を輩出していることはご存じだと思う。しかし導入に際しては紆余曲折があった。このホッカイドウ競馬では、調教師会の猛烈な反発がありながら、最終的には「出走頭数確保」という錦の御旗を掲げた主催者側が押し切ったという経緯がある。

こんな難しい案件にも関わらず、南関東でも外きゅう制を導入する動きがあるというのは、ちょっとした驚きを感じないでもない。おそらく旧高崎競馬場・境町トレセンの事案を視野に入れてのことだろうと思う。

高崎競馬場が廃止になって1年以上になるが、不要になったトレーニング施設と人材の有効活用ということで、境町トレセンは育成牧場として生まれ変わろうとしている。川崎からすれば、境町(伊勢崎市)は外厩というにはいささか遠すぎる感もあるが、社台の山元トレセンのような位置づけと考えれば有効かもしれない。

ただし、ここで言う「外きゅう制」というのは、厳密な意味での「外きゅう制」ではない。

本来の意味で言うなら、調教師免許を持つ人物が個人的なトレーニング施設を維持・運営し、そこからレース当日に競馬場に輸送して競馬を使うという管理形態を指すが、ここで言う「外きゅう制」というのは、単純な短期放牧先でしかない。ただし、主催者が「外厩」として指定された施設に限り、出走予定の馬が直前まで滞在を許されるという点が他の短期放牧先とは大きく異なる。

しかし、境町の関係者にしてみれば、境町を「南関東のトレセン」とし、境町に残った旧高崎競馬の元調教師が「南関東の調教師」として馬を管理し、大井や川崎に馬を送り込むことが可能になってこそ、「外きゅう制」の有るべき姿だと考えている。彼らにしてみれば、今回の計画は長い長い道のりの第一歩に過ぎないのだ。

ところで、境町トレセンについては、ここでは書きづらい妙なトラブルが起こっている。

実はこうしたことがあって、私はあまり廃止後の高崎には関わらないようにしているのだが、今後、境町トレセンが「外厩」の指定を受けて、晴れて外厩業務の開始を目指すならば、まずはそちらの問題の解決が先決だと思う。

| | コメント (0)

2006年3月21日 (火)

交流重賞を楽しく

ダートグレード競走マリーンC(4/5・船橋)のJRA選出馬が発表になった。

 グラップユアハート
 トーセンジョウオー
 ライラプス
 レマーズガール

まるでかわり映えのない、いつものメンバーだが、JRA所属馬の出走枠が4頭しかないのだから仕方がない。プラチナローズ、ヴィフォルテ、サウンドザビーチ、ラドランファーマ、オルレアンの5頭が補欠(除外候補)となった。

1081_02__1地方で行われるほとんどのダートグレード競走のJRAの出走枠は4頭。大井や盛岡などで行われる一部のレースでは希に5頭になることがあるが、このJRA出走枠があまりに少な過ぎるのではないか、という議論はダートグレード発足当初からあった。

議論の根拠は、実際のレースがフルゲートに満たない点にある。この1年間に南関東の競馬場で行われた古馬ダートグレート14競走のうち、出走投数がフルゲートに達したのは、スパーキングレディーCと東京盃の2レースだけ。ほとんどのダートグレード競走では、出走頭数がフルゲートに達していないのだ。先日のダイオライト記念のように、JRAのマイネルボウノットやハードクリスタルといった重賞勝ち馬が除外された一方で、地元南関東からはルースリンド1頭しか出走馬がなく、結果的にフルゲート14頭に4頭も及ばない10頭立てのレースになったという例もある。1215_20_

交流重賞の出走馬選定基準は「通算の収得賞金に、近1年間の収得賞金を加算した金額」の多い順なので、どうしてもノボトゥルー(写真:上)やタイムパラドックス(写真:右)のような高齢馬に有利になる。若い馬たちが交流重賞に出るには、高齢馬が休養するか引退するかを待つしかないのだ。

海外のように選定基準を獲得賞金ではなくレーティングにすればよいという意見も聞くが、主催者が完全に異なる地方交流の場にレーティングを導入するのは容易ではない。また、同じメンバーで繰り返されるレースに新味を持たせるために、交流GⅢをハンディキャップレースにしたらどうか、という意見もあるが、これも結局はレーティング導入の延長線上にある問題である。

大井競馬場では金盃やトゥインクルレディー賞などのハンデ重賞が施行されてはいるが、実際に馬が背負う斤量は馬の実力というよりは格付けと獲得賞金から決定されているので、「各馬横一線のゴール」などというハンデ戦によくあるシーンを見ることなどほとんどない。これが交流重賞ともなれば、もっと酷い結果になることは目に見えている。

やはり、ここはまず出走枠の柔軟な運用が先決だ。フルゲートに満たないレースで除外馬が出ている現在の状況は、どう考えても正常ではない。

| | コメント (0)

2006年3月20日 (月)

黒船賞…、なしよ

朝っぱらから赤羽橋の済生会中央病院に出掛ける。

もともと今日は高知競馬場に出掛ける予定でいた。もちろん黒船賞である。しかし、テンリットルがダイオライト記念に回ってしまった以上、毎度お馴染みのメンバー(ノボトゥルー、ディバインシルバー、ニホンピロサート、ブルーコンコルド)の競馬を見ても仕方あるまいと、あれこれ悩んだ末にパスすることに決めた。

昨日の中山競馬場にカメラマンが少なかったのは、おそらく日曜・阪神(ディープインパクト)、月曜・高知(黒船賞)、火曜・名古屋(名古屋大賞典)という日程で出掛けているカメラマンが多いのだろう。ついでに書けば、火曜の名古屋大賞典が終わってから、ダッシュで新幹線に飛び乗れば大井トゥインクルの重賞・京浜盃に十分間に合う。私はこれをやったことがあるが、1日に2競馬場で2重賞を見るという行為は、なんとなくオトクな感じがするものである。

話を戻して済生会病院。

以前から背中にシコリのようなものがあって、最初のうちは気にも留めずにいたのだが、それがどんどんどんどん大きくなって、ついには直径3cmを超えるれっきとした「腫瘍」に成長してしまった。時間が出来た時に取り除かねばならんとずっと気にしていたのだが、高知行きを断念した今日こそがベストタイミングと、意を決してやって来た次第。

しかし、今日は血液検査と手術の日程を決めただけで、また後日来院しなければならないことになった。こういうことはすべからく面倒くさいですね。

病院を出て、赤羽橋から麻布十番まで歩く。先日、痛恨の「ネタ切れ御免」で食べ損ねた親子丼にリベンジを果たさんと「さ和長」の暖簾をくぐる。

訊けば、天気が良い日は早く店を開けるので売り切れも早く、逆に雨の日なんかは12時過ぎにようやく店を開けるので、ゆっくり行っても大丈夫なんだそうだ。なぜ天候に左右されるのか、と訊けば「気分の問題」だという。麻布十番には、こういう長閑なお店がたくさんあるのでしょうね。

200603201220000 そういえば、前回の来店の際は、古い携帯のカメラで撮った親子丼の写真が「カニ雑炊」になってしまったという苦い想い出があるのだが、今日は新しく購入した携帯で撮ってみた。どうでしょうか? こちらの方もリベンジ成功。

店を出てから十番の商店街を六本木まで歩く。某共同馬主クラブに某馬の写真を提出し、今週が開催替わりということでJRAの六本木事務所にも立ち寄る。

今日のように諸処の事務雑用を一気に片付けてしまうことのできる一日はとても貴重ですね。高知くんだりまで行かなくて良かった、と思わないでもないが、ブルーコンコルドが人気に応えて圧勝したら…、やはりちょっと悔しい(笑)

さらに西麻布から骨董通りを歩いて、プロラボ「AOYAMA」で備品の調達。どうせここまで歩いたのだからと、さらに青山通りから宮前坂を下って渋谷まで歩いた。これで少しは痩せるだろうか?などと考える間もなく、○金ラーメンで”軽く一杯”ひっかけて(笑)、ようやく埼京線に乗る。昨日からトゥインクル開催が始まった大井競馬場に行くのである。

黒船賞は大井のモニターで観戦。1316_06_

ブルーコンコルドが出遅れることなく、包まれることもなく、すんなり先行して1コーナーを 回ったところで勝負あった。きれいな圧勝劇に声も出ない。(写真は今年のガーネットS時)

それにしても1~4着までの馬齢が6歳・8歳・8歳・10歳と聞けば、またまた「若いモンはどうした!」と言いたくもなる。しかし、今の出走馬選定ルールでは、ヒカルウィッシュやタガノゲルニカといった4歳のダート得意馬が交流重賞出走馬に選定されるのは至難の業なのだ。この問題については後日触れたい。

| | コメント (0)

2006年3月19日 (日)

気になるんです

中山競馬場は空いている。

いや本当は混んでいるのだが、あまりの寒さに観客はスタンドに閉じこもっているだけかもしれない。あるいは、カメラマンの人数が少なくて印象的な寂しさを助長しているだけなのかもしれない。

観客にせよカメラマンにせよ今日の注目レースは阪神大賞典なのだろうし、WBC準決勝の対韓国戦が大事という人も多かろう。しかし、いずれにせよ2歳チャンピオンが出走する皐月賞トライアルにしては、これまでに味わったことのない不思議な寂寥感の中でレースを迎えたのだが、その2歳チャンピオン・フサイチリシャールはメイショウサムソンにクビだけ及ばず2着に敗れた。

フサイチリシャールは、2歳秋の東京スポーツ杯を1分46秒9で勝っている。

以前にも書いたが、2歳11月に府中の1800mで48秒の壁を破ることができれば、これはGⅠ級だと思って良い。近年ではコスモバルクが百日草特別を1分47秒9で勝ち、結果的にGⅠタイトルには手が届かないまでもGⅠ馬と互して戦っている。

だから48秒どころか47秒の壁を破ったフサイチリシャールが、暮れの朝日杯を勝ったことに特別の驚きはなかった。しかし、問題はそのあとである。私の思う「GⅠ級」とは、GⅡ程度のレースでは歴然とした能力差を見せる馬という意味を込めているのだ。

そういう意味で年明け2戦のフサイチリシャールの競馬を見た時、何やら釈然としない思いにかられてしまう。逃げて差された共同通信杯、差しに転じて届かなかった今日のスプリングS。まだまだステップレースの段階で、負けたとは言っても僅か差であることは確かなのだが、鞍上  あるいは陣営  と馬の間に、微妙な気持ちのズレが生じているようにも見えるのだ。

前述のコスモバルクの3歳時も、鞍上  というよりこの場合は明らかに陣営  と馬の思いがまるで噛み合わず、最終的に気持ちの上で馬が壊れてしまった。注目度や環境は大きく異なるが、フサイチリシャールも同じ轍を踏んではいけない。もしこの2戦の敗戦で福永騎手が何かを感じ取っているのならば、皐月賞では思い切ってそれを具現化してみるのも良い。

Dscf0027_1 夜、家族4人で近所の鮨屋「寿し長」に出掛ける。

上の娘の幼稚園卒園のお祝いという理由はあるが、やはり「大将がいなくなって店は大丈夫か?」と心配で仕方ないのである。もちろん心配など無用なんだろうけど、フサイチリシャールと同じくらい気になる。

ふと店内の壁を見ると私が撮った馬の写真に代わって、長嶋茂雄氏の書が飾ってあった。私が「どうしたの?」と言い出す前に、お店の人(大将代行)が「いろいろあって、長嶋さんに代わってしまいました」と申し訳なさそうにおっしゃった。Dscf0031

店の大将が代われば「いろいろ」あって当然だろうし、私にしても、私のあとに長嶋さんの作品が飾られたとあっては、文句のあろうはずがない。むしろ大感激である。

でも、あの写真はいったい何処に行ってしまったのだろうか? フサイチリシャール、寿し長の行く末、そしてあの写真。どうでも良いけど、ちょっとばかり気になることが多過ぎ。

| | コメント (0)

2006年3月18日 (土)

ブラッドストーンS

メインのフラワーCには特に感想を覚えなかったので、ひとつ前に行われたブラッドストーンSについて。

芝3200mの頃のブラッドストーンSを懐かしく思うのは私だけではないと思う。

芝3200m当時のブラッドストーンSの勝ち馬を列記してみる。タニノボレロ、キリスパート、ダイイチジョイフル、ウイニングウエイ。立派なオープン馬ではありながら重賞では今ひとつ足りないというステイヤーにとって、ブラッドストーンSはまさに貴重なレースだった。

騎手の優劣が現れやすい長距離戦だから、勝利ジョッキーには岡部幸雄やM.ロバーツという名が目立つ。今ひとつ勝ち切れないレースが続いていたダイイチジョイフルを、3角からの捲り一閃で見事勝利に導いたロバーツ騎手の騎乗は見事だったし、そのダイイチジョイフルを封じて逃げ切った93年のキリスパート&岡部のレースも思い出に残る。

自分の土俵で輝きを取り戻した馬、あるいは「オープンでも活躍出来るぞ」と自信を付けた馬たちは、勇躍淀の3200mへと挑戦していった。さすがにそこで勝てるほど競馬は甘くはなかったが、格下のステイヤーが最高目標の天皇賞に挑戦するためのひとつの道として、重要な役割を担うレースだったような気がする。

レース条件が変更されたのが8年前。準オープンになったのはいいとしても、ダートの1200mというほぼ正反対の条件となったのは、やはり時代の流れか。

芝3200mの頃の出走頭数が、ほぼ毎年6~7頭だったのに対し、ダート1200mに変わってからはフルゲートの16頭が5回もある。出走頭数から判断すれば、見事な条件変更だったと賞賛されていい。日本の競馬場にいる馬が芝馬からダート馬に変わり、そして距離適正もどんどん短くなっていることのひとつの証であろう。ミスタープロスペクター系血統全盛のご時世では仕方のないことではあるが、このままではいつの日にか春の天皇賞がダート1200mで行われるようになってしまうのではないかと、余計な心配をしてしまう。

21917_2 芝3200mの頃のブラッドストーンSは、4月の第1土曜日に組まれていたので満開の桜が咲く下で行われることが多かった。

桜が咲き誇る3~4コーナーを2度通り、しかもゆったりと流れる3200m戦は、花見競馬にもってこいのレースだった。ブラッドストーンSに限らず、たとえば「花の大障害」と呼ばれた中山大障害(春)が桜に似合うとされたのも、レース自体がゆったりと流れるからに違いない。キリスパートの真っ白な馬体が、満開の桜を背に4コーナーを先頭に回ったシーンは、それはそれは美しかった。

桜並木から遠く離れたダートコースの1200mでは、レースの視界に桜など見えぬし、それでも敢えて桜に目を向けてみたら、その一瞬の間にレースが決してしまうだろう。かくして、競馬の美しさがまたひとつ消えてしまったのである。仕方のないことなのだけれども…。

| | コメント (0)

2006年3月17日 (金)

POG2006-07シーズン開幕

昨日。全国のトップを切ってホッカイドウ競馬で2歳馬の能力検定が行われた。

この時期であるから頭数は12頭を数えただけだが、これから続々と2歳馬が競馬場に入ってくることになる。何と言っても、1059_23_もう来月には門別で2歳新馬戦が始まるのだ。いやはや、早いですね。

今年の2歳新種牡馬にはこれといった大物こそいないものの、マンハッタンカフェ(写真:上)、タニノギムレット(写真:中)、ジャングルポケット(写真:下)といったクラシックホースの産駒がデビューを迎える。実はこの3頭、数年前まで「種牡馬御三家」と呼ばれたサンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンの直子であり、それぞれが後継種牡馬として主流血脈となることが期待されている3頭である。個人的にはジャングルポケットを応援したいが、馬産地で何頭かの仔馬を見た限りでは、タニノギムレットがアタマほどリードしている感じを受けた。

ところで、巷のペーパーオーナーゲーム(POG)の一般的なルールでは、日本ダービーが終わってから2歳新馬戦が始まるまでの3週間程度の間にドラフト指名が行われることが多い。

1058_16_ 「ダービーからダービーへ」というサイクルは理解できるが、6月のドラフトでは直後に行わ れる予定の新馬戦で有力視される馬や、超良血でありながら既に故障を発生してしまった馬など、競馬につきものであるはずの「不確定要素」がほとんど排除されてしまっている。

勝つ可能性が高い馬を選択することによりゲーム全体が盛り上がるというメリットはあろうが、「純粋に相馬眼を競い合う」というPOG本来の趣旨に照らし合わせた場合は、6月のドラフトにはいささかの疑問が沸かないでもない。

かつては、6月にならないと2歳馬の名簿が出回らないという事情もあった。しかし、今ではネット上に1歳馬の馬名もゴロゴロしている。例えば1歳秋の段階で、専門家の評価とかPOGファンの評判などをいっさい排除したPOG指名ができないものだろうか。2歳新馬戦の想定版や、デビュー戦で◎が並ぶ馬の情報までが揃った状況の中でPOG指名しても、面白みに欠けると思うのである。1034_14__5

そんなことを思いつつ、今週は「ホッカイドウ&地方競馬サポーターズクラブ2006」と、「ゴドルフィンセブンスターズ2006」という2つのPOGの指名を終えた。両方ともPOG企画としては広く知れ渡っているので詳しい説明は不用だろうが、後者は優勝賞金$100,000というのだから力が入らないわけがない。見事優勝した暁には、賞金10万ドルをそのまま馬1頭の購入資金にしようと目論んでいる。…という例は極端過ぎるかも知れないが、実はPOG好きが高じて一口クラブに入会する人というのは案外多いらしい。

一部の人からは「他人のふんどしで相撲を取っている」と揶揄されるPOGではあるが、ほんの僅かとはいえリアルに競馬の役に立っているのである。

| | コメント (0)

2006年3月16日 (木)

サラブレッド非進化論

『サラブレッドは代々血統改良を重ねられており、また生産技術や調教技術が時代と共に進歩しているのだかから、年代を重ねるごとに強くなるはずだ。』

と、一般には思われている。

本当にそうだろうか?

今年に入ってから、明け7歳のリミットレスビットがGⅢを連勝し、成績頭打ちに悩んでいた7歳馬シルクフェイマスさえもがAJCCをアッサリと逃げ切ってしまった。さらに、7歳馬のメジロマイヤーが小倉大賞典に勝つに及んで、マイネサマンサ(京都牝馬特別)やマッキーマックス(ダイヤモンドS)、さらにフジサイレンス(東京新聞杯)といった6歳馬たちが若く感じられてしまうようにもなる。

念のためここで確認しておくが、6歳というのはつい2~3年前までは「7歳」と呼ばれていた馬齢である。リミットレスビットやシルクフェイマス、そしてメジロマイヤーは「8歳」なのだ。

そして、高齢馬活躍の波は春の中山・阪神開催を迎えてピークに達する。

Photo_15 開幕週の中山・阪神のそれぞれの重賞を、バランスオブゲームとブルーショットガンの7歳馬が勝つと、高齢馬活躍の波に触発されたのか、8歳(旧表記9歳!)のネイティブハートまでがオーシャンSを優勝してしまったのだ。

今年の5歳世代が3歳だった2004年は、3歳馬が古馬混合のGⅠをひとつも勝てなかったことが話題になった。3歳馬が古馬混合GⅠを勝てなかったのは1999年以来の出来事だが、1999年の場合は1歳上の世代がエルコンドルパサー、グラスワンダー、スペシャルウィーク、マイネルラヴ、キングヘイロー、エアジハードを要するいわゆる「最強世代」だったためで、そういう意味では2004年の3歳馬たちが勝てなかった理由は、単に「弱いから」と言われても仕方がない。

ちなみに、キングカメハメハを擁する2004年の3歳世代は、ダービーを驚異的なレコードを叩き出したことから「史上最強世代」と呼ばれていたが、皮肉にも競馬は時計ではないという事実を裏付ける結果となってしまったのである。

そして2005年。ディープインパクトとラインクラフトを擁し、2年続けて「史上最強世代」と呼ばれた世代も、結局は古馬GⅠを勝てなかった。しかも、GⅠどころか古馬混合の芝重賞を勝ったのは、アイビスサマーダッッシュを勝った牝馬のテイエムチュラサンと、CBC賞を勝った外国産馬のシンボリグランの2頭だけという惨憺たる有様で、これでは「サラブレッドは年々強くなる」と言われたところで、にわかに信じなられなくなるのも当然である。

2年続けて3歳馬が古馬GⅠを逃したのは史上初めて出来事だし、しかも勝てたのがローカルの短距離重賞2つなどという世代も調べるまでもなく前例がないだろう。結果だけを見れば、昨年の3歳世代は過去に例がないほどの弱い世代だったという評価が与えられても仕方あるまい。

明けて4歳となってからは奮起していくつかの重賞を勝ってはいるが、アドマイヤフジとビッグプラネットが勝ったのはハンデ重賞。京都記念を強い勝ち方で制したシックスセンスが4歳世代の希望の星だったが、レース後に発症した屈腱炎で長期休養を余儀なくされることになった。結局のところ、ディープインパクトただ1頭が4歳世代の屋台骨を支える構図に今年も変わりはない。

「史上最強世代」と騒がれ続けながら、2年続けて3歳馬は古馬に歯が立たなかった。今年もまもなく今年もクラシックの本番を迎えるが、キングカメハメハやディープインパクトのような圧倒的に強い3歳馬が現れたとしても、世代間の強さを云々するのは、秋まで控えた方が良さそうだ。

| | コメント (0)

2006年3月15日 (水)

ダイオライト記念

★☆ 問題 ☆★
現在の日本の競馬において、父子揃って重賞レースの名称となっている馬は、何号と何号でしょう?

知っていてもそれほど自慢にならないが、答えはダイオライトとその子セントライトである。

セントライトは日本競馬史上初の3歳クラシック3冠馬ということでその名を残しているわけだが、ダイオライトはその父という誉れだけでなく、イギリスのクラシックホース(2000ギニー)として初めて日本に導入された種牡馬ということでも知られている。それがどうして船橋の重賞に名を残しているかについては、事情があってここで触れるわけにいかないのだが、とにかく船橋競馬場。

相変わらずいつもと同じメンバーが顔を揃える路線でもあるが、今回はヴァーミリアンがタイムパラドックスやパーソナルラッシュといった既存勢力に6馬身もの差を付けて勝ったことで、少しばかり新鮮な感を覚えた。

特にヴァーミリアン陣営が武豊や安藤勝己といった、これまで縁のあったジョッキーには見向きもせず、早々に内田博幸を確保していたことは注目に値する。大目標の帝王賞の選出基準では、カネヒキリやシーキングザダイヤはもちろん、タイムパラドックスやサカラートよりも下位にランクされる状況であっただけに、ここは何が何でも必勝のレースであったはずで、そこを見事に勝ってみせた内田博幸騎手の手腕は大いに賞賛されるべきだ。

それにしても、JRA所属4頭がそのまま上位4着までを独占した結果には、南関東を根城にする人間として憂慮の念を覚える。

ダイオライト記念がJRA交流となってから10年。JRA6勝に対し地方が4勝と、五分とはいわないまでもソコソコの成績を残してきたレースなのだ。

そもそも、ダートグレード競走最長の2400mという距離を、南関東特有の深い砂で争うこのレースは、スピード能力に劣る地方馬に有利とされている。にもかかわらず、地元南関東からの出走馬は南関東重賞すら勝ったことないルースリンドただ1頭。フェブラリーS直後のアジュディミツオーはともかく、本来ならシーチャリオットやボンネビルレコードといった4歳馬が出てこなければならないはずなのだが、出て来られないところに大きな問題がある。JRAの芝路線でも、4歳馬の層の薄さが問題になりはじめているが、南関東でも同じことが起こりつつある。(4歳馬問題については、後日詳しく)

レースが終わって、ダッシュで京葉線に飛び乗り、日比谷線、東横線と乗り継いで都立大学へと急いだ。

Sushi先日までウチの近所の鮨屋で働いていた職人さんが、めでたく独立することになったことはこのブログでも何度か触れたが、営業開始に先立って、新しいお店のお披露目パーティが開かれるのである。

そんで、いちおう胡蝶蘭なんかを買い込んで行ったんだけど、いざお店に着いてみたら「細川たかし」とか「富司純子」とか「尾上菊五郎」とか錚々たる面々からのお花が並べられていて、その隣りにちょこんと置かれた私の胡蝶蘭の鉢は、さながら社台スタリオンの種牡馬展示会に特別参加せてもらったフジヤマケンザンのように居心地悪そうにしていた。花に申し訳ない気分。

P1010001 しかし、お店そのものの居心地は最高である。その名も「すし独楽」。独楽のようにくるくると立ち働きながら、独楽のような遊び心も兼ね備えた料理を供したいと願っての命名である。もちろん「独楽」は「駒」にも通じる。競馬にも縁のある大将ならではの、秀逸なネーミングと唸ってしまった。営業開始が待ち遠しい。

| | コメント (0)

2006年3月14日 (火)

黄金世代

再び社台スタリオン。

備忘の意味を含めて書いておくと、この時期の種付け業務は、10時・15時・19時の3回行われる。1347_13_

馬たちは6時頃パドックに放牧されて、9時頃に一度集牧されて種付け業務を行う。その後、11時くらいから午後の放牧。14時過ぎから再び集牧されて2回目の種付け。その後は厩舎で過ごして夜の種付けに備えるというスケジュールになっている。3/16以降は、9時・14時・17時になるというが、この辺の時間のさじ加減は天候(主に気温)に左右されるのだそうだ。(※写真はアグネスタキオン)

事務所にいると、次から次へと種付け予約の電話が掛かってくる。多くは翌日の予約で、一日3回分の枠しかないのだから当然予約が取れない場合もある。しかし、繁殖牝馬の発情を一度逃すと、次の種付けまで1ヶ月程度待たなければならないので、牧場側も必死に食い下がって、中には4回目の種付けを要求してくる牧場もある。もちろんそんなの相手にしていられない。事務局の方は「4回目の種付けで良い仔馬が産まれてくる確率はかなり低い。なぜそういうことが理解できないのか」とため息をつく。

最近の産駒の好成績を受けて、クロフネとフジキセキが人気を集めている一方で、ダンスインザダークあたりの人気はイマイチなんだそうだ。だが、事務局の方はこれについても「生産者の理解不足」と一蹴する。

フジキセキ産駒の成績が急に上がったのは、産駒の能力が上がったのではなく、フジキセキ産駒が理に適った扱いを受けるようになったからで、つまりは人間側の要因なのである。

フジキセキ産駒は育成段階での故障が多く、素質馬と呼ばれながらデビューが遅れて、結果的にクラシックに結びつかない例が多かったが、その故障の原因というのが、育成者(あるいは調教師)が、サンデーサイレンスやトニービンの産駒と同じようなハードなメニューを課したことに他ならない。こうしたハードトレーニングがフジキセキ産駒には合わないと理解されたのは、つい最近のことだという。

また、ダンスインザダーク産駒についても、「まず、この産駒は真面目に走らない」と断言した上で、「だから長く活躍する」と分析する。

ダンスインザダークの新馬勝ち上がり率は確かに低いが、これは真面目に走っていない証拠なのだそうだ。しかし、その分無理をしないから能力の無駄遣いが無く、結果として長く活躍できるのだという。

ツルマルボーイ、ダイタクバートラム、ファストタテヤマ、タガノマイバッハと並べれば、うんうん確かにその通りだと納得させられるが、実際、500万や1000万などの条件クラスでもダンスインザダーク産駒の「長持ち」傾向は見られるのである。

ちなみに、今年の明け2歳馬はダンスインザダークの黄金世代なのだそうだ。

黄金世代とは、「今年はこの種牡馬がエース」と決めて、社台グループが擁する超A級の繁殖牝馬と配合させた上で、さらに種付け料を大幅にアップすることによって、他牧場からもA級の繁殖牝馬を集めた結果、自信の産駒世代の中でも、特に質の高い産駒が揃った世代を指す。

ちなみに現1歳世代はクロフネの黄金世代で、今年産まれる当歳世代はスペシャルウイークなんだそうである。

だからと言って、来年のPOGでクロフネ産駒をかき集めたところで、勝てる保証などどこにもないので、ご注意を(笑)

| | コメント (0)

2006年3月13日 (月)

やっぱ浦河は遠いよ

浦河に行くことにする。

後学のため、いちいちラップタイムを書き込むことをお許し願いたい。

10時に広富を出発。10時55分に静内に到着して、昼食のおにぎり  今日は「明太子」と「焼肉」です。とほほ…(-_-;  とお茶などを買って、11時10分に静内を出る。荻伏あたりから雪がちらつき始めて、浦河に入ると路面は真っ白になった。そして、12時15分に目的地のBTCに着いたときは、50m先が全く見えないほどの完全な吹雪。帰り道は大丈夫だろうか…?

1347_33_ ここで働く昔からの友人に会うために、雪道を2時間かけてやってきたことになるが、彼はそれくらいの労をかけても会う価値のある男である。吹雪の中から馬に乗って現われた彼にレンズを向けると、昔と変わらぬ笑顔で迎えてくれた。握手して(会って握手するような間柄の相手ってあまりいませんよね)、事務所に通していただいて、当然ながら馬の話でひとしきり盛り上がる。

それでもやはり浦河は遠い。慣れた運転でも千歳から3時間程度を要するということは、事実上東京からの日帰りは不可能だ。「うらかわ優駿ビレッジAERU(アエル)」も出来たことだし1泊すれば良いじゃないかと言われても、馬主にせよ調教師にせよカメラマンにせよ、日帰りできるかどうかを重視する人は少なくない。

「門別より南に牧場など無い」とまで言い切る関西の某有名調教師は極端な例だとしても、千歳空港から30分も走らずに到着できる社台グループの各牧場と比べたら、浦河という土地が背負うハンデは決して軽くない。「ちょっと気になる馬がいるから浦河まで」という関係者がどれだけいるだろうか。往復6時間の時間があれば、むしろ社台グループの牧場をじっくり回りたいかもしれないし、どうせなら札幌に出て遊びたいという人もいるだろう。浦河観光の中核になると期待されたAERUも、ここへきて慢性的な赤字が問題視され始めたが、これも地政学的なことを考えればやむを得ないところである。

折もおり、この3/19から自動車専用道路・日高道の鵡川~門別富川間が開通する。既に着工から15年が経過。本来なら2000年には開通して門別競馬場への主要アクセス道路となるはずだったが、その開通を待たずして門別競馬の開催が大幅縮小されてしまったのは何とも皮肉としか言いようがない。

日高道が浦河まで伸びるのはいつになることだろうか。

件の友人は、「20年後あたりじゃないか」と笑ったが、あながち冗談でもなさそうだ。

| | コメント (0)

2006年3月12日 (日)

スーパーイノセント2006

北海道に来ているのである。

当然寒い。正午だというのに気温は氷点下。雪はハンパに溶けて、あたり一面真っ茶色だし、馬も泥だらけでまったく絵にならない。立っていられないほどの猛烈な北風。さらに昼飯はコンビニのおにぎり  しかも「とりめし」! 北海道まで来て「とりめし」ですよ!!  という具合なので、いわゆる「楽しい北海道旅行」のイメージなど一切持たないでいただきたい。

午前中は社台スタリオンで何頭か種牡馬を撮る。新種牡馬ではネオユニヴァースが好印象だが、アグネスタキオンがそれを凌ぐオーラを醸し出していて圧倒される。やはりポストサンデーはこの馬か。アグネスタキオン本人(馬)が、そのことを自覚している感さえも受けた。

1時間ほどで失礼して、広富牧場へクルマを飛ばす。今夜仔馬の出産があるかもしれないと訊いているのである。

 ~ * ~ * ~ * ~

先に感想を書いておく。

この時期の生産牧場で働く人たちの苦労は並大抵ではない。これだけ牧場に出入りしているので、ある程度は理解しているつもりでいたが、やはり現場を味わうとその大変さが身に染みて分かる。これを体感せずに今まで自分は何を語っていたのだと、恥ずかしさすら感じる。

 ~ * ~ * ~ * ~

さて、今夜出産予定の牝馬はスーパーイノセント。お腹にはタニノギムレットの仔を宿している。

20050319 通常の牧場作業を終えて、いつもより早めの17時から夕食。この時期の食事はスキヤキとか焼肉とか「簡単に準備できて、すぐに食べられるもの」になるとのことで、今夜はジンギスカン。

夕食を食べている途中に獣医がやって来た。数日後に種付け予定の繁殖牝馬の検査なのだが、傍らには産まれたばかりの仔馬がいるので、検査も簡単ではない。仔馬はパニックになって暴れるし、繁殖牝馬がもっと暴れる場合もある。夕食を中断して、スタッフみんなで検査を手伝う。

19時。検査が終わって夕食の続き。寝る人はここで寝ておくし、風呂に入る人は入っておく。私は出産馬房の様子を映すモニター画面を注視しながら、スーパーイノの様子を監視する。牧場の人は「夕べまでとは違う位置に立ってる」と言うから、やはり今夜お産になるのだろう。

20時過ぎから馬房の中でスーパーイノがぐるぐると旋回し始めた。陣痛が始まると痛さでじっとしていられないのである。これで馬が横になれば、お産開始で人間の出番となるのだが、彼女は1時間ほど歩き回ってから、今度はじっと立ちすくんでしまった。

ひょっとしたら今夜じゃないのかもしれない、という重たい空気に包まれる。出産の兆候は三日前くらいから現れていて、牧場スタッフは徹夜の連続なのである。当然私も今夜であって欲しいと願う。

200603122046000そんな思いを察してくれたのか、スーパーイノがまた旋回を始めた。前足で寝藁をかき集めたりしているが、これは寝床を作っているのだという。そして、彼女がゆっくりと身体を横たえたのをモニターで確認したところで、仮眠中のスタッフを起こし、注射器や薬品、毛布、タオルを準備して馬房に走る。

厩舎に入って灯りをつける。意外にも他の馬たちが動揺しているような様子はない。バケツに水を張ったり、厩舎の扉の隙間に目張りをして隙間風が入らないようにしたりと準備を始める。

待つこと30分。

まず両前脚が出る。それを触ったスタッフが「うん。オスだ」と言った。脚先を触っただけで分かるものなのだ。

程良く前脚が出てきたところで、3人がかりで前脚を持って、強く、しかしゆっくりと引っ張る。結構力が入る。「脚が抜けるんじゃないか?」と心配になるほどだが、もちろんそんなことにはならない。引っ張りながら「よし。これは良いお産だ」とスタッフが口にした。つまりは安産だということで、私なりに少しばかり安堵する。

そして21時10分。ついに誕生。立派すぎるほど大きな栗毛の牡馬である。

1344_34_2006 注射。浣腸。さらに20分後にバタバタしながらも4本の脚でしっかりと立ち上がってくれたところで、途方もない安堵感に包まれて少し目眩を覚えた。私が立ち会った出産で万が一でもトラブルがあったりしたら大変だと思って、それが妙なプレッシャーになっていたのである。

その後、初授乳、初便、初尿、初座り、初寝、そして初起きまでをひと通り見届けて、ふと時計を見ると零時を回っていた。バケツの水はすっかり凍っている。それどころか、じっと構えたカメラに着いた自分の吐息さえも、白く凍り付くほどの寒さだ。眠さ、寒さと戦いつつ、しかもひとつのミスさえも許されない作業とあれば、スタッフの緊張感・疲労感は筆舌に尽くし難いが、「この仔馬が活躍してくれればこんなの苦労のうちには入らない」と笑う。

広富牧場では5頭が出産を終えたが、残る15頭の出産はこれからが本番である。

| | コメント (0)

2006年3月11日 (土)

配合は楽しい。。。はず

日高の牧場では出産のピークを迎えている。

ということは、間もなく種付けもピークを迎えることになる。

以前は出産のピークが3~4月で、種付けはそれより1ヶ月遅れた4~5月あたりがピークだったような気がするのだが、最近は出産も種付けもどんどんピークが早まる傾向にあるようだ。かく言う私も、とある繁殖牝馬の配合を考えてみないかと言われて、種付け相手を熟考している最中である。

血統に精通した牧場関係者などが、ありとあらゆる配合パターンを模索した中で、熟慮の上に熟慮を重ねて「これだ!」という種牡馬を選定して、いざ種付と相成る、というのが一般的な「配合」のイメージだろうか。

しかし、多くの生産牧場(つまり多くの繁殖牝馬)では、

 ①(配合の善し悪しに関わらず)種付け料が安い種牡馬
 ②(配合の善し悪しに関わらず)仔馬が売れそうな種牡馬
 ③(配合の善し悪しに関わらず)牝馬の発情が始まったその日に空いてた種牡馬

という理由で配合が決まることが少なくない。

①②は説明の必要はないと思う。③については、先述した「出産時期の前倒し傾向」と無関係ではない。

たとえどんなに馬が良くても、最近では「6月生まれ」というだけで仔馬が売れないケースが増えてきた。ちょっと前なら、「青草が生える前に産まれた仔馬は弱くなるからダメだ」なんて言葉も聞かれたりしたが、今では雪の上を産まれたばかりの当歳馬がぴょんぴょん跳ねる光景が当たり前になった。もちろん「種馬がフレッシュな状態で種付けをしたい」という思いもあるだろうが、やはりどちらかと言えば「遅生まれ=売れ残る危険」という生産者の焦りの方が強く感じられる。

この時季、種牡馬を繋養する牧場には「今から肌馬連れて行く。なんでもイイから空いてる種を付けさせてくれ」という電話が朝から鳴りやまないのだという。なんともいい加減な話にも聞こえるが、「頭を使って少しでも良い配合をと考え抜いたところで、売れるとは限らないから」と、彼らは言う。

もちろん、徹夜で繁殖牝馬の出産を待ちながら、今年の配合に思いを巡らせつつ分厚い血統本をめくり、あーでもないこーでもないと思い悩む生産者もちゃんといる。

ある意味、配合こそが生産活動の醍醐味でもあるはずなのだが、適当な理由で種付け相手を選んでいる生産者は、生産のいちばん楽しい部分を放棄していることに他ならない。私のような気楽な部外者に言わせれば、「もったいない」のひと言である。

ところで、種付け料には「受胎条件」「出産条件」などのいろんなオプションがあるが、ついに「牝返条件」などという料金設定も現れた。産まれてきた仔馬が牝馬だったら種付け料は全額返還という思い切ったオプションだが、これがけっこう反響を呼んでいるのだそうだ。

牝馬不人気ここに極まれりという感があるが、丁半バクチのような商売をしなければ繁殖牝馬が集まらない種付け側にしても、気の毒と言えば気の毒な話である。

「出産条件」種付けで産まれてきた仔馬が牝だった場合、牧場側で「間引き」してしまうという話を聞いたことがある。言語道断な話だが、日高の牧場を歩いて回る人間にしてみれば「まるで信じられない」という話でもない。調べてみると、とあるマイナー種牡馬の産駒は、牡がやたら多いなんてことだってある。

そういう意味では、「牝返条件」で助かる仔馬もいるのだ。これについては、もう少し注目してみようと思う。

| | コメント (0)

2006年3月10日 (金)

壊れかけの競馬

昨日付で笠松の惨状を書いたが、競馬の壊れ具合からすれば高知の状況もさほど変わりはない。

高知の一開催の平均日数は6日間。8頭立てのレースを1日11レース実施すると、一開催に必要な頭数は528頭ということになるが、2006年3月1日現在で高知所属の現役馬は424頭しかいない。

実際には、交流競走でJRA所属馬が枠を埋めたり、変則連闘(同一開催に2度出走すること)する馬もいるのだろうが、それでも所属424頭のほとんどが故障もなくレースに使われている状況はどう考えても不自然だ。

苦境にあえぐ競馬場では、レース賞金が徹底的に削減されており、1着賞金10万円という競馬場も珍しくない。しかも驚くことに、レースの格による賞金格差がほとんどない。

高知の場合、最下級のF級の1着賞金が10万円だが、クラスが上がってオープンに上り詰めても18万円にしかならない。その差は僅か8万である。念のために再度書いておくが、180万の誤記ではない。オープンの1着賞金が18万なのである。

目の前のレースに勝って、さらに賞金の高いレースを目指すのが競馬のあるべき姿だが、こんな賞金体系ではどの馬も真剣勝負を放棄するのは目に見えている。そして、ほとんどの馬は2~3万円の出走手当を目当てに出走を繰り返すことになる。

121_17 なんと言っても、3万円という金額はF級レースの2着本賞金より高額なのだ。だから無理して勝ちに行く必要など全くない。決して故障などしないように調教は馬場をぐるっと回ってくる程度。レースでも決して目一杯追ったりはせず、「月3」(ひと月に3回の出走)がいちばんの目標だ。

こんなことやってて、馬主が怒らないのか?と思わないでもないが、高知や笠松などで走っている馬のほとんどは、実は馬主不在馬だと推測される。名義上の馬主はいるかもしれないが、実際に馬を所有しているのは管理調教師だ。調教師自らが預託料分を負担し、管理馬がレースで稼いだ賞金が自分の所得となる。これは明らかな競馬法違反だが、それを追求すれば頭数不足で競馬が成り立たなくなるから、主催者側も見て見ぬふりをしているだけの話である。

かつてハルウララという馬が登場した背景には、こういう事情があった。あのときは誰もこんなことを指摘しなかったけど、おそらく指摘したくても出来なかったのだろう。何も考えずにブームに乗った一部のファンと、それを煽ったマスコミにすべての非がある。

ちなみに高知の最下級条件では、3着の本賞金は12000円。4着では8000円である。騎手が手にする進上金はこの5%だから、3着が600円、4着だと400円だ。

ファンにしてみれば馬券の対象となる3着と、馬券に関係のない4着とでは天と地との差があるが、果たして現場のジョッキーたちは200円の差額のためにどれほど真剣になるのだろうか?

こんなことを考えると恐ろしく不安になったりもする一方で、わずか数百円という進上金のために命を懸けてレースに臨んでいる彼らが、なんとも気の毒でならない。

| | コメント (0)

2006年3月 9日 (木)

笠松競馬の共同馬主制度

0262_03 2/24付で触れた笠松競馬に関するメールの話。

知人から笠松競馬の共同馬主について意見を求めるメールが届いた。彼はこの企画に興味を持っていて、参加してみたいのだという。

笠松競馬の共同馬主制度については、サンケイスポーツ/笠松競馬で共同馬主募集をご覧いただければと思うが、要するに「タダで馬をあげるから、あとの面倒はよろしく」というものである。

参加者は地方競馬の正式な馬主となり、10人で1頭の馬を所有する。馬は主催者から無料で提供されるが、馬を選ぶことはできない。月々の預託料として一人あたり2万円を支払う一方で、レースでの獲得賞金や賞品を受け取ることができる。「タダで馬がもらえる」というフレーズは、「馬=高価」と思う向きにはサプライズかも知れない。が、現実的に存廃の崖っぷちに立つ主催者に、高価な馬の代金を負担する余裕などあるわけもない。

10人が月2万ずつ負担するということは、月間預託料は20万ということになる。一頭の馬を管理・調教するには妥当な額と言えるが、実はこの金額が笠松競馬のオープンクラスの1着本賞金とほぼ同額と聞いたらどうだろうか。JRAにたとえれば、ひと月あたり1900万の預託料を請求されているようなもので、今の笠松で馬を所有しても金銭的なメリットは皆無であることを明確に示している。0262_17_

この悲惨極まりない賞金体系に悲鳴を上げて、笠松の馬主の多くは所有馬をよその競馬 場に移してしまった。そのため競馬開催に必要な頭数が揃わなくなり、慌てた主催者が冒頭の企画で馬主を募ったというわけだ。参加者に無料で割り当てられる馬は、本来なら「処分」されていたはずの馬だと思っていい。つまりは「競馬開催に足りる頭数の確保」と「厩舎関係者の生活維持」の一石二鳥を狙った企画なのである。

馬を所有するという行為は、損得勘定を抜きにした崇高な行為だということは理解しているつもりだ。だから敢えて理由を探せば、馬主クラブ会員では飽きたらず、リアルに馬を所有する実感を味わいたい向きには、この企画への参加を勧められなくもない。

ただ、あえて忠告するなら、笠松競馬が2006年度を持って(あるいは2006年度中に)廃止になった場合、自らの所有馬の処遇をどうするかは、企画の参加者が責任を持って判断しなければならない。他場移籍にはそれ相応の費用が掛かるし、書きたくもないことだが、馬を処分するにしてもタダでというわけにはいかない。

笠松競馬が、こうした事態までも想定したリスク回避に走っているのだとしたら、「先見の明あり」と褒めてあげたいところだが…。

| | コメント (0)

2006年3月 8日 (水)

堀江はいずこ?

堀江貴文はいったい何処に行ってしまったのだろう?

…いや、小菅にいることは承知してますよ、そりゃ。

朝から晩まで堀江容疑者の拘置所ライフがテレビで報じられていたのは、わずか1ヶ月前のこと。しかしその後テレビのターゲットは、東横インの西田社長、カーリング女子日本代表、民主党永田議員とめまぐるしく変わり、最近ではすっかり堀江容疑者の様子を伺い知ることが出来なくなってしまった。それで別に困ったり悲しんでいるワケでもないですけど…。

さて、3/3付スポーツ報知によると、堀江逮捕の影響で、ライブドアと共同で馬券のインターネット販売を計画していた笠松・名古屋・高知の各地方競馬場が、計画そのものを中止したそうだ。(笠松など馬券ネット販売 計画白紙

2/7付の当ブログ「ホリエモン(父:ブラックタイアフェアー)」でも書いた通り、堀江氏がたとえ逮捕されなくても、ライブドアにインターネット販売システム構築を実現する能力はなかったと思っているので、このニュースに特別な驚きはない。むしろ計画の白紙撤回の理由ができたということで、各競馬場にとって堀江逮捕は渡りに船だったのではないか。晴れてライブドアとの縁が切れた3つの競馬場は、ソフトバンクとの業務提携に意欲を見せているのだという。

ソフトバンクは、既に岩手県競馬(盛岡・水沢)と馬券のネット販売システムの構築で業務提携を結んでいる。笠松・名古屋・高知が、岩手と同じ企業と手を結ぶことは、少なくとも経費面やノウハウの有効利用という点では悪くない話にも思える。

しかし、そもそも「ネットでの馬券発売」が赤字解決に繋がるという考えは間違っていませんか?

これについては、地方競馬で活動する記者・カメラマンの有志連名で、「地方競馬における馬券発売のオフトラック化の危険性」と題する書簡を岩手県競馬組合に出そうとしたことがある。私も有志の末席を汚させていただいていたのだが、趣旨説明の段階で門前払いされてしまった苦い思い出がある。

そもそも、インターネットで馬券が買えるようになったからと言って、新規のファンが開拓されるかどうかは甚だ疑問だ。おそらく、これまで場外で購入していた一部の層が、ネット購買に切り替わるだけだと思われる。しかもインターネットによる発売の利益分については、その15%をソフトバンクが得る仕組みになっている。

売上げの総量が変わらず、しかもネット発売にシフトした分の利益の15%がソフトバンクに流れれば、単純にその分の赤字が増えるだけだ。億単位の資金を投じて構築したネットシステムが、結果的に赤字を生む可能性が大きいということを競馬組合はどこまで理解しているのだろうか。

「よそ者に何が分かる?」と言って我々の提言を切り捨てた競馬組合幹部は、「ネット化で馬券は売れる」と決めつけているフシがあった。しかしネットは魔法ではない。いくらネットで買えると言っても、欲しくもないもの、興味のないものをわざわざネットで買う消費者などいるものか。遠隔地からでも馬券を購入したくなるような魅力あふれるレースがあってこそのネット販売なのだ。

| | コメント (0)

2006年3月 7日 (火)

的場文騎手 5004勝

昨日今日と、もの凄い花粉じゃないですか?

200603071146000外に出るのも鬱陶しい陽気だが、数日前にテレビで見た長崎チャンポンがめちゃくちゃ旨そうだったので、意を決して妻と下の娘を連れて溝の口駅近くにある謎のチャンポン専門店「ながさき」に出掛ける。

看板も無く(営業中はノボリが出ているだけ)、営業時間もいい加減で(昼しかやってない)、結構高い(一杯1050円)が、それでも行く価値は十分にある。佐賀競馬場内のチャンポン屋もかなり旨いが、こっちも負けてない。

んで、私はそのまま電車に乗り浦和へ。二本柳壮騎手が交流競走に乗るため浦和に来るのである。

南浦和駅からバスに揺られて競馬場に到着すると、ウイナーズサークルで的場文騎手が花束を掲げている。何があったのか?とスタンドのゴミオヤジに訊いてみたら、通算5000勝達成なのだそうである。

これを見て、「うわ! 5000勝目のレースを撮り逃してしまったぁ!」などと悔しい気持ちが沸いてくるわけでもない。JRAで挙げた4勝を加えれば、2/28の段階で既に5000勝を達成しているのに、南関東お得意の「JRAの勝ち星はノーカウントルール」のために、公式な記録達成が今日まで持ち越されてしまっただけの話だ。このルールについては昨年12/27付の当ブログ「C3 三・四組」でも書いた。

その一方で、水沢とか高知なんかの成績はカウントするというのだから、南関東の解釈には苦しい部分がある。的場本人も、2/28に”JRA込み5000勝”を達成した時は「今日は自分だけで祝うよ」と苦笑いしていた。南関東とJRAとの仲の悪さは、知る人ぞ知る話である。

1021_27_などと文句を言いながらも、いちおうプレスリリースは受け取って目を通す。デビュー32年目。通算24735戦目にしての5000勝達成なのだそうだ。

それにしても勝率2割超は凄いのひと言。南関東は的場文騎手の独壇場というわけではなく、かつては佐々木竹見さんや高橋三郎さん、そして近年では石崎隆騎手や内田博騎手を相手に回しての成績と考えれば、これは途方もない数字だ。とにかくおめでとうございます。

さて、今日の本題は二本柳壮騎手である。

8RのJRA交流ツインファイター特別。馬券を買おうとして目を疑った。二本柳騎手が乗るのは1戦0勝のJRA所属馬オータムチェリー。出走10頭中10番人気なのはいいとして、9番人気馬のオッズが31倍なのに対し、10番人気のオータムチェリーは単勝万馬券というのはどういうことだ? そんなに弱いの? しばらくオッズを見守るが、さして変化は見られない。

哀れ二本柳騎手は、ここでも圧倒的最低人気馬に乗らなければならないのである。悲しさを通り越して笑ってしまいそうになったが、それでもいじらしくオータムチェリーの単勝を購入。「1頭でも負かせば御の字」という気持ちでレースを見たが、意外にも2頭負かしてくれたので少しは気分が晴れた。

こんな1頭に乗るためにわざわざ美浦から浦和まで来るのも辛いだろう。しかし、彼は選り好み出来る立場ではないのだ。好むと好まざるとに関わらず。

| | コメント (0)

2006年3月 6日 (月)

チューリップ賞をナメるな!

六本木ヒルズのスタバで人と待ち合わせ。

200603151343000_1 「本日のコーヒー」を飲みながらぼけーっとしていたら、どこからか「いや、ベガの時は…」とか「アグネスパレードは誰だっけ…?」とかいう会話が耳に入ってきた。何だ?と思って隣のテーブルに目をやると女性3人組で、うち一人は競馬番組で司会をされてる方ではないか! 挨拶をしようか迷ったが、とても真剣な打ち合わせをしていらっしゃるようなので、ここは自重。

そのまましばらく聞き耳を立てていたんだけど(悪趣味)、どうやら『武豊・チューリップ賞初制覇』という新聞だかテレビだかの表現について、「ベガでチューリップ賞を勝っているはずだ」という意見と、「ベガの時は重賞ではなく指定オープンだったから、ここは”初制覇”で正しい」という意見とをぶつけあっていたようである。別にどうでも良い話だった(笑)

私の待ち合わせの相手は定刻に現れたが、隣同士のテーブルで競馬のハナシというのもナンなんで、場所を変えて昼飯にする。親子丼でよかろうと「さ和鳥」を覗いたら、なんと痛恨のネタ切れ店終い。親子丼を急遽天丼に変更して「てんぷら・畑中」の暖簾をくぐる。

天丼を待つ間ボチボチ馬のハナシ。前々からいくつか暖めていた企画のうちのひとつで、北海道和種、いわゆるドサンコの撮影をするため、来月に釧路に行くことになった。ドサンコの出産シーズンのピークに合わせてのスケジュールだが、来月はクラシックもあるし日程が取りづらい。天丼を食べながらお互いのスケジュールを調整してみるが、いかんせん私のスケジュールが読めないので話にならない。

仕事の話は今ひとつ進展しなかったが、天丼は掛け値なしに旨かった。相手は昨日の弥生賞の3連単を当てたというツワモノなので、ありがたくご馳走になる。聞けばアドマイヤムーンもグロリアスウイークも彼のPOG馬なんだそうである。ついでにフサイチジャンクも持っているらしい。こういう人はクラシックが楽しくてしょうがないんでしょうね(笑)

22723_ POGと言えば、毎年のPOGドラフトで人気が集まる日本産繁殖牝馬の御三家と言えば、ベガ・エアグルーヴ・アグネスフローラの3頭であることに異論はありませんよね。この3頭の産駒だけで既にGⅠを12勝もしているんだけど、この3頭の唯一の共通点というのが桜花賞でもオークスでもなく「チューリップ賞勝ち」なんです。

チューリップ賞というのは、かくも格式高いレースだったのだ。●●淑子さんがマジ顔で議論するのも頷けなくもない。

| | コメント (0)

2006年3月 5日 (日)

弥生賞

腰に不安は抱えたままだが、いざ中山。弥生賞である。

「弥生賞から私の一年は始まる」と前にも書いたが、実は今日からJRAでの撮影活動も晴れて再開なのである。まさしく今年の開幕戦と言っていい。朝風呂に入って、鯛の尾頭付きを食べて…、まではしなかったが、競馬場に到着してから真っ先にパドック裏の馬頭観音にお参りをさせていただいた。

アドマイヤムーンについては、当ブログでも何度か書いている通り。札幌2歳Sではジャングルポケット級の、共同通信杯ではコスモバルク級の印象を受けており、GⅡで足踏みする器ではないと見てこれが◎。

相手はスーパーホーネット。生産牧場のガーベラパークスタッドには、かつて私が1口所有し、しかも私が名付け親にもなったタイキビューティーが繁殖牝馬として繋養されており、こうした縁でガーベラパークスタッドにはいろいろお世話になっている。オッズからすればこの2頭の一点勝負しかあるまい。開幕戦ということもあって、どどーんと張り込む。

1335_31_ レースはアドマイヤムーンの快勝。良発表とはいえ時計の掛かる馬場で2分1秒台は、実質2分0秒台の価値がある。2年前のコスモバルクが勝った弥生賞に匹敵する内容で、皐月賞に大きく前進したと見ていい。

だが、私が見ていてひとつだけ気になる点があった。

おそらくテレビ中継の画面ではそれほど分からなかったと思うが、私の位置から見ていて、アドマイヤムーンがゴール手前で外に大きく体を捻ったのだ。おそらく武豊の右ムチに過敏反応したのだろうが、馬体右側のゼッケンまで見えるような大きなヨレ方だった。

思えば、暮れのラジオたんぱ杯でサクラメガワンダーに負けた時も、ジョッキーは「内にササってしまった」とコメントしていた。エアシャカールのように、ちょっと気難しい面も持ち合わせているのかもしれない。あとで、これが苦労の種にならなければ良いが…。

いずれにせよ共同通信杯~弥生賞の連勝は、ミスターシービー以来ですね。スーパーホーネットは不利があっての着順なので、馬券の負けはあまり気にしないことにする。

帰宅後は、腰の具合をチェックしながら腰痛改善体操をしてみたのだが、どうも再発してしまった感じ…(-_-; 今夜は腰の負担を減らすため、敷布団を敷かずに畳の上にジカに寝ねばなるまい。でも、明け方は寒いだろうな。

| | コメント (0)

2006年3月 4日 (土)

内田博 ワンデーファイブ達成

今日2006年3月4日は、日本競馬史に残る一日ではあるまいか?

1076_24_3月最初の開催日と言えば、競馬学校を卒業した新人騎手が初めて競馬に乗るということで、馬よりも騎手にスポットが当たりがちの一日だが、その新人をあざ笑うかのように、大井所属の内田博騎手がいとも簡単に”ワンデーファイブ”(1日5勝)を達成。しかも、メ インのオーシャンSでは単勝オッズ139倍14番人気のネイティブハートを勝たせてしまったのだから、JRA、特にJRA競馬学校の関係者は内心穏やかではなかろう。しかも、5勝のうち1番人気馬での勝利は1鞍もなかった。これは、これまでに達成されたワンデーファイブには無かった快挙でもある。

阪神に目を移せば、今日からJRA所属となった岩田康成騎手が1Rで5番人気の馬を勝たせてしまうし、笠松から園田に移籍した川原騎手も1勝している。中京でも赤木騎手が3勝をマークするなど、今日行われた3場全36鞍のうち、ほぼ3分の1にあたる11鞍を元あるいは現地方所属騎手勝ってしまったのだから、JRA競馬学校はたまったものではない。新人騎手にしてみれば、調教師・馬主に「ちゃんと乗れますよ」とアピールする一日になるはずだったが、皮肉にも地方ジョッキーの技量の高さばかりが証明された一日になってしまったようだ。

そんな地方ジョッキー大活躍の嵐の中、JRA競馬学校を8年前に卒業した二本柳壮騎手が中京8Rで今年の2勝目を上げた。とりあえずホッとしないでもないが、このペースでは今年は10勝程度しか勝てないことになる。本人以上に私が心配で心配でたまらない。

公平に見て、二本柳騎手は決して下手ではない。2_4

今年彼が乗った69鞍を調べてみた。すると、そのうちの47鞍では人気以上の成績を 残しているのだ。69鞍の人気の平均は10.6人気だが、その着順の平均は8.9着である。

だいたいが、その69回の騎乗のうち1番人気が1回しかない。ちなみに2番人気も1回だけ。逆に最低人気が8回もある。

これは、あまりな話ではないか!

ほとんど勝ち目の無い馬ばかりしか回ってこないのだから、それで勝てと言う方がおかしい。今日の中京12Rでも、彼の騎乗馬は圧倒的最低16番人気の馬だったが、それでもどうにか掲示板の5着に持ってきている。彼のこういう姿を調教師・馬主はもっと見て欲しい。伏してお願いいたします。

それでも下を見れば、69鞍も乗れているだけまだマシな方かもしれない。

牧原改め「増沢」騎手は、相変わらず今年はまだ騎乗回数がゼロのままだし、もう一人の女性ジョッキー・西原玲奈騎手もまだ4回しか乗ってない。双子で有名になった柴田大知&未崎も仲良く8鞍ずつ(もちろん未勝利)だし、メイショウドトウの安田康騎手も、なぜか今年はまだ1鞍しか乗っていない。

一方、内田博騎手は今年JRAで19勝目。柴田善騎手の23勝に次ぐ関東リーディングの2位につけている。むろん岩田騎手も間違いなくリーディング争いに入ってくるだろう。

JRAが自前で騎手を育てることの是非までは結論づけられないが、現にこれほどまでに技量の差が生まれていることをJRAはもっと重視すべきではないか。競馬学校の3年制の見直しや、若手騎手の地方競馬への派遣など、すぐに着手できることはたくさんある。

若手騎手競走を実施したこと自体は良いことだと思うが、現状を見る限りでは1開催に1レースの実施ではとても足りない。番組編成上どうしても1レースしか組めないないならば、フルゲート40頭くらいでやる必要があるよ。冗談抜きで。

| | コメント (0)

2006年3月 3日 (金)

八百長もつらいよ

おかげさまで腰痛の方はだいぶ改善してきました。どうにか日曜日は中山に行けそうなあんばいでなにより。

そんで昨日の八百長話の続き。1070_13_1

日本で最近発覚した八百長といえば、2002年にばんえい北見競馬場で発覚した「ロウ 事件」だろうか。何者かが1番枠の走路(ばんえい競馬はセパレートコース)だけに大量のロウを撒いてソリが滑りやすいように仕組んだもので、騎手買収の必要もなく、単独で実行可能であることから  不謹慎ながら  秀逸な方法だといたく感心したものだ。

しかし、この手段にしても1枠に人気馬が入ってしまえば旨味はないし、ロウの力を借りて も馬が負けてしまう危険性がある。騎手の買収ほどの確実性はないので、馬券で大勝負するには多かれ少なかれリスクがつきまとう。

だが、この日の北見競馬場の1番枠馬の成績は5勝と抜きんでており、ロウ効果のほどは一応証明されたようにも思える。

そこで、実際に全てのレースで1番から馬連千円ずつ総流しをしたとして、いくらの儲けになったのかを調べてみると、全12レースで13万2千円の購入額に対して、払戻額は21万6千円という結果。利益は8万4千円ということになる。

これに対し、「一点の金額を10倍の1万にすれば84万、10万ずつ買えば840万の儲けじゃないか!」という指摘があるかもしれないが、北見競馬の規模では馬連に何万も突っ込んだら、あっという間にオッズが下がってしまって勝負にならない。北見の場合、重賞でもない一般レースの馬連賭式に投じられる金額は、1レースあたりだいたい200~300万円。ここに1点10万ずつ、計110万の金額を投入して首尾良く的中したところで、実入りに大差はない。しかも「異常投票者」としてマークされてしまう恐れもある。「場」にある金額を効率よくせしめるには、やはり1点あたり数千円が限界だ。

長さ200m、幅2m弱の走路にばら撒かれたロウの費用がいかほどなのか見当もつかないが、私ならば8万円を得るためにここまでのリスクを冒そうとは思わない。

ロウを撒く作業だって意外に大変そうだ。深夜(だろうと思うけど)に、人気のない競馬場に忍び込んで、暗がりを懐中電灯で照らしながら、1番枠走路だけに、丁寧に、まんべんなく、しかもバレないよう一心不乱にロウを撒いている姿は、不審を通り越して一種のいじらしさまで感じる。犯人が手にした額は分からないが、ここまで苦労しておきながら購入金額のさじ加減を間違えたりして、よもやマイナス収支になってやしないだろうかと、他人事ながら心配になってしまう。

| | コメント (0)

2006年3月 2日 (木)

八百長なんてしないよ

あれはフェブラリーSの日だったか。

パドックから本場馬に向かう馬の隊列をなんとなく眺めていたら、ペリエ騎手と目があった。そこで私が親指を突き立てるポーズ(チッチキチーのポーズですね)をしたら、ペリエ騎手も同じポーズをして返した。もちろん単なる挨拶。それ以外の他意はない。たまに彼と目が合えばやっていることだし、そんな場所で「頑張れ!」などと声を掛けたら、馬が驚いてしまうかもしれない。私としては、むしろ気を遣ったつもりであった。

が、すぐに警備関係のヒトが血相を変えて飛んできて、「不正行為を疑われるような真似はしないでくれ!」と、(かなりキツく)怒られた。

なぜ親指を立てることが不正行為なのか理解に苦しむが、同じような注意をされている人は結構多いらしい。「公正確保」はJRAが掲げる大看板であるだけに、かなり神経を尖らせているようだ。

先週日曜の阪急杯。松永幹夫騎手が引退に花を添えたあのレースを、いわゆる「八百長」ではないかと疑っているファンが意外に多いのだという。

一笑に付せる話だが、松永幹夫以外の15人の騎手を買収する危険を冒してまで、松永幹夫に勝たせて得する人はいない。そりゃ、松永本人や馬主なんかは得するだろうけど、「相手15人全員を買収」などという非現実的な手段は漫画でも登場するはずもない。不正によって単勝38倍の馬がぎこちなく勝つレースを見れば、それなりに疑問を抱く人間が大勢出てくる。

むしろ阪神12Rのように普通に勝てるような馬を、さらに絶ぇっ対に!に勝たせるために何らかの不正を仕掛ける方が、理に適っている。しかし、いずれにせよ衆人環視の元で行われるJRAで、無理して八百長を仕組む必要はない。どうせやるなら、福山とか荒尾でひっそりやった方が良いに決まっている。

競馬のみならず、あらゆるギャンブルには「八百長」という言葉がついてまわるが、私は少なくともJRAを舞台にした八百長は皆無だと思っている。

八百長を仕組むにおいて、「人気薄の馬を勝たせる」よりも「圧倒的人気の馬を負けさせる」方が簡単なことは明らかだ。冒頭でも示したように、前者は買収しなきゃならん人数が多過ぎて、実行するには現実性に乏しい。しかも勝たせたい馬が想定外に弱くて、周りが手加減してるにも関わらず勝ち切れない危険性だってある。さらに言えば、コスモサンビームのように不慮の事故が発生する可能性も捨てきれない。

よって八百長の歴史では古今東西を問わず「圧倒的1番人気の馬を負けさせる」という手法が取られているが、それでもこの方法で儲けるには、1番人気を除いた全ての馬券を購入しなければならない。よりによって2番人気の馬が勝ってしまったりしたら最悪である。それじゃ、2番人気の馬も買収して…、などとやっていたらキリがない。結局全馬を買収しなければならなくなる。

1300_33_ブックメイカーを通じた賭けが認められているイギリスや香港などでは、「×××が負ければ的中」という賭式がある。例えば、昨年の有馬記念で「ディープインパクトが負ける:3.2倍」というような馬券が発売されているので、こうした国では先ほどの「圧倒的人気の馬を負けさせる」という八百長疑惑が後を絶たない。

最近のジャパンカップで、ウィジャボードやイズリントンなどに騎乗したキーレン・ファロン(写真)は、こうした八百長疑惑の常習者で、2004年にも80件以上もの不正レースを行ったという嫌疑で警察に逮捕・拘留される騒ぎを起こしている。また、2002年には香港でも大規模な八百長が発覚し、フェアリーキングプローンで安田記念を制したこともあるロバート・フラッドらトップジョッキーが軒並み逮捕されるという事件が起こった。

ギャンブル先進国なりにいろいろ問題を抱えているようだが、健全な賭式の馬券しか存在しない日本では、危険を冒してまでこうした八百長を仕組むメリットは全くない。だからどうぞ皆さん安心して馬券を買ってください。

| | コメント (0)

2006年3月 1日 (水)

祝 リーディングボア&御神本

大井6R。広富牧場産の4歳牝馬・リーディングボアが、10戦目にして悲願の初勝利をあげた。まずはめでたい。でかした柏木!

そしてメインの東京シティ盃では、御神本訓史騎乗のベルモントファラオが1400mを一気呵成に逃げ切って勝った。意外にも、御神本騎手は南関東移籍後初重賞制覇だそうで、それはそれはおめでとうございます。

益田競馬場が廃止となり、かの地のリーディングジョッキーだった御神本騎手が南関東に移籍したのが2002年。レースぶりを何度か見てすぐに「さすがに乗れるな」という印象を強くしたものだが、翌2003年5月の大井で落馬。脳挫傷&くも膜下出血多数という大怪我から復帰しての重賞だけに、ご本人や周囲の喜びもひとしおだと思う。

実は、落馬事故のあった日(5月13日だったと思う)は、たまたま知人と大井に行っており、文字通り目の前で落馬を目撃することとなった。0995_35_

あとで伝え聞いたところによると、御神本騎手本人は落馬の瞬間はもちろんのこと、そのレースのことを含めた当日朝からの記憶が一切無いのだという。これを聞いた時、驚くと同時に、騎手という職業がいかに危険なのものかを再認識させれた。ちなみに、この日競馬場で一緒だった知人も、酒を飲むたびに「夕べからの記憶が無い」などとうわ言を繰り返すことがあるが、これについては驚くどころかただ呆れるばかりである。

東京シティ盃に話を戻すと、勝ったベルモントファラオは船橋記念(1/11付「船橋記念」)で1番人気に推されたことがあり、また2着のイブキオネストも準重賞のウインタースプリント(1/19付「’06ウインタースプリント」)を勝ってここに臨んでいた。人気を集めたメイプルエイトやベルモントストームらの金盃組が軒並み凡走し、いわゆる短距離路線組がワンツーフィニッシュを決めた結果については、南関東の短距離レース充実を訴えている私としては、目指すべき結果が現れたと満足している。どういうわけか馬券は当たらなかったが…(^_^;

| | コメント (0)

« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »